偽聖女として断罪追放された元令嬢は、知らずの森の番人代理として働くことになりました

石河 翠

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5.めっきとガラス玉の願い

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「さあ、俺の手を取ってくれるよね?」

 ごく自然に手を差し出されて、けれどリリィは首を横に振った。握られることのなかったてのひらが、所在投げに宙に浮かんでいる。

「……できません」
「リリィ?」
「そんな条件は呑めないと言っているのです」

 柔らかく微笑みながら、リリィははっきりと拒絶した。みるみるうちに、アッシュの顔が赤く染まっていく。差し出されていたてのひらが、拳の形に変わった。

「お前は、領地も領民も見捨てるのか!」
「私は貴族籍を既に抜け、神殿もまた追放されております。貴族でもなく、聖女の端くれですらない私には、背負えないのです。そして神殿から追放された者が、再び貴族に戻ることはありえません」
「なんと無責任な」
「真に責任を負うべきは父と義母、そしてエリンジウムなのです。あなたの恋心は素晴らしいとは思いますが……。どうぞお引き取りくださいませ」

 母が守った領地は確かにリリィの故郷ではあるけれど、異母妹の代わりに命を捧げるほどの思い入れはない。むしろ今は、この知らずの森こそがリリィの生きていく場所だ。実家にいられず、神殿を追放されたからこそ出会うことのできた安住の地。そういう意味では、エリンジウムに感謝すべきなのかもしれない。

「ああ、エリンジウムにはよろしくお伝えくださいませ。あなたが私を追放してくれたおかげで、私は幸せを手に入れることができましたと」
「ふざけるな」
「最愛のひととともに最期を迎えるというのも、ある意味幸せなことかもしれませんよ」
「俺よりもエリンジウムに愛されたお前が何を言う!」

 あの子が自分を愛している? 目の前の美しい男よりも? リリィが思わず首を傾げてしまうと、アッシュが拳を振り上げた。魔術攻撃ですらない、ただの暴力。反応できずに痛みを覚悟した瞬間、アッシュが吹き飛んだ。毛を逆立てた白狼が、リリィを庇うようにして唸り声をあげている。漏れ出した魔力の濃さに圧倒された。

「リリィ、怪我はないか?」
「ありがとうございます。おかげさまで、なんともありません。聖獣さまは?」
「大丈夫だ。……知らずの森に来ることができた人間は客人だが、番人やそれに連なる代理人を害そうとしたのであれば話は別だ。この男を排除する」
「……聖獣さま、お待ちくださいませ」

 魔力のこもった衝撃波で内臓をやられたのか、口元から血を垂らしつつもアッシュは立ち上がろうとした。彼は瞳をぎらつかせながら、リリィを睨みつけている。その色の強さに臆することなく、リリィもまた目の前の男を見据えた。今まで何を言われても俯いたり、困ったような顔で流したりしていたリリィからは、考えられない行動だ。

「エリンジウムのことが好きだったのなら、最初からあの子の婚約者になればよかったでしょうに。財産目当てで私の婚約者になり、秋波を送られてから異母妹に乗り換えたあげく、血が半分繋がっているだけの異母姉に悋気を抱くなんてみっともないにもほどがあります」
「彼女が望まなければ、誰がお前なんぞと婚約するか」
「……あの子が望んだ?」

 リリィは意味が理解できないとばかりに尋ね返した。そんなこともわからないのかと、アッシュはせせら笑う。

「俺は最初から彼女に求婚していたさ。だがエリンジウムの望みは、『あたしを愛しているのなら、お姉さまを愛して』だった。だから仕方なく、お前と婚約したんだ」
「何を言っているのか、意味がわかりません」
「エリンジウムにとって一番大切なものはお前だった。昔からずっと。エリンジウムの苦労も知らないお前のために、彼女が命を散らすなんておかしな話だろう?」

 嘘だと否定しかけて慌ててその言葉を飲み込む。エリンジウムの好意を疑うことを、目の前の男はきっと許さない。今度こそ、アッシュは刺し違える覚悟で自分を殺しにやってくる。なぜかそう確証できた。

『姉さま、大好き』

 雛鳥のように自分の後ろをついてまわっていた幼い異母妹の姿が脳裏をよぎる。自分をいたぶってやろうとあくどい笑みを浮かべていた義母から産まれたとはとても思えなかった。その愛らしさにほだされて、自分は心から彼女を可愛がっていたのだ。実母を亡くした寂しさなんて忘れてしまうほどに。

『なんて邪魔なのかしら。さっさとこの屋敷から出ていってくださればよろしいのに』

 突然の反抗期とは言えないほどの辛辣さで、エリンジウムはリリィへの当たりを強くしたときには驚いたものだ。けれど、「なぜ」よりも「やはり」と納得してしまったくらいには、リリィも疲れていた。あの豹変ぶりに違和感を覚えていたら、もっとよりよい方向に進むことはできていたのだろうか。少しばかり考え、そっとかぶりを振る。今さらだ。

 エリンジウムの行動の意味と理由を聞きたいとは思えなかった。聞いてしまえば、きっとリリィはすべてを許さなくてはいけなくなる。今はまだ、許せない。

「それならば、あの子も私を信用するべきだったのです。私に黙ってすべてを背負い込むのではなく、ふたりでどうすればよいのかを考えるべきでした」
「エリンジウムがどんな気持ちで過ごしてきたかわからないのか!」
「でも、あなたにも私がどんな気持ちで過ごしてきたかなんてわからないでしょう?」

 祈るように両手を組む。そっと白狼が寄り添う中、リリィは薄く微笑んだ。
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