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第一章
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食事会当日。わずかに緊張したアンナが屋敷の方に出向くと、使用人に不審そうな顔をされてしまった。おかしい。アンナがここへ来ることは事前に使用人に通達されているはずなのだが。まさか、時間帯を間違えてしまったのか。アンナが声をかけようとするも、使用人はまるでアンナをいないもののように動いている。逆に驚くほどのタイミングで、必ず避けられてしまうのだ。最初の嫌な物を見たと言わんばかりの表情を見ていなければ、自分の声のかけ方に問題があるのかと考え込んでしまったに違いない。
それにしてもどうしたものか。この状態で勝手に屋敷の中に押し入れば、揉め事が起きるのは必至。それはどうにも避けなければならない。アンナが静かに頭を悩ませていると、とてとてと一生懸命な足音が聞こえてきた。テッドだ。
「アンちゃん、来てくれてありがとう!」
アンナに飛びついたテッドを見て、使用人たちが目を丸くしている。アンナと一緒に離れにいるテッドはいつもこんな調子だが、屋敷では良家のご子息らしくお上品な仕草で大人しく過ごしているのかもしれない。
遅れてやってきたマシューおじさんも、よく来たといわんばかりにアンナの顔を見てどこか満足げだ。そして、アンナを無視していた使用人に向かって威嚇していた。日頃、おっとりとしていて、黙々と野菜を食べ続けているマシューおじさんにしては珍しい光景である。仇をとってもらったような気持ちで、アンナは口角を上げた。
「お招きいただき、どうもありがとう」
「えへへへ、アンちゃんが過ごしやすいようにお庭にテーブルと椅子を並べたんだよ!」
「まあ、ありがとう。とっても嬉しいわ」
ちらりとアンナが横目で確認してみれば、なんとも気まずそうな顔で使用人がこちらの様子を伺っていた。アンナがテッドに告げ口をするとでも思われているのかもしれない。こんな風に理不尽な扱いを受けることなど、慣れっこだ。自分ひとりならば今後のことを考えて抗議することもやぶさかではないが、わざわざテッドの前で場の雰囲気を悪くすることはない。
それに、とアンナは思う。使用人があれだけアンナのことを警戒しているということは、侯爵がアンナのことを警戒しているということを意味するはずだ。何せ主人の手足になって動くのが使用人。できた使用人こそ、主人の意を汲み、先回りして行動を起こす。それならば実際に侯爵に対面した時に何が起こるのか。アンナは想像したくもなかった。
テッドが連れてきてくれたのは、屋敷と離れの間にある広い中庭だった。ちょうどよいあんばいに、木陰ができている。夏とはいえ、風が吹けばそれなりに過ごしやすい。外での食事会に最もふさわしい場所だと思えたのだが、そこで客人を待っていた侯爵の表情は爽やかとは言い難いものだった。
「失礼だが、なぜこちらに?」
やはり自分は招かれざる客だったらしい。招待されたはずなのにと思いつつも、予想通りの展開にアンナは苦笑を漏らした。
「申し訳ありません。私はお招きに与っただけなのですが」
「わたしがあなたを招いた? そんな馬鹿な。冗談はやめていただきたい」
「え、父さまこそ変な冗談はダメですよ。ほら、アンちゃんが来てくれたんだから、席に案内しないと」
「はあ? いや、だが、しかし」
目の前で百面相を繰り広げる侯爵が妙におかしくて、アンナは舌先をぎゅっと噛んで耐える。性格が悪いことは自覚しているが、理不尽な目に遭うことが多すぎて笑いの沸点が低くなってしまっているらしい。あんな厳めしい顔をした侯爵が、幼子にたじたじになっている姿を見ると笑い出しそうになってしまう。
「父さま。アンちゃんをお招きしてはいけなかったのですか? まさか父さまも、ひいおばあさまのように、誰それは屋敷に入れてはダメだとおっしゃるのですか? そもそも父さまが、アンちゃんの料理を食べてみたい、アンちゃんと話をしてみたいとおっしゃったから招待したのに」
「……いや、まあ、確かにそうなのだが……」
歯切れの悪い父親の様子に、テッドはひどく不満そうだ。まあ、「新しい母」だとは知っていても、「お飾りの妻」「お飾りの母」だとは知らないのだから、テッドが困惑するのも無理はない。アンナにその役割を与えたのは侯爵自身なのだから、自分のツケは自分で払っていただこう。
「わたしは、てっきり『兄ちゃん』が来ると思っていたのだ。良き兄貴分なのであれば、下働きではなく側仕えにしようと考えていて……」
「父さま、『兄ちゃん』ってなあに?」
下町訛りの兄の呼び方など、テッドは知らなかったようだ。不思議そうに小首を傾げている。想像以上の誤解に、アンナはこらえきれずに肩を震わせた。不愉快そうに侯爵ににらまれても、我慢できないのだから致し方ない。そもそも自分の勘違いで招待したくせに追い出そうとする方が無礼なのだから、ここはおあいこだろう。
「ねえ、父さま。もう、僕、お腹ぺこぺこだよ。アンちゃんとの食事会、始めてもいいでしょう?」
やがてテッドのお腹の虫が騒ぎ出したことで、ようやく食事会は開始になったのだった。
それにしてもどうしたものか。この状態で勝手に屋敷の中に押し入れば、揉め事が起きるのは必至。それはどうにも避けなければならない。アンナが静かに頭を悩ませていると、とてとてと一生懸命な足音が聞こえてきた。テッドだ。
「アンちゃん、来てくれてありがとう!」
アンナに飛びついたテッドを見て、使用人たちが目を丸くしている。アンナと一緒に離れにいるテッドはいつもこんな調子だが、屋敷では良家のご子息らしくお上品な仕草で大人しく過ごしているのかもしれない。
遅れてやってきたマシューおじさんも、よく来たといわんばかりにアンナの顔を見てどこか満足げだ。そして、アンナを無視していた使用人に向かって威嚇していた。日頃、おっとりとしていて、黙々と野菜を食べ続けているマシューおじさんにしては珍しい光景である。仇をとってもらったような気持ちで、アンナは口角を上げた。
「お招きいただき、どうもありがとう」
「えへへへ、アンちゃんが過ごしやすいようにお庭にテーブルと椅子を並べたんだよ!」
「まあ、ありがとう。とっても嬉しいわ」
ちらりとアンナが横目で確認してみれば、なんとも気まずそうな顔で使用人がこちらの様子を伺っていた。アンナがテッドに告げ口をするとでも思われているのかもしれない。こんな風に理不尽な扱いを受けることなど、慣れっこだ。自分ひとりならば今後のことを考えて抗議することもやぶさかではないが、わざわざテッドの前で場の雰囲気を悪くすることはない。
それに、とアンナは思う。使用人があれだけアンナのことを警戒しているということは、侯爵がアンナのことを警戒しているということを意味するはずだ。何せ主人の手足になって動くのが使用人。できた使用人こそ、主人の意を汲み、先回りして行動を起こす。それならば実際に侯爵に対面した時に何が起こるのか。アンナは想像したくもなかった。
テッドが連れてきてくれたのは、屋敷と離れの間にある広い中庭だった。ちょうどよいあんばいに、木陰ができている。夏とはいえ、風が吹けばそれなりに過ごしやすい。外での食事会に最もふさわしい場所だと思えたのだが、そこで客人を待っていた侯爵の表情は爽やかとは言い難いものだった。
「失礼だが、なぜこちらに?」
やはり自分は招かれざる客だったらしい。招待されたはずなのにと思いつつも、予想通りの展開にアンナは苦笑を漏らした。
「申し訳ありません。私はお招きに与っただけなのですが」
「わたしがあなたを招いた? そんな馬鹿な。冗談はやめていただきたい」
「え、父さまこそ変な冗談はダメですよ。ほら、アンちゃんが来てくれたんだから、席に案内しないと」
「はあ? いや、だが、しかし」
目の前で百面相を繰り広げる侯爵が妙におかしくて、アンナは舌先をぎゅっと噛んで耐える。性格が悪いことは自覚しているが、理不尽な目に遭うことが多すぎて笑いの沸点が低くなってしまっているらしい。あんな厳めしい顔をした侯爵が、幼子にたじたじになっている姿を見ると笑い出しそうになってしまう。
「父さま。アンちゃんをお招きしてはいけなかったのですか? まさか父さまも、ひいおばあさまのように、誰それは屋敷に入れてはダメだとおっしゃるのですか? そもそも父さまが、アンちゃんの料理を食べてみたい、アンちゃんと話をしてみたいとおっしゃったから招待したのに」
「……いや、まあ、確かにそうなのだが……」
歯切れの悪い父親の様子に、テッドはひどく不満そうだ。まあ、「新しい母」だとは知っていても、「お飾りの妻」「お飾りの母」だとは知らないのだから、テッドが困惑するのも無理はない。アンナにその役割を与えたのは侯爵自身なのだから、自分のツケは自分で払っていただこう。
「わたしは、てっきり『兄ちゃん』が来ると思っていたのだ。良き兄貴分なのであれば、下働きではなく側仕えにしようと考えていて……」
「父さま、『兄ちゃん』ってなあに?」
下町訛りの兄の呼び方など、テッドは知らなかったようだ。不思議そうに小首を傾げている。想像以上の誤解に、アンナはこらえきれずに肩を震わせた。不愉快そうに侯爵ににらまれても、我慢できないのだから致し方ない。そもそも自分の勘違いで招待したくせに追い出そうとする方が無礼なのだから、ここはおあいこだろう。
「ねえ、父さま。もう、僕、お腹ぺこぺこだよ。アンちゃんとの食事会、始めてもいいでしょう?」
やがてテッドのお腹の虫が騒ぎ出したことで、ようやく食事会は開始になったのだった。
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