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第一章
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「今日の料理はアンちゃんの特製レシピを、うちの料理人に作ってもらったの!」
「侯爵家の食卓に並べるには、なんとも貧相でケチくさい料理だな」
「父さま、どうしたの? 昨日まで、手に入る材料で創意工夫を凝らした素晴らしいレシピだっておっしゃっていたのに」
悪気なく父親の言葉に首を傾げるテッドに、またもやアンナは吹き出すのをこらえるのに苦労した。先ほどから頬の内側を噛んで堪えているが、明日には口内炎ができてしまいそうだ。
「ねえ、アンちゃん。父さま、大丈夫かな。ひいおばあさまみたいな意地悪を急に言い出すようになるなんて。もしかして、夏の日差しで熱中症っていうのになっちゃったのかな? 前にアンちゃん、僕に言っていたでしょう。暑い中、帽子もかぶらず、お水も飲まずにいたら大変なことになっちゃうよって」
「ええと……そうね」
ここで大丈夫だと言っても、大丈夫ではないと言っても問題になってしまうため、アンナは肯定も否定もできない。ただ、レシピ自体はそもそも好意的に受け止められていたようだ。アンナが発案者だとわかった瞬間に、価値が大暴落したようだが。
「これでも下町の庶民が食べている料理よりも、ずいぶんと豪勢なのですよ。普段のお食事とは異なるでしょうが、よろしければ味見してくださいませ」
料理の味にのみ言及し、アンナは淡く微笑んだ。アンナのレシピを使ったとはいえ、作っているのは侯爵家の腕利きの料理人たちだ。同じ料理だとは思えないくらいの出来栄えに、アンナは小さく感嘆の声をもらした。こんなに素晴らしい料理に昇華しているのに、レシピがアンナの元だったせいで「貧相」と評されているのが大変お気の毒である。
いつものように勢いよくフォークを突き刺したテッドだったが、その表情が徐々に暗くなっていった。
「アンちゃんのお料理と味が違う」
「そうねえ。作っているひとが違うし、もしかしたら使っている材料も違うのかも」
「離れに届いているものは侯爵家でまとめて購入したものなのに?」
「同じお店から購入しても、どうしても品質が良いものとそれほどでもないものは混じるわ。お屋敷の方には良いもの、それも特別良いところだけを使っていたりするのでしょうね」
アンナは多少傷があっても、容赦なくスープに放り込んでしまうが、侯爵家のお屋敷ではきっと細かく選別されているに違いない。
「僕、あんまりお腹空いてないや」
フォークを置くテッドを見て、これは口に合わなかったのだなとアンナは察した。そもそもアンナのレシピが貧相で見栄えがしないのは、主に材料のせいである。もともと実家が裕福ではなかったせいで、卵や牛乳のような日持ちせず、手に入りにくい材料が料理に組み込まれていないのだ。そしてそれを侯爵家に来てからも改良していなかったのは、テッドがそれらを好まなかったからである。
引っ越し初日は、ジムが持ってきてくれていた材料の中にそれらが含まれていたためにたっぷりと使っていたのだが、一緒に食事をするテッドが好まないので自然と除外されてしまった。それに前世の子育てで子どもたちの食事に大層苦労した記憶があることもあり、無理はしなくてもよいだろうという方針なのだ。好き嫌いを矯正しようとして、食事自体が嫌になってしまっては意味がない。それに、ただの好き嫌いでは済まない可能性だってある。
食べないと言って騒いだり、皿の中の料理をぐちゃぐちゃにかき混ぜたりせずに、他のひとの食事が終わるまで静かにできるのであればそれでよい。そうアンナは考えていたのだが、ここで厳しい注意が入った。誰であろう、テッドの父親である侯爵そのひとである。
「好き嫌いは恥ずかしい。下げ渡しがあるとはいえ、何でも食べられるようになるべきだ」
「閣下。子どもの成長は個人差が大きいのです。一定間隔で食事ができる大人と同じに考えることはできません」
「他人の君に、口を挟まれる筋合いはない。我が家の教育方針にあれこれケチをつけないでくれ」
確かに自分は他人である。けれど、それとこれとは話が別だ。侯爵相手に一歩も引かないアンナを見て、テッドが慌ててフォークをとった。
「ごめんなさい。僕、ちゃんと食べます」
「テッド、無理はしないで」
「ううん。僕のわがままのせいで、アンちゃん、ごめんね」
今にも泣き出しそうな顔で食べ始めるテッド。泣くのを我慢しているのだろうか、目元と頬が赤くなっているのが気にかかる。その時、テッドがフォークを落とした。大理石の床ではないので、悲鳴のような音は聞こえない。それなのに、テッドのその顔は胸が痛くなりそうなほど苦痛に歪んでいた。
「落ち着いて食べなさい」
「ご、ごめん、なさい」
侯爵の声が冷たく響き渡る。使用人によって新しいフォークを差し出されたテッドは、つっかえながら返事をした。そして直後に、こんこんとせき込み始める。何かが詰まっているような、荒い息遣い。
「テッド?」
「なん、か、へん、なの」
まぶたを腫れあがらせてアンナを見つめてくるテッド。その顔や首筋には、大量のじんましんが現れていた。
「侯爵家の食卓に並べるには、なんとも貧相でケチくさい料理だな」
「父さま、どうしたの? 昨日まで、手に入る材料で創意工夫を凝らした素晴らしいレシピだっておっしゃっていたのに」
悪気なく父親の言葉に首を傾げるテッドに、またもやアンナは吹き出すのをこらえるのに苦労した。先ほどから頬の内側を噛んで堪えているが、明日には口内炎ができてしまいそうだ。
「ねえ、アンちゃん。父さま、大丈夫かな。ひいおばあさまみたいな意地悪を急に言い出すようになるなんて。もしかして、夏の日差しで熱中症っていうのになっちゃったのかな? 前にアンちゃん、僕に言っていたでしょう。暑い中、帽子もかぶらず、お水も飲まずにいたら大変なことになっちゃうよって」
「ええと……そうね」
ここで大丈夫だと言っても、大丈夫ではないと言っても問題になってしまうため、アンナは肯定も否定もできない。ただ、レシピ自体はそもそも好意的に受け止められていたようだ。アンナが発案者だとわかった瞬間に、価値が大暴落したようだが。
「これでも下町の庶民が食べている料理よりも、ずいぶんと豪勢なのですよ。普段のお食事とは異なるでしょうが、よろしければ味見してくださいませ」
料理の味にのみ言及し、アンナは淡く微笑んだ。アンナのレシピを使ったとはいえ、作っているのは侯爵家の腕利きの料理人たちだ。同じ料理だとは思えないくらいの出来栄えに、アンナは小さく感嘆の声をもらした。こんなに素晴らしい料理に昇華しているのに、レシピがアンナの元だったせいで「貧相」と評されているのが大変お気の毒である。
いつものように勢いよくフォークを突き刺したテッドだったが、その表情が徐々に暗くなっていった。
「アンちゃんのお料理と味が違う」
「そうねえ。作っているひとが違うし、もしかしたら使っている材料も違うのかも」
「離れに届いているものは侯爵家でまとめて購入したものなのに?」
「同じお店から購入しても、どうしても品質が良いものとそれほどでもないものは混じるわ。お屋敷の方には良いもの、それも特別良いところだけを使っていたりするのでしょうね」
アンナは多少傷があっても、容赦なくスープに放り込んでしまうが、侯爵家のお屋敷ではきっと細かく選別されているに違いない。
「僕、あんまりお腹空いてないや」
フォークを置くテッドを見て、これは口に合わなかったのだなとアンナは察した。そもそもアンナのレシピが貧相で見栄えがしないのは、主に材料のせいである。もともと実家が裕福ではなかったせいで、卵や牛乳のような日持ちせず、手に入りにくい材料が料理に組み込まれていないのだ。そしてそれを侯爵家に来てからも改良していなかったのは、テッドがそれらを好まなかったからである。
引っ越し初日は、ジムが持ってきてくれていた材料の中にそれらが含まれていたためにたっぷりと使っていたのだが、一緒に食事をするテッドが好まないので自然と除外されてしまった。それに前世の子育てで子どもたちの食事に大層苦労した記憶があることもあり、無理はしなくてもよいだろうという方針なのだ。好き嫌いを矯正しようとして、食事自体が嫌になってしまっては意味がない。それに、ただの好き嫌いでは済まない可能性だってある。
食べないと言って騒いだり、皿の中の料理をぐちゃぐちゃにかき混ぜたりせずに、他のひとの食事が終わるまで静かにできるのであればそれでよい。そうアンナは考えていたのだが、ここで厳しい注意が入った。誰であろう、テッドの父親である侯爵そのひとである。
「好き嫌いは恥ずかしい。下げ渡しがあるとはいえ、何でも食べられるようになるべきだ」
「閣下。子どもの成長は個人差が大きいのです。一定間隔で食事ができる大人と同じに考えることはできません」
「他人の君に、口を挟まれる筋合いはない。我が家の教育方針にあれこれケチをつけないでくれ」
確かに自分は他人である。けれど、それとこれとは話が別だ。侯爵相手に一歩も引かないアンナを見て、テッドが慌ててフォークをとった。
「ごめんなさい。僕、ちゃんと食べます」
「テッド、無理はしないで」
「ううん。僕のわがままのせいで、アンちゃん、ごめんね」
今にも泣き出しそうな顔で食べ始めるテッド。泣くのを我慢しているのだろうか、目元と頬が赤くなっているのが気にかかる。その時、テッドがフォークを落とした。大理石の床ではないので、悲鳴のような音は聞こえない。それなのに、テッドのその顔は胸が痛くなりそうなほど苦痛に歪んでいた。
「落ち着いて食べなさい」
「ご、ごめん、なさい」
侯爵の声が冷たく響き渡る。使用人によって新しいフォークを差し出されたテッドは、つっかえながら返事をした。そして直後に、こんこんとせき込み始める。何かが詰まっているような、荒い息遣い。
「テッド?」
「なん、か、へん、なの」
まぶたを腫れあがらせてアンナを見つめてくるテッド。その顔や首筋には、大量のじんましんが現れていた。
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