継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?

石河 翠

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第一章

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 そこへジムが医師を連れて飛び込んできた。以前から頼んでおいた水薬を作っておいてくれていたらしい。テッドを診察すると、使用人の手を借りずに、医師が直接薬を飲ませ始める。あまりにも早すぎる到着と行動に、侯爵が目を見開いた。アンナは淡々と説明する。

「事前にこの件について、ジムを通して相談していたのです。だからこそ、テッドの食事内容を見直すようにお医者さまからご連絡があったかと思うのですが……。甘やかしはよくないと突っぱねられましたよね?」
「……ふんわりとした説明はあったが、わがままを言えば通るという間違った経験を得るのはよくないと思ったのだ」
「お気持ちはわかりますが。詳しい説明をしたいと面会を申し出たお医者さまに、事前に文書で提出できないならば聞くに値しないと切り捨てるのはどうかと」
「……悪かった」

 子育ては難しい。ゲームと違ってやり直しはできないし、同じ子どもとしてひとくくりにすることなどできはしない。侯爵家唯一の跡取り息子なのだから、侯爵自身も相当に養育について気にかけているのだろう。だからこそ、周囲の意見には耳を傾けていただきたいところだが、その余裕すらないほど不愉快な雑音が多すぎるのかもしれなかった。

 処置が終わったらしい。薬の入った器を使用人に渡していた医師が、何事かを指示してからアンナたちの方に向き直った。

「先日、お問い合わせをいただいた件ですが」

 侯爵に話しかけると思いきや、まっすぐに初対面の自分に向かって声をかけられてアンナは少しだけ驚く。母親役として認められて嬉しいという感情はわかない。このままではダメなのだ。テッドの親はあくまで侯爵。自分は今のところ立場上継母ではあるが、いつまで一緒にいられるかなんてわからないのだから。

「閣下、一緒にお話を聞いておいてくださいね。これは閣下にもしっかり理解していただく必要がある話です。こちらのお医者さまは、長年侯爵家のお抱えとして働いていらっしゃるのだとか。であれば、一族の皆さまの身体的な特徴や傾向についてご存じであると考えました。そこで、お伺いしたのです。王国内には、特定の食べ物や植物などに対して何らかの拒絶反応を示す場合があるのか。そしてそのような症状は、この侯爵家の中でもたびたび見られているのではないかと」
「わたしは、聞いたことがないぞ」
「そうでしょうね。わざわざ自分の弱点をさらすようなことはしないのかもしれませんし、淘汰されてきたのかもしれません」
「淘汰?」
「症状と原因が特定される前に、命を落としている可能性があるということです」

 例えば、米が一般的ではないこの地方で重篤な小麦粉アレルギーであったなら、代替となる主食を探し出すよりも前に、離乳の段階で儚くなる可能性が高いのではないだろうか。牛乳にひたしたパン粥など、考えるだけでも恐ろしい。アンナと侯爵の話をさえぎるように、医師がこほんと小さく咳ばらいをした。

「父から伝え聞いた話ですが、今のテッドさまと似たような症状を先々代のご当主さまもお持ちだったそうです」
「なぜそれをこちらに伝えていなかった!」
「そういう誓約なのです。国内でも他に症例がないため、政敵に知られることはまかりならぬと、侯爵家当主か夫人から連絡をいただくまでは口に出せないようになっております」

 ふむと腕組をしながら、侯爵が考え込んだ。

「だがそれでは、取り返しのつかない事態になってからでなければ知ることができないのではないか。弱い生き物は見殺しに、次の子どもから健やかに育つように注意すればよいと?」
「そんなことはございません。侯爵家では、他の家と異なり、実母が赤子に乳や離乳食を与えることになっています。先々代の当主によるご命令ですね。憶測ですが、テッドさまは離乳食を召し上がる際にも牛乳や卵を口にされず、その結果発見が遅れたのかもしれません」

 そうであってほしいとアンナは思った。だってもしもそうでなかったのなら、亡くなった前妻はテッドが食事をした際に生じたじんましんなどの異常に気が付かなかったということになる。もっと恐ろしい想像をするならば、知っていてあえて侯爵にも医師にも報告しなかったということになってしまうのだ。

「祖父は医者いらずと言われるような丈夫な人間だったと記憶しているが」
「先々代には、影のように付き従っていた者がいたはずですが」
「……離れにいた女性か! つまり、妾ではなく薬師だったと?」
「お二人が男女の仲であったかどうかまでは存じあげませんが、食べられないものの多い先々代のために、日々の料理には気を遣われていたそうです。外部での会食や夜会の後、体調を崩す先々代に、今回ご用意した薬を飲ませるのも大事なお役目であったとか」
「離れにいた妾が亡くなったから、祖父は死んだと祖母は言っていたが、それは愛情云々の話ではなく、料理と薬の問題だったのかもしれないな」

 側にいた薬師も相当な高齢だっただろう。それならば、お抱え薬師として新しい相手を、離れに呼べばよかったのだ。侯爵の疑問に、医師は静かに首を横に振った。

「先々代は、奥方さまのことを心から大切にされていらっしゃいましたよ。もしかしたら、あれ以上の火種を産みたくはなかったのかもしれませんね」
「あそこまでこじれた仲だったのに?」
「ひとの心の機微というものは、はたから見ていてもよくわからぬものですよ」

 医師の言葉に、侯爵はただ押し黙る。代わりに、医師がぱっと顔を明るくして続けた。

「薬草園が無事で本当に助かりました。薬草園は、侯爵夫人が管理する形になっておりますので、心配していたのです。しっかりと大切に育てていただき、ありがたい限りです。それにしても、今代の侯爵夫人はよい守護者をお持ちなのですね。まさかマーモットが畑を荒らすどころか、薬草園の守りに精を出しているなんて。威嚇された時には驚きました」

 マシューおじさんが、薬草園の警備? 初耳の情報にアンナはマシューおじさんの姿を探したが、日頃からどこにでも入り込み、もっちゃもっちゃと野菜を食べているマーモットは、こんな時に限ってどこにも姿が見えないのだった。
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