継母になった嫌われ令嬢です。お飾りの妻のはずが溺愛だなんて、どういうことですか?

石河 翠

文字の大きさ
27 / 28
第一章

(27)

しおりを挟む
「いかがなされました、旦那さま」
「辛い! 今までの人生でこれほどまでに女性に邪険にされたことはない。なぜだ。なぜこちらから歩み寄っているはずなのに、空振りが続くのだ」
「そういう発想と発言が出ている時点で、もうしばらく事態の改善は見込めなさそうですね」

 侯爵は自室で酒を片手に、家令に向かってぼやいていた。アンナへの謝罪を行ったこと、謝罪を受け入れてもらったこと、エドワードの幸福のために協力することを確認したことで、侯爵はアンナと本物の家族になれると思っていた。本物の家族になるということは、本物の夫婦になるということである。そう侯爵は認識していたのだ。ここに論理の飛躍があるのだが、侯爵は気づかない。

 侯爵は、アンナに離れではなく屋敷のほうで一緒に暮らすことを提案していたのだが、不思議そうに首を傾げられてしまった。本当に心から、なぜそんなことを提案されているのか理解できないという顔なのだ。同じ屋敷に住むのが無理なら、同じ部屋に住むことはもっと無理だと気がつき、侯爵は頭を抱えたばかりだった。

「距離感の詰め方が間違っているのです。誰もが前の奥さまのような女性だと思っては痛い目を見ますよ」
「すでに痛い目に遭っているのだが」
「なるほど。それでもなお学ぶことができなかったとは。わたくしは、残念でございます」
「なぜそういう結論になる。それに言いたいことはまだあるのだ。名前だってそうだ!」
「名前、でございますか?」

 ジムには心当たりがないのか、不思議そうに小首を傾げている。

「お前にはわからないだろうとも。お前は、彼女からジムと名前で呼ばれているのだからな」
「ああ、そういうことでしたか。まあ、わたくしの場合はいちいち『そこの家令』などと呼ぶ方が奇妙な感じはいたしますが」
「だが、使用人の名前を呼ばない貴婦人も多いではないか」
「貴族の体面を慮るということで、『そこのお前』と呼ぶ貴婦人方のことでございますね。なるほど、坊ちゃまはそのような高飛車な女性がお好みだと」
「そんなわけがあるか。そしてさらりと、呼び名を『坊ちゃま』に戻すんじゃない」
「ですが、自分の要望を相手にはっきり伝えることもせずに、『気持ちを汲み取ってもらえなかった』『傷ついた』『寂しい』などとおっしゃられましても。その無駄に美麗なお顔についている口はお飾りですかと首を傾げるしか」

 そんなに名前で呼んでほしいのであれば、自分からお願いしてみてはと提案するジムに、提案した結果を教えてくれた。

「アンナはにこやかに、『「アンナ」、「テッド」、「かっか」、みんな三文字でお揃いですね』と笑っていたな。エドワードにいたっては、『「アンちゃん」、「エドワード」は五文字でお揃いなのに、「とうさま」は四文字でかわいそう。「おとうさま」に変えてあげるね』と言っていたのだからな」

 すっかりふてくされた顔で酒をあおる。

「どうせ意味合いが理解できないような婉曲すぎる表現を使ったのでしょう? アンナさまには素直にまっすぐ伝えませんと、一生このままですよ」
「本当にお前は辛辣だな。もう少し主君に寄り添ってもよいのではないか?」
「そして『君を愛することはない』と暴言を吐いても、周囲の誰も止めないような環境に戻りたいと」
「……わかった、わかったから。全部わたしが悪かった。もう勘弁してくれ」

 用意されたつまみに口をつけながら、侯爵はさらにぼやいてみせる。

「確かに最初に一線を引いたのはわたしなのだ。最大限の敬意を払って、『閣下』という敬称を選んだ彼女は間違っていない。だがな、関係を改めるという話になっているのだ。『あなた』や『ウォルトさま』は無理でも、もっと他にあるだろう。たとえば『旦那さま』とか」
「先ほどまでわたくしがお呼びしていたではありませんか、坊ちゃま」
「お前は今は『旦那さま』どころか、『坊ちゃま』呼びではないか。大体、主君としての『旦那さま』と配偶者としての『旦那さま』は似て非なるものなのだ」
「はあ、具体的には?」
「男の浪漫だ」
「父性には必要のないものですね」
「何を言う、男は永遠の少年だぞ」
「坊ちゃま、御用件がないようでしたら、わたくしはそろそろ下がらせていただきます」
「今夜は早いな? 休暇をとったのか?」
「休みをいただいたわけではございませんが、諸事情により、半日ほど留守にいたします」
「そうか、ゆっくりするといい」

 鷹揚にうなずいてみせる侯爵だったが、次の瞬間彼の余裕は一瞬で崩れ去った。ノックの音とともに、まさに話題の人物であるアンナとエドワードがやってきたからだ。せっかくだからアンナをお酒に誘おうと思いたった侯爵だが、軽い会釈のあとにアンナはさわやかにジムに声をかけた。

「ジム、本当にいいのかしら?」
「もちろんでございます」
「わあい、ジムも一緒だね。嬉しいね」

 一体何の話をしているのかと首を傾げる侯爵に、これからエドワードがアンナの住む離れに泊まる予定なのだとジムは説明した。

「閣下はいつも夜遅くまでお仕事をなさっていらっしゃいますし、規則正しい生活が乱れるのはお嫌いだとお伺いしたのでお声掛けしなかったのです」
「う、うぐ、そ、そうか」
「とはいえ自分一人では閣下も心配でしょうから、お目付け役としてジムにも滞在をお願いしました」
「前は離れに泊まることはできなかったけれど、家族なら一緒のお部屋で寝てもおかしくないよね?」
「ああ、そ、そうだな。なんらおかしいことではない」

 そもそも一緒に住んでいない時点で若干おかしいことには、気が回らない。

 幸せそうににこやかに微笑むアンナとエドワード。そしてそれを見守るジム。彼ら三人の姿は、美しい母子とそれを見守る好々爺として、完璧な構図だった。侯爵がそこに加われていないことを除けば。

「ジム、どうしてジムなんだ!」
「父さま、どうしたのかな?」
「そうねえ。なんだかとっても哲学的だわ」

 おおロミオ、あなたはどうしてロミオなのという、演劇の台詞があったような。侯爵が取り乱す原因に心当たりがないアンナはひとり首をひねるばかり。

「父さまは劇を見に行きたいのかな?」
「さあ、どうなのでしょう? 演劇について、私は詳しくなくて」
「僕ね、結構好きだよ。そうだ、離れで僕の好きな演劇について話してあげるね」
「まあ、素敵。それではそろそろ移動しましょうか。閣下、それでは御前失礼いたします」
「父さま、おやすみなさい」
「旦那さま、おやすみなさいませ。わたくしが不在の間は、執事が代理を務めますので」
「おい、どういうことだ。おい!!!」

 今夜のやりとりから、自分のことをエドワードの父親としてはともかく、夫としては受け入れられていないことに気が付いた侯爵は、涙目になりながら、家族として一緒にお泊りすることは不自然ではないという理由で、避暑地への旅行の計画を立てることを心に誓うのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

転生先が意地悪な王妃でした。うちの子が可愛いので今日から優しいママになります! ~陛下、もしかして一緒に遊びたいのですか?

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
転生したら、我が子に冷たくする酷い王妃になってしまった!  「お母様、謝るわ。お母様、今日から変わる。あなたを一生懸命愛して、優しくして、幸せにするからね……っ」 王子を抱きしめて誓った私は、その日から愛情をたっぷりと注ぐ。 不仲だった夫(国王)は、そんな私と息子にそわそわと近づいてくる。 もしかして一緒に遊びたいのですか、あなた? 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5296ig/)

「転生したら推しの悪役宰相と婚約してました!?」〜推しが今日も溺愛してきます〜 (旧題:転生したら報われない悪役夫を溺愛することになった件)

透子(とおるこ)
恋愛
読んでいた小説の中で一番好きだった“悪役宰相グラヴィス”。 有能で冷たく見えるけど、本当は一途で優しい――そんな彼が、報われずに処刑された。 「今度こそ、彼を幸せにしてあげたい」 そう願った瞬間、気づけば私は物語の姫ジェニエットに転生していて―― しかも、彼との“政略結婚”が目前!? 婚約から始まる、再構築系・年の差溺愛ラブ。 “報われない推し”が、今度こそ幸せになるお話。

皇帝陛下の愛娘は今日も無邪気に笑う

下菊みこと
恋愛
愛娘にしか興味ない冷血の皇帝のお話。 小説家になろう様でも掲載しております。

転生皇女はフライパンで生き延びる

渡里あずま
恋愛
平民の母から生まれた皇女・クララベル。 使用人として生きてきた彼女だったが、蛮族との戦に勝利した辺境伯・ウィラードに下賜されることになった。 ……だが、クララベルは五歳の時に思い出していた。 自分は家族に恵まれずに死んだ日本人で、ここはウィラードを主人公にした小説の世界だと。 そして自分は、父である皇帝の差し金でウィラードの弱みを握る為に殺され、小説冒頭で死体として登場するのだと。 「大丈夫。何回も、シミュレーションしてきたわ……絶対に、生き残る。そして本当に、辺境伯に嫁ぐわよ!」 ※※※ 死にかけて、辛い前世と殺されることを思い出した主人公が、生き延びて幸せになろうとする話。 ※重複投稿作品※

死に戻ったら、私だけ幼児化していた件について

えくれあ
恋愛
セラフィーナは6歳の時に王太子となるアルバートとの婚約が決まって以降、ずっと王家のために身を粉にして努力を続けてきたつもりだった。 しかしながら、いつしか悪女と呼ばれるようになり、18歳の時にアルバートから婚約解消を告げられてしまう。 その後、死を迎えたはずのセラフィーナは、目を覚ますと2年前に戻っていた。だが、周囲の人間はセラフィーナが死ぬ2年前の姿と相違ないのに、セラフィーナだけは同じ年齢だったはずのアルバートより10歳も幼い6歳の姿だった。 死を迎える前と同じこともあれば、年齢が異なるが故に違うこともある。 戸惑いを覚えながらも、死んでしまったためにできなかったことを今度こそ、とセラフィーナは心に誓うのだった。

『壁の花』の地味令嬢、『耳が良すぎる』王子殿下に求婚されています〜《本業》に差し支えるのでご遠慮願えますか?〜

水都 ミナト
恋愛
 マリリン・モントワール伯爵令嬢。  実家が運営するモントワール商会は王国随一の大商会で、優秀な兄が二人に、姉が一人いる末っ子令嬢。  地味な外観でパーティには来るものの、いつも壁側で1人静かに佇んでいる。そのため他の令嬢たちからは『地味な壁の花』と小馬鹿にされているのだが、そんな嘲笑をものととせず彼女が壁の花に甘んじているのには理由があった。 「商売において重要なのは『信頼』と『情報』ですから」 ※設定はゆるめ。そこまで腹立たしいキャラも出てきませんのでお気軽にお楽しみください。2万字程の作品です。 ※カクヨム様、なろう様でも公開しています。

元貧乏貴族の大公夫人、大富豪の旦那様に溺愛されながら人生を謳歌する!

楠ノ木雫
恋愛
 貧乏な実家を救うための結婚だった……はずなのに!?  貧乏貴族に生まれたテトラは実は転生者。毎日身を粉にして領民達と一緒に働いてきた。だけど、この家には借金があり、借金取りである商会の商会長から結婚の話を出されてしまっている。彼らはこの貴族の爵位が欲しいらしいけれど、結婚なんてしたくない。  けれどとある日、奴らのせいで仕事を潰された。これでは生活が出来ない。絶体絶命だったその時、とあるお偉いさんが手紙を持ってきた。その中に書いてあったのは……この国の大公様との結婚話ですって!?  ※他サイトにも投稿しています。

婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される

さくら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。 慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。 だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。 「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」 そう言って真剣な瞳で求婚してきて!? 王妃も兄王子たちも立ちはだかる。 「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。

処理中です...