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第17話 ルシアン来訪
しおりを挟む海の浄化から帰った後、アコの【料理眼】は、いきなり“Lv.50”に跳ね上がっていた。
「……は?」
視界の端に浮かんだ数字を、目を閉じてじっくり確認し、アコは絶句した。
(どういう計算方法なのよ、これ……!)
だが、レベルが上がったからといって、特別な変化は感じられない。
視界に浮かぶ文字も、いつも通りの食材情報ばかり。
「……優秀なんだかポンコツなんだか、ほんと分かんないスキルだなぁ」
アコは小さく嘆息した。
⸻
港町には、少しずつ活気が戻りつつあった。
あの時の浄化以来、海の黒ずみは薄らぎ、魚の姿もちらほら見かけるようになってきたのだ。海岸に謎の魔魚が、打ち上げられることもなくなった。
王家も、貴族も、庶民もみな、聖乙女ミサキを讃えた。
また、彼女は週に二度、海の神殿(アコとミサキが召喚された場所)で浄化の儀式を行うことになったという。
⸻
そして、浄化からひと月。
アコは、活気を取り戻しつつあるマリナの店で修行兼アルバイトをし、潮風亭ではパスタ作りに試行錯誤する日々を送っていた。
海が落ち着いたおかげでゴドンも漁に戻り、店の雰囲気も少しずつ明るさを取り戻している。
「これは、ミサキちゃんのおかげね。ほんと頑張ってるなぁ……」
アコは市場の通りを歩きながら、ぽつりと呟く。
「私も……パスタ作り、頑張らなきゃ」
⸻
ある日曜の午後。
潮風亭の厨房で、アコとイレーネはパスタ作りに悪戦苦闘していた。
「えっと……油に、薄切りプルーム(にんにく)、それから輪切り唐辛子をすこーし入れて」
ふわっと、食欲をくすぐる香ばしさが立ちのぼった。
今日はペペロンチーノもどきを作ってみた。ちなみに、赤唐辛子(みたいなの)は、激辛中の激辛である。
「おお……いい匂い」
思わずアコの喉が鳴った。
しかし、茹で上がった手打ちパスタにソースを絡めてみれば――見た目はそこそこ整っているのに、味はどこか物足りない。
パスタが相変わらず不揃いで、なんだかべたっとしている。
「うーん……ソースは、不味くはないんだけどなあ」
アコは眉を寄せる。
「やっぱり、これ……!」
そう言って、ページをめくり、写真の中の黄金色に輝く麺を指さした。
「これが欲しいの!」
「……乾燥スパゲッティ、ですね」
イレーネが冷静に同意した。
「そう! 私の世界では、これが当たり前のように売っていたの!」
アコは慌てて紙に走り書きする。
「そこで私の考えたパスタマシーンなんだけど、こねた生地を圧力で、こう、細い穴から押し出して……同時に乾燥できるような機械で……」
描き上げた紙の両側を、手のひらでバンと叩いたその時。
「……何が描いてあるのか、まるで分からないな」
突然後ろからヌッと何かが覗き込んできて、淡々と呟いた。
「はうっ!?」
アコは慌てて振り返った。
そこには、黒のローブではなく街の青年のような簡素な上着を纏ったルシアンが立っていた。
「……ル、ルシアンさん!? ど、どうしてここに?」
「約束していただろう。パスタマシーンの相談に乗ると」
何を今更、と言わんばかりの声音である。
「……あ、そ、そうでした!」
ルシアンは椅子を引き、紙を手に取りながら静かに言った。
「ぼくが描こう。どういったものか、言葉で説明してみて」
「は、はいっ!」
アコは勢い込んで頷いた。
⸻
彼は紅い瞳を細め、真剣な面持ちで線を走らせる。
「ルシアンさん! とても絵が上手いんですね」
アコがつたなく描いた落書きが、彼の手によって少しずつ形を持ち始めていく。
また、絵の横に説明も細かく書き込む。
几帳面な、少し角張った筆跡である。
「魔法石に魔力を反映させる魔法陣の図案を考えたり、魔道具の設計図を描いたり……しているんだ」
さらりと言う口ぶりはどこか楽しそうですらある。
「そういうのも、宮廷魔法使いのお仕事なんですか?」
「ん? いや、趣味だね」
紅の瞳に、わずかな光が宿り、普段より柔らかさも帯びていた。
(……なんだか子どもみたい。可愛いとこあるんだなあ、この人……)
アコは心の中でそっと呟いた。
「ところで、ここは食欲をそそる匂いが充満しているね。少し分けてもらえるかな?」
「はい! もちろんです。是非感想下さい!」
アコは慌てて手打ちパスタを茹で、ペペロンチーノもどきを作りルシアンの前に置いた。
「フォークにくるくるっと巻きつけて食べてください」
ルシアンは一つ頷くと、器用にフォークを使い優雅に口へ運ぶ。
咀嚼。沈黙。
「……不味くは、ないね。これがパスタか」
「……すみません。まだもどきです。こんなのイタリアの人に見せたら、多分逮捕されちゃいますよ……」
「……この細長いものが、いまひとつだな」
淡々とした一言に、アコの胸がぐさっと刺さる。
「そうなんです! だからこそ、乾燥スパゲッティが必要なんです!」
⸻
ふと、ルシアンの視線が壁に移った。
そこにはめ込まれた、透明に輝く魔法石をしばらく眺め、口元をわずかに動かす。
「へぇ……随分と厳つい魔法石を持っているんだね。ああ、この店自体に軽く結界が張られているのは、こいつの力か」
「え?……あ、それ、ユリウスさんにもらいました」
「もらった……? あの男がねぇ。君に大分ご執心のようだ......面白い」
「え、な、なんですか? もしかして……すごく貴重なものなんですか?」
「まあそうだな。庶民が持つには……いや、大丈夫だ」
「大丈夫って、何が?」
「大丈夫だ」
ルシアンはそれ以上語らず、椅子から立ち上がると、絵と説明文を描いた紙をひらりと振りながら「ごちそうさん」と言って店を出て行った。
残されたアコは、壁の魔法石を見つめながら、ユリウスさん、また高価な物を簡単に私に……?と冷や汗をかきながらイレーネに目をやると、そっと視線を外された。
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