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第24話 潮風亭に来訪者
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「……カツ丼、食べたいなぁ」
小さく呟いたアコに、看病を続けていたイレーネが眉をひそめた。
「……かつどん、とは?」
アコは勢いよく布団から半身を起こそうとしたが......くらりと目を回し、諦めた。
「えっとね! ご飯の上にね、揚げた豚カツがドーンと乗ってて! さらに甘辛いお出汁で煮た玉ねぎと卵がとろっとかかって……!」
両手をぐるぐる振り回しながら力説する。
「噛むとサクッ、じゅわぁ……お肉の旨味と卵のまろやかさが一気に広がって、あったかいご飯と一緒にかきこむと――もう、最高に幸せなの!」
最後は胸の前で手を合わせ、うっとりした表情で締めた。
イレーネはしばし沈黙し、やがて淡々と答える。
「なるほど、大変美味しそうではありますが......先ほどまで目を覚まさず、四日間解熱剤と栄養剤だけだった方が食べて良い料理ではないようです」
「うぐっ……」
アコはぱたりと布団に両腕を投げ出した。
「アコさまは、まず消化に良いものを召し上がるべきです。おかゆ、スープ、柔らかなパン。……せいぜい煮込んだ野菜まででしょう」
「うぅ……正論すぎる」
アコは涙目でうめいた。
「……はい。カツ丼は幻として、今は諦めます……」
しゅんと肩を落としたアコに、イレーネは小さく頷いた。
「賢明なご判断です。――少々お待ちください」
すっと立ち上がり、厨房へと向かう。
しばらくして、木のトレイにふんわりと湯気が立ち昇る皿をのせて戻ってきた。
「アコさま、どうぞ」
ベッドの上に置かれたのは、湯気をほわりと立ちのぼらせる薄味の野菜スープ。
人参に似たカロッタと、透き通るようなティアオニオンが煮溶けて、黄金色のだしにとけ込んでいる。
そして、小さなお椀には――ほんのり甘い香りのおかゆ。
白米に似たサイカ米を柔らかく炊き、少量のミルクと蜂蜜で味を調えてあるらしい。
「うわぁ……優しい匂い」
アコはスプーンを手に取り、一口すくって口に運ぶ。
――じんわりと、胃に染みていく。
お米の甘さとミルクのまろやかさが、疲れ切った身体をふんわりと包んだ。
「……おいしい」
ぽろりと声が漏れた瞬間、涙がにじみそうになった。
「お気に召したようで、何よりです」
イレーネは無表情のまま淡々と告げる。だがほんの一瞬、口元がやわらいだように見えた。
アコはスープをひと口すする。
野菜の甘さが優しく広がり、熱の残る体に温もりを運んでくれた。
(……カツ丼は諦めたけど。イレーネちゃんのご飯があれば、それで十分だなぁ)
アコはそう思いながら、静かにスプーンを口へ運び続けた。
⸻
アコが目覚めて二日後。
まだマリナの店のアルバイトには復帰できない。
マリナに「無理は絶対ダメ」と釘を刺され、ゴドンにも「病み上がりの体で厨房に立つなど論外だ」と言われ、極めつけにイレーネにまで「外出禁止です」と告げられてしまった。
(……心配されるのはありがたいけど。じっとしてるのも落ち着かないんだよなぁ)
そんなわけで、アコは潮風亭一階のホールで“自主学習”をしていた。
テーブルの上には、紙と筆記具。
ムームー姿で椅子に腰掛け、頬杖をつきながらのんびりと文字の書き取りをしている。
「……うーむ.....?」
お手本と見比べては首をかしげ、またぐりぐりとペンを走らせる。
この世界の言葉はなぜか理解できるのに、文字はさっぱり。なかなか上達しない。
(世界意識とやら、中途半端だなぁ……。もうちょっとサービスしてくれても良かったのに!)
と、紙にへにょへにょした文字を並べながらぼやいた。
窓から差し込む昼下がりの光、潮の匂いを運ぶ風。
のんびりとした空気の中で、ゆったりしたリズムで勉強を続けていると――。
「アコさま」
入口からイレーネの声がした。
顔を上げたアコの視線の先には、彼女の後ろに立つ二人の姿。
漆黒の騎士服に身を包んだユリウス。
そして、陽光を背に金の髪を輝かせる青年――第一王子レオネル殿下だった。
「……っ!?」
アコは思わず紙とペンを抱え込み、椅子からずり落ちそうになる。
「ふふ、随分と楽しそうに勉強していたようですね」
殿下が柔らかに微笑む。
(よりによって……ムームーで勉強中!? なんでこのタイミングなのー!!)
アコの心は大慌てだった。
⸻
「突然の訪問ですまない。......体調が戻って良かった、本当に」
そう言いながら、ユリウスが差し出した籠には、瑞々しい果物がぎっしり詰められていた。
見慣れた柑橘に似たものから、見たことのない艶やかな赤い果実まで、色とりどりに並んでいる。
「わ、ありがとうございます!」
アコは慌てて椅子を立ち上がる。
「アコさまは二階へ。お着替えをお願いいたします」
すかさずイレーネが小声で告げ、二人の前に立った。
「殿下、ユリウス様。どうぞお掛けください。お茶のご用意をいたしますので」
「うん。すまんな」
レオネルが優雅に微笑み、ユリウスと共にホールの椅子に腰を下ろす。
アコは勉強道具を抱え、そそくさと二階へ駆け上がった。
(ムームー姿で殿下に会うとか、人生最大級の恥ずかしさ! 着替えなきゃ、着替えなきゃ!)
* * *
やがて落ち着いた服装で戻ってくると、ホールにはお茶と果物の盛り合わせが並べられていた。
イレーネの所作は完璧で、緊張感漂う空気の中でも一分の隙もない。
「アコ」
ユリウスが真剣な眼差しで口を開いた。
「酷い目にあわせてしまい、すまなかった」
「いえ、私のほうこそご心配を……」
アコは軽く頭を下げる。
すると、レオネルが話を継いだ。
「さて。本日はただのお見舞いというわけではない。話さねばならぬことがある」
彼の声に、空気がわずかに張り詰める。
「――アコが露店で購入した貝。その中には、人工的に穢素が仕込まれていた」
ユリウスが静かに告げると、アコははっと顔を上げた。
「アコ殿が熱を出して眠っている間に、聖乙女ミサキ嬢は各地を回り、穢素による汚染の浄化を行ったのだが......」
レオネルの言葉は淡々としていたが、その内容は重い。
「やはり同じように……すべて“人工的に”仕組まれた穢素による、汚染であったことが判明した」
「……!」
アコの脳裏に、露店で見たあの男の顔が浮かぶ。
あの眼帯の海賊風の男――カイ。
「この件の指揮は、私が執ることとなった」
レオネルが真っ直ぐにアコを見据える。
「穢素をばら撒く意図が何か、必ず突き止めねばならぬ」
アコはごくりと唾を飲み込み、胸の奥がひやりと冷たくなるのを感じた。
小さく呟いたアコに、看病を続けていたイレーネが眉をひそめた。
「……かつどん、とは?」
アコは勢いよく布団から半身を起こそうとしたが......くらりと目を回し、諦めた。
「えっとね! ご飯の上にね、揚げた豚カツがドーンと乗ってて! さらに甘辛いお出汁で煮た玉ねぎと卵がとろっとかかって……!」
両手をぐるぐる振り回しながら力説する。
「噛むとサクッ、じゅわぁ……お肉の旨味と卵のまろやかさが一気に広がって、あったかいご飯と一緒にかきこむと――もう、最高に幸せなの!」
最後は胸の前で手を合わせ、うっとりした表情で締めた。
イレーネはしばし沈黙し、やがて淡々と答える。
「なるほど、大変美味しそうではありますが......先ほどまで目を覚まさず、四日間解熱剤と栄養剤だけだった方が食べて良い料理ではないようです」
「うぐっ……」
アコはぱたりと布団に両腕を投げ出した。
「アコさまは、まず消化に良いものを召し上がるべきです。おかゆ、スープ、柔らかなパン。……せいぜい煮込んだ野菜まででしょう」
「うぅ……正論すぎる」
アコは涙目でうめいた。
「……はい。カツ丼は幻として、今は諦めます……」
しゅんと肩を落としたアコに、イレーネは小さく頷いた。
「賢明なご判断です。――少々お待ちください」
すっと立ち上がり、厨房へと向かう。
しばらくして、木のトレイにふんわりと湯気が立ち昇る皿をのせて戻ってきた。
「アコさま、どうぞ」
ベッドの上に置かれたのは、湯気をほわりと立ちのぼらせる薄味の野菜スープ。
人参に似たカロッタと、透き通るようなティアオニオンが煮溶けて、黄金色のだしにとけ込んでいる。
そして、小さなお椀には――ほんのり甘い香りのおかゆ。
白米に似たサイカ米を柔らかく炊き、少量のミルクと蜂蜜で味を調えてあるらしい。
「うわぁ……優しい匂い」
アコはスプーンを手に取り、一口すくって口に運ぶ。
――じんわりと、胃に染みていく。
お米の甘さとミルクのまろやかさが、疲れ切った身体をふんわりと包んだ。
「……おいしい」
ぽろりと声が漏れた瞬間、涙がにじみそうになった。
「お気に召したようで、何よりです」
イレーネは無表情のまま淡々と告げる。だがほんの一瞬、口元がやわらいだように見えた。
アコはスープをひと口すする。
野菜の甘さが優しく広がり、熱の残る体に温もりを運んでくれた。
(……カツ丼は諦めたけど。イレーネちゃんのご飯があれば、それで十分だなぁ)
アコはそう思いながら、静かにスプーンを口へ運び続けた。
⸻
アコが目覚めて二日後。
まだマリナの店のアルバイトには復帰できない。
マリナに「無理は絶対ダメ」と釘を刺され、ゴドンにも「病み上がりの体で厨房に立つなど論外だ」と言われ、極めつけにイレーネにまで「外出禁止です」と告げられてしまった。
(……心配されるのはありがたいけど。じっとしてるのも落ち着かないんだよなぁ)
そんなわけで、アコは潮風亭一階のホールで“自主学習”をしていた。
テーブルの上には、紙と筆記具。
ムームー姿で椅子に腰掛け、頬杖をつきながらのんびりと文字の書き取りをしている。
「……うーむ.....?」
お手本と見比べては首をかしげ、またぐりぐりとペンを走らせる。
この世界の言葉はなぜか理解できるのに、文字はさっぱり。なかなか上達しない。
(世界意識とやら、中途半端だなぁ……。もうちょっとサービスしてくれても良かったのに!)
と、紙にへにょへにょした文字を並べながらぼやいた。
窓から差し込む昼下がりの光、潮の匂いを運ぶ風。
のんびりとした空気の中で、ゆったりしたリズムで勉強を続けていると――。
「アコさま」
入口からイレーネの声がした。
顔を上げたアコの視線の先には、彼女の後ろに立つ二人の姿。
漆黒の騎士服に身を包んだユリウス。
そして、陽光を背に金の髪を輝かせる青年――第一王子レオネル殿下だった。
「……っ!?」
アコは思わず紙とペンを抱え込み、椅子からずり落ちそうになる。
「ふふ、随分と楽しそうに勉強していたようですね」
殿下が柔らかに微笑む。
(よりによって……ムームーで勉強中!? なんでこのタイミングなのー!!)
アコの心は大慌てだった。
⸻
「突然の訪問ですまない。......体調が戻って良かった、本当に」
そう言いながら、ユリウスが差し出した籠には、瑞々しい果物がぎっしり詰められていた。
見慣れた柑橘に似たものから、見たことのない艶やかな赤い果実まで、色とりどりに並んでいる。
「わ、ありがとうございます!」
アコは慌てて椅子を立ち上がる。
「アコさまは二階へ。お着替えをお願いいたします」
すかさずイレーネが小声で告げ、二人の前に立った。
「殿下、ユリウス様。どうぞお掛けください。お茶のご用意をいたしますので」
「うん。すまんな」
レオネルが優雅に微笑み、ユリウスと共にホールの椅子に腰を下ろす。
アコは勉強道具を抱え、そそくさと二階へ駆け上がった。
(ムームー姿で殿下に会うとか、人生最大級の恥ずかしさ! 着替えなきゃ、着替えなきゃ!)
* * *
やがて落ち着いた服装で戻ってくると、ホールにはお茶と果物の盛り合わせが並べられていた。
イレーネの所作は完璧で、緊張感漂う空気の中でも一分の隙もない。
「アコ」
ユリウスが真剣な眼差しで口を開いた。
「酷い目にあわせてしまい、すまなかった」
「いえ、私のほうこそご心配を……」
アコは軽く頭を下げる。
すると、レオネルが話を継いだ。
「さて。本日はただのお見舞いというわけではない。話さねばならぬことがある」
彼の声に、空気がわずかに張り詰める。
「――アコが露店で購入した貝。その中には、人工的に穢素が仕込まれていた」
ユリウスが静かに告げると、アコははっと顔を上げた。
「アコ殿が熱を出して眠っている間に、聖乙女ミサキ嬢は各地を回り、穢素による汚染の浄化を行ったのだが......」
レオネルの言葉は淡々としていたが、その内容は重い。
「やはり同じように……すべて“人工的に”仕組まれた穢素による、汚染であったことが判明した」
「……!」
アコの脳裏に、露店で見たあの男の顔が浮かぶ。
あの眼帯の海賊風の男――カイ。
「この件の指揮は、私が執ることとなった」
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