下賜される王子

シオ

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◆ 第一章 黒の姫宮

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 今はただ、吉乃の涙が忘れられない。

 気丈にも声を張っていたあの表情が、頭に焼き付いて離れない。未練がましいと罵られてもいいから、もう一度だけ吉乃に会いたい。会って、俺がどれだけ吉乃を想っているかを伝えて、受け入れて欲しい。俺という存在を、認めて欲しい。

 鬱々とした気持ちを抱きしめながら、俺は浴場へと辿り着いた。そして、今まで着ていた汚れた衣類を大きな籠に突っ込む。ここに突っ込んでおけば下働きの者たちが洗って、綺麗に畳んで戻してくれるのだ。

 だが、洗われた後は、どれが誰のものか分からなくなるため、皆、自分の大きさにあったものを毎回適当に選んで着ていた。自分のお気に入りの衣類を持っている者は、この籠には突っ込まず、自分で洗濯をしたりしている。

 俺はといえば、特にこだわりもなく、いつも軍から支給される衣類ばかり纏っているため、大抵がこの籠に突っ込んで、誰が着たか分からないようなものを拝借して使用していた。

 一糸纏わぬ姿となり、掛け湯をして簡単に汚れを落とし、湯船に入る。遅い時間帯であるためか、俺一人の貸切状態になっていた。大きなため息を漏らし、俯く。

 水面には、情けないおもてを晒す己が映っている。そして、その下には、自分の下腹部が見えた。吉乃は、俺の腹筋を触るのが好きだった。そんなことをいちいち思い出してしまって、また悲しさが増した。

 吉乃の体はどこも柔らかくて、筋肉があまりついていないせいか、女のように柔らかい体をしていた。次々に思い出が蘇ってくる。吉乃と過ごした日々は、俺の人生の中で言えば短い時間であったが、それでも、今までの人生で得た以上の幸福を齎した。簡単に諦めることなど、俺には出来ない。

「……吉乃」

 こんなに未練がましい男は嫌いだろうか。嫌われても、邪険にされても、俺は吉乃への想いを断ち切れそうにない。

 手早く体を洗い、体を温めて浴場を出た。体を拭き、真新しく見えるまで洗濯され、綺麗に畳まれた下帯のひとつを取り、身に着ける。ついでに浴衣も取り出して羽織った。

 来た道を戻り、兵舎へ帰る。その道すがら、妙に騒然としている右殿の様子を眺めていた。俺の部屋へたどり着く少し手前、丁度階下が上から眺められる吹き抜けの二階部分で、薫芙が俺を待っていた。

 情に厚い薫芙のことだ。俺のことを心配して、大浴場から俺の部屋への道で必ず通るこの場所で待ち伏せをしていたのだろう。

「なんかバタバタしてるな」

 階下の様子を顎で指して、俺は薫芙に尋ねる。ここ最近では、華蛇の動きが活発になり、召集がかけられる回数が増えた。議場に集まり、報告の内容を皆で共有するのだ。

「国境沿いの情報がどんどんと入って来てて、お偉方が軍議続きなんだよ。そんで、下位の武官たちはその準備やら指令書の作成でてんやわんやなんだよ」
「華蛇の連中か。やっぱり、国葬と加冠の儀を狙って来たな」
「そりゃ、うまくやれば天瀬だけじゃなく、他国の王族も仕留められる好機だからな。俺が華蛇でも今を狙う」

 あの蛇共は何故こうも天瀬を乱すのだ。国境沿いで小競り合いをする程度ならまだしも、天瀬の国内がまだ整っていない今を狙うなど、あまりにも卑怯で、万死に値する行為だった。

「……天瀬の平穏は絶対に守る」

 二階から下への転落を防止する手すりを強く掴んで俺は、遠い敵を睨んだ。俺が戦うことで、吉乃の姫宮としての負担が減るというのなら、俺はどこまででも戦い尽くそう。

 全身が血で塗れようが、幾つもの死体を重ね上げようが、それで吉乃が楽になるのであれば、俺はどんなことでも出来る。

「武力で勝てないから、外交手段として姫宮が利用されるんだ。……姫宮など不要だと言われる程に……、琳やオルドに負けない程の力をつければいい」
「清玖のその気持ちはよく分かるが、事実、あの化け物みたいにでかい二国を凌ぐなんてのが、この小さい天瀬に出来るかどうか。……いくら、天瀬が黒闢天の天寵である三の宮様がいたのだとしても、いざとなれば他国は天瀬に攻め入るに決まってる。信仰では国を守れない」
「だからといって、姫宮の体で国を守るのが正しい方法だとでも言うのか」
「お前は認めたくないかもしれないが、黒を持つ三の宮様が姫宮になれば、それはこの国を守る最強の盾になる。信仰では国を守れないが、他国の指導者を姫宮が垂らしこんで籠絡出来れば、戦乱は回避出来る」
「……認めたくない」

 目を伏せて心を落ち着かせる。けれど、そんなものでは抑えられないほどに腸は煮えくり返っていた。天瀬は、何百年とそんなことを繰り返してきたのだ。

 今までの姫宮に対し、同情を覚えたことはあるが、これほどまでの怒りを感じたことはない。やはり、俺にとっては吉乃だけが特別なのだ。

「清玖。……幸せな夢を見てたってことじゃ、駄目なのか」

 薫芙の声はあまりにも冷静で、己がどれだけ熱くなっているのかを思い知らされる。普段から軽薄な態度を取っているせいで気付かれにくいが、薫芙は聡明で、剣筋も良い。

 それらは全て、努力の賜物だった。訓練に励むし、勉学にも勤しむ。人から見えにくい場所で、とてもよく努力しているのが薫芙だった。そんな彼の言葉だからこそ、俺は冷静に聞いていたのだろう。

「それで済ませられないほどに、俺は夢に溺れすぎた」

 夢であったと割り切るには、もう遅すぎるのだ。吉乃の笑う顔も、泣いた顔も、甘い声も、白い肌も、全てが全て、如実に思い出される。俺はもう吉乃を手放せない状態になっていた。それなのに、吉乃本人が去って行ってしまったのだ。こんな結末になるなんて、思いもしなかった。

 そのまま、眠れない夜を過ごし、すぐに朝がやってきた。

 今日は、国民全てが喪に服す日。上位の武官は皆、黒烈殿に集められ、武官と文官が並び立ち、黒烈殿の中は圧巻の光景となる。我々の視線の先には、ひとつの漆黒の棺と、王族の方々が並んでいた。

 蛍星も、今日はこちらではなく、王族方の席についている。宮様方が全員そろってお目見えなのは、滅多にないことだった。

 俺の立つ場所から、随分と先に吉乃が立っている。吉乃の表情も分からない程だ。辛うじて、髪色で彼であると分かるが、それが無ければなかなか判断がつかないだろう。

「……遠い」

 今更ながらに、その遠さを思い知る。本来は、言葉を交わすことさえなかったであろう人。触れることなど、出来るはずもない人だった。届かぬ星に恋をするような、そんな愚かさを秘めている。国王陛下の弔いにも、なかなか集中出来ず、俺は吉乃ばかり見ていた。

 王族の方全てが黒に身を包む中で、一番吉乃が美しい。黒に馴染んでいて、それが吉乃を神々しく見えさせている要素なのだろう。吉乃を見つめているうちに、一連の葬儀が終わっていた。

 こんな弔いにもならない心でお見送りをして、国王陛下に祟られてしまいそうだったが、俺は今陛下の御子息のことで頭がいっぱいなのです、と弁明したい。

「蛍星」
「あ、清玖」

 黒珠宮に入っていく寸前の蛍星を待ち伏せし、俺は声をかけた。今日の彼はちゃんとした黒の衣装に包まれ、侍従を後ろにつけて、王族に見える姿をしていた。父が亡くなったというのに、蛍星の目に涙はない。これこそが天瀬王家であった。

「……酷い顔だけど、大丈夫?」

 その問いかけには、曖昧に笑って返す。大丈夫か、と言われれば、大丈夫ではない。だが、そう答えたところで何か新たな解決策が芽生えるわけでもない。俺は明確な返答をしないまま、話を進めた。

「頼みたいことがある」
「いいよ。何でも言って」
「……もう一度だけ、吉乃に会わせて欲しい」

 きっと、蛍星は俺がそう願うだろうと予感していたのだ。小さな驚きを見せはしたが、俺の発言が、蛍星の予想外のものではなかったことは確かだった。僅かな逡巡の後、首肯して蛍星は微笑んだ。少し、悲しそうな笑みだった。きっと俺と吉乃の現状を憂いての笑みだろう。

「分かった、ついてきて」


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