下賜される王子

シオ

文字の大きさ
178 / 183
◆ 第二章 異邦への旅路

65

しおりを挟む
「そろそろ冷えてきたな。離宮へ戻るとするか」

 陽が傾き始め、肌寒さを感じるようになってきた。夕暮れの一歩手前といった時分であるのに、東屋に吹き抜ける風は随分と冷たく感じる。叔父上と共に東屋を出て、黒珠宮の廊下へと戻る。

「お見送り致します」
「不要だ」

 せめて黒珠宮の門まではと思ったが、叔父上には必要ないと一蹴される。廊下の上で向き合いながら、叔父上はじっと私の目を見た。少しばかり笑みを潜めて、真面目な表情になっている。

「幸せ気分なのは良いが、姫宮の務めも忘れぬように」
「はい。承知しております」

 釘を刺しておきたかったのだろう。浮かれているばかりでは駄目だと、現実の辛さも直視するように、叔父が声をかけてくれた。それは優しさだ。私はゆっくりと頷く。姫宮の務めを忘れたことなど、今までに一度もない。

「顔つきが変わったな」
「そう……でしょうか」
「あぁ。見違えるようだ。良い旅だったのだろう」

 確かに、良い旅だった。黒髪黒目の姫宮として生きること。それを改めて見つめなおせる機会が、思いがけずあったのだ。私の方に、叔父上の手が伸びる。華奢な指先が私の頬に添えられた。

「お前はもう立派な姫宮だ。己が身を差し出して、国を守る守護者だよ」

 姫宮の務めのことにおいては、叔父上に褒めてもらうことが一番嬉しかった。先代である叔父上に認めてもらえることが、心が震えるほどに嬉しかったのだ。ゆっくりと離れていく指先を、名残惜しく感じる。

「兄弟たちと仲良くな」

 叔父上がそう言った直後に、叔父上の背後から二人の兄がやって来るのが見えた。靴音が響く。叔父上にも聞こえたことだろう。それでも、叔父上は身を翻して去り、兄たちの横を通り抜けて行った。

「朝水叔父上、いらしていたんですね」
「あぁ、だがもう帰る。ではな」

 紫蘭兄上の呼びかけに随分とそっけなく返して、叔父上は去っていく。叔父上は、紫蘭兄上を嫌っているようにみえる。顔だけは、父に似ているため好ましいと言っていたこともあるけれど、私と話すときのような朗らかさを、兄たちの前では見せないのだ。

「吉乃、叔父上と何の話をしてたんだ?」
「こら、兄上。何でも根掘り葉掘りと聞き出すものではありませんよ」
「……本当に柊弥は小煩いな」

 私の前にやって来た二人の兄たち。私と叔父上の会話の内容を聞きたがる紫蘭兄上を、柊弥兄上が諫めた。紫蘭兄上は私が関わる全てのことを把握していたいのだという。二人の兄の軽妙なやり取りに、私は小さく笑ってしまった。

「叔父上に土産を買い忘れてしまって、怒られていました」
「おやおや、それは失策だったね」
「はい」

 くすくすと、柊弥兄上が笑う。私も、自分が犯した失態を笑うことしか出来なかった。見事なまでに頭の中から抜けていたのだ。兄弟たちのことで一杯一杯で、完全に失念していた。叔父上が私を責めるのも当然だと思う。

「兄上たちには、ちゃんとお土産を買ってきたんです。……淡月、もう渡せるだろうか」
「すぐに支度致します」

 背後に立つ淡月を振り返り見れば、淡月が礼を取りながら頭を下げる。そして、他の侍従に何事かを命じた。その侍従は、素早く動き、走るではないのに、走っているかのような速度で去っていく。おそらく、土産を取りに行ってくれているのだろう。

「では、土産が届くまでそこの太黒房(たいこくぼう)にでも入るか」

 紫蘭兄上が顎で指した太黒房は、すぐそばにあった。そこは、兄弟たちが自由に使える部屋の一つだ。歓談したり、お茶をしたり、黒珠宮の主たる天瀬の王族であれば、誰でも好きに使える。

 とはいえ、弟たちは黒珠宮に寄り付かず、兄たちは一日の殆どを黒烈殿で過ごすため、使用される頻度の低い部屋だった。思えば、一日中黒珠宮に入り浸るのは私くらいなものだった。

 太黒房に入ると、ほのかに温かい。東屋に長く留まり風に当たったことで、体が冷えていたのだと知る。それぞれの侍従長が、それぞれの主の為に椅子を引き、私たちはそこに座る。三つの椅子が、三角形を作るような形で置かれ、その中央に茶器が用意された卓があった。

「旅の中で、何が一番思い出深いものとなった?」

 香りのよい花茶を淡月が茶器に注ぐ。二人の兄にも、同じものが用意された。鼻孔をくすぐる甘い匂いが、私は堪らなく好きなのだ。匂いを嗅いで悦に入っていると、紫蘭兄上から質問が飛んでくる。

「一番……ですか、難しいですね。どこもかしこも楽しくて……。月琴の演奏を聞いたんです。道端で演奏していて、美しい音色でした。お金も、その時に初めて触れたんです」
「金、か。確かに吉乃が触れることは今までになかったかもな」

 金には人の欲望が絡みつく。それゆえ、私に触らせてこなかった、と紫蘭兄上が言った。柊弥兄上も小さく頷く。どうやら私が金に触れたことがないのは、兄たちの総意ゆえだったらしい。旅の序盤を振り返り、そこから先へと進む。

「それで、えっと……黒猫が膝に乗ってきたり、美しい夕日を眺めたり。たくさん小舟に乗ったのも面白かったです。華蛇の地では、小さな子供たちに触れて……、子がいる生活もいいなと、少し思いました」
「なんだ吉乃。子供が欲しいのか? お前が清玖の子を産んでやるつもりか?」

 私の発言を受けて、紫蘭兄上が揶揄うようにそんなことを言った。女性ではない私には、子を宿すための臓腑が存在しない。それくらい分かっている。紫蘭兄上の意地悪な物言いに、私はむっとした。

「私たちが睦まじくしていれば、黒闢天がそのようになさるかもしれませんね」
「……本気なのか?」
「どうでしょう」

 反撃、とばかりに私も言い返す。世界でたった一人の黒髪黒目を生み出す黒闢天なのだ。もしかすると私は、世界でたった一人、男でありながら子を産む者になるかもしれない。私の発言に、紫蘭兄上は驚いた様子で、少しばかり顔を青ざめた。

「祝福が強く、吉乃と清玖の間に子が出来るようなことがあれば、我ら天瀬の兄弟は歓迎するよ」
「ありがとうございます、柊弥兄上」

 青ざめた顔で、本気じゃないよな、と言ってくる紫蘭兄上とは対照的に、柊弥兄上は穏やかに頷いて、起こり得るか分からない未来の話を受け止めてくれた。私と清玖の愛が募って子が生まれるというのなら嬉しいが、それでも、積極的に子供を望む気持ちは私にはなかった。

「宮様、品のご準備が整いました」
「こちらへ」

 淡月が盆を持ってきた。布がかかっており、その布の下に何があるのかは見えない。机の上に置かれたそれらを隠す布を、私は手を伸ばして取り除いた。そこにあったのは、私が選んだ二つの杯。硝子製で、とても大きな杯だった。

「ほう、これは見事だな」
「グラスというやつですね」

 そうだ。グラスというのだった。流石、博識な柊弥兄上だ。なんでもご存知で、尊敬する。馴染みのない言葉たちは、私の頭に定着することなく流れて行ってしまうので、オルドローズで出会った物たちの名前を覚えるのに一苦労していた。

「こんなに大きな杯は、天瀬ではあまり見ませんから、物珍しく思い、兄上方の土産の品にと選びました」
「ありがとう、吉乃。これなら、ちびちびと酒を注がなくてもいいな」
「だからといって、大酒はいけませんよ」
「酔わないんだから、どれだけ飲んだっていいだろう」
「体に障ります」

 兄上は、酒を好まれていた。泥酔するようなことはないし、悪い酔い方をする兄ではないけれど、それでも健康を憂慮する柊弥兄上の気持ちもよく分かった。それなのに、紫蘭兄上は柊弥兄上の忠告をいなして、聞く耳を持っていない。

「紫蘭兄上、どうかお酒はほどほどに。大きな杯を持参致しましたが、兄上の健康を害するためではないのです」
「分かった。酒は控えることにしよう」
「……何という身替わりの早さ。これから、兄上に諫言を申し上げるときは吉乃に代弁してもらおうかな」
「おいやめろ、柊弥」

 私が懇願すると、紫蘭兄上は数秒前の己の言葉を覆し、酒は控えると言った。その有様に、柊弥兄上が眉を顰める。柊弥兄上よりも私が言う方が、紫蘭兄上は素直に聞いてくれるのであれば、それも手段の一つなのかもしれない。

「この花、ご存知ですか。天瀬にはない花で、オルドローズの国の花なんだそうです。名前はえっと……、ば……ば」

 グラスに描かれた花を指さす。だが、その花の名前が出てこない。けれど、兄上たちはきっと分かってるのだ。唸りながら名前を思い出そうとする私を、頑張れ、という顔でみてくる。

「ば、ばら!」

 閃いた。そうだ、ばら、だ。答えを導きだせた私に、兄上たちが拍手をしてくれる。まるで、赤子が初めて喋ったのを祝するようで、恥ずかしくなってしまう。周りの侍従たちも目じりを下げて、微笑ましいという面貌で私を見ていた。羞恥が更に募る。

「ばら、という名前だとユーリが教えてくれました。……オルドでは聴きなれない言葉がたくさんあって、少し頭が疲れてしまいました」
「でも、楽しかったんだろう?」
「はい」

 力強く頷く。楽しかったことは、間違いない。旅のどの部分を思い出しても、楽しいという記憶しかなかった。それは、私の旅を快適にしてくれた淡月や葉桜たちがいたからであり、また、私のそばにずっと清玖がいてくれたからだ。

「このグラス、勿体なくて使えないな。宝物殿に飾らせるか」

 土産に贈ったグラスを手にしながら、色々な方向から眺める紫蘭兄上がそんなことを口にしたので、驚いてしまった。宝物殿には、天瀬に古くから伝わる名品たちが飾られている。そんな場所にこのグラスを飾るのは、あまりにも不相応だった。

「大袈裟です兄上。それに、飾るのではなく使って頂いた方が、私は嬉しいです」
「分かった。毎日これで全ての飲み物を飲もう」

 私が願えば、すぐに意見を変える紫蘭兄上が面白くて、私は笑ってしまった。口元を隠しながら笑う私を見て、紫蘭兄上と柊弥兄上も優しい笑みを浮かべる。

「美しいお土産をありがとう、吉乃」
「いえ……、礼には及びません、柊弥兄上。少しでも喜んで頂ければと思って、選んでまいりました」
「少しでも喜んでもらえれば、だと? なにを言ってる吉乃。俺も柊弥も大喜びだ」

 大きな手が伸びて、私の頭を荒っぽく撫でた。湯浴みのあとに、淡月が丹念に梳いてくれた髪がぐしゃぐしゃになる。こんな風に頭を撫でるのは、紫蘭兄上だけだ。清玖も私の頭を撫でてくれるけれど、もっとずっと優しい。その荒々しさが兄らしくて、また笑えた。

「ありがとう、吉乃」

 二人の兄の声が重なって、私の耳に届く。喜んでもらえたことが嬉しくて堪らなかった。また土産を贈りたいな、と思うほどに胸が幸喜で満ちている。土産の為に旅行をしたいだなんて、可笑しなことだけれど。


しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

推しの完璧超人お兄様になっちゃった

紫 もくれん
BL
『君の心臓にたどりつけたら』というゲーム。体が弱くて一生の大半をベットの上で過ごした僕が命を賭けてやり込んだゲーム。 そのクラウス・フォン・シルヴェスターという推しの大好きな完璧超人兄貴に成り代わってしまった。 ずっと好きで好きでたまらなかった推し。その推しに好かれるためならなんだってできるよ。 そんなBLゲーム世界で生きる僕のお話。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件

碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。 状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。 「これ…俺、なのか?」 何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。 《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》 ──────────── ~お知らせ~ ※第3話を少し修正しました。 ※第5話を少し修正しました。 ※第6話を少し修正しました。 ※第11話を少し修正しました。 ※第19話を少し修正しました。 ※第22話を少し修正しました。 ※第24話を少し修正しました。 ※第25話を少し修正しました。 ※第26話を少し修正しました。 ※第31話を少し修正しました。 ※第32話を少し修正しました。 ──────────── ※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!! ※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。

【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました

キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。 けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。 そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。 なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」 それが、すべての始まりだった。 あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。 僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。 だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。 過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。 これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。 全8話。

敗戦国の王子を犯して拐う

月歌(ツキウタ)
BL
祖国の王に家族を殺された男は一人隣国に逃れた。時が満ち、男は隣国の兵となり祖国に攻め込む。そして男は陥落した城に辿り着く。

【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】

古森きり
BL
【書籍化決定しました!】 詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります! たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました! アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。 政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。 男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。 自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。 行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。 冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。 カクヨムに書き溜め。 小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。

あなたの隣で初めての恋を知る

彩矢
BL
5歳のときバス事故で両親を失った四季。足に大怪我を負い車椅子での生活を余儀なくされる。しらさぎが丘養護施設で育ち、高校卒業後、施設を出て一人暮らしをはじめる。 その日暮らしの苦しい生活でも決して明るさを失わない四季。 そんなある日、突然の雷雨に身の危険を感じ、雨宿りするためにあるマンションの駐車場に避難する四季。そこで、運命の出会いをすることに。 一回りも年上の彼に一目惚れされ溺愛される四季。 初めての恋に戸惑いつつも四季は、やがて彼を愛するようになる。 表紙絵は絵師のkaworineさんに描いていただきました。

公爵家の末っ子に転生しました〜出来損ないなので潔く退場しようとしたらうっかり溺愛されてしまった件について〜

上総啓
BL
公爵家の末っ子に転生したシルビオ。 体が弱く生まれて早々ぶっ倒れ、家族は見事に過保護ルートへと突き進んでしまった。 両親はめちゃくちゃ溺愛してくるし、超強い兄様はブラコンに育ち弟絶対守るマンに……。 せっかくファンタジーの世界に転生したんだから魔法も使えたり?と思ったら、我が家に代々伝わる上位氷魔法が俺にだけ使えない? しかも俺に使える魔法は氷魔法じゃなく『神聖魔法』?というか『神聖魔法』を操れるのは神に選ばれた愛し子だけ……? どうせ余命幾ばくもない出来損ないなら仕方ない、お荷物の僕はさっさと今世からも退場しよう……と思ってたのに? 偶然騎士たちを神聖魔法で救って、何故か天使と呼ばれて崇められたり。終いには帝国最強の狂血皇子に溺愛されて囲われちゃったり……いやいやちょっと待て。魔王様、主神様、まさかアンタらも? ……ってあれ、なんかめちゃくちゃ囲われてない?? ――― 病弱ならどうせすぐ死ぬかー。ならちょっとばかし遊んでもいいよね?と自由にやってたら無駄に最強な奴らに溺愛されちゃってた受けの話。 ※別名義で連載していた作品になります。 (名義を統合しこちらに移動することになりました)

処理中です...