スメルスケープ 〜幻想珈琲香〜

市瀬まち

文字の大きさ
8 / 42

3 豆と女神展 (2)

しおりを挟む
 目的のコーヒー豆店は、やはり住宅街に隣接していた。とはいっても〈喫珈琲カドー〉とは違い、目の前には二車線の道路が走り、近辺にはスーパーマーケットやドラッグストア、飲食店や小売店が点在している。間口はさほど広くはないもののガラス張りの小ぎれいな外観で、〈コーヒービーンズ イコール〉と染め抜かれたひさしが客を迎える。
(……店って、普通はこうだよな)
 ガラス扉を押して中に入ると、来客を知らせるベルがカラカラと鳴った。
 隣でハナオが、くんくんと嗅ぐように鼻を鳴らし、深呼吸をしている。大きく息を吐き出した表情は、まるで上質なワインを味わうかのようだ。
「いらっしゃい」
 店の奥から声がかかる。五十代くらいの中年男性が、顔も上げずに机に向かって作業をしていた。
「〈喫珈琲カドー〉です。コーヒー豆を買いたいのですが」
 男性はようやく顔を上げて、少しだけ怪訝けげんそうな表情をした。
「……マスターが若返ったわけじゃないよな。彼はどうした?」
「孫の角尾かどお充嗣みつぐと申します。祖父が体調を崩したので、代わりに店に立っています。それで今日は、ご挨拶も兼ねてうかがいました」
「そう。若いのにえらいね。彼に、お大事に、って伝えて。――で、今日は何が欲しい?」
 男性は椅子いすから立ち上がると、エプロンをはたく。店内には他に客もスタッフも見当たらない。彼が店主だろうか。
 あらかじめハナオに言われてメモしたコーヒー豆の種類を読みあげる。ブラジルにコロンビア……あとは聞き慣れない名前がいくつか。
 店主だろう男性は頷いて準備を始めた。店内手前には褐色のコーヒー豆の入った大ぶりのガラス瓶がいくつも置かれているほか、ドリッパーやサーバー、ペーパーフィルター、それに見慣れない器具も売られている。その奥には側面に丸みのあるたるがいくつか。彼はその樽からコーヒー豆を取りだして測り、紙袋に入れていく。さらにその奥は作業台と円筒型の機械。あれが焙煎機か?
 あれこれと店内を見回している俺の横で、ハナオは男性を凝視しているようだった。――が、突然口を開く。
「どういうつもり? そんなことをするなら、こちらも今後の付き合いを考えざるを得ないよ」
 いつもより低く、怒気を含んだ声。何を口走ってるんだ?
「ミツ。悪いけど彼に伝えてくれる? なるべく怒った口調で」
 おもわず顔を向けてしまう。ハナオは店主であろう男性をにらみつけていた。早く、と戸惑う俺をハナオが急かす。仕方がない。俺はもう一度前に向き直った。
「……あの。どういうつもりですか? そういうことをなさるなら、こちらも今後の付き合い方を考えなければいけませんが」
 男性は樽から顔を上げて、まっすぐに俺を見つめた。
「そういうこと、とは?」
「言わなくてもわかるでしょ」
 ハナオが即座に応戦する。俺は男性から目を逸らさないで、もう一度ハナオの言葉を繰り返した。
 しばらく男性と俺――もといハナオは無言で睨み合っていた。事情を呑み込めない俺が目を逸らしそうになった頃、男性は相好そうごうを崩した。まるでにらめっこにでも負けたか、いたずらがバレた子どもみたいな顔だ。
「ははは、いや、悪かった。しっかし、さすがはカドーの孫だ、恐れ入ったよ。改めて自己紹介させてくれ。オレはこのコーヒー豆専門店〈コーヒービーンズ イコール〉の店主で種田たねだだ。今後とも良好な関係をよろしく頼む」
 男性――種田氏は、準備して樽のそばの棚に置いていた紙袋の一つを作業台へ移すと、俺の方へ歩み寄って手を差しだす。
「いいよ。立場ってものがあるからね」
 そう言ったハナオを横目で見ると、満足そうに微笑んでいた。何やら納得したようだが、さっぱりわからない。
「いいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
 求められるままに笑顔で握手あくしゅを交わす。ハナオのように笑えていたかは疑問だが、種田氏はやはり満足そうだ。手を離すと、再びきびすを返す。
「すまんが、ちょっと待ってくれ。一つ作り直さなけりゃいかんから」
「マンデリンももらえるー?」
 奥へ向かう彼の背中を、ハナオの追加注文が追いかけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

七竈 ~ふたたび、春~

菱沼あゆ
ホラー
 変遷していく呪いに終わりのときは来るのだろうか――?  突然、英嗣の母親に、蔵を整理するから来いと呼び出されたり、相変わらず騒がしい毎日を送っていた七月だが。  ある日、若き市長の要請で、呪いの七竃が切り倒されることになる。  七竃が消えれば、呪いは消えるのか?  何故、急に七竃が切られることになったのか。  市長の意図を探ろうとする七月たちだが――。  学園ホラー&ミステリー

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

処理中です...