19 / 42
5 玉寄、来店する(3)
しおりを挟む
最近は日が暮れるのが本当に早い。店内は表に面した三つの長細い窓から、時間とともに角度を変える光が畳や床の上に差し込むわけだが、日ごとその時間が短くなっていく。今日は特に天気が崩れはじめているのか西日のない分、夜の訪れを早く感じられる。
こんな時、不定営業の喫茶店はありがたい。俺は早々に店じまいすべく扉を開けた。ハナオが数歩外に出て、外気を吸い込む仕草をしている。
「天気、下り坂か?」
俺はハナオが数時間後の雨まで言い当てることを知っている。大気中の湿気でわかるのだろうか。何にせよ、使っているのは鼻だ。
「うん、その気配はさっきからあったんだけど……」
そうだろうな、これだけ曇っていれば。空は重苦しい灰一色だ。夕方になり、周囲の景色までグレーがかっている。
「あ、雪」
扉にぶら下げた看板を外していると、ハナオが言った。視線を脇にそらすと、なるほど、白いものがふわふわと落ちていく。
「寒いはずだな」
息を吐くと、呼気がはっきりと白く現れる。ハナオの方に目を向けると、空を見上げるハナオの周りを雪が舞っていた。この辺りは豪雪地ではないが、年に数回、数センチ程積もることがある。ちらほらなんてものではないところを見ると、今シーズン初の積雪になるかもしれない。
急に何かに気づいたように、ハナオが顔をこちらに向けた。その表情が複雑な感情を伝えてきている。ひらめきと驚きと信じ難さ。受け入れていいのか迷うような戸惑い。やがてそのすべてが歓喜に変わる。頬が紅潮し、破顔する。
「――ゆきだ!! ミツ、雪だ! ゆきゆきっ」
いきなり喜びを爆発させるように叫ぶと、両腕を広げてくるくる回りながら、笑いはじめた。
(ハ、ハナオ……?)
どうしたんだ。気でも狂ったのだろうか。急な変化についていけず、俺はその様子を呆然と見守る。「ミツー、雪ー」とはしゃぐハナオはまるで。
(まるで犬っころじゃねぇか)
犬は喜び庭かけまわり。そんな童謡の節が脳裏に浮かぶ。
「雪なんて、毎年見てんじゃねぇの? 珍しくもないだろうに」
あきれて言うと、ハナオはぴたりと動きを止めて振り返った。
「悪いね、僕、いつも年越しはハワイなんだ」
気どった微笑みを浮かべ、しゃあしゃあと述べる。背後に少女マンガばりの薔薇と後光が見えるようだ。
「……どこの芸能人だよ。嘘こくんじゃねーぞ」
あははーと笑うハナオは、再び踊り狂う。くるくる、くるくる、一体何がそんなに嬉しいんだか。相当な勢いがあるはずのハナオの体が起こす風に、雪は無関心だ。舞い上がることなく、しんしんと降りゆく。学ランと伸ばした手の白さとのコントラストが境目を曖昧にしている。周囲の灰色と混ざりあって溶けてしまいそうだ。
「ミツもおいでよっ、雪だよー」
「ぜぇったいにヤダ」
傍から見たら、大の男が一人で雪にはしゃいでいるようにしか見えないじゃないか。想像しただけでも立ち直れないくらい恐ろしい提案だ。
(猫は早くこたつに入りてぇよ。……こたつないけど)
しばらくは見守っていたものの、足元から冷気が忍び寄ってきて、俺は体を震わせた。
「さっむ。おい、ワンコ。中入るぞ」
「あー楽しかった。ねぇ、ワンコって何ー?」
「うっさい。お前なんか犬っころだ」
俺は先にハナオを中に入らせてから扉を閉める。ハナオは物体を透り抜けられるのだから、たとえ扉を閉めていても店内に入れることはわかっている。だが、ハナオは一度も閉まっている扉や壁から出入りしたことはなかった。だからだろうか。俺もなんとなくハナオの出入りを待つのが習慣になっている。
「あははー、イミわかんなーい」
「意味わかんねぇのは、こっちの方だ。変に大はしゃぎして」
この時の俺は、何故ハナオがこんなにもはしゃいだのか、その理由をさっぱり思いつかなかった。雪を払い落とすかのような仕草をしたハナオは、にまにまと笑ったきり、とうとう理由らしい理由を言わなかった。
「ねぇ、ミツ。クリスマスツリー、出そうよ!」
「えぇ!? あと数日で片付けるものを?」
「うっわ、何その情緒のカケラもない言い方。そんなんじゃサンタクロース来ないよ?」
「もう何年も来てねぇし」
「拗ねない拗ねない。ほら、探して」
祖父が毎年出していたからか、クリスマスツリーはあっさり見つかった。小上がりのテーブルを端に寄せて、いくつかのパーツを畳に広げる。組み合わせて高さ一メートルくらいのモミの木の部分を作ると、色とりどりのオーナメントを飾っていく。
「サンタさん来るかなー? 靴下も吊るそうよ」
ハナオは出来上がっていくクリスマスツリーを眺めながら、ウキウキとした口調で言う。
「サンタは子どもの特権だ」
「えー、僕まだピチピチの学生だよ。ミツは何をお願いする?」
「サンタクロースにか? だからサンタは……」
「はいはい、拗ねない。今年来ないという根拠がどこにあるのさ」
来るという根拠こそどこにあるんだ。そんなことを思ったものの、考えてみるくらいならいいかと思い直す。
「特に、思いつかない」
「無欲だねぇ。つまんないの」
「そう言うハナオは何が欲しいんだ?」
「僕? そうだね、――コーヒー豆?」
「……そこにあるぞ」
ツリーにオーナメントを飾りながら俺がカウンター奥の棚を示した時、電話が鳴った。俺のスマホではなく〈喫珈琲カドー〉の固定電話の方だ。電話の主は〈コーヒービーンズ イコール〉の店主・種田氏である。
《充嗣か? いい豆が手に入ったんだが、いるか? そのうち配達してやるよ》
俺とハナオは顔を見合わせて――吹き出した。
《おい、なんだ? どうした?》
「いえ、何でも……」
盛大に笑えるハナオが羨ましい。俺は種田氏の申し出を、ありがたくお願いした。
気の早いサンタクロースもいたものである。
こんな時、不定営業の喫茶店はありがたい。俺は早々に店じまいすべく扉を開けた。ハナオが数歩外に出て、外気を吸い込む仕草をしている。
「天気、下り坂か?」
俺はハナオが数時間後の雨まで言い当てることを知っている。大気中の湿気でわかるのだろうか。何にせよ、使っているのは鼻だ。
「うん、その気配はさっきからあったんだけど……」
そうだろうな、これだけ曇っていれば。空は重苦しい灰一色だ。夕方になり、周囲の景色までグレーがかっている。
「あ、雪」
扉にぶら下げた看板を外していると、ハナオが言った。視線を脇にそらすと、なるほど、白いものがふわふわと落ちていく。
「寒いはずだな」
息を吐くと、呼気がはっきりと白く現れる。ハナオの方に目を向けると、空を見上げるハナオの周りを雪が舞っていた。この辺りは豪雪地ではないが、年に数回、数センチ程積もることがある。ちらほらなんてものではないところを見ると、今シーズン初の積雪になるかもしれない。
急に何かに気づいたように、ハナオが顔をこちらに向けた。その表情が複雑な感情を伝えてきている。ひらめきと驚きと信じ難さ。受け入れていいのか迷うような戸惑い。やがてそのすべてが歓喜に変わる。頬が紅潮し、破顔する。
「――ゆきだ!! ミツ、雪だ! ゆきゆきっ」
いきなり喜びを爆発させるように叫ぶと、両腕を広げてくるくる回りながら、笑いはじめた。
(ハ、ハナオ……?)
どうしたんだ。気でも狂ったのだろうか。急な変化についていけず、俺はその様子を呆然と見守る。「ミツー、雪ー」とはしゃぐハナオはまるで。
(まるで犬っころじゃねぇか)
犬は喜び庭かけまわり。そんな童謡の節が脳裏に浮かぶ。
「雪なんて、毎年見てんじゃねぇの? 珍しくもないだろうに」
あきれて言うと、ハナオはぴたりと動きを止めて振り返った。
「悪いね、僕、いつも年越しはハワイなんだ」
気どった微笑みを浮かべ、しゃあしゃあと述べる。背後に少女マンガばりの薔薇と後光が見えるようだ。
「……どこの芸能人だよ。嘘こくんじゃねーぞ」
あははーと笑うハナオは、再び踊り狂う。くるくる、くるくる、一体何がそんなに嬉しいんだか。相当な勢いがあるはずのハナオの体が起こす風に、雪は無関心だ。舞い上がることなく、しんしんと降りゆく。学ランと伸ばした手の白さとのコントラストが境目を曖昧にしている。周囲の灰色と混ざりあって溶けてしまいそうだ。
「ミツもおいでよっ、雪だよー」
「ぜぇったいにヤダ」
傍から見たら、大の男が一人で雪にはしゃいでいるようにしか見えないじゃないか。想像しただけでも立ち直れないくらい恐ろしい提案だ。
(猫は早くこたつに入りてぇよ。……こたつないけど)
しばらくは見守っていたものの、足元から冷気が忍び寄ってきて、俺は体を震わせた。
「さっむ。おい、ワンコ。中入るぞ」
「あー楽しかった。ねぇ、ワンコって何ー?」
「うっさい。お前なんか犬っころだ」
俺は先にハナオを中に入らせてから扉を閉める。ハナオは物体を透り抜けられるのだから、たとえ扉を閉めていても店内に入れることはわかっている。だが、ハナオは一度も閉まっている扉や壁から出入りしたことはなかった。だからだろうか。俺もなんとなくハナオの出入りを待つのが習慣になっている。
「あははー、イミわかんなーい」
「意味わかんねぇのは、こっちの方だ。変に大はしゃぎして」
この時の俺は、何故ハナオがこんなにもはしゃいだのか、その理由をさっぱり思いつかなかった。雪を払い落とすかのような仕草をしたハナオは、にまにまと笑ったきり、とうとう理由らしい理由を言わなかった。
「ねぇ、ミツ。クリスマスツリー、出そうよ!」
「えぇ!? あと数日で片付けるものを?」
「うっわ、何その情緒のカケラもない言い方。そんなんじゃサンタクロース来ないよ?」
「もう何年も来てねぇし」
「拗ねない拗ねない。ほら、探して」
祖父が毎年出していたからか、クリスマスツリーはあっさり見つかった。小上がりのテーブルを端に寄せて、いくつかのパーツを畳に広げる。組み合わせて高さ一メートルくらいのモミの木の部分を作ると、色とりどりのオーナメントを飾っていく。
「サンタさん来るかなー? 靴下も吊るそうよ」
ハナオは出来上がっていくクリスマスツリーを眺めながら、ウキウキとした口調で言う。
「サンタは子どもの特権だ」
「えー、僕まだピチピチの学生だよ。ミツは何をお願いする?」
「サンタクロースにか? だからサンタは……」
「はいはい、拗ねない。今年来ないという根拠がどこにあるのさ」
来るという根拠こそどこにあるんだ。そんなことを思ったものの、考えてみるくらいならいいかと思い直す。
「特に、思いつかない」
「無欲だねぇ。つまんないの」
「そう言うハナオは何が欲しいんだ?」
「僕? そうだね、――コーヒー豆?」
「……そこにあるぞ」
ツリーにオーナメントを飾りながら俺がカウンター奥の棚を示した時、電話が鳴った。俺のスマホではなく〈喫珈琲カドー〉の固定電話の方だ。電話の主は〈コーヒービーンズ イコール〉の店主・種田氏である。
《充嗣か? いい豆が手に入ったんだが、いるか? そのうち配達してやるよ》
俺とハナオは顔を見合わせて――吹き出した。
《おい、なんだ? どうした?》
「いえ、何でも……」
盛大に笑えるハナオが羨ましい。俺は種田氏の申し出を、ありがたくお願いした。
気の早いサンタクロースもいたものである。
0
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
七竈 ~ふたたび、春~
菱沼あゆ
ホラー
変遷していく呪いに終わりのときは来るのだろうか――?
突然、英嗣の母親に、蔵を整理するから来いと呼び出されたり、相変わらず騒がしい毎日を送っていた七月だが。
ある日、若き市長の要請で、呪いの七竃が切り倒されることになる。
七竃が消えれば、呪いは消えるのか?
何故、急に七竃が切られることになったのか。
市長の意図を探ろうとする七月たちだが――。
学園ホラー&ミステリー
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる