スメルスケープ 〜幻想珈琲香〜

市瀬まち

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5 玉寄、来店する(3)

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 最近は日が暮れるのが本当に早い。店内は表に面した三つの長細い窓から、時間とともに角度を変える光が畳や床の上に差し込むわけだが、日ごとその時間が短くなっていく。今日は特に天気が崩れはじめているのか西日のない分、夜の訪れを早く感じられる。
 こんな時、不定営業の喫茶店はありがたい。俺は早々に店じまいすべく扉を開けた。ハナオが数歩外に出て、外気を吸い込む仕草をしている。
「天気、下り坂か?」
 俺はハナオが数時間後の雨まで言い当てることを知っている。大気中の湿気でわかるのだろうか。何にせよ、使っているのは鼻だ。
「うん、その気配はさっきからあったんだけど……」
 そうだろうな、これだけ曇っていれば。空は重苦しい灰一色だ。夕方になり、周囲の景色までグレーがかっている。
「あ、雪」
 扉にぶら下げた看板を外していると、ハナオが言った。視線を脇にそらすと、なるほど、白いものがふわふわと落ちていく。
「寒いはずだな」
 息を吐くと、呼気がはっきりと白く現れる。ハナオの方に目を向けると、空を見上げるハナオの周りを雪が舞っていた。この辺りは豪雪地ではないが、年に数回、数センチ程積もることがある。ちらほらなんてものではないところを見ると、今シーズン初の積雪になるかもしれない。
 急に何かに気づいたように、ハナオが顔をこちらに向けた。その表情が複雑な感情を伝えてきている。ひらめきと驚きと信じ難さ。受け入れていいのか迷うような戸惑い。やがてそのすべてが歓喜に変わる。頬が紅潮し、破顔する。
「――ゆきだ!! ミツ、雪だ! ゆきゆきっ」
 いきなり喜びを爆発させるように叫ぶと、両腕を広げてくるくる回りながら、笑いはじめた。
(ハ、ハナオ……?)
 どうしたんだ。気でも狂ったのだろうか。急な変化についていけず、俺はその様子を呆然と見守る。「ミツー、雪ー」とはしゃぐハナオはまるで。
(まるで犬っころじゃねぇか)
 犬は喜び庭かけまわり。そんな童謡の節が脳裏に浮かぶ。
「雪なんて、毎年見てんじゃねぇの? 珍しくもないだろうに」
 あきれて言うと、ハナオはぴたりと動きを止めて振り返った。
「悪いね、僕、いつも年越しはハワイなんだ」
 気どった微笑みを浮かべ、しゃあしゃあと述べる。背後に少女マンガばりの薔薇と後光が見えるようだ。
「……どこの芸能人だよ。嘘こくんじゃねーぞ」
 あははーと笑うハナオは、再び踊り狂う。くるくる、くるくる、一体何がそんなに嬉しいんだか。相当な勢いがあるはずのハナオの体が起こす風に、雪は無関心だ。舞い上がることなく、しんしんと降りゆく。学ランと伸ばした手の白さとのコントラストが境目を曖昧にしている。周囲の灰色と混ざりあって溶けてしまいそうだ。
「ミツもおいでよっ、雪だよー」
「ぜぇったいにヤダ」
 はたから見たら、大の男が一人で雪にはしゃいでいるようにしか見えないじゃないか。想像しただけでも立ち直れないくらい恐ろしい提案だ。
(猫は早くこたつに入りてぇよ。……こたつないけど)
 しばらくは見守っていたものの、足元から冷気が忍び寄ってきて、俺は体を震わせた。
「さっむ。おい、ワンコ。中入るぞ」
「あー楽しかった。ねぇ、ワンコって何ー?」
「うっさい。お前なんか犬っころだ」
 俺は先にハナオを中に入らせてから扉を閉める。ハナオは物体を透り抜けられるのだから、たとえ扉を閉めていても店内に入れることはわかっている。だが、ハナオは一度も閉まっている扉や壁から出入りしたことはなかった。だからだろうか。俺もなんとなくハナオの出入りを待つのが習慣になっている。
「あははー、イミわかんなーい」
「意味わかんねぇのは、こっちの方だ。変に大はしゃぎして」
 この時の俺は、何故ハナオがこんなにもはしゃいだのか、その理由をさっぱり思いつかなかった。雪を払い落とすかのような仕草をしたハナオは、にまにまと笑ったきり、とうとう理由らしい理由を言わなかった。
「ねぇ、ミツ。クリスマスツリー、出そうよ!」
「えぇ!? あと数日で片付けるものを?」
「うっわ、何その情緒のカケラもない言い方。そんなんじゃサンタクロース来ないよ?」
「もう何年も来てねぇし」
ねない拗ねない。ほら、探して」
 祖父が毎年出していたからか、クリスマスツリーはあっさり見つかった。小上がりのテーブルを端に寄せて、いくつかのパーツを畳に広げる。組み合わせて高さ一メートルくらいのモミの木の部分を作ると、色とりどりのオーナメントを飾っていく。
「サンタさん来るかなー? 靴下も吊るそうよ」
 ハナオは出来上がっていくクリスマスツリーを眺めながら、ウキウキとした口調で言う。
「サンタは子どもの特権だ」
「えー、僕まだピチピチの学生だよ。ミツは何をお願いする?」
「サンタクロースにか? だからサンタは……」
「はいはい、拗ねない。今年来ないという根拠がどこにあるのさ」
 来るという根拠こそどこにあるんだ。そんなことを思ったものの、考えてみるくらいならいいかと思い直す。
「特に、思いつかない」
「無欲だねぇ。つまんないの」
「そう言うハナオは何が欲しいんだ?」
「僕? そうだね、――コーヒー豆?」
「……そこにあるぞ」
 ツリーにオーナメントを飾りながら俺がカウンター奥の棚を示した時、電話が鳴った。俺のスマホではなく〈喫珈琲カドー〉の固定電話の方だ。電話の主は〈コーヒービーンズ イコール〉の店主・種田氏である。
《充嗣か? いい豆が手に入ったんだが、いるか? そのうち配達してやるよ》
 俺とハナオは顔を見合わせて――吹き出した。
《おい、なんだ? どうした?》
「いえ、何でも……」
 盛大に笑えるハナオが羨ましい。俺は種田氏の申し出を、ありがたくお願いした。
 気の早いサンタクロースもいたものである。
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