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7 コーヒーと勝負の行方(4)
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〈喫珈琲カドー〉での常連客の過ごし方はまさに十人十色で、共通点といえばコーヒーを飲んでいることぐらいだ。
小上がりのテーブル席を陣取った二人の常連客が、将棋盤をはさんで真剣勝負を始めている。
一人は五十代の男性で、通称・やじさん。小柄な痩せ型で、職人のような雰囲気を持つ。もう一人は、スキンヘッドの大柄な男性。きたさんと呼ばれていて、本人曰くアラフォーだ。ともに近所で自営業をしているのだが、タイミングが合って二人で〈喫珈琲カドー〉に居合わせると将棋の真剣勝負を繰り広げる。〝やじきた〟コンビと愛称のついている二人組だ。
「ミツ、湯呑みだよ。やじきた用の」
いつものようにカップを出しかけた俺は、ハナオの指摘に「あっ」と言いかけて、慌てて口をつぐむ。
〈喫珈琲カドー〉には客ごとの専用カップがある。一応、店のカップとソーサーもあるのだが、客が持参して「これに入れてくれ」と言えば、基本的に祖父は断らなかったらしい。あくまでもこだわったのはブレンドコーヒーで、どんな器で美味しく味わうかは客次第というわけだ。やじきたの二人は大ぶりな湯呑みだ。厚手でごつごつとした印象だが、将棋に夢中になるから保温性が高い方がいいのだとか何とか。真偽のほどは知らないが、本人たちの好みなのだから、とやかくは言わない。
「まずはブラジルを取って。今日のはブラジル・サントス。サントスっていうのは港の名前で、ブラジルのサントス港から出荷されたってことね。品質がよいことで知られているんだ。小粒だけどきれいな楕円をした豆が多いね。ナッツやチョコレートに似た香りがする。やわらかな酸味で飲みやすくて、他の豆とも合わせやすいから、ブレンドでかなり重宝する豆の一つかな。あ、ちなみにブラジルはコーヒー大国で、生産量も輸出量もかなりの割合を占めているんだよ」
へぇ、と言いかけて、俺はもう一度口を押さえる。普段のハナオは、客がいる時にあまり詳しい説明をしない。特にコーヒーを淹れる作業の最中は。説明した分だけ客を待たせることになるからだ。
(なんで、今日はそんなことまで……?)
横目でそっと様子を窺うと、やじきたの二人は無言で将棋盤を睨み合っている。たぶん俺がほんの少し独り言を言ったところで聞こえやしないだろう。もちろん邪魔はしたくないから、何かを口走るつもりはないが。
「やじきたはいいんだよ。すぐに出しちゃうと、冷めるのも早いでしょ? それにコーヒーはひらめきを連れてくるって言うからね。駒が動きはじめたくらいが出し頃なの」
俺の疑問を察したらしいハナオが教えてくれた。ちゃんと考えていたわけだ。
うっかりの独り言に気をつけながら、いつもよりゆっくり淹れたコーヒーを湯呑みに注ぎ、テーブル席に置く。一応「どうぞ」と声をかけたものの返事がない。まさに熱中といった雰囲気なので気にならない。それでも時折湯呑みに手がのびているのが逆に不思議だ。
(いつも、こんなにゆっくり出していたんだっけ)
十一月末に一度見かけて以来、自営業の二人は十二月一月と忙しかったらしく姿を見なかった。だからなのかもしれない。専用湯呑みのことを忘れたのも、時間差をつけて出すことに気づいていなかったのも。
コーヒー抽出の指示が終わった後、ハナオはテーブルのそばに行ったきり、二人の勝負の行方を見守っている。そういえば、前回のやじきたの勝負の時もそうだったか。
他に客もなく、静寂の中に緊張感が漂う。その雰囲気を心地よく感じるのは、二人が久しぶりのこの勝負を心から楽しんでいるからだろうか。俺は極力音を立てないよう気をつけながら、片付けや他の作業をこなした。
「ミツ、ちょっと来てくれる?」
小一時間ほど経った頃、ただじっと将棋盤を眺めていたハナオが俺を呼んだ。振り返り、来い来いと手で示している。俺はカウンターから出て、言われたとおりにテーブル席のそばに立った。
将棋盤の上は、さまざまな駒が入り乱れている。将棋などしたこともない俺にわかるのは、試合の序盤ではないことくらいだ。
「ちょっと、ここで立っていて」
そう言ったきり、ハナオはまた目の前で繰り広げられる勝負に集中しだす。問い返すこともできず、言われるままにただ突っ立っている俺のことなど気づいてないかのように、やじきたの二人は駒を動かしていく。相手の駒を取ったり、自分の駒をひっくり返したり、手元の駒を新たに盤上に置いたり。動きや戦況はさっぱりわからないが、つまり手持ちの駒を駆使して相手の王将を先に取った方が勝ちなのだろうか。
「2三歩成。きたさんに伝えて」
数分後、やじさんが駒を移動させた瞬間に、ハナオが再び口を開いた。ハナオの突然の〝翻訳依頼〟にもだいぶ慣れた。今のは次の一手のことだろう。口出ししていいものか一瞬ためらったものの、「2三歩成」と伝える。
きたさんは驚いたように俺を見たが、にか、と笑ってその手を打った。
「もういいよ」
ハナオはくるりと踵を返すと、今度はカウンターに入って、コーヒー豆の瓶を眺め出した。
「次はどの豆で淹れようかなー。ミツ、もうすぐ注文が入るから、準備しといて」
これは初めての展開だ。状況がつかめないまま、ひとまずカウンター内へ戻る。客の前で挙動不審になるわけにはいかない。
(どういうことだ?)
ハナオにだけわかるように、眉を寄せてみせる。
「あはは、変な顔ー。……冗談だよ。やじきたの勝負はね、いつもやじさんが勝つんだよ。これはもう実力の差だね。やじさんはプロ顔負けの実力者だし、きたさんは、やじさんに将棋を習ってから面白さに目覚めたシロートだもん。で、いつもカドーのマスターが五回に一回だけ今みたいに助言していたの。だから、きたさんは五試合に一回だけ勝てるってわけ」
なるほど、要するに今日はその五試合目だったということだ。
(じゃあ、注文が入るって……?)
新しい客が来る匂いでもしたのだろうか。しかし、いつまでたっても扉は開かない。
ハナオは笑みを浮かべたまま、答えを教えようとしない。結局その答えはおよそ三十分後、「勝ったー!」というきたさんの雄叫びとともに知らされた。
「充嗣君、コーヒーをもう一杯頼む。一人分でいいから」
やじさんが苦笑しながら注文を入れた。ハナオが隣でパチパチと拍手をしている。
「あれ、カドーのおやっさんから聞いてねぇ? オレが勝ったら、やじのおやっさんがコーヒーをおごってくれるんだぜ」
平静を繕っていたつもりだったのに、俺は不思議そうな表情をしたのだろうか。きたさんが得意気につけ加えた。客商売を生業とする人間は侮れない。なるほど、二杯目の注文だったのか。
「しかし、マスター不在でもこうなるとはなぁ。充嗣君はマスターから将棋も習っていたのか?」
「……えぇと、たまたまですよ、まぐれです」
「やじのおやっさん、奇跡ってのは、起きる時には起きるんスよ」
「きた、お前さんは実力で勝つ気はないのかい?」
きたさんが俺へ的外れな援護をし、やじさんはオイオイと突っ込む。
俺は「どうぞ」と、きたさんの前に一度回収してコーヒーを淹れ直した湯呑みを置く。テーブルの上の将棋盤では、入り乱れていた駒がきれいに並べられていた。これが試合前の状態なのだろう。
きたさんは「運も実力のうちッス」と言いながら、コーヒーをすする。
「やじさんも、淹れ直しましょうか?」
「ありがたいが、二杯は多いんだ。あとはもう香りを楽しむよ」
「もう一試合ですか?」
「いやこれは、要点解説といったところだ」
「おさらいだよね」
ハナオが心得たりと口をはさむ。「おさらいってことですね」と俺が〝翻訳〟も兼ねて返していると、ぷは、ときたさんが湯呑みから顔を上げた。
「うまい! 勝利の後のカドーのコーヒーは格別だぜ」
「ビール級の飲み方だな。まぁたしかに、いつ飲んでもカドーのコーヒーは美味い。充嗣君の淹れたコーヒーも、マスターのとはまた違った美味さだ」
やじさんは苦笑しながら、五試合に一回の勝利の美酒ならぬ〝勝利の美コーヒー〟を味わうきたさんを眺める。
「……祖父が淹れるのと、違いますか?」
俺は気になって尋ねた。俺は、祖父のコーヒーはもちろん、俺――もといハナオが淹れるコーヒーの味も知らない。
「充嗣、そんなの気にすることねぇよ、美味けりゃいいんだ。オレで言いかえると、たとえばお好み焼きだな。客の前に出したお好み焼きの、キャベツがどこ産とか膨らみが当社比何パーセント増とか、もちろん気づいてもらえりゃ嬉しいけど、それをとやかく言う評論家もどきはウゼーだけだ」
「……充嗣君、コーヒーにアルコール入れた?」
突然熱弁をふるいはじめたきたさんを前に、やじさんが聞いた。ハナオが面白そうにくすくす笑っているけど、もちろん入れてない。その間もきたさんの演説は続いていく。
「結果なんだよ。客が「うめぇっ」つってゲラゲラ笑える時間過ごして、最後に「兄ちゃんまた来るわ」って言えりゃ、それでいい。こだわりだの誇りだのってぇのは、おのれの胸ン中にしまって、客の「美味い」の中で存分に発揮すりゃいいんだ」
きたさんは、自分の胸元をドンと拳で叩いて締めくくった。
「――で、要は何が言いたい?」
「違う味だって、遅咲きのアマチュア天才棋士だってアリってことッス」
「そういうデカいことは、自分で勝ってから言いやがれ」
突っ込みをモノともせず、きたさんはご機嫌にケケケと笑った。やじさんは「いつものことだから」と、アルコールが混ざってなかったか本気で気にしている俺に言う。
「……二代目の味、か」
やじさんが将棋盤の駒を動かしながら呟いた。
「充嗣君。私は、すべてを継ぐ必要はないと思うんだ」
やじさんは、テーブルのそばに立つ俺を見上げる。
「よいと思えるものは残せばいい。けれど、時代は変わる。客もまたしかりだ。合わないものは淘汰されるし、充嗣君には充嗣君のやりようがある。でもそれでいい。受け継ぐというのは、そういうものだ」
パチ、パチ、とやじさんの指が淡々と駒を並べていく。
「……やじのおやっさん、かっけー」
ぽかんとして言葉を聞いていたきたさんがポツリと言った。
「かっこいいもんか。最近少しずつ、後継とか身の引き際とかを考えるようになったってだけだ。歳だ、歳」
ほら、始めるぞ、とやじさんが言う。口調がややぞんざいなのは、照れ隠しだろうか。しばらくして、素直に将棋盤に向き直ったきたさんが「あっ」と声を上げた。
「でもやっぱ全部継いでもらわねぇと困るぞ、充嗣! オレが全試合負け続けになっちまう」
「……きた、だからお前さん、いい加減自力で勝てや」
やじさんは大きなため息をついて額を押さえた。
小上がりのテーブル席を陣取った二人の常連客が、将棋盤をはさんで真剣勝負を始めている。
一人は五十代の男性で、通称・やじさん。小柄な痩せ型で、職人のような雰囲気を持つ。もう一人は、スキンヘッドの大柄な男性。きたさんと呼ばれていて、本人曰くアラフォーだ。ともに近所で自営業をしているのだが、タイミングが合って二人で〈喫珈琲カドー〉に居合わせると将棋の真剣勝負を繰り広げる。〝やじきた〟コンビと愛称のついている二人組だ。
「ミツ、湯呑みだよ。やじきた用の」
いつものようにカップを出しかけた俺は、ハナオの指摘に「あっ」と言いかけて、慌てて口をつぐむ。
〈喫珈琲カドー〉には客ごとの専用カップがある。一応、店のカップとソーサーもあるのだが、客が持参して「これに入れてくれ」と言えば、基本的に祖父は断らなかったらしい。あくまでもこだわったのはブレンドコーヒーで、どんな器で美味しく味わうかは客次第というわけだ。やじきたの二人は大ぶりな湯呑みだ。厚手でごつごつとした印象だが、将棋に夢中になるから保温性が高い方がいいのだとか何とか。真偽のほどは知らないが、本人たちの好みなのだから、とやかくは言わない。
「まずはブラジルを取って。今日のはブラジル・サントス。サントスっていうのは港の名前で、ブラジルのサントス港から出荷されたってことね。品質がよいことで知られているんだ。小粒だけどきれいな楕円をした豆が多いね。ナッツやチョコレートに似た香りがする。やわらかな酸味で飲みやすくて、他の豆とも合わせやすいから、ブレンドでかなり重宝する豆の一つかな。あ、ちなみにブラジルはコーヒー大国で、生産量も輸出量もかなりの割合を占めているんだよ」
へぇ、と言いかけて、俺はもう一度口を押さえる。普段のハナオは、客がいる時にあまり詳しい説明をしない。特にコーヒーを淹れる作業の最中は。説明した分だけ客を待たせることになるからだ。
(なんで、今日はそんなことまで……?)
横目でそっと様子を窺うと、やじきたの二人は無言で将棋盤を睨み合っている。たぶん俺がほんの少し独り言を言ったところで聞こえやしないだろう。もちろん邪魔はしたくないから、何かを口走るつもりはないが。
「やじきたはいいんだよ。すぐに出しちゃうと、冷めるのも早いでしょ? それにコーヒーはひらめきを連れてくるって言うからね。駒が動きはじめたくらいが出し頃なの」
俺の疑問を察したらしいハナオが教えてくれた。ちゃんと考えていたわけだ。
うっかりの独り言に気をつけながら、いつもよりゆっくり淹れたコーヒーを湯呑みに注ぎ、テーブル席に置く。一応「どうぞ」と声をかけたものの返事がない。まさに熱中といった雰囲気なので気にならない。それでも時折湯呑みに手がのびているのが逆に不思議だ。
(いつも、こんなにゆっくり出していたんだっけ)
十一月末に一度見かけて以来、自営業の二人は十二月一月と忙しかったらしく姿を見なかった。だからなのかもしれない。専用湯呑みのことを忘れたのも、時間差をつけて出すことに気づいていなかったのも。
コーヒー抽出の指示が終わった後、ハナオはテーブルのそばに行ったきり、二人の勝負の行方を見守っている。そういえば、前回のやじきたの勝負の時もそうだったか。
他に客もなく、静寂の中に緊張感が漂う。その雰囲気を心地よく感じるのは、二人が久しぶりのこの勝負を心から楽しんでいるからだろうか。俺は極力音を立てないよう気をつけながら、片付けや他の作業をこなした。
「ミツ、ちょっと来てくれる?」
小一時間ほど経った頃、ただじっと将棋盤を眺めていたハナオが俺を呼んだ。振り返り、来い来いと手で示している。俺はカウンターから出て、言われたとおりにテーブル席のそばに立った。
将棋盤の上は、さまざまな駒が入り乱れている。将棋などしたこともない俺にわかるのは、試合の序盤ではないことくらいだ。
「ちょっと、ここで立っていて」
そう言ったきり、ハナオはまた目の前で繰り広げられる勝負に集中しだす。問い返すこともできず、言われるままにただ突っ立っている俺のことなど気づいてないかのように、やじきたの二人は駒を動かしていく。相手の駒を取ったり、自分の駒をひっくり返したり、手元の駒を新たに盤上に置いたり。動きや戦況はさっぱりわからないが、つまり手持ちの駒を駆使して相手の王将を先に取った方が勝ちなのだろうか。
「2三歩成。きたさんに伝えて」
数分後、やじさんが駒を移動させた瞬間に、ハナオが再び口を開いた。ハナオの突然の〝翻訳依頼〟にもだいぶ慣れた。今のは次の一手のことだろう。口出ししていいものか一瞬ためらったものの、「2三歩成」と伝える。
きたさんは驚いたように俺を見たが、にか、と笑ってその手を打った。
「もういいよ」
ハナオはくるりと踵を返すと、今度はカウンターに入って、コーヒー豆の瓶を眺め出した。
「次はどの豆で淹れようかなー。ミツ、もうすぐ注文が入るから、準備しといて」
これは初めての展開だ。状況がつかめないまま、ひとまずカウンター内へ戻る。客の前で挙動不審になるわけにはいかない。
(どういうことだ?)
ハナオにだけわかるように、眉を寄せてみせる。
「あはは、変な顔ー。……冗談だよ。やじきたの勝負はね、いつもやじさんが勝つんだよ。これはもう実力の差だね。やじさんはプロ顔負けの実力者だし、きたさんは、やじさんに将棋を習ってから面白さに目覚めたシロートだもん。で、いつもカドーのマスターが五回に一回だけ今みたいに助言していたの。だから、きたさんは五試合に一回だけ勝てるってわけ」
なるほど、要するに今日はその五試合目だったということだ。
(じゃあ、注文が入るって……?)
新しい客が来る匂いでもしたのだろうか。しかし、いつまでたっても扉は開かない。
ハナオは笑みを浮かべたまま、答えを教えようとしない。結局その答えはおよそ三十分後、「勝ったー!」というきたさんの雄叫びとともに知らされた。
「充嗣君、コーヒーをもう一杯頼む。一人分でいいから」
やじさんが苦笑しながら注文を入れた。ハナオが隣でパチパチと拍手をしている。
「あれ、カドーのおやっさんから聞いてねぇ? オレが勝ったら、やじのおやっさんがコーヒーをおごってくれるんだぜ」
平静を繕っていたつもりだったのに、俺は不思議そうな表情をしたのだろうか。きたさんが得意気につけ加えた。客商売を生業とする人間は侮れない。なるほど、二杯目の注文だったのか。
「しかし、マスター不在でもこうなるとはなぁ。充嗣君はマスターから将棋も習っていたのか?」
「……えぇと、たまたまですよ、まぐれです」
「やじのおやっさん、奇跡ってのは、起きる時には起きるんスよ」
「きた、お前さんは実力で勝つ気はないのかい?」
きたさんが俺へ的外れな援護をし、やじさんはオイオイと突っ込む。
俺は「どうぞ」と、きたさんの前に一度回収してコーヒーを淹れ直した湯呑みを置く。テーブルの上の将棋盤では、入り乱れていた駒がきれいに並べられていた。これが試合前の状態なのだろう。
きたさんは「運も実力のうちッス」と言いながら、コーヒーをすする。
「やじさんも、淹れ直しましょうか?」
「ありがたいが、二杯は多いんだ。あとはもう香りを楽しむよ」
「もう一試合ですか?」
「いやこれは、要点解説といったところだ」
「おさらいだよね」
ハナオが心得たりと口をはさむ。「おさらいってことですね」と俺が〝翻訳〟も兼ねて返していると、ぷは、ときたさんが湯呑みから顔を上げた。
「うまい! 勝利の後のカドーのコーヒーは格別だぜ」
「ビール級の飲み方だな。まぁたしかに、いつ飲んでもカドーのコーヒーは美味い。充嗣君の淹れたコーヒーも、マスターのとはまた違った美味さだ」
やじさんは苦笑しながら、五試合に一回の勝利の美酒ならぬ〝勝利の美コーヒー〟を味わうきたさんを眺める。
「……祖父が淹れるのと、違いますか?」
俺は気になって尋ねた。俺は、祖父のコーヒーはもちろん、俺――もといハナオが淹れるコーヒーの味も知らない。
「充嗣、そんなの気にすることねぇよ、美味けりゃいいんだ。オレで言いかえると、たとえばお好み焼きだな。客の前に出したお好み焼きの、キャベツがどこ産とか膨らみが当社比何パーセント増とか、もちろん気づいてもらえりゃ嬉しいけど、それをとやかく言う評論家もどきはウゼーだけだ」
「……充嗣君、コーヒーにアルコール入れた?」
突然熱弁をふるいはじめたきたさんを前に、やじさんが聞いた。ハナオが面白そうにくすくす笑っているけど、もちろん入れてない。その間もきたさんの演説は続いていく。
「結果なんだよ。客が「うめぇっ」つってゲラゲラ笑える時間過ごして、最後に「兄ちゃんまた来るわ」って言えりゃ、それでいい。こだわりだの誇りだのってぇのは、おのれの胸ン中にしまって、客の「美味い」の中で存分に発揮すりゃいいんだ」
きたさんは、自分の胸元をドンと拳で叩いて締めくくった。
「――で、要は何が言いたい?」
「違う味だって、遅咲きのアマチュア天才棋士だってアリってことッス」
「そういうデカいことは、自分で勝ってから言いやがれ」
突っ込みをモノともせず、きたさんはご機嫌にケケケと笑った。やじさんは「いつものことだから」と、アルコールが混ざってなかったか本気で気にしている俺に言う。
「……二代目の味、か」
やじさんが将棋盤の駒を動かしながら呟いた。
「充嗣君。私は、すべてを継ぐ必要はないと思うんだ」
やじさんは、テーブルのそばに立つ俺を見上げる。
「よいと思えるものは残せばいい。けれど、時代は変わる。客もまたしかりだ。合わないものは淘汰されるし、充嗣君には充嗣君のやりようがある。でもそれでいい。受け継ぐというのは、そういうものだ」
パチ、パチ、とやじさんの指が淡々と駒を並べていく。
「……やじのおやっさん、かっけー」
ぽかんとして言葉を聞いていたきたさんがポツリと言った。
「かっこいいもんか。最近少しずつ、後継とか身の引き際とかを考えるようになったってだけだ。歳だ、歳」
ほら、始めるぞ、とやじさんが言う。口調がややぞんざいなのは、照れ隠しだろうか。しばらくして、素直に将棋盤に向き直ったきたさんが「あっ」と声を上げた。
「でもやっぱ全部継いでもらわねぇと困るぞ、充嗣! オレが全試合負け続けになっちまう」
「……きた、だからお前さん、いい加減自力で勝てや」
やじさんは大きなため息をついて額を押さえた。
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