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尾行の尾行
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冬の晴れ間に恵まれた早朝、槌猪の調査隊がへスニルの街を出発した。
白級と黒級の斥候職で編成された調査隊は、馬に曳かせた橇に乗って街道を颯爽と駆けていった。
そして調査隊にしばし遅れて、三頭の馬がひっそりとへスニルを発った。
三頭の馬に乗るのは当然ながらコット達で、調査隊から少し離れて見つからないように尾けていくために、白いマントを揃いで身に着けていた。
これは俺のアドバイスで用意させたもので、雪に覆われた場所では少し離れるだけで景色に溶け込んで発見しづらくなる冬季迷彩となっている。
馬に乗って移動しているとあまり意味はないが、馬から降りて調査隊を尾行するにはこれ以上無いほどに適切な装備だろう。
これからコット達は、数日かかる調査に参加する人間に見つからないよう尾行し、槌猪を発見したら調査隊が撤退するのを待って討伐に移行、強敵を打ち破って帰還するという、非常に過酷な時間を過ごすことになる。
普通に討伐依頼を受けるよりも遥かに面倒だが、そうしてでも槌猪打倒を成し遂げようという気概がコット達にはあった。
遠ざかるコット達の背中を見送り、俺は飛空艇へと戻った。
中へ入ると、食料や防寒具などの荷物をまとめているパーラと目が合った。
俺達はコット達の頼みで槌猪の討伐に手を貸すことはしない。
だがパーラが揃えている荷物は、寒冷地での長時間活動を想定したものだ。
「パーラ、準備はできてるか?」
「完璧。食料と防寒具はもちろん、炭と薪もたっぷり用意したよ」
「よし、じゃあ出発だ。コットさん達はもう出たから、俺達は飛空艇で上空から追うぞ」
「了解。…それにしても、アンディも人が悪いね。討伐には手は貸さないけど、コッソリ付いていって見守ろうなんてさ」
お気付きだろうか?
そう、俺達はコット達に内緒でその後をつけ、密かに見守ろうとしているのだ。
確かに俺はコット達が槌猪と戦うのに手を貸さないと約束したが、着いていかないとは言っていない。
まぁ着いていこうとすれば断られるだろうから、こういう方法を取るのだ。
調査隊を尾行するコット達を尾行する、と言うわけだ。
俺とパーラは遠くから見守り、万が一の時には狙撃で命だけは守る。
コット達の意志は理解しているが、それでもやはり死なせたくないという思いがあるのは師匠としての親心だろう。
「何言ってんだよ。パーラこそ、俺が言いださなきゃ一人でコットさん達を追いかけるつもりだったんだろ?」
「あら、バレてた?だってさぁ、やっぱり心配じゃん」
少し前、パーラは隠れてコット達を追いかけるつもりで準備をしていて、尾行するコット達を尾行する計画を伝えなければ、今頃単独で追いかけていたはずだ。
目の前に置かれた荷物も、元々はパーラ一人分だったのだが、そこに俺の分を追加して、それなりの量となっている。
食料と燃料はもちろんのこと、防寒具とテントには冬季迷彩を施したものも揃えており、調査隊とコット達に見つからないよう追跡する準備は整った。
飛空艇を離陸させ、高度を十分にとってコット達を追いかける。
街道を辿っていくとすぐに雪煙を見つけた。
先行するように走る馬車の姿もあることから、雪煙の元はコット達で間違いない。
後はこのまま調査隊の乗る馬車が停まる場所を見極めたら、適当な場所に飛空艇を隠す。
調査隊の面子は知らないが、鍛錬でのパーラの仕込みで斥候職としての適性が高いのはシアとコットなので、その二人に気を付けて追跡しよう。
冬場にイレギュラー的な目撃をされる魔物と言うのは、痕跡を追いやすいと言われている。
追跡術に精通している人間ならその痕跡を辿って、一日もすれば標的に迫ることが可能だ。
今回の調査隊の目標である槌猪も、冬に活動すること自体が稀ではあるが、痕跡を辿れば遅かれ早かれ遭遇できるはずだ。
調査隊は追跡術に長けた人員で構成されているはずなので、戦闘能力自体はあまり高くはないが、それでも情報を持ち帰るという重要な仕事を果たすため、生き残る能力は十分備えている。
今いる場所が森の中ということもあって、あらゆる方向からの奇襲を警戒するその様子は、彼らが調査に慣れている上で油断もしていないという、非常に優秀な調査隊としての姿を見せていた。
そんな中、周辺へ注意を払うことを怠らない彼らに見つからないよう、地面に伏せて雪と同化しながら遠くから見張るというコット達の選択は正解だ。
鍛錬の時に、パーラがコット達に仕込んだ斥候職としての技術は、潜むことにかけても役立っているようで、冬季迷彩のマントの助けもあって今のところ見つかっていない。
ただし、見張っているはずの自分達がさらに見張られているということに気付けないのは、少々思考の柔軟さに欠けていると言わざるを得ない。
まぁそのおかげで俺達は見つかっていないので、今はよしとしよう。
俺とパーラも冬季迷彩のマントに身を包み、スコープを使ってコット達を遠くに見ながら潜んでいる。
普通ならまず見つからない位置にいるので、このままの距離を保って監視を続け、いざとなったらパーラの狙撃銃が火を噴くだろう。
「……調査隊の人達、なんか見つけたみたいだね」
狙撃銃を構え、備え付けられているスコープを覗いたまま呟くパーラ。
言われて俺も予備のスコープを取り出して覗いてみるが、確かに調査隊が何やら動き回っているのは分かるものの、パーラの言う何かを見つけたという風には受け取れない。
同じものを見ているはずなのに、俺にはわからない何かがパーラの目は捉えているようだ。
なので、ここはパーラの分析を聞いておく。
「槌猪の痕跡か?」
「多分ね。地面よりも藪の方を探してるから、枝に毛がついてるのを見つけたっぽい。あ、移動するよ」
「…コットさん達も動いてるな。よし、俺達も行こう」
「了解。じゃ先行するよ」
調査隊とコット達が動いたのに合わせ、俺達も今潜んでいる場所を後にする。
俺達がここに潜んでいたという痕跡を手早く消し、コット達を見失わないように追跡を開始した。
この日の内に調査隊は槌猪の居場所を突き止めるまでには至らず、日が落ちるのと同時にテントを張って野営へと移っていた。
地面に窪んだ場所を見つけるとそこで火を熾し、暗闇の中でも遠くまで光が届かないように工夫している。
他に起きている魔物や動物はもちろん、まずいないと思われるが盗賊などにも見つからないための処置だろう。
流石、こういう場面での野営に慣れている。
一方のコット達も、調査隊から適度に離れて監視できる場所を見つけ、寝床を整えて交代で見張るつもりのようだ。
見つからないような備えも心得ているようで、調査隊同様に焚火の火が目立たないようにもしている。
俺達は調査隊とコット達のどちらも見下ろせる十分な高さの木を見つけ、なるべく上の方に生える枝の中で丈夫そうなのを見繕い、複数の枝に跨るように布を張ってハンモック状にテントを張り、そこに身を潜らせている。
木の上なので焚火は無理なので、パーラと身を寄せ合って暖を取る。
とは言っても、なにも人肌のみで温め合っているわけではない。
特注で作った湯たんぽに入っている水を雷魔術で沸かし、二つあるそれを俺とパーラがそれぞれ腹に抱えると、冬用のマントと毛布で体を包んだ瞬間からもう天国だ。
「はぁ~…暖かいね、これ。このまま寝ちゃいそ」
夜になってから寒さを増した空気に先程まで身を震わせていたとは思えないほど、パーラが蕩けた顔でそんなことを言い出す。
気持ちはわかるが、夕食を摂らないまま眠るつもりだろうか?
「夕食がいらないならそのまま眠っても構わんが?」
「いらないわけないじゃない。食べるに決まってるでしょ」
力の抜けていたような声から一転して低く抑えたような声に変わる辺り、パーラもしっかり空腹感は覚えていたようだ。
木の上ということもあって火は使えないが、お湯だけは雷魔術で沸かせるので、出発前に作っておいた味噌玉とお手製フリーズドライの野菜をカップに入れ、そこにお湯を注いでできる簡単スープを二人分作った。
それに冒険者御用達のビスケットタイプの保存食を添えて、今夜の食事の完成だ。
「スープがあるのはありがたいね。この保存食だけでお腹を膨らませるのはちょっと辛いし」
「だな。まぁ栄養的な面では正直不満はあるが、こんな食事も今だけだから我慢してくれよ」
「お腹が減って眠れないよりはずっとましだよ」
ボソボソとしたビスケットは口の中の水分を容赦なく奪っていくが、インスタント味噌スープで流し込むようにして胃に収めてから眠りについた。
一応何かあった時のために狙撃銃はいつでも撃てる状態でスタンバイしておくのは忘れない。
本当は交代で起きていようかとも思ったが、この季節は野営中に何かに襲われる可能性は少ないので、明日のために体を休めることを優先させてもらった。
一夜明け、移動を開始した調査隊に合わせて俺達も動き出す。
昨日の時点である程度目星をつけていたのか、前日とは打って変わってドンドンと歩みを進める調査隊に、俺達も見つからないように着いていくのに苦労した。
しかしその甲斐あって、槌猪をとうとう発見することができた。
この場にあるあらゆる目が注がれる先、そこには木の幹に噛り付いて樹皮を一心不乱に食らっている槌猪の姿があった。
雑食性の猪でも、食料の少ない冬場にはああして樹皮を食べて上をしのぐしかないのだろう。
遠目に見える体の大きさは普通の猪よりも少し大きいぐらいか。
やはりまず目につくその大きく発達した額から、槌猪という名に違わない異形がうかがえた。
この槌猪がなぜ冬のこの時期に活動をしているのかを調べるのが調査隊の仕事だが、槌猪の全容を見た俺にはなんとなくその原因が推測できた。
まず、体のいたるところに走っている細かい傷はどれもそう古いものではなく、いくつか小さな木の枝らしきものが突き刺さったままなのも確認した。
恐らくだが、この槌猪が寝床にしていた木の洞が雪か何かの重みで崩れ、そこで寝ていた槌猪が怪我を負いながら抜け出して今に至ると言ったところか。
日本でも冬眠中の熊などが同じケースで冬に活動を始めたという事例があったらしいので、この世界でも同様のことが起きたとしても不思議ではない。
調査隊も俺と同じ結論に至ったのか、周辺を軽く調べると早々に立ち去っていく。
彼らの仕事は槌猪の討伐ではなく、次に送られてくるであろう討伐隊のための情報を持ち帰ることだ。
用が済んだ以上、長居はしない。
ところで調査隊が引き返す際、コット達や俺達と鉢合わないかと思われるだろうが、実はそうはならない。
追跡術を心得ている人間は、帰る際には同じ道を辿らず、来た道から少しずらしたルートを通る。
来た道を戻ることで迷わないという利点を捨ててまで、自分達の痕跡を追う魔物なんかとばったり遭遇することを防いでいるそうだ。
生きて無事に情報を持ち帰ることを最上としているが故に、そんなやり方が自然と身に付くとのこと。
おかげで俺達が尾行していたのがバレることはないのを有難く思える。
調査隊が藪に溶け込むようにしてその場を離れると、残ったコット達がしばらく経ってから先程まで調査隊が潜んでいた場所へと進む。
多少槌猪と接近したことで、何か思う所があったのか、三人揃って動きを止めて槌猪の方を向いている。
俺達からは三人の背中しか見えないが、きっと何か作戦を話し合っていることだろう。
「コットさん達、動かないね。なんか攻め方でも相談してるのかな」
「多分そうだろうな。見たところ、あの槌猪はあんまり餌にありつけてないみたいだから気が立ってるって感じだ」
因縁の相手を前にしても委縮していないのはいい傾向だが、あまり悠長に構えていてもよくない。
視線の先で動きがない状態に暇を持て余している俺達はそんなことを話しながらも、パーラはスコープ越しに狙撃銃で槌猪を狙っているし、俺もコット達の挙動を見守ることを忘れない。
「仕掛けるとしたらどんな作戦で行くと思う?」
「まぁ堅実な手を取るなら、ドネンさんが槌猪の突進をいなした隙を他の二人が突いて仕留めるとか、安全を考えるなら弓で注意を引いて周りに仕掛けた罠にかけるとかだな」
「罠は無理でしょ。周りは雪だらけだし、見たところ道具も足りてないみたい」
コット達が準備した荷物は俺もザッと見たが、大掛かりな罠を作れそうな道具はなかった。
周りから罠の素材を集めようにも、この季節は雪のせいで蔓草も木の枝も見つけにくいため、大したものは作れそうにない。
猪と言うのは警戒心が強い生き物で、あからさまに分かりやすい罠は普通に看破して避ける知能もある。
魔物とはいえ槌猪も猪である以上、雑な罠は意味がない。
となればコット達が取る手は―
「動いた!やっぱりドネンさんを先頭にした一列での突撃を選んだね」
そうパーラが声を上げるに及ばず、俺もスコープ越しの目にコット達が槌猪めがけて突っ込んでいくのが映っている。
「考えなし…ってわけじゃあないか。ほれ、シアさんが距離を取って左手側にズレた。ありゃあ槌猪の横腹に矢を射る気だな」
「そだねぇ。槌猪は正面からだと矢は弾かれても、横からならいけるって話だし」
大盾を構えたドネンが槌猪の注意を引いて、その陰からコットが槍で突くというセオリー通りの戦い方を選択したようだが、正直槌猪の突進力がどんなものか知らない俺にはそれが吉か凶かを判断できない。
槌猪も迫るドネンに気付いて戦闘態勢へと移行し、すぐさま自慢の額での突進を盾めがけて繰り出してきた。
並の冒険者程度であればその突進の一撃で大怪我を負うとさえ言われているが、果たしてドネンは受け止めきれるのかという不安はある。
だがそれも杞憂に終わった。
俺達との鍛錬の賜で、盾をただ構えて受け止めるのではなく、角度を付けることで攻撃をいなす技術を身に着けたドネンにとって、ただ直進でしか襲ってこない槌猪はさほど脅威ではないようだ。
突進してくる槌猪がその額を盾にぶつける瞬間、ドネンは盾を僅かに押し出すのと同時に自分の体を盾の右内側へと肩ごとぶつけると、轟音と共に槌猪の体はドネン達の左手側へと進路が変えられていた。
目の前を通り過ぎようとしている槌猪の脇腹にすかさず槍を突きたてるコット。
額以外は普通の猪と変わらない肉体に槍の穂先はスムーズに埋まり、槌猪が絶叫を上げてその身をくねらせた。
かなり離れている俺達の耳にも甲高い鳴き声が聞こえてくるほど、槌猪の負った傷は耐え難い苦痛を齎していると見える。
だがまだ倒れる様子のない槌猪に警戒を解かないコット達は、すぐに距離を取るべくその場から大きく後ろへと飛び退る。
その際、ダメ押しとばかりに飛来したシアの矢が槌猪の背中に突き刺さり、暴れる体から飛び散った血が白い雪を赤く汚していく。
普通ならあれだけの傷と出血になると動きが鈍るものだが、痛みに暴れまわる槌猪の姿はまだまだ元気いっぱいだ。
猪と言うのはとにかく生命力の強い生き物だ。
多少の怪我をものともしないそのタフネスさは、一説では熊よりも勝っているとかいないとか。
そんな猪の魔物ともなれば、今見えるように血を撒き散らしながらも動きが激しいままなのも頷ける。
だがコット達もそれは予想していたのだろう。
槍を失ったコットは予備のショートソードに獲物を持ち替え、シアの弓による援護射撃を受けながらドネンと共に再び槌猪に攻撃を加える。
まだまだ倒れない槌猪に対し、再び攻めかかるコット達だったが、槌猪の方も自分を害した相手のことを忘れておらず、すぐに近付いてくる敵に対して再び突進を仕掛ける。
今度はドネンも盾で受けることはせず、突進をギリギリで躱しながらすれ違いざまに剣で切りつけ、それに続いてコットもまた躱しながらの斬撃を叩きこむという、さながら闘牛士のような戦い方をしていた。
時折飛んでくるシアの矢も槌猪の体に傷を作り続けるのに一役買っている。
躱し、いなし、攻めた後にすぐ離れるという、ほぼ一方的な戦いが繰り広げられているが、これは最初から槌猪が幾分か弱っていたからこその展開だった。
これが怪我を負っていない万全の状態の槌猪であれば、消耗戦の中で先に倒れたのはコット達だったに違いない。
このチクチクとダメージを与える戦法は果たして誰が考えたのか、勇猛果敢とは程遠い姿ではあるが、堅実で安全を確保したこの作戦には感心してしまうほど、今のコット達は危なげない戦いを見せていた。
三人がかりで槌猪の体力を削り続けてどれくらい経っただろうか。
終わりは唐突に訪れる。
失血で最早足の震えが痙攣の域に達した槌猪は完全に動きを止め、荒い息を吐くだけだったところにシアの放った矢が首元に刺さると、低く長い唸り声をあげて地面に倒れていった。
僅かに体を震わせるのみで立ち上がる気配のない槌猪を遠巻きに見るコット達だったが、ドネンがゆっくりと槌猪に近付き、その体に剣で止めを刺す。
一度大きく跳ねた後、槌猪が完全に動きを止めたのを見届け、コット達はその場に崩れるようにして膝を突く。
どうやら長く地道な戦いで気力と体力の限界を迎えたようで、項垂れるようにして立ち上がる気配はないが、それでも表情には晴れ晴れとしたものがある。
「…どうやら倒したみたいだね」
「ああ。念願の槌猪打倒を果たしたってわけだ。見ろよ、コットさん達の顔。笑ってるだろ」
「ほんとだ。動けないぐらいに疲れてても、嬉しいのは顔に出るもんだね」
何を話しているのかはここまで聞こえはしないが、それでも満ち足りた顔で会話を交わしているコット達を見ると、今は成すべきことを成したという達成感を味わっているのかもしれない。
これでトラウマを克服できたかは分からないが、あの様子を見た限りでは悪い影響が残っているとは思えないので、きっと大丈夫だろう。
「アンディどうする?コットさん達のとこに行く?」
「…いや、やめとこう。今だってコッソリ着いてきてたんだし、ここで俺達が姿を現せばコットさん達の覚悟を軽んじてたってことになる。このまま帰ろう」
「まぁそれもそうだね」
内緒で尾けてきたのだから帰りも内緒のままがいだろうということで、コット達にバレないよう静かにその場を去る。
去り際、一度だけ後ろを振り返り、肩を寄せて称え合っているコット達の姿を見る。
今は槌猪を倒した感傷に浸るといい。
だが光あるところに闇もまたあり。
たとえ一頭倒したところで、いずれ第二第三の槌猪が―
「なにしてんのアンディ。早く行くよ」
「あ、はい」
ちょっと伏線的なことを考えていたらパーラに急かされてしまった。
まぁ色々と思う所はあるが、コット達が本来の目的を果たせたことで、イムルからの頼まれごとは真に果たしたと言っていいだろう。
喜び合う彼らの前に俺が出張るのは無粋だ。
アンディはクールに去るぜ…。
「そう言えばさ、槌猪って食べたらおいしいの?コットさん達、倒したのを持って帰ってきたらちょっと分けてくれたりしないかなぁ」
クールに去りたかったのだが、パーラの呟いたその言葉に、俺もつい意識がそちらへ向いてしまう。
そう言えば味の方はどうなのだろうか?
見た目で言えば、槌猪はかなり筋肉質だったし、体も大きい。
猪系の肉ならそうそうまずいわけもないので、つい味も期待してしまうのも仕方ない。
出来れば持ち帰った槌猪の肉を少し分けてもらえたらと思うが、それもコット達次第だ。
正直、あれほどの大きさにもなればまるごと運搬するのも面倒だし、普通なら換金率の高い部位だけを選んで持ち帰ろうとするはずだ。
ただし、今のこの時期であれば肉の痛みもないし、他の動物に襲われる心配もないため、丸ごと持ち帰ろうとする可能性はある。
おまけに下は雪なので、周りの木で橇を作れれば馬で引き摺って行くこともできる。
何せ今のコット達は怪我の治療費の払いと先日突発的に発生した模擬戦用の武器の弁償にと金が要る。
討伐依頼を受けたわけではないので槌猪を倒しただけでは金にもならず、その死体を少しでも多く金変えたいと思うはずだ。
なので、恐らく槌猪の死体は丸ごとヘスニルに運ばれると思うので、俺達の口に入る機会もゼロではない。
ちょっとした楽しみが出来たことで、微かに軽くなった足取りで歩き続け、コット達から十分離れたところで荷物の中からある物を取り出す。
体に取り付けるハーネスと二対の筒状機構、つまり噴射装置だ。
体にハーネスを纏い、左右の腰に噴射装置の本体を取りつけると、俺とパーラは互いに相手の体に正しく固定されているかを押したり引っ張ったりして確認する。
おっと、あんまりそこは引っ張らないで欲しい。
女にはわからないだろうが、男には締め付けに注意する場所が一か所あるのだよ。
一応俺とパーラは噴射装置が体から喪失しても無傷で着陸できる技術を持っているが、こういう安全確認は命を守るためには欠かしてはならないと、噴射装置の使用前には必ずチェックを義務付けていた。
お互いに目を合わせて頷くことで問題なしと判断し、噴射装置を起動する。
吸気を十分にしてタンク一杯に圧縮空気を溜めたら、一気に噴き出して空中に躍り出る。
森の中から木々を超えた上空まで上がると、すぐにパーラも俺の後に続いたのを確認し、飛空艇を隠してある方角を目指して飛んでいく。
図らずも今回のコット達の行動に合わせて噴射装置も初の実戦での運用をしたわけだが、バイクが使えない森の中も、噴射装置があればこれほど楽になるのだから、これはいいものだ。
時々圧縮空気の枯渇で地面に降りるタイミングを除けば、動物や魔物に襲われることもないので、これはもしかしたら今後バイクよりも活躍の機会が増えるかもしれない。
そうなったら噴射装置による立体機動を戦闘に生かす戦術なんかも考えたい。
色々と考えることはあるが、指し当ってまずしたいことと言えば熱い風呂に入ることだな。
なにせ寒い森の中で野営したことで体の芯に冷えが残ったままだし、今も飛行中に浴びる風の冷たさに歯の根が合わない状態だ。
後ろについてきているパーラも同様だろう。
小回りの利く移動手段としては優秀だが、寒い季節や雨の時などの使用はちょっと考え物だ。
こういう点ではまだまだ飛空艇が優れていることを改めて知った瞬間だった。
白級と黒級の斥候職で編成された調査隊は、馬に曳かせた橇に乗って街道を颯爽と駆けていった。
そして調査隊にしばし遅れて、三頭の馬がひっそりとへスニルを発った。
三頭の馬に乗るのは当然ながらコット達で、調査隊から少し離れて見つからないように尾けていくために、白いマントを揃いで身に着けていた。
これは俺のアドバイスで用意させたもので、雪に覆われた場所では少し離れるだけで景色に溶け込んで発見しづらくなる冬季迷彩となっている。
馬に乗って移動しているとあまり意味はないが、馬から降りて調査隊を尾行するにはこれ以上無いほどに適切な装備だろう。
これからコット達は、数日かかる調査に参加する人間に見つからないよう尾行し、槌猪を発見したら調査隊が撤退するのを待って討伐に移行、強敵を打ち破って帰還するという、非常に過酷な時間を過ごすことになる。
普通に討伐依頼を受けるよりも遥かに面倒だが、そうしてでも槌猪打倒を成し遂げようという気概がコット達にはあった。
遠ざかるコット達の背中を見送り、俺は飛空艇へと戻った。
中へ入ると、食料や防寒具などの荷物をまとめているパーラと目が合った。
俺達はコット達の頼みで槌猪の討伐に手を貸すことはしない。
だがパーラが揃えている荷物は、寒冷地での長時間活動を想定したものだ。
「パーラ、準備はできてるか?」
「完璧。食料と防寒具はもちろん、炭と薪もたっぷり用意したよ」
「よし、じゃあ出発だ。コットさん達はもう出たから、俺達は飛空艇で上空から追うぞ」
「了解。…それにしても、アンディも人が悪いね。討伐には手は貸さないけど、コッソリ付いていって見守ろうなんてさ」
お気付きだろうか?
そう、俺達はコット達に内緒でその後をつけ、密かに見守ろうとしているのだ。
確かに俺はコット達が槌猪と戦うのに手を貸さないと約束したが、着いていかないとは言っていない。
まぁ着いていこうとすれば断られるだろうから、こういう方法を取るのだ。
調査隊を尾行するコット達を尾行する、と言うわけだ。
俺とパーラは遠くから見守り、万が一の時には狙撃で命だけは守る。
コット達の意志は理解しているが、それでもやはり死なせたくないという思いがあるのは師匠としての親心だろう。
「何言ってんだよ。パーラこそ、俺が言いださなきゃ一人でコットさん達を追いかけるつもりだったんだろ?」
「あら、バレてた?だってさぁ、やっぱり心配じゃん」
少し前、パーラは隠れてコット達を追いかけるつもりで準備をしていて、尾行するコット達を尾行する計画を伝えなければ、今頃単独で追いかけていたはずだ。
目の前に置かれた荷物も、元々はパーラ一人分だったのだが、そこに俺の分を追加して、それなりの量となっている。
食料と燃料はもちろんのこと、防寒具とテントには冬季迷彩を施したものも揃えており、調査隊とコット達に見つからないよう追跡する準備は整った。
飛空艇を離陸させ、高度を十分にとってコット達を追いかける。
街道を辿っていくとすぐに雪煙を見つけた。
先行するように走る馬車の姿もあることから、雪煙の元はコット達で間違いない。
後はこのまま調査隊の乗る馬車が停まる場所を見極めたら、適当な場所に飛空艇を隠す。
調査隊の面子は知らないが、鍛錬でのパーラの仕込みで斥候職としての適性が高いのはシアとコットなので、その二人に気を付けて追跡しよう。
冬場にイレギュラー的な目撃をされる魔物と言うのは、痕跡を追いやすいと言われている。
追跡術に精通している人間ならその痕跡を辿って、一日もすれば標的に迫ることが可能だ。
今回の調査隊の目標である槌猪も、冬に活動すること自体が稀ではあるが、痕跡を辿れば遅かれ早かれ遭遇できるはずだ。
調査隊は追跡術に長けた人員で構成されているはずなので、戦闘能力自体はあまり高くはないが、それでも情報を持ち帰るという重要な仕事を果たすため、生き残る能力は十分備えている。
今いる場所が森の中ということもあって、あらゆる方向からの奇襲を警戒するその様子は、彼らが調査に慣れている上で油断もしていないという、非常に優秀な調査隊としての姿を見せていた。
そんな中、周辺へ注意を払うことを怠らない彼らに見つからないよう、地面に伏せて雪と同化しながら遠くから見張るというコット達の選択は正解だ。
鍛錬の時に、パーラがコット達に仕込んだ斥候職としての技術は、潜むことにかけても役立っているようで、冬季迷彩のマントの助けもあって今のところ見つかっていない。
ただし、見張っているはずの自分達がさらに見張られているということに気付けないのは、少々思考の柔軟さに欠けていると言わざるを得ない。
まぁそのおかげで俺達は見つかっていないので、今はよしとしよう。
俺とパーラも冬季迷彩のマントに身を包み、スコープを使ってコット達を遠くに見ながら潜んでいる。
普通ならまず見つからない位置にいるので、このままの距離を保って監視を続け、いざとなったらパーラの狙撃銃が火を噴くだろう。
「……調査隊の人達、なんか見つけたみたいだね」
狙撃銃を構え、備え付けられているスコープを覗いたまま呟くパーラ。
言われて俺も予備のスコープを取り出して覗いてみるが、確かに調査隊が何やら動き回っているのは分かるものの、パーラの言う何かを見つけたという風には受け取れない。
同じものを見ているはずなのに、俺にはわからない何かがパーラの目は捉えているようだ。
なので、ここはパーラの分析を聞いておく。
「槌猪の痕跡か?」
「多分ね。地面よりも藪の方を探してるから、枝に毛がついてるのを見つけたっぽい。あ、移動するよ」
「…コットさん達も動いてるな。よし、俺達も行こう」
「了解。じゃ先行するよ」
調査隊とコット達が動いたのに合わせ、俺達も今潜んでいる場所を後にする。
俺達がここに潜んでいたという痕跡を手早く消し、コット達を見失わないように追跡を開始した。
この日の内に調査隊は槌猪の居場所を突き止めるまでには至らず、日が落ちるのと同時にテントを張って野営へと移っていた。
地面に窪んだ場所を見つけるとそこで火を熾し、暗闇の中でも遠くまで光が届かないように工夫している。
他に起きている魔物や動物はもちろん、まずいないと思われるが盗賊などにも見つからないための処置だろう。
流石、こういう場面での野営に慣れている。
一方のコット達も、調査隊から適度に離れて監視できる場所を見つけ、寝床を整えて交代で見張るつもりのようだ。
見つからないような備えも心得ているようで、調査隊同様に焚火の火が目立たないようにもしている。
俺達は調査隊とコット達のどちらも見下ろせる十分な高さの木を見つけ、なるべく上の方に生える枝の中で丈夫そうなのを見繕い、複数の枝に跨るように布を張ってハンモック状にテントを張り、そこに身を潜らせている。
木の上なので焚火は無理なので、パーラと身を寄せ合って暖を取る。
とは言っても、なにも人肌のみで温め合っているわけではない。
特注で作った湯たんぽに入っている水を雷魔術で沸かし、二つあるそれを俺とパーラがそれぞれ腹に抱えると、冬用のマントと毛布で体を包んだ瞬間からもう天国だ。
「はぁ~…暖かいね、これ。このまま寝ちゃいそ」
夜になってから寒さを増した空気に先程まで身を震わせていたとは思えないほど、パーラが蕩けた顔でそんなことを言い出す。
気持ちはわかるが、夕食を摂らないまま眠るつもりだろうか?
「夕食がいらないならそのまま眠っても構わんが?」
「いらないわけないじゃない。食べるに決まってるでしょ」
力の抜けていたような声から一転して低く抑えたような声に変わる辺り、パーラもしっかり空腹感は覚えていたようだ。
木の上ということもあって火は使えないが、お湯だけは雷魔術で沸かせるので、出発前に作っておいた味噌玉とお手製フリーズドライの野菜をカップに入れ、そこにお湯を注いでできる簡単スープを二人分作った。
それに冒険者御用達のビスケットタイプの保存食を添えて、今夜の食事の完成だ。
「スープがあるのはありがたいね。この保存食だけでお腹を膨らませるのはちょっと辛いし」
「だな。まぁ栄養的な面では正直不満はあるが、こんな食事も今だけだから我慢してくれよ」
「お腹が減って眠れないよりはずっとましだよ」
ボソボソとしたビスケットは口の中の水分を容赦なく奪っていくが、インスタント味噌スープで流し込むようにして胃に収めてから眠りについた。
一応何かあった時のために狙撃銃はいつでも撃てる状態でスタンバイしておくのは忘れない。
本当は交代で起きていようかとも思ったが、この季節は野営中に何かに襲われる可能性は少ないので、明日のために体を休めることを優先させてもらった。
一夜明け、移動を開始した調査隊に合わせて俺達も動き出す。
昨日の時点である程度目星をつけていたのか、前日とは打って変わってドンドンと歩みを進める調査隊に、俺達も見つからないように着いていくのに苦労した。
しかしその甲斐あって、槌猪をとうとう発見することができた。
この場にあるあらゆる目が注がれる先、そこには木の幹に噛り付いて樹皮を一心不乱に食らっている槌猪の姿があった。
雑食性の猪でも、食料の少ない冬場にはああして樹皮を食べて上をしのぐしかないのだろう。
遠目に見える体の大きさは普通の猪よりも少し大きいぐらいか。
やはりまず目につくその大きく発達した額から、槌猪という名に違わない異形がうかがえた。
この槌猪がなぜ冬のこの時期に活動をしているのかを調べるのが調査隊の仕事だが、槌猪の全容を見た俺にはなんとなくその原因が推測できた。
まず、体のいたるところに走っている細かい傷はどれもそう古いものではなく、いくつか小さな木の枝らしきものが突き刺さったままなのも確認した。
恐らくだが、この槌猪が寝床にしていた木の洞が雪か何かの重みで崩れ、そこで寝ていた槌猪が怪我を負いながら抜け出して今に至ると言ったところか。
日本でも冬眠中の熊などが同じケースで冬に活動を始めたという事例があったらしいので、この世界でも同様のことが起きたとしても不思議ではない。
調査隊も俺と同じ結論に至ったのか、周辺を軽く調べると早々に立ち去っていく。
彼らの仕事は槌猪の討伐ではなく、次に送られてくるであろう討伐隊のための情報を持ち帰ることだ。
用が済んだ以上、長居はしない。
ところで調査隊が引き返す際、コット達や俺達と鉢合わないかと思われるだろうが、実はそうはならない。
追跡術を心得ている人間は、帰る際には同じ道を辿らず、来た道から少しずらしたルートを通る。
来た道を戻ることで迷わないという利点を捨ててまで、自分達の痕跡を追う魔物なんかとばったり遭遇することを防いでいるそうだ。
生きて無事に情報を持ち帰ることを最上としているが故に、そんなやり方が自然と身に付くとのこと。
おかげで俺達が尾行していたのがバレることはないのを有難く思える。
調査隊が藪に溶け込むようにしてその場を離れると、残ったコット達がしばらく経ってから先程まで調査隊が潜んでいた場所へと進む。
多少槌猪と接近したことで、何か思う所があったのか、三人揃って動きを止めて槌猪の方を向いている。
俺達からは三人の背中しか見えないが、きっと何か作戦を話し合っていることだろう。
「コットさん達、動かないね。なんか攻め方でも相談してるのかな」
「多分そうだろうな。見たところ、あの槌猪はあんまり餌にありつけてないみたいだから気が立ってるって感じだ」
因縁の相手を前にしても委縮していないのはいい傾向だが、あまり悠長に構えていてもよくない。
視線の先で動きがない状態に暇を持て余している俺達はそんなことを話しながらも、パーラはスコープ越しに狙撃銃で槌猪を狙っているし、俺もコット達の挙動を見守ることを忘れない。
「仕掛けるとしたらどんな作戦で行くと思う?」
「まぁ堅実な手を取るなら、ドネンさんが槌猪の突進をいなした隙を他の二人が突いて仕留めるとか、安全を考えるなら弓で注意を引いて周りに仕掛けた罠にかけるとかだな」
「罠は無理でしょ。周りは雪だらけだし、見たところ道具も足りてないみたい」
コット達が準備した荷物は俺もザッと見たが、大掛かりな罠を作れそうな道具はなかった。
周りから罠の素材を集めようにも、この季節は雪のせいで蔓草も木の枝も見つけにくいため、大したものは作れそうにない。
猪と言うのは警戒心が強い生き物で、あからさまに分かりやすい罠は普通に看破して避ける知能もある。
魔物とはいえ槌猪も猪である以上、雑な罠は意味がない。
となればコット達が取る手は―
「動いた!やっぱりドネンさんを先頭にした一列での突撃を選んだね」
そうパーラが声を上げるに及ばず、俺もスコープ越しの目にコット達が槌猪めがけて突っ込んでいくのが映っている。
「考えなし…ってわけじゃあないか。ほれ、シアさんが距離を取って左手側にズレた。ありゃあ槌猪の横腹に矢を射る気だな」
「そだねぇ。槌猪は正面からだと矢は弾かれても、横からならいけるって話だし」
大盾を構えたドネンが槌猪の注意を引いて、その陰からコットが槍で突くというセオリー通りの戦い方を選択したようだが、正直槌猪の突進力がどんなものか知らない俺にはそれが吉か凶かを判断できない。
槌猪も迫るドネンに気付いて戦闘態勢へと移行し、すぐさま自慢の額での突進を盾めがけて繰り出してきた。
並の冒険者程度であればその突進の一撃で大怪我を負うとさえ言われているが、果たしてドネンは受け止めきれるのかという不安はある。
だがそれも杞憂に終わった。
俺達との鍛錬の賜で、盾をただ構えて受け止めるのではなく、角度を付けることで攻撃をいなす技術を身に着けたドネンにとって、ただ直進でしか襲ってこない槌猪はさほど脅威ではないようだ。
突進してくる槌猪がその額を盾にぶつける瞬間、ドネンは盾を僅かに押し出すのと同時に自分の体を盾の右内側へと肩ごとぶつけると、轟音と共に槌猪の体はドネン達の左手側へと進路が変えられていた。
目の前を通り過ぎようとしている槌猪の脇腹にすかさず槍を突きたてるコット。
額以外は普通の猪と変わらない肉体に槍の穂先はスムーズに埋まり、槌猪が絶叫を上げてその身をくねらせた。
かなり離れている俺達の耳にも甲高い鳴き声が聞こえてくるほど、槌猪の負った傷は耐え難い苦痛を齎していると見える。
だがまだ倒れる様子のない槌猪に警戒を解かないコット達は、すぐに距離を取るべくその場から大きく後ろへと飛び退る。
その際、ダメ押しとばかりに飛来したシアの矢が槌猪の背中に突き刺さり、暴れる体から飛び散った血が白い雪を赤く汚していく。
普通ならあれだけの傷と出血になると動きが鈍るものだが、痛みに暴れまわる槌猪の姿はまだまだ元気いっぱいだ。
猪と言うのはとにかく生命力の強い生き物だ。
多少の怪我をものともしないそのタフネスさは、一説では熊よりも勝っているとかいないとか。
そんな猪の魔物ともなれば、今見えるように血を撒き散らしながらも動きが激しいままなのも頷ける。
だがコット達もそれは予想していたのだろう。
槍を失ったコットは予備のショートソードに獲物を持ち替え、シアの弓による援護射撃を受けながらドネンと共に再び槌猪に攻撃を加える。
まだまだ倒れない槌猪に対し、再び攻めかかるコット達だったが、槌猪の方も自分を害した相手のことを忘れておらず、すぐに近付いてくる敵に対して再び突進を仕掛ける。
今度はドネンも盾で受けることはせず、突進をギリギリで躱しながらすれ違いざまに剣で切りつけ、それに続いてコットもまた躱しながらの斬撃を叩きこむという、さながら闘牛士のような戦い方をしていた。
時折飛んでくるシアの矢も槌猪の体に傷を作り続けるのに一役買っている。
躱し、いなし、攻めた後にすぐ離れるという、ほぼ一方的な戦いが繰り広げられているが、これは最初から槌猪が幾分か弱っていたからこその展開だった。
これが怪我を負っていない万全の状態の槌猪であれば、消耗戦の中で先に倒れたのはコット達だったに違いない。
このチクチクとダメージを与える戦法は果たして誰が考えたのか、勇猛果敢とは程遠い姿ではあるが、堅実で安全を確保したこの作戦には感心してしまうほど、今のコット達は危なげない戦いを見せていた。
三人がかりで槌猪の体力を削り続けてどれくらい経っただろうか。
終わりは唐突に訪れる。
失血で最早足の震えが痙攣の域に達した槌猪は完全に動きを止め、荒い息を吐くだけだったところにシアの放った矢が首元に刺さると、低く長い唸り声をあげて地面に倒れていった。
僅かに体を震わせるのみで立ち上がる気配のない槌猪を遠巻きに見るコット達だったが、ドネンがゆっくりと槌猪に近付き、その体に剣で止めを刺す。
一度大きく跳ねた後、槌猪が完全に動きを止めたのを見届け、コット達はその場に崩れるようにして膝を突く。
どうやら長く地道な戦いで気力と体力の限界を迎えたようで、項垂れるようにして立ち上がる気配はないが、それでも表情には晴れ晴れとしたものがある。
「…どうやら倒したみたいだね」
「ああ。念願の槌猪打倒を果たしたってわけだ。見ろよ、コットさん達の顔。笑ってるだろ」
「ほんとだ。動けないぐらいに疲れてても、嬉しいのは顔に出るもんだね」
何を話しているのかはここまで聞こえはしないが、それでも満ち足りた顔で会話を交わしているコット達を見ると、今は成すべきことを成したという達成感を味わっているのかもしれない。
これでトラウマを克服できたかは分からないが、あの様子を見た限りでは悪い影響が残っているとは思えないので、きっと大丈夫だろう。
「アンディどうする?コットさん達のとこに行く?」
「…いや、やめとこう。今だってコッソリ着いてきてたんだし、ここで俺達が姿を現せばコットさん達の覚悟を軽んじてたってことになる。このまま帰ろう」
「まぁそれもそうだね」
内緒で尾けてきたのだから帰りも内緒のままがいだろうということで、コット達にバレないよう静かにその場を去る。
去り際、一度だけ後ろを振り返り、肩を寄せて称え合っているコット達の姿を見る。
今は槌猪を倒した感傷に浸るといい。
だが光あるところに闇もまたあり。
たとえ一頭倒したところで、いずれ第二第三の槌猪が―
「なにしてんのアンディ。早く行くよ」
「あ、はい」
ちょっと伏線的なことを考えていたらパーラに急かされてしまった。
まぁ色々と思う所はあるが、コット達が本来の目的を果たせたことで、イムルからの頼まれごとは真に果たしたと言っていいだろう。
喜び合う彼らの前に俺が出張るのは無粋だ。
アンディはクールに去るぜ…。
「そう言えばさ、槌猪って食べたらおいしいの?コットさん達、倒したのを持って帰ってきたらちょっと分けてくれたりしないかなぁ」
クールに去りたかったのだが、パーラの呟いたその言葉に、俺もつい意識がそちらへ向いてしまう。
そう言えば味の方はどうなのだろうか?
見た目で言えば、槌猪はかなり筋肉質だったし、体も大きい。
猪系の肉ならそうそうまずいわけもないので、つい味も期待してしまうのも仕方ない。
出来れば持ち帰った槌猪の肉を少し分けてもらえたらと思うが、それもコット達次第だ。
正直、あれほどの大きさにもなればまるごと運搬するのも面倒だし、普通なら換金率の高い部位だけを選んで持ち帰ろうとするはずだ。
ただし、今のこの時期であれば肉の痛みもないし、他の動物に襲われる心配もないため、丸ごと持ち帰ろうとする可能性はある。
おまけに下は雪なので、周りの木で橇を作れれば馬で引き摺って行くこともできる。
何せ今のコット達は怪我の治療費の払いと先日突発的に発生した模擬戦用の武器の弁償にと金が要る。
討伐依頼を受けたわけではないので槌猪を倒しただけでは金にもならず、その死体を少しでも多く金変えたいと思うはずだ。
なので、恐らく槌猪の死体は丸ごとヘスニルに運ばれると思うので、俺達の口に入る機会もゼロではない。
ちょっとした楽しみが出来たことで、微かに軽くなった足取りで歩き続け、コット達から十分離れたところで荷物の中からある物を取り出す。
体に取り付けるハーネスと二対の筒状機構、つまり噴射装置だ。
体にハーネスを纏い、左右の腰に噴射装置の本体を取りつけると、俺とパーラは互いに相手の体に正しく固定されているかを押したり引っ張ったりして確認する。
おっと、あんまりそこは引っ張らないで欲しい。
女にはわからないだろうが、男には締め付けに注意する場所が一か所あるのだよ。
一応俺とパーラは噴射装置が体から喪失しても無傷で着陸できる技術を持っているが、こういう安全確認は命を守るためには欠かしてはならないと、噴射装置の使用前には必ずチェックを義務付けていた。
お互いに目を合わせて頷くことで問題なしと判断し、噴射装置を起動する。
吸気を十分にしてタンク一杯に圧縮空気を溜めたら、一気に噴き出して空中に躍り出る。
森の中から木々を超えた上空まで上がると、すぐにパーラも俺の後に続いたのを確認し、飛空艇を隠してある方角を目指して飛んでいく。
図らずも今回のコット達の行動に合わせて噴射装置も初の実戦での運用をしたわけだが、バイクが使えない森の中も、噴射装置があればこれほど楽になるのだから、これはいいものだ。
時々圧縮空気の枯渇で地面に降りるタイミングを除けば、動物や魔物に襲われることもないので、これはもしかしたら今後バイクよりも活躍の機会が増えるかもしれない。
そうなったら噴射装置による立体機動を戦闘に生かす戦術なんかも考えたい。
色々と考えることはあるが、指し当ってまずしたいことと言えば熱い風呂に入ることだな。
なにせ寒い森の中で野営したことで体の芯に冷えが残ったままだし、今も飛行中に浴びる風の冷たさに歯の根が合わない状態だ。
後ろについてきているパーラも同様だろう。
小回りの利く移動手段としては優秀だが、寒い季節や雨の時などの使用はちょっと考え物だ。
こういう点ではまだまだ飛空艇が優れていることを改めて知った瞬間だった。
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