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暇を持て余した人間の歩み
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無窮の座にはいくつかの領域がある。
ここで言う領域とは、力のある存在が長い時間をかけて作り上げた自分だけの空間を指す。
それぞれに時間と空間の法則は異なり、行き来するには隔絶した空間を飛び越える手間はあるが、無数に枝分かれする領域は数えきれないほどの数が存在し、バラエティに富んだ世界を形成しているらしい。
この無窮の座にいる者は例外なく睡眠や空腹からは解放されるが、それらを娯楽として楽しむことは可能であり、乗れる雲で揺蕩いながら惰眠をむさぼる領域や、美食を供する領域なんかも存在する。
ただ、美食を供するとはいっても実態は下界から持ち込まれた食材や出来合いの料理を管理保管するのみで、料理人に該当する者はおらず、行ったら確実に美味いものを食えるとは限らない。
料理を多少齧った者がそこを訪れ、気まぐれに料理の一つでも作ればご相伴にあずかれるという程度だそうだ。
俺達が宴会をした曙光の宮がある領域は、神々や精霊が集まって交流する場所としてよく使われるそうで、まず誰に会いに行くかで訪れるため、自然と各領域へ飛ぶハブステーションのような扱いとなっている。
基本的に無窮の座にいる誰もが移動は制限されていないが、しかしそれは領域間を自由に飛び回れる力があるからだ。
異なる領域の間には普通では通過できないような次元の隔たりがあるそうで、俺やパーラのような、たまたまここへやってきた普人種程度では、その壁を超えることはできない。
ガルジャパタやベラオスといった上位存在であれば、俺達を連れて一緒に移動もできるが、彼らも常に傍にいるわけではないので、結果、俺とパーラが滞在するのは曙光の宮がある領域に限定されることとなる。
下界と同じように空と大地があり、朝と夜も俺の知る下界と同じように訪れるここの領域は、普段の環境に近いために意外と過ごしやすい。
俺達にあてがわれたのも、最低限の家具があるだけの質素な小屋といった場所だが、ここに来てからは睡眠欲を覚えることもなく、寒さや命の危険がないためこんなものでも十分だったりする。
一応、夜になれば形だけでも寝床に戻って横にはなるが、眠気がないので結局は他のことをして夜を明かすというパターンが多い。
宴会の日以降、俺達は他の神や精霊と何故か遭遇することがなく、住む場所だけは与えられて後は好きにしろと放り出されたようなもんだ。
そのため、俺もパーラもせっかく与えてもらったこの小屋をほとんど使うことなく、ここ何日かは領域内をあちこち散策しまくっていた。
ガルジャパタからは、自分の口からは教えることはしないが、下界に降りる方法を探すなら好きにしろと言われている。
そういうことなら勝手にさせてもらおうと、今日もまた、新しく足が向かう先にある街道を二人並んで歩いていく。
「…それにしても、どこに向かっても何の変哲もない草原ばっかりだね。たまに建物を見つけて覗いてみても誰もいないし。建物の中は手入れが行き届いてるんだから、誰かは住んでるんだろうけど」
あの宴会の後、パーラと話し合い、共に下界に帰るという方針が俺達の間で決まり、そのための手段を求めて今日まであちこちを歩き回ってきた。
借りている小屋を中心に半径十数キロを全て調べ尽くしても、今のところ何の収穫もないわけだが、それでもあきらめるにはまだ早いはず。
「まぁここの連中はどいつも暇を持て余してるらしいから、あちこちブラブラしてるんじゃねぇか?」
「そりゃそうだろうけどさ、今日まであっち行ったりこっち行ったり色々動いてんのに、誰とも出会わないってどうなの?」
「ここは何の面白みもない平原ばっかだからな。ここに飽きてる奴なら、他の領域にでも行くんだろ」
のんびりと歩きながらあたりへ視線を向ければ、多少の丘や木々は見られるが、それ以外は視界が遮られることのない平原がどこまでも続いている風景ばかりだ。
面白いことに、遠くに山影も見えず、大地と空が交わる地平線のみがある。
恐らく、このままあの向こうへと進んでいっても山も海もない、変わらぬ平原だけが続いていくか、あるいは見えない壁にでもぶちあたるかするのだろう。
一つの領域の正確な広さはわからないが、狭いものではないというのはガルジャパタの口ぶりからわかっていた。
であれば、やはり徒歩での移動というのはあまり効率がいいとは言えず、バイクは無理でもせめて噴射装置ぐらいは使いたいところだが、生憎手元にはない。
というのも、実は俺達がこっちに送られてきた際、ほとんどの装備も一緒についてきていたのだが、それらはこっちの連中に没収されてしまっていたのだ。
この没収されたという話だが、何も危険だからというわけではない。
神々の中にはドワーフやハーフリングといった物作りを得意とする種族の守護者がいるのだが、そういう連中はやはり見たことがない発明品には興味津々なようで、俺達の意識がないのをいいことに噴射装置を持って行ってしまったのだ。
なんでも今頃は自分たちの領域に引きこもり、構造を知るために噴射装置の分解がなされていると思われ、当分は俺達に返還されることはないという。
戻ってくるときにはガラクタになっていた、ということはないようにするとガルジャパタは約束してくれているが、はたしてどうなることやら。
普通ならさっさと返せと言うべきなんだろうが、ここにいるのはどいつも俺よりもずっと強い力を持った奴らばかりだ。
正直、面と向かって強く言うのは怖い。
言ったところで流石にいきなり殺されるということはないだろうが、それでも気分を害したらどうなるのかわからないので、とりあえず噴射装置は預けておこうと日和見主義を発動している。
「私ら以外ここにはいないってなると、誰かから下界に帰る方法を聞き出すって目的も果たせそうにないね。…そういえば、ここに来てどれぐらい経ってるんだろ?」
「一応時間の経過は下界とほとんど同じらしいが、腹も減らんし睡眠もとっていないしで正直、感覚は大分狂ってるかもな。十日とかそこいらか?」
「十日かぁ。あの後みんなどうしたのかな」
深いため息とともに天を仰ぐパーラに倣い、俺も視線が天へと向かう。
パーラの言葉が何を指してのものかというのを、恐らく俺も同じ想像が出来ている。
下界に帰ることと並行して今気になるとすれば、やはり巨人との戦いの結末についてだろう。
光の精霊によって無窮の座へ送り込まれた俺達は、直前まで戦っていたあの巨人がどうなったかの結末を知らない。
確かに倒したと思う。
巨人が動くための力であった光の精霊が解き放たれた以上、機能は停止したはず。
セイン達も危機は脱したとは思うが、やはりその後のことを知る者の口から直に聞きたいものだ。
ガルジャパタやベラオスに尋ねようにも、宴会の日以降会えていないので、未だ詳細な結末は不明なままとなる。
「精霊核晶は砕いたし、光の精霊も解放したんだ。巨人は倒したって思っていいかもな。後の始末は…セインさん達がどうにかするにしても、大変だろうな」
「後始末って、兵の撤収とか?」
「まぁそれもあるが、問題は巨人の体のほうだな。あれだけのでかさだ、活動を停止したってことはもうそこから動かせなくなる。あのあたりがアシャドルにとってどういう扱いの土地なのかはともかく、いつまでも野ざらしにはしておかないだろう」
「確かに、あれだけの大きさを人力で動かすにはちょっとね。ソーマルガ号とか飛空艇で持ち上げてどっかに運ぶとかは?」
「どうだろうな。ソーマルガ号の出力ならいけそうな気もするけど、多分無理だ」
「なんで?」
「巨人はあれでも古代文明の遺物だ。活動停止で危険が減ったとなれば、アシャドルとしてはあれを独占しようとするだろう。ソーマルガとの技術格差を埋めるべく、研究材料としてな。つまり、ソーマルガの人間には触らせたくないはずだ」
飛空艇の保有からもわかる通り、魔道具の技術でいえば今のところソーマルガの一強状態だ。
友好関係にあるとはいえ、アシャドルがそれを何とも思わないわけもなく、自分達の領土で倒れた巨人からこれ幸いとして未知の技術を吸い上げようとするはずだ。
実際、直前まで動いていた巨人の体は、古代の技術の結晶と言っても過言ではない。
丸々巨人関連の技術習得ができるかはともかく、アシャドルの技術力を底上げする要因にはなりそうではある。
「なるほど、そのまま持っていかれるのも怖くて、ソーマルガ号での運搬を許可しないだろうね」
「自国の問題だって言い張れば、ソーマルガも強くは出れないからな」
「兵と飛空艇で支援してもらっておいて?」
「国益が絡めば政治屋ってのは頭が悪くなるもんなんだよ」
普通なら技術的にも国力も上のソーマルガとは歩調を合わせるものだが、アシャドルは巨人出現の直後に情報を秘匿しようとした節がある。
俺が知る限りではティニタル達王子は愚鈍ではなさそうだったが、それ以外のアシャドル上層部がまともとは限らないので、巨人から取得できる技術や資源を自国で独占したいと動くのは十分にあり得る。
それに対してソーマルガがどう反応するかは見ものではあるが、生憎今いる場所から現場は遠すぎる。
なるべく早いところ下界に降りて、それらの顛末を知りたいものだ。
「…結構遠くまで来たな。ここらで休憩にするか」
「賛成~」
歩いている先に、丁度いい具合の椅子代わりにできそうな岩がいくつか転がっている場所を見つけたので、一息入れることにした。
岩に腰掛け、俺は肩から下げていた荷物を地面に降ろすと、そこからカップと鍋を取り出す。
いまからこれらを使ってお茶を入れるのだ。
俺達に与えられた小屋の中には、粗末ではあるが最低限の食器がそろっていたため、その中からいくつかを拝借して散策の供として持ち出していた。
ボロボロではあったが、小ぶりの鞄も見つけたのはパーラの手柄だ。
こんな場所でも普通に魔術は使えるもので、水魔術で周囲の大気や植物、土などから水分を鍋の中に集め、そこに乾燥させた葉っぱを手でちぎりながらいくつか放り込む。
幸いにしてこの領域には下界と同じ植物もそれなりにあり、小屋の周りに自生していた植物の中から、お茶代わりに使えそうなものを見つけて摘み、乾燥させて保存していたものがこの葉っぱだ。
今日までに何度か試飲しているが、匂いと苦みが少しきつい以外は十分にお茶の代替品として役立っている。
パーラが近くに落ちていた小枝を集めてきたので、そこに雷魔術で焚火を作り、鍋を火の上に持って行って位置をキープする。
鍋を支えるスタンドなどと言う気の利いたものまではないため、少しつらいがこうして沸くまで待つしかない。
この領域にある植物は下界と同じように成長と枯死をするようで、焚き木は簡単にそこいらで見つけられた。
無窮の座では、植物だけは下界と同じような存在として定着しているのだろうか。
空腹や睡眠が必要のない世界なのに、なぜそこだけはそうするのかはわからないが、結局俺の理解が及ぶところではないということもあって、俺は考えるのをやめた。
そうしているうちに湯が沸き、先に入れていた葉っばによってお茶に近い液体が完成した。
それを二つのコップに分けて淹れ、片方をパーラに渡してやる。
「ありがと。ズ…あつっ…うん、いつもの味だね」
パーラに遅れて俺もお茶を一口すする。
ここにいる俺達は空腹を感じないように喉の渇きも覚えないが、それはそれとしてお茶を楽しむことはできる。
喉が渇いたからというよりも、気分をリフレッシュさせるために飲んでいるといった感じだ。
うむ、相変わらずお茶とはだいぶ遠い位置にはいるが、大分青汁に寄った抹茶だと思い込めば飲めなくもない味だ。
「はぁ~…それにしても参るね。空腹も乾きもないのはいいんだけど、どこまで歩いても何もないってのは精神的に堪えるよ」
「だな。元の世界に戻るためにもとにかく前には進んでみるが、ここまで誰にも会わないってのは不安にもなる。ひょっとしたら、この領域にいるのは俺達だけで、今後も誰も訪れないかもしれないって考えたら…」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
脅すように少しだけ声のトーンを落として言った俺の言葉に、パーラの口元がひきつった。
からかうつもりで口にしたものだったが、今の状況では説得力が意外とあったようで、思ったよりもリアクションがいい。
「よければワイにも一杯くれにゃあか?」
ついニヤつく顔を隠すためにコップを大きく傾けた瞬間、全く警戒していなかった背後からそう声がかけられた。
「うぇっぶふぅっ!?」
「ぎゃあああ!目にっ…汚っ!」
俺達しかいなかったこの場に、突如現れた第三者の声に驚き、つい口に含んでいたお茶を目の前にいたパーラめがけて吹き出してしまう。
そこそこ熱い液体を目に受け、悶絶するパーラにむせる俺。
ちょっとした騒動が起きている中、先程の声の主が申し訳なさそうな声音で再び話しかけてきた。
「これはすまぬ、驚かせてしまったようで。何やら変わった香りのする…お茶?を飲んでいたので気になってな」
「げぇっ…ごほっ…いや、大丈夫だ。こっちが勝手にびっくりして騒いだだけだ。あんたは?」
「うむ、ワイはエスティアンという。ここの近くに居を構えておってな、久しぶりに戻ってきたところにお前さん方を見つけ、声をかけた次第だ」
意外とと言ったら失礼だが、丁寧な言い回しをする声の主に向き直り、その姿をじっくり観察する。
エスティアンと名乗った人物は、言葉が少し…いや大分方言交じりで癖がある。
その口調の割には、声の感じからかなり幼い少女といった印象を受けた。
背丈も立った時の俺より頭二つ分は小さいが、俺の目からは表情や体形といったものはあまりよく見えない。
なぜならこのエスティアン、ミノムシかと見紛うほどに小枝が全身を覆っている。
そういう服を着ているのか、もしくはミノムシを守護している神だったりするのだろうか?
小枝の蓑から飛び出している手足が人間のそれであるため、ひとまず人間の子供サイズの虫という線はなさそうだが。
「うぅぅ…アンディひどいよ。なんてものぶっかけるのさ…」
「あいや、すまぬな、それもワイが悪かったのだ」
顔にかかったお茶をぬぐいながら非難の視線と声をかけてくるパーラだったが、エスティアンがまた謝ると、溜息とともに釣り上げていた眉を落とす。
「はぁ、もういいよ。それで、エスティアン…さん?」
「エスティアンでええ。一々呼び名にこだわってはおらんで。それに、ワイのこの姿は子供にしか見えんのだろう?なら呼び捨てのほうが楽だわい」
いや、見た目でいったらミノムシにしか見えんが。
そうは思っても口には出さない。
いきなり初対面の他人の外見を面と向かってあーだこーだ言うのは、人としてどうかと思う。
「じゃあそう呼ばせてもらうね。で、お茶でしょ?アンディ、この子の分ってある?」
「ああ、大丈夫だ。エスティアン、あんたお茶を入れる何かはあるか?流石に鍋ごと飲むとは言わないよな」
「いや、生憎持ち合わせておらん。何分、ついさっきこの領域に降り立ったばかりでな。塒に戻れば杯の一つもあるのだが…」
「ならこっちで用意するからそれを使ってくれ。もともと食器の持ち合わせに余裕はあるしな」
塒がどこにあるのかはわからないが、よほど近くでもない限りはわざわざカップ一つを取りに戻るのも面倒だろう。
どうせ荷物の中には余分に食器があるし、それを使ってもらおう。
「それは有難い。ではお借りしよう」
そう言ってエスティアンは適当な岩にチョコンと腰かけた。
顔は枝に隠れて見えないが、ソワソワとして俺を見ている様子から、上機嫌でお茶を待つ子供といった感じに思える。
出来上がるまでの間に、お互いに名乗りあっておく。
好奇心からお茶を求めたようだが、正直俺としてはあまり人に出せるものではないと思っているので、飲んだ後の感想が少しだけ怖い。
しかし飲みたいといったのはエスティアン本人なので、文句は受け付けない。
叶うのなら『まずい、もう一杯』という声を聞かせてほしいものだ。
「ふぅむ、味は今一つだが香りは悪くない。一級品の茶葉には叶わんにしても、野趣あふれるこの味わいは嫌いじゃにゃあで、うむ」
一杯目のお茶を半分ほど飲み干したエスティアンの感想は、思ったよりも感触がいい。
味の評価はよくないようだが、全体的には気に入ったようで、しきりに頷きながら飲み進めていく。
「…ねぇアンディ、あれってどうやって飲んでるんだろ?」
声を潜めて尋ねるパーラの言葉は、先程から俺も抱いている疑問と同じものだ。
エスティアンはお茶の入ったカップを手で持ち、口に運んで飲んでいるという、傍から見ると何らおかしい様子ではない。
しかし、その口があると思われる場所は枝で覆われており、そのままカップを口元へもっていくと小枝が邪魔になるのではないかと思えるのだが、不思議なことに問題なく飲めているようで、その口元がどうなっているのかは俺達には全くわからない。
「…二人ともどうした?ワイの顔に何かついておるか?」
パーラとそろって凝視していたのを気付かれたようで、エスティアンの口からは訝し気な声が出てきた。
「何かついてるってんなら色々って言いたいけど、それ、どうやって飲んでるの?」
「ん?あぁ、なるほど。そちらからは、ワイの口までカップが届いておらんち見えようか?それは確かに不思議であろうな。心配ない。ワイの体はこんな風だが、ちゃんと飲めるように出来ちょる」
朗らかにそう言うエスティアンに、果たしてその体を覆う枝について聞いていいものか迷ったが、結局聞かないでいるという選択肢をとることにした。
何となくだが、それ以上聞くのをためらわせるような会話の区切り方だった気がする。
「ふぅ、いい茶だった」
「お代わりは?」
よっぽど気に入ったようなのでお代わりを勧めたが、エスティアンは首を横に振り、カップを返してきた。
「いやいい、十分馳走になった。急にきて茶を寄越せなどと、無理を言ったの。こんないいもん飲ましてもろうた礼の一つでもしてやりたいところだが、何ぞワイにしてほしいことでもあるか?」
「してほしいことって…逆にあんたは何ができるんだ?」
こうして相対して伝わるものもあって、少なくとも俺よりは強い力を持ってはいるだろうが、エスティアンがどういう方向に権能があるのかはまだわかっていない。
俺達が今一番欲しいものを、果たして目の前の存在が与えてくれるのかも疑問ではある。
「待ってアンディ、せっかく久々に話せる人と会ったんだし、あれ聞いてみたら?」
「…それもそうか」
別に聞かれても困るようなことではないはずだdが、何故か耳打ちをするようなパーラの言葉に俺も頷きを返す。
確かに俺達が今日まで歩き回っていたのも、情報を得るために誰かと会うためだった。
エスティアンの申し出は僥倖とも思える。
「ならその礼代わりに、一つ聞きたいことがある」
「お?ええでぇ、何でも聞きやぁ。大抵のことは答えちゃる」
「下界に降りる方法を知りたい。死色の梯子以外の方法でだ」
そう言うと、エスティアンが訝し気な空気を出す。
どうやら想定外の質問だったようで、少し考えるような仕草を見せた。
「変わったことを知りたがるものだな。…ん?もしやお前さんら、ワイらのようなのとは違うのか?」
特に俺達の正体は明言していなかったため、エスティアンには俺とパーラが同類のように思えていたようだ。
てっきり普人種とそれ以外は彼らにとって見ただけで簡単に判別できるものだと思っていたが、この様子を見るにそうでもなさそうだ。
「ワイらってのが神や精霊を指してるなら、私とアンディはただの普人種で、ちょっと訳あってここに来た口なの」
「ただの普人種?アンディはとにかく、パーラは見たところ獣人じゃろ?」
「うっ、これもちょっと訳ありでね…」
今のパーラは頭の上に犬耳が生えているのと口元が犬っぽくなっているため、普人種と言われてもエスティアンのような反応のほうが正しいだろう。
パッと見た限りでなら十人が十人、パーラを普人種とは思うわけがない。
「さよか。まぁそれならば死色の梯子を使うには魂がもたんか。しかし、そんでもお前さんらはどうにかして下界に降りてぇ、と。それで他の下界に降りる方法をとな…」
「知らないなら知らないでいいし、俺達には教えられないってのならそう言ってくれ。変に期待を持たされるよりはいい」
正直、エスティアンが知っている可能性が高いとは思っておらず、ついこんな言い方になってしまう。
何せこうして相対してわかるが、彼女からはベラオスやシアザが無意識に放っていた圧力がほとんど感じられない。
あくまでも俺の勝手な評価だが、仮に彼女が神の中でも格が低い存在なのだとしたら、持っている情報が少ないのも十分考えられる。
「いや、その心配はいらん。その方法ならよう知っちょる。教えてええがかいうのも…まぁ問題なかろう」
『知ってんの!?』
ヒントでも聞けたらいいかという程度の気持ちだったが、よもやいきなり当たりを引くとは。
エスティアンがダメなら他にも探すつもりだっただけに、思わずパーラとともに驚きの声を上げ、エスティアンへ掴みかかる勢いで迫ってしまう。
「おう、下界に降りる手段などそう多くないのでな。死色の梯子以外ならワイが知っているのは一つだけ。あまりお勧めはせんがの」
「…どういうことだ?」
ボソリと呟かれた不穏な言葉に、俺のテンションが一気に下がる。
新しい突破口が見つかった矢先に、こういう言い方をされるのはなんとも嫌な感じだ。
「複数ある下界へ降りる手段の中、今では死色の梯子のみが使われちょる。それ以外を使うものはもう誰もおらん。何故かを考えてみぃや」
「そりゃあ死色の梯子が便利だからじゃないの?」
「うむ、パーラの言うことも正しい。しかし、それだけではない」
「…危険だから、か」
エスティアンの口ぶりでは、それらの方法が以前は使われていたようだが、今は違うとなれば不便さもあろうが、何よりも使うのを躊躇うほどの何かがあったということだ。
そういう場合、大抵は何かしらの事故でも起きて、許容できない危険があるからという場合が多い。
「そういうことだ。かつてそれで下界に降りた神が、どういうわけか天界へと帰ってこれんちいう事故が起きた。まぁ結局どがいかして連れ戻したらしいが、長らく原因は不明のまま。なぜそうなるかが分からん以上、その方法は危険ちゅうて誰も使わんくなっちょる」
天界に暮らしている神々にとっては、下界にはバカンスか買い物感覚で降りる場所だったのだろう。
だが幽星体に変化が起きたせいで天界に戻れなくなったとなれば、誰もがビビって別の手段を選ぶようにもなる。
「だからの、ワイが教えるその方法を使っちまえば、お前さんらは多分、天界に戻ってこれなくなるぞ?それは流石に嫌かろう?」
ここで暮らすことが普通なことである神々にとっては恐ろしいことだろうが、俺とパーラにとっては下界こそが生きる場であり、天界に戻れなくなることを惜しむ気持ちはない。
「全く問題ない。俺もパーラも、天界に戻れなくなっても困らん」
「そうだね。別に天界が嫌だとかじゃないけど、やっぱり元居た場所に帰れるなら帰りたいよ」
「…普人種とワイらでは、価値観も意気も違うっちゅうことかいの。分かった、後悔しないなら教えてやろう。その方法とは、天人回廊を使うというものだ」
『天人回廊?』
初めて耳にする言葉に、俺とパーラは揃っ多声が出てしまう。
曰く、天人回廊というのは元々、下界と天界を繋いでいた鎖のようなものだそうだ。
それを回廊という名前の通りに改造し、神が下界と天界を行き来するために整えたのだが、使ってみた結果が先程の事件というわけだ。
「なるほど、それを俺達も使うと。聞いた感じだと色々不安もあるが…それはどこにあるんだ?」
「どこそこにあるとちいうもんでも無い。少々手間だが、多元空間に穴を空ければ誰でも使える代物よ。だが、それも少し前までの話だ。あの事件があってからは、危険だというてガルジャパタ殿が管理していての。使うにはあの方の許しがいる」
エスティアンのその言葉に、俺もパーラも一気に気分が盛り下がってしまう。
ガルジャパタの許可がいるという時点で、ハードルが高くなったと思っていい。
俺達は自由に探していいとは言われているが、それはつまり、手助けはしないということでもある。
果たして頼んだところで応じてくれるかどうか…。
「…どがいかした?ガルジャパタ殿の名前が出てから顔が暗いで。何ぞ気になるものでもあったか?」
そろって表情が変わったのに気付いたか、エスティアンが気遣うような言葉を口にする。
ガルジャパタの名前を聞いてからの反応というのは分かりやすいのだろう。
「実は…」
俺達がガルジャパタの助けが望めないことをかいつまんで説明すると、エスティアンは腕を組んで唸ってしまった。
「ふぅむ、そんな事情なぁ。しかしまぁ、大丈夫だろう。ガルジャパタ殿が言ったのは、あくまでも己の口からは言えんという意味だ。ならば、お前さんらがワイから聞き出したのは、自分達の力で見つけた手段と言い張ってもよか」
「えー?そうかなぁ…」
「なぁに、構わんさ。その点はワイからもガルジャパタ殿に進言していてやる。きっと何とかなる。さて、そういうことなら、ガルジャパタ殿にはワイから言上したほうがよいか?それともお前さんらが自分の口から言うか?」
「…俺達はガルジャパタへ連絡する手段がないんだ。だから、そちらから伝えてもらってもいいだろうか?」
今日までガルジャパタをはじめとして、他の神や精霊とは連絡が取りようもなかったので、ここはエスティアンに頼らせてもらう。
「ああ、構わんで。ほいだら…うむ、一晩待て。明日の朝、またここで会おう。ええにしろ悪いにしろ、返事を持ってきちゃる」
「分かった。よろしく頼む」
「うむ」
そう言ってエスティアンは立ち上がると、地面に溶け込むようにして姿を消した。
なるほど、気配を感じさせずに接近したからくりはこれか。
「はぁー、凄いね。神の人達ってみんなこんなことができるのかなぁ」
「神って言うぐらいだからな。多分そうなんじゃないか。知らんけど」
エスティアンが消えた後の地面を観察しているパーラに適当な返事を返しながら、荷物をまとめていく。
明日またここでと約束した以上、今日のところは家に戻ってもいいだろう。
もう少し散策するのも手ではあるが、どうせすべて明日のエスティアンが持ってくる返事次第だ。
まだ焦る時間じゃない。
パーラが飽きるのを待って、俺達は家路へと就いた。
ここで言う領域とは、力のある存在が長い時間をかけて作り上げた自分だけの空間を指す。
それぞれに時間と空間の法則は異なり、行き来するには隔絶した空間を飛び越える手間はあるが、無数に枝分かれする領域は数えきれないほどの数が存在し、バラエティに富んだ世界を形成しているらしい。
この無窮の座にいる者は例外なく睡眠や空腹からは解放されるが、それらを娯楽として楽しむことは可能であり、乗れる雲で揺蕩いながら惰眠をむさぼる領域や、美食を供する領域なんかも存在する。
ただ、美食を供するとはいっても実態は下界から持ち込まれた食材や出来合いの料理を管理保管するのみで、料理人に該当する者はおらず、行ったら確実に美味いものを食えるとは限らない。
料理を多少齧った者がそこを訪れ、気まぐれに料理の一つでも作ればご相伴にあずかれるという程度だそうだ。
俺達が宴会をした曙光の宮がある領域は、神々や精霊が集まって交流する場所としてよく使われるそうで、まず誰に会いに行くかで訪れるため、自然と各領域へ飛ぶハブステーションのような扱いとなっている。
基本的に無窮の座にいる誰もが移動は制限されていないが、しかしそれは領域間を自由に飛び回れる力があるからだ。
異なる領域の間には普通では通過できないような次元の隔たりがあるそうで、俺やパーラのような、たまたまここへやってきた普人種程度では、その壁を超えることはできない。
ガルジャパタやベラオスといった上位存在であれば、俺達を連れて一緒に移動もできるが、彼らも常に傍にいるわけではないので、結果、俺とパーラが滞在するのは曙光の宮がある領域に限定されることとなる。
下界と同じように空と大地があり、朝と夜も俺の知る下界と同じように訪れるここの領域は、普段の環境に近いために意外と過ごしやすい。
俺達にあてがわれたのも、最低限の家具があるだけの質素な小屋といった場所だが、ここに来てからは睡眠欲を覚えることもなく、寒さや命の危険がないためこんなものでも十分だったりする。
一応、夜になれば形だけでも寝床に戻って横にはなるが、眠気がないので結局は他のことをして夜を明かすというパターンが多い。
宴会の日以降、俺達は他の神や精霊と何故か遭遇することがなく、住む場所だけは与えられて後は好きにしろと放り出されたようなもんだ。
そのため、俺もパーラもせっかく与えてもらったこの小屋をほとんど使うことなく、ここ何日かは領域内をあちこち散策しまくっていた。
ガルジャパタからは、自分の口からは教えることはしないが、下界に降りる方法を探すなら好きにしろと言われている。
そういうことなら勝手にさせてもらおうと、今日もまた、新しく足が向かう先にある街道を二人並んで歩いていく。
「…それにしても、どこに向かっても何の変哲もない草原ばっかりだね。たまに建物を見つけて覗いてみても誰もいないし。建物の中は手入れが行き届いてるんだから、誰かは住んでるんだろうけど」
あの宴会の後、パーラと話し合い、共に下界に帰るという方針が俺達の間で決まり、そのための手段を求めて今日まであちこちを歩き回ってきた。
借りている小屋を中心に半径十数キロを全て調べ尽くしても、今のところ何の収穫もないわけだが、それでもあきらめるにはまだ早いはず。
「まぁここの連中はどいつも暇を持て余してるらしいから、あちこちブラブラしてるんじゃねぇか?」
「そりゃそうだろうけどさ、今日まであっち行ったりこっち行ったり色々動いてんのに、誰とも出会わないってどうなの?」
「ここは何の面白みもない平原ばっかだからな。ここに飽きてる奴なら、他の領域にでも行くんだろ」
のんびりと歩きながらあたりへ視線を向ければ、多少の丘や木々は見られるが、それ以外は視界が遮られることのない平原がどこまでも続いている風景ばかりだ。
面白いことに、遠くに山影も見えず、大地と空が交わる地平線のみがある。
恐らく、このままあの向こうへと進んでいっても山も海もない、変わらぬ平原だけが続いていくか、あるいは見えない壁にでもぶちあたるかするのだろう。
一つの領域の正確な広さはわからないが、狭いものではないというのはガルジャパタの口ぶりからわかっていた。
であれば、やはり徒歩での移動というのはあまり効率がいいとは言えず、バイクは無理でもせめて噴射装置ぐらいは使いたいところだが、生憎手元にはない。
というのも、実は俺達がこっちに送られてきた際、ほとんどの装備も一緒についてきていたのだが、それらはこっちの連中に没収されてしまっていたのだ。
この没収されたという話だが、何も危険だからというわけではない。
神々の中にはドワーフやハーフリングといった物作りを得意とする種族の守護者がいるのだが、そういう連中はやはり見たことがない発明品には興味津々なようで、俺達の意識がないのをいいことに噴射装置を持って行ってしまったのだ。
なんでも今頃は自分たちの領域に引きこもり、構造を知るために噴射装置の分解がなされていると思われ、当分は俺達に返還されることはないという。
戻ってくるときにはガラクタになっていた、ということはないようにするとガルジャパタは約束してくれているが、はたしてどうなることやら。
普通ならさっさと返せと言うべきなんだろうが、ここにいるのはどいつも俺よりもずっと強い力を持った奴らばかりだ。
正直、面と向かって強く言うのは怖い。
言ったところで流石にいきなり殺されるということはないだろうが、それでも気分を害したらどうなるのかわからないので、とりあえず噴射装置は預けておこうと日和見主義を発動している。
「私ら以外ここにはいないってなると、誰かから下界に帰る方法を聞き出すって目的も果たせそうにないね。…そういえば、ここに来てどれぐらい経ってるんだろ?」
「一応時間の経過は下界とほとんど同じらしいが、腹も減らんし睡眠もとっていないしで正直、感覚は大分狂ってるかもな。十日とかそこいらか?」
「十日かぁ。あの後みんなどうしたのかな」
深いため息とともに天を仰ぐパーラに倣い、俺も視線が天へと向かう。
パーラの言葉が何を指してのものかというのを、恐らく俺も同じ想像が出来ている。
下界に帰ることと並行して今気になるとすれば、やはり巨人との戦いの結末についてだろう。
光の精霊によって無窮の座へ送り込まれた俺達は、直前まで戦っていたあの巨人がどうなったかの結末を知らない。
確かに倒したと思う。
巨人が動くための力であった光の精霊が解き放たれた以上、機能は停止したはず。
セイン達も危機は脱したとは思うが、やはりその後のことを知る者の口から直に聞きたいものだ。
ガルジャパタやベラオスに尋ねようにも、宴会の日以降会えていないので、未だ詳細な結末は不明なままとなる。
「精霊核晶は砕いたし、光の精霊も解放したんだ。巨人は倒したって思っていいかもな。後の始末は…セインさん達がどうにかするにしても、大変だろうな」
「後始末って、兵の撤収とか?」
「まぁそれもあるが、問題は巨人の体のほうだな。あれだけのでかさだ、活動を停止したってことはもうそこから動かせなくなる。あのあたりがアシャドルにとってどういう扱いの土地なのかはともかく、いつまでも野ざらしにはしておかないだろう」
「確かに、あれだけの大きさを人力で動かすにはちょっとね。ソーマルガ号とか飛空艇で持ち上げてどっかに運ぶとかは?」
「どうだろうな。ソーマルガ号の出力ならいけそうな気もするけど、多分無理だ」
「なんで?」
「巨人はあれでも古代文明の遺物だ。活動停止で危険が減ったとなれば、アシャドルとしてはあれを独占しようとするだろう。ソーマルガとの技術格差を埋めるべく、研究材料としてな。つまり、ソーマルガの人間には触らせたくないはずだ」
飛空艇の保有からもわかる通り、魔道具の技術でいえば今のところソーマルガの一強状態だ。
友好関係にあるとはいえ、アシャドルがそれを何とも思わないわけもなく、自分達の領土で倒れた巨人からこれ幸いとして未知の技術を吸い上げようとするはずだ。
実際、直前まで動いていた巨人の体は、古代の技術の結晶と言っても過言ではない。
丸々巨人関連の技術習得ができるかはともかく、アシャドルの技術力を底上げする要因にはなりそうではある。
「なるほど、そのまま持っていかれるのも怖くて、ソーマルガ号での運搬を許可しないだろうね」
「自国の問題だって言い張れば、ソーマルガも強くは出れないからな」
「兵と飛空艇で支援してもらっておいて?」
「国益が絡めば政治屋ってのは頭が悪くなるもんなんだよ」
普通なら技術的にも国力も上のソーマルガとは歩調を合わせるものだが、アシャドルは巨人出現の直後に情報を秘匿しようとした節がある。
俺が知る限りではティニタル達王子は愚鈍ではなさそうだったが、それ以外のアシャドル上層部がまともとは限らないので、巨人から取得できる技術や資源を自国で独占したいと動くのは十分にあり得る。
それに対してソーマルガがどう反応するかは見ものではあるが、生憎今いる場所から現場は遠すぎる。
なるべく早いところ下界に降りて、それらの顛末を知りたいものだ。
「…結構遠くまで来たな。ここらで休憩にするか」
「賛成~」
歩いている先に、丁度いい具合の椅子代わりにできそうな岩がいくつか転がっている場所を見つけたので、一息入れることにした。
岩に腰掛け、俺は肩から下げていた荷物を地面に降ろすと、そこからカップと鍋を取り出す。
いまからこれらを使ってお茶を入れるのだ。
俺達に与えられた小屋の中には、粗末ではあるが最低限の食器がそろっていたため、その中からいくつかを拝借して散策の供として持ち出していた。
ボロボロではあったが、小ぶりの鞄も見つけたのはパーラの手柄だ。
こんな場所でも普通に魔術は使えるもので、水魔術で周囲の大気や植物、土などから水分を鍋の中に集め、そこに乾燥させた葉っぱを手でちぎりながらいくつか放り込む。
幸いにしてこの領域には下界と同じ植物もそれなりにあり、小屋の周りに自生していた植物の中から、お茶代わりに使えそうなものを見つけて摘み、乾燥させて保存していたものがこの葉っぱだ。
今日までに何度か試飲しているが、匂いと苦みが少しきつい以外は十分にお茶の代替品として役立っている。
パーラが近くに落ちていた小枝を集めてきたので、そこに雷魔術で焚火を作り、鍋を火の上に持って行って位置をキープする。
鍋を支えるスタンドなどと言う気の利いたものまではないため、少しつらいがこうして沸くまで待つしかない。
この領域にある植物は下界と同じように成長と枯死をするようで、焚き木は簡単にそこいらで見つけられた。
無窮の座では、植物だけは下界と同じような存在として定着しているのだろうか。
空腹や睡眠が必要のない世界なのに、なぜそこだけはそうするのかはわからないが、結局俺の理解が及ぶところではないということもあって、俺は考えるのをやめた。
そうしているうちに湯が沸き、先に入れていた葉っばによってお茶に近い液体が完成した。
それを二つのコップに分けて淹れ、片方をパーラに渡してやる。
「ありがと。ズ…あつっ…うん、いつもの味だね」
パーラに遅れて俺もお茶を一口すする。
ここにいる俺達は空腹を感じないように喉の渇きも覚えないが、それはそれとしてお茶を楽しむことはできる。
喉が渇いたからというよりも、気分をリフレッシュさせるために飲んでいるといった感じだ。
うむ、相変わらずお茶とはだいぶ遠い位置にはいるが、大分青汁に寄った抹茶だと思い込めば飲めなくもない味だ。
「はぁ~…それにしても参るね。空腹も乾きもないのはいいんだけど、どこまで歩いても何もないってのは精神的に堪えるよ」
「だな。元の世界に戻るためにもとにかく前には進んでみるが、ここまで誰にも会わないってのは不安にもなる。ひょっとしたら、この領域にいるのは俺達だけで、今後も誰も訪れないかもしれないって考えたら…」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
脅すように少しだけ声のトーンを落として言った俺の言葉に、パーラの口元がひきつった。
からかうつもりで口にしたものだったが、今の状況では説得力が意外とあったようで、思ったよりもリアクションがいい。
「よければワイにも一杯くれにゃあか?」
ついニヤつく顔を隠すためにコップを大きく傾けた瞬間、全く警戒していなかった背後からそう声がかけられた。
「うぇっぶふぅっ!?」
「ぎゃあああ!目にっ…汚っ!」
俺達しかいなかったこの場に、突如現れた第三者の声に驚き、つい口に含んでいたお茶を目の前にいたパーラめがけて吹き出してしまう。
そこそこ熱い液体を目に受け、悶絶するパーラにむせる俺。
ちょっとした騒動が起きている中、先程の声の主が申し訳なさそうな声音で再び話しかけてきた。
「これはすまぬ、驚かせてしまったようで。何やら変わった香りのする…お茶?を飲んでいたので気になってな」
「げぇっ…ごほっ…いや、大丈夫だ。こっちが勝手にびっくりして騒いだだけだ。あんたは?」
「うむ、ワイはエスティアンという。ここの近くに居を構えておってな、久しぶりに戻ってきたところにお前さん方を見つけ、声をかけた次第だ」
意外とと言ったら失礼だが、丁寧な言い回しをする声の主に向き直り、その姿をじっくり観察する。
エスティアンと名乗った人物は、言葉が少し…いや大分方言交じりで癖がある。
その口調の割には、声の感じからかなり幼い少女といった印象を受けた。
背丈も立った時の俺より頭二つ分は小さいが、俺の目からは表情や体形といったものはあまりよく見えない。
なぜならこのエスティアン、ミノムシかと見紛うほどに小枝が全身を覆っている。
そういう服を着ているのか、もしくはミノムシを守護している神だったりするのだろうか?
小枝の蓑から飛び出している手足が人間のそれであるため、ひとまず人間の子供サイズの虫という線はなさそうだが。
「うぅぅ…アンディひどいよ。なんてものぶっかけるのさ…」
「あいや、すまぬな、それもワイが悪かったのだ」
顔にかかったお茶をぬぐいながら非難の視線と声をかけてくるパーラだったが、エスティアンがまた謝ると、溜息とともに釣り上げていた眉を落とす。
「はぁ、もういいよ。それで、エスティアン…さん?」
「エスティアンでええ。一々呼び名にこだわってはおらんで。それに、ワイのこの姿は子供にしか見えんのだろう?なら呼び捨てのほうが楽だわい」
いや、見た目でいったらミノムシにしか見えんが。
そうは思っても口には出さない。
いきなり初対面の他人の外見を面と向かってあーだこーだ言うのは、人としてどうかと思う。
「じゃあそう呼ばせてもらうね。で、お茶でしょ?アンディ、この子の分ってある?」
「ああ、大丈夫だ。エスティアン、あんたお茶を入れる何かはあるか?流石に鍋ごと飲むとは言わないよな」
「いや、生憎持ち合わせておらん。何分、ついさっきこの領域に降り立ったばかりでな。塒に戻れば杯の一つもあるのだが…」
「ならこっちで用意するからそれを使ってくれ。もともと食器の持ち合わせに余裕はあるしな」
塒がどこにあるのかはわからないが、よほど近くでもない限りはわざわざカップ一つを取りに戻るのも面倒だろう。
どうせ荷物の中には余分に食器があるし、それを使ってもらおう。
「それは有難い。ではお借りしよう」
そう言ってエスティアンは適当な岩にチョコンと腰かけた。
顔は枝に隠れて見えないが、ソワソワとして俺を見ている様子から、上機嫌でお茶を待つ子供といった感じに思える。
出来上がるまでの間に、お互いに名乗りあっておく。
好奇心からお茶を求めたようだが、正直俺としてはあまり人に出せるものではないと思っているので、飲んだ後の感想が少しだけ怖い。
しかし飲みたいといったのはエスティアン本人なので、文句は受け付けない。
叶うのなら『まずい、もう一杯』という声を聞かせてほしいものだ。
「ふぅむ、味は今一つだが香りは悪くない。一級品の茶葉には叶わんにしても、野趣あふれるこの味わいは嫌いじゃにゃあで、うむ」
一杯目のお茶を半分ほど飲み干したエスティアンの感想は、思ったよりも感触がいい。
味の評価はよくないようだが、全体的には気に入ったようで、しきりに頷きながら飲み進めていく。
「…ねぇアンディ、あれってどうやって飲んでるんだろ?」
声を潜めて尋ねるパーラの言葉は、先程から俺も抱いている疑問と同じものだ。
エスティアンはお茶の入ったカップを手で持ち、口に運んで飲んでいるという、傍から見ると何らおかしい様子ではない。
しかし、その口があると思われる場所は枝で覆われており、そのままカップを口元へもっていくと小枝が邪魔になるのではないかと思えるのだが、不思議なことに問題なく飲めているようで、その口元がどうなっているのかは俺達には全くわからない。
「…二人ともどうした?ワイの顔に何かついておるか?」
パーラとそろって凝視していたのを気付かれたようで、エスティアンの口からは訝し気な声が出てきた。
「何かついてるってんなら色々って言いたいけど、それ、どうやって飲んでるの?」
「ん?あぁ、なるほど。そちらからは、ワイの口までカップが届いておらんち見えようか?それは確かに不思議であろうな。心配ない。ワイの体はこんな風だが、ちゃんと飲めるように出来ちょる」
朗らかにそう言うエスティアンに、果たしてその体を覆う枝について聞いていいものか迷ったが、結局聞かないでいるという選択肢をとることにした。
何となくだが、それ以上聞くのをためらわせるような会話の区切り方だった気がする。
「ふぅ、いい茶だった」
「お代わりは?」
よっぽど気に入ったようなのでお代わりを勧めたが、エスティアンは首を横に振り、カップを返してきた。
「いやいい、十分馳走になった。急にきて茶を寄越せなどと、無理を言ったの。こんないいもん飲ましてもろうた礼の一つでもしてやりたいところだが、何ぞワイにしてほしいことでもあるか?」
「してほしいことって…逆にあんたは何ができるんだ?」
こうして相対して伝わるものもあって、少なくとも俺よりは強い力を持ってはいるだろうが、エスティアンがどういう方向に権能があるのかはまだわかっていない。
俺達が今一番欲しいものを、果たして目の前の存在が与えてくれるのかも疑問ではある。
「待ってアンディ、せっかく久々に話せる人と会ったんだし、あれ聞いてみたら?」
「…それもそうか」
別に聞かれても困るようなことではないはずだdが、何故か耳打ちをするようなパーラの言葉に俺も頷きを返す。
確かに俺達が今日まで歩き回っていたのも、情報を得るために誰かと会うためだった。
エスティアンの申し出は僥倖とも思える。
「ならその礼代わりに、一つ聞きたいことがある」
「お?ええでぇ、何でも聞きやぁ。大抵のことは答えちゃる」
「下界に降りる方法を知りたい。死色の梯子以外の方法でだ」
そう言うと、エスティアンが訝し気な空気を出す。
どうやら想定外の質問だったようで、少し考えるような仕草を見せた。
「変わったことを知りたがるものだな。…ん?もしやお前さんら、ワイらのようなのとは違うのか?」
特に俺達の正体は明言していなかったため、エスティアンには俺とパーラが同類のように思えていたようだ。
てっきり普人種とそれ以外は彼らにとって見ただけで簡単に判別できるものだと思っていたが、この様子を見るにそうでもなさそうだ。
「ワイらってのが神や精霊を指してるなら、私とアンディはただの普人種で、ちょっと訳あってここに来た口なの」
「ただの普人種?アンディはとにかく、パーラは見たところ獣人じゃろ?」
「うっ、これもちょっと訳ありでね…」
今のパーラは頭の上に犬耳が生えているのと口元が犬っぽくなっているため、普人種と言われてもエスティアンのような反応のほうが正しいだろう。
パッと見た限りでなら十人が十人、パーラを普人種とは思うわけがない。
「さよか。まぁそれならば死色の梯子を使うには魂がもたんか。しかし、そんでもお前さんらはどうにかして下界に降りてぇ、と。それで他の下界に降りる方法をとな…」
「知らないなら知らないでいいし、俺達には教えられないってのならそう言ってくれ。変に期待を持たされるよりはいい」
正直、エスティアンが知っている可能性が高いとは思っておらず、ついこんな言い方になってしまう。
何せこうして相対してわかるが、彼女からはベラオスやシアザが無意識に放っていた圧力がほとんど感じられない。
あくまでも俺の勝手な評価だが、仮に彼女が神の中でも格が低い存在なのだとしたら、持っている情報が少ないのも十分考えられる。
「いや、その心配はいらん。その方法ならよう知っちょる。教えてええがかいうのも…まぁ問題なかろう」
『知ってんの!?』
ヒントでも聞けたらいいかという程度の気持ちだったが、よもやいきなり当たりを引くとは。
エスティアンがダメなら他にも探すつもりだっただけに、思わずパーラとともに驚きの声を上げ、エスティアンへ掴みかかる勢いで迫ってしまう。
「おう、下界に降りる手段などそう多くないのでな。死色の梯子以外ならワイが知っているのは一つだけ。あまりお勧めはせんがの」
「…どういうことだ?」
ボソリと呟かれた不穏な言葉に、俺のテンションが一気に下がる。
新しい突破口が見つかった矢先に、こういう言い方をされるのはなんとも嫌な感じだ。
「複数ある下界へ降りる手段の中、今では死色の梯子のみが使われちょる。それ以外を使うものはもう誰もおらん。何故かを考えてみぃや」
「そりゃあ死色の梯子が便利だからじゃないの?」
「うむ、パーラの言うことも正しい。しかし、それだけではない」
「…危険だから、か」
エスティアンの口ぶりでは、それらの方法が以前は使われていたようだが、今は違うとなれば不便さもあろうが、何よりも使うのを躊躇うほどの何かがあったということだ。
そういう場合、大抵は何かしらの事故でも起きて、許容できない危険があるからという場合が多い。
「そういうことだ。かつてそれで下界に降りた神が、どういうわけか天界へと帰ってこれんちいう事故が起きた。まぁ結局どがいかして連れ戻したらしいが、長らく原因は不明のまま。なぜそうなるかが分からん以上、その方法は危険ちゅうて誰も使わんくなっちょる」
天界に暮らしている神々にとっては、下界にはバカンスか買い物感覚で降りる場所だったのだろう。
だが幽星体に変化が起きたせいで天界に戻れなくなったとなれば、誰もがビビって別の手段を選ぶようにもなる。
「だからの、ワイが教えるその方法を使っちまえば、お前さんらは多分、天界に戻ってこれなくなるぞ?それは流石に嫌かろう?」
ここで暮らすことが普通なことである神々にとっては恐ろしいことだろうが、俺とパーラにとっては下界こそが生きる場であり、天界に戻れなくなることを惜しむ気持ちはない。
「全く問題ない。俺もパーラも、天界に戻れなくなっても困らん」
「そうだね。別に天界が嫌だとかじゃないけど、やっぱり元居た場所に帰れるなら帰りたいよ」
「…普人種とワイらでは、価値観も意気も違うっちゅうことかいの。分かった、後悔しないなら教えてやろう。その方法とは、天人回廊を使うというものだ」
『天人回廊?』
初めて耳にする言葉に、俺とパーラは揃っ多声が出てしまう。
曰く、天人回廊というのは元々、下界と天界を繋いでいた鎖のようなものだそうだ。
それを回廊という名前の通りに改造し、神が下界と天界を行き来するために整えたのだが、使ってみた結果が先程の事件というわけだ。
「なるほど、それを俺達も使うと。聞いた感じだと色々不安もあるが…それはどこにあるんだ?」
「どこそこにあるとちいうもんでも無い。少々手間だが、多元空間に穴を空ければ誰でも使える代物よ。だが、それも少し前までの話だ。あの事件があってからは、危険だというてガルジャパタ殿が管理していての。使うにはあの方の許しがいる」
エスティアンのその言葉に、俺もパーラも一気に気分が盛り下がってしまう。
ガルジャパタの許可がいるという時点で、ハードルが高くなったと思っていい。
俺達は自由に探していいとは言われているが、それはつまり、手助けはしないということでもある。
果たして頼んだところで応じてくれるかどうか…。
「…どがいかした?ガルジャパタ殿の名前が出てから顔が暗いで。何ぞ気になるものでもあったか?」
そろって表情が変わったのに気付いたか、エスティアンが気遣うような言葉を口にする。
ガルジャパタの名前を聞いてからの反応というのは分かりやすいのだろう。
「実は…」
俺達がガルジャパタの助けが望めないことをかいつまんで説明すると、エスティアンは腕を組んで唸ってしまった。
「ふぅむ、そんな事情なぁ。しかしまぁ、大丈夫だろう。ガルジャパタ殿が言ったのは、あくまでも己の口からは言えんという意味だ。ならば、お前さんらがワイから聞き出したのは、自分達の力で見つけた手段と言い張ってもよか」
「えー?そうかなぁ…」
「なぁに、構わんさ。その点はワイからもガルジャパタ殿に進言していてやる。きっと何とかなる。さて、そういうことなら、ガルジャパタ殿にはワイから言上したほうがよいか?それともお前さんらが自分の口から言うか?」
「…俺達はガルジャパタへ連絡する手段がないんだ。だから、そちらから伝えてもらってもいいだろうか?」
今日までガルジャパタをはじめとして、他の神や精霊とは連絡が取りようもなかったので、ここはエスティアンに頼らせてもらう。
「ああ、構わんで。ほいだら…うむ、一晩待て。明日の朝、またここで会おう。ええにしろ悪いにしろ、返事を持ってきちゃる」
「分かった。よろしく頼む」
「うむ」
そう言ってエスティアンは立ち上がると、地面に溶け込むようにして姿を消した。
なるほど、気配を感じさせずに接近したからくりはこれか。
「はぁー、凄いね。神の人達ってみんなこんなことができるのかなぁ」
「神って言うぐらいだからな。多分そうなんじゃないか。知らんけど」
エスティアンが消えた後の地面を観察しているパーラに適当な返事を返しながら、荷物をまとめていく。
明日またここでと約束した以上、今日のところは家に戻ってもいいだろう。
もう少し散策するのも手ではあるが、どうせすべて明日のエスティアンが持ってくる返事次第だ。
まだ焦る時間じゃない。
パーラが飽きるのを待って、俺達は家路へと就いた。
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