世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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体は闘争を求めている

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 人間を凌駕する身体能力と生命力、吸血種のみが操る独自の魔術、そして長命種に匹敵する長い寿命。
 どれをとっても人類の上位互換と言える性能で、唯一寿命はエルフが伍するものの、単体として比較すればあらゆる種族を生物的に上回っていると言っても過言ではない。

 ドラゴンや精霊といった超常の存在に並んで数えることすら、疑う材料が見当たらないほどだ。

 そんな吸血種だが、生殖能力に関しては他の種族に比べて劣っていたようだ。
 子供が出来るまでの周期が長いとされるエルフやリズルドですら、吸血種から見れば十分な出生率があるほどで、これは長命種の宿命とも言えなくもない。

 ただ、吸血種は他の種族と違って特殊な選択肢もあり、過去には生まれたばかりの多種族の子供を眷属化して、自分達の一族に迎えるという強引な手も使われていたそうだ。
 眷属化で吸血種になった者の中で力のある者こそ、赤月の二十華族として台頭してくるわけだが、この二十華族の内隠れ里に残る三家、便宜上御三家と俺は名付けるが、これらは未だに貴族のような扱いで吸血種達をまとめる立場を踏襲している。

 なお、他の吸血種に比べてこの二十華族だけは生殖能力が若干高い傾向にあり、これらが一夫多妻や一妻多夫の形態をとることによって、辛うじて種として存続する数を保っているのだそうだ。
 今ルーシア達のように隠れ里で暮らしている吸血種も、何代か遡れば二十華族の血が入っているのも珍しくはないらしい。

 今生きている吸血種はいずれも眷属化ではなく、人間と同じ出産を経て生まれてきた者ばかりで、それ故に数が少ないながらも吸血種としては力が強い者も多いのは、重ねてきた血脈の表れと言えるだろう。
 ルーシアの口ぶりから何となく感じるが、吸血種にとって眷属を作るのと子供を作るのは似ているように思えて、しっかりと違うのかもしれない。

「クロウリーが当主の座を追われるまでは、私もダナンクレアスの名を名乗ることはなかった。最低限、その手の教育は受けていたけど、クロウリーのことがなければ今も私は里で畑を耕してたはず」

「畑を?まぁ生きていくのなら必要だとは思うが…これは純粋な疑問なんだが、君達吸血種は普段何を食べているんだい?」

 吸血種に畑仕事をするというイメージが湧きにくいのか、一瞬困惑の顔を見せたエランドだったが、そこから派生して吸血種の食生活を尋ねたのは、流石の切り込み方だと感心できる。

「基本的にあなた達と同じものを食べているはず。畑で採れた野菜や果物、狩りで得た動物の肉に麦から作るパン、ワインも飲むわ」

 見た目だけは人間と大きくかけ離れていない吸血種だけに、似たような食事をするということに急速に親近感を覚えるのだから、人間の感覚というのは現金なものだ。
 さっきからワインを飲んでいたし、普通の飲食ができるのも薄々とは気付いてはいたが。

「血はどうなんだい?動物の血を飲むとはさっき聞いたけど、やはり吸血種は血を飲まずには生きていけないのかな?」

「ただ生きていくなら、血は絶対に必要なわけじゃない。私達にとって一番栄養があるのは確かだけど、普通の食事だけでも生きていける。吸血種としての本能からか、時折血を求める衝動に駆られた時に飲むぐらい。嗜好品のようなものと考えてくれていい」

「動物の血でもいいなら、人間を襲うのは何故だい?」

「美味しいから、と聞く。獣の血は渇きと衝動を癒してはくれるけど、味はひどいものだから」

 感情の薄い顔にげんなりとしたものがあからさまに混ざる程、ルーシアにとっては動物のは不味いもののようだ。
 この辺り、人間の血を求めて人を襲ったクロウリーも、ひょっとしたら動物の血が嫌いになってというのもありそうな気がする。

「味ねぇ。まぁクロウリーも言ってたし、そういうものか。君は人間の血を飲んだことは?」

「ない。私どころか、今里にいる者で人間の血を飲んだことがあるのはいない。人間の血を得るために人里へ降りるなんて、クロウリーが異端だっただけ」

「それなんだが、君達吸血種からしたら僕達人間は餌で、しかも隠れ住む今の状況に追いやった元凶でもある。恨みを晴らしつつ舌も満足できるなら、これで血を吸うのを躊躇う理由があるのか?」

「掟で禁じられているからよ。血を求めてこちら側から人間は襲うな、と。何故そんな掟があるかは、少し考えればわかると思う。血を求めて人間を襲えば、吸血種の存在を知らしめることになる。歴史を知れば、人間を敵にすることがどれだけ面倒なことかは誰もが分かる。だから平穏に暮らすためなら、まずい血を飲むほうがずっとましよ」

 大昔に吸血種と人類が敵対していた時、その戦いから逃れてきたのが、今の隠れ里に済むルーシア達だと思っていい。
 戦いを避けたからこそ、他の吸血種が滅ぼされた中でも畑を耕して生きるという穏やかな暮らしを手にしている。
 耐えるという行為が全て正しいとは限らないが、生きるため、そして種を繋ぐためにと生き抜くことを決断した過去の吸血種達を否定する材料を俺は持たない。

「とても僕の知る吸血種とは思えない言葉だ。君達ほどの力があれば、隠れ住むのが嫌になったりしてもおかしくはないと思えるがね。力を示せば、うまい血だって飲み放題だ」

 本音はともかく、あえて吸血種を高みに追い立てるようなエランドの言葉に、ルーシアは小さく首を振って鋭い目を見せた。

「今更吸血種が世に覇を唱えようなんて、里の誰も思わないわ。世界全てを吸血種のモノだと驕った奴は、大昔に人間に狩り殺されてる。今里にいるのは、所謂穏健派という者達の子孫ばかりだもの」

 俺達は伝承でしか知らないため、吸血種はどいつも血を求めて暴れる危険な存在だと思っていたが、こうして聞く限りでは理性的な側面もちゃんと持っているようだ。
 今回はクロウリーが特筆して過激な行動に出ただけで、今生き残っている吸血種はルーシアの言う通り、穏やかな性格の者が多いのかもしれない。
 人間がそうであるように、吸血種だって個人の思想や考え方は違うのだろう。

「ダナンクレアス家もその穏健派だったと?信じられないな。あのベナトの血を引いているんだろう?」

「正しくはダナンクレアス家の分家、だそうよ。一応ベナトからの血は繋がっているらしいけど、人間との争いを避けて隠れ里に来たぐらいだから、穏健派という括りには入れてもいいでしょ。里には傍流を含めれば、遠くとも二十華族の血を引くのも結構いたわ。私もその一人だったから、今ダナンクレアス家の当主になんて就いているだけ」

 ルーシアはこう言うが、血筋というのは決して何の根拠もなく定まるものではなく、ましてやダナンクレアスというネームバリューを考えれば、次の当主に選ばれるのにもちゃんとした理由はあったはず。
 幽閉されたクロウリーの後釜に据えるなら、当然ながらダナンクレアスの血を引く者という条件は欠かせず、その上でルーシアがダナンクレアス家の当主になることを望んだ誰かの思惑が働いたと推測できる。

 しかし、二十華族の血を引くのがそこらにいるというのは、少し恐ろしいな。
 吸血種の中でも隔絶した力を持っていたとされる二十華族は、そのほとんどは人類によって滅ぼされたはずだった。
 ところがその血を引く子孫が現代にもまだ残っているとなれば、果たして人類にとってその存在が今後脅威となり得るのかが気になるところだ。

「僕達人間の世界でも、不祥事での廃嫡を免れるために貴族が庶子を探し出して当主に据えるってのはよくある話だけど、吸血種もそういうところは人間と同じなんだね」

「吸血種も元を辿れば人間だったのだから、行動が似るのは別におかしいことじゃない。それに、家督を巡って争うなんて、今の私達には無駄が過ぎる。ただでさえ数が少なくて子供もできにくいのだから」

「ふむ、数の少ない種の中での争いだ。無駄というのは同意しよう。…そういえば、君達隠れ里に暮らしている吸血種はどれくらいの数になるんだい?子供はできにくいとは言っても、全くできないわけじゃないだろう?僕達に比べれば寿命もはるかに長いし、かなりの数になると思えるが」

 ともすれば吸血種の戦力を窺うような問いだが、エランドにしてみれば純粋な疑問からだろう。
 なにせ、今日まで謎の多いままだった吸血種が、こうして目の前に実物として現れたのだから、研究者なら食いつかずにはいられない。

「正確な数字は分からない。確実にこの村の人口よりは多いけど、ちょっとした都市に比べたら少ないと思う」

 特に躊躇うこともなくあっさりと教えるのは、別に個体数を知られても困ることはないからか。

 もしも吸血種が子供を作れるのが十年二十年、ひょっとしたら五十年おきと仮定しても、生涯に産む子供の数がゼロということはありえない。
 なにせ寿命は長命種さながらだし、見た目も若い状態を長く保つそうなので、今日まで隠れながらも血脈が続いている点でも、トータルで考えれば種の存亡を危ぶむようなレベルの出生率ではないと思える。

 とはいえ、隠れ住むのに大勢では厳しいものがあるので、ルーシアの言葉も加味して考えると、現存する吸血種の数は千かそこらといったところか。
 単体であれだけの強さを持つ吸血種が千人もいるとなれば、人類には十分に脅威と言える。

「待たせたな」

 そうしてルーシアと話している間にそれなりの時間が経ったのか、再び外に繋がる扉が開かれてアッジが姿を見せた。
 村長が一緒にいないのは、村人への説明が長引いているからだろうか。

「おや、意外と早いお戻りで。そっちの説明は終わったのかい?」

 今までルーシアとの対話で使っていた席をアッジに譲り、エランドが進捗を尋ねる。

「ああ、まぁ商隊の方は問題ない。元々ほとんどがうちの商会の傘下の者ばかりだし、外部の商人も多少の利益で黙らせた。ただ、村の人間に吸血種の存在を口止めするってのがどうにも難しくてな」

 村の人間の多くは、吸血種であるルーシアのことを今は知らないでいるが、クロウリーという存在が齎した恐怖と悲しみは身に染みて味わっている。
 村人から被害者も出ている以上、なぜ秘匿するのか理解しがたいというのもわからんでもない。
 ルーシアの頼みだからと正直に言えればまた話は違うが、吸血種であることを隠している以上、それも説明を面倒にする要因となっていそうだ。

 今頃村長が村人にどう説明しているのか、気になるところだ。

「とはいえ問題はないだろう。村長の話にも特に強く反発するような気配もなかったし、村の人間もクロウリーが死んだのならそれでいいと思うはずだ。ルーシアさんがもたらす利益もちゃんと含んで話してあるし、きっと大丈夫だ」

 やはり今後のことが気になっていたのか、アッジが椅子に腰かけてからジッと見つめていたルーシアだったが、その言葉を聞いて心なしか安堵したような気配を見せる。

「別に心配していなかったけど、話がうまくまとまるならいいことだわ」

「そうだな。…ところで、私がいない間、三人で何をしてたんだ?その様子を見るにおかしなことなどはなかったと思うが」

 吸血種と密室にいて何も起こらないはずもなく…などとは言うまいが、それなりの時間放っておかれていた俺達が何をしていたのかが気になったらしい。
 好奇心を隠しもしない目で、アッジが俺達を見てくる。

「何をと言われてもね。吸血種のことを少しルーシアさんに聞いていただけさ」

「ほう?研究者としての血が騒いだか?」

 謎の種族を前にして、研究者肌のエランドが取る行動も十分に予想出来ていたであろうアッジは、楽し気な声で尋ねる。

「元、だけどね。まぁ色々と聞けて僕は満足だよ」

「未知の知に触れた時こそが探求の始まり、だったか?ま、とりあえず退屈もしていなかったようで何よりだ。なら、クロウリーが笑い話を求めてた理由も分かったか?」

 しみじみと語るアッジが、未だ謎のあるクロウリーの要求についてを口にした。
 そう言えば、カーチ村を脅していた理由はそんなのだったな。
 もうクロウリーは死んでいるし、元々生贄を求めての無茶な要求だったと思っていたが、それの根源になるものはルーシアなら知っていそうな気がする。

「笑い話?クロウリーがそんなものを?」

 ルーシアにはクロウリーがカーチ村を脅していたということしか伝えておらず、その要求していたものが何かまでを彼女は知らない。
 そこで、クロウリーの要求についてかくかくしかじかと簡単に説明をした。

「奴が死んだ今となってはどうでもいい動機かもしれないが、何故そんなものを要求していたのか謎のままでね。同じ吸血種として、君なら何か知っていたりしないか?」

「…恐らく、笑い屋のジョルジュになぞらえての行動だと思う」

 一瞬顔を伏せたルーシアだったが、何かを思い出したように呟かれた言葉に俺達は首を傾げる。
 それに気付いたルーシアは、笑い屋のジョルジュについての説明をしてくれた。

「笑い屋のジョルジュというのは、ずっと昔の里にいた人物。猟師だった彼は、嗜好品としての獣の血を人々に分け与える際に、一笑いを要求していたから笑い屋のジョルジュと呼ばれるようになった。クロウリーは血を求めてやってきたわけだから、ジョルジュを気取ってそんな要求をしたんだと思う」

「なるほど。そのジョルジュという者の行動を自分に当てはめて、村人の血を得ようというわけか。下手糞な冗談にしても笑えんな」

 クロウリーのことで被った被害を思えば、アッジもこんな反吐を吐くような口調にもなろう。
 笑い話で撃退できると、必死に頭を悩ませた時間もあったことから、悪ふざけともとれるクロウリーの行動に対する怒りも一入と言ったところか。

「そうね。笑い話で満足させられたとしても、結局クロウリーはこの村の人間の血を要求しただろうから、質の悪いやり口だと言えるわ」

 ルーシアもまた、クロウリーのやり方には嫌悪感を覚えるのか、その声には棘が含まれている。

 死んだ後ですらその行いから人を不愉快にさせるクロウリーは大した奴だとも言えなくはないが、感情のやり場がないだけにやっぱりクソ野郎だったと評価せざるを得ない。

「さて、もう夜も大分遅い。そろそろ休むとしようか」

「そうだね、ちょっと今日はもう疲れすぎたよ。危険も去ったことだし、もう眠ってしまいたいね」

 空気が悪くなったのを切り替えるためか、アッジが幾分か明るい声を出す。
 それにエランドも同意し、俺も頷きを返しておく。
 そうなると、ここにはこの後の行動を決めるべき人物がいるわけで、自然と俺達の視線はルーシアへと集まった。

「ルーシアさん、あんたはどうする?泊ってくなら、休む場所を用意するが」

 村の人間ではないが、付き合いの長さから多少は村内の家屋に融通が利くアッジがルーシアに宿の手配を確認する。
 吸血種とはいえ敵対しておらず、それどころかこの村にも利益をもたらすかもしれないだけに、ルーシアを粗雑には扱えない。

「結構よ。私は一度里の方に戻るから。村への賠償と不凍の石について一度里の者としっかりと話してから、改めてこっちにくることにする」

 クロウリーがそうだったように、ルーシアも空を飛べるとすれば、今から発っても隠れ里には問題なくたどり着けるのかもしれない。
 隠れ里がどこにあるのかは分からないが、夜の時間は吸血種にとって最も力が増す時であるため、一泊するよりは夜の内に動きたいのだろう。

「そうか。まぁそっちも色々とあるだろうからな。分かった、村長にはあんたから言うか?それとも私が代わりに伝えようか?」

「村人と話し合いをしているなら、それを邪魔することはないわ。悪いけど、頼めるかしら?」

 本来なら村を去るのもちゃんと村長に伝えるべきだろうが、生憎今は忙しそうだし、村人への説明というか説得というか、そういったデリケートなタイミングにルーシアが顔を出すことで起きる面倒事を考えれば、アッジに伝言を頼むのは悪くない。

「おう、任されよう。あぁ、そうだ。一応聞くが、次に村に来るのはいつごろだ?」

「それは里での話し合いがどれぐらいかかるかにもよるけど、そうね…早ければ十日後、遅くなっても二十日後かしら。それ以上かかるなら、またその旨を伝えるわ」

 隠れ里というコミュニティであるからか、今回の件での後始末はルーシアの独断では賄わず、他の吸血種にも報告なり相談なりで決めようというのは、なんとも民主的なやり方だ。

「その時にはあんたが来るのか?」

「私が来るかもしれないし、他の者が来るかもしれない。どちらにせよ、この村に危害を加える者じゃないことだけは保証する。これも村長に伝えておいてほしい」

「分かった」

 本当なら事情も知っていて顔も割れているルーシアが来るのがいいのだが、彼女は御三家の一つの当主という立場だ。
 クロウリーの追跡という役目のためにここにいるが、本来なら里で他の吸血種に指図をする仕事もあっておかしくはなく、損害賠償や不凍の石の提供のためにまたカーチ村に来る保証ができるほど腰も軽くないのだろう。

 ルーシアも言うことを言い、アッジの反応にも満足したようで、帰るために外へ出ようとしたルーシアだったが、ふと何かを思い出したように動きを止めて、アッジへ向き直って口を開く。

「それと、帰る前に一つお願いがあるんだけど、いい?」

「ああ、出来る範囲でなら聞こう。なんだ?」

「さっきの人狼の子、パーラだったかしら。帰る前に一度、あの子の顔をこの目で見たいの」

「パーラに?話って、今か?」

「ええ。そう長く話すことはでもないから、直接近くで姿を見るだけでもいいのだけど」

「ふむ…それぐらいは構わんと思うが、一応本人に聞いてみよう。パーラがダメだと言ったら諦めてくれよ?」

「勿論。それで構わない」

 ここにきてパーラとの面会を希望したルーシア。
 吸血種にとっての天敵である狼、それもクロウリーを相手に力を示したパーラと話したい、だめならせめて近くで姿を見たいという要求には怪訝なものを覚えるが、しかし断る理由もないため、アッジも答えに詰まりながらも結局はパーラに判断を委ねることとなった。

 再び外へと出ていったアッジが、少し時間をおいて再び戻ってきた時には、その背中にパーラを引き連れていたことから、ルーシアの要求をパーラは飲んだというわけだ

「私に話って聞いたけど、なに?」

 人狼の姿のまま警戒を解かないパーラは、アッジに促されてルーシアの目の前へと立つと、硬さを纏った声を吐き出した。
 相手が相手だけに、目の前の吸血種を半ば睨むようにして見つめており、緊張と警戒は一ミリも緩むことはない。

 ルーシアの方は、そんな態度を向けられても変わらず無表情、無感情のままで、二人のそんな様子の対比は、むしろ見ているこちらに緊張を促してくるほどだ。

「そう緊張しないでいいわ。私達吸血種が、いかに恐れた相手かを肌で感じてみたかっただけだから」

「へぇ…」

 何の気負いもなく、自らの恐怖心を試そうとするルーシアのその態度に、パーラが感心したような声を出す。
 今更危害を加えてはくるまいと思いつつ、正面から度胸試しを仕掛けてきたルーシアがいっそ清々しい。

 ルーシアが観察するようにパーラの全身を見回し、時折息を呑んだり唸ったりという反応を見せることしばし。

「…吸血種としての根源に訴えかけるような怖さがあるのは確かね。もういいわ」

 何かに納得したような言葉を呟きながら一歩下がったルーシアが、パーラへと掌を向ける。

「満足した?」

「ええ、やっぱり力ある狼というのは、吸血種にとってどうしようもない天敵だったのね。あなたと敵対しなかったのは間違いじゃなかった」

 この場における吸血種の代表として、パーラの脅威を計った上で敵対することの愚を改めて理解したルーシアの言葉に、エランドとアッジが静かに長い息を吐く。
 まずないとは思っていても、まかり間違ってルーシアがパーラを脅威と見做して戦いを挑んできた場合を想定していたのだろう。
 エランド達は、その最悪の想定が成らなかったことに何よりの安堵を覚えたようだ。

「一応聞くけど、あなたは私達吸血種と敵対するつもりはある?」

「ないね。そっちから何かしてこない限り、吸血種に喧嘩売ろうとは思わないよ」

「そう、ならいいわ」

 吸血種に特効がある狼を敵に回すことを恐れ、緊張を孕みながらの問いにパーラはあっさりと否定を返し、ルーシアも素っ気無さの中に安堵が籠った答えを返す。
 パーラにしてみたら、吸血種とはここでたまたま遭遇しただけで、獣人としての力に特効があること自体、偶然知ったにすぎないため、別に吸血種を倒さなければならないという使命感も動機もない。

 ルーシアの不安も本当は杞憂なのだが、天敵がいると分かった時点で相手のスタンスを計るのは、今に生き残る吸血種を率いる地位に立つ者の責任と思ったのかもしれない。

「…我儘に付き合ってもらったことに感謝するわ」

 本当にパーラの姿をただ見たかっただけのようで、ルーシアは俺達への礼を口にすると窓の方へと歩いていく。
 その様子から、ルーシアがもう帰るつもりなのだと分かった。

「行くのか?」

「ええ、もう用は済んだもの。最後にもう一度、謝っておくわ。クロウリーのこと、迷惑をかけて申し訳なかったわね。本当なら村の人に私の口から言いたかったけど…」

「分かってる。村の連中は吸血種に恐怖心を持ってるからな。あんたの正体を知った上で目の前にしたら、どうなることかわかったもんじゃない」

 クロウリーは死んだと分かっていても、新しく吸血種が現れたとなれば村人にも次の恐慌が出だしかねない。
 それなら、ルーシアという吸血種は姿を見せず、クロウリーだけが最後に接触した吸血種として済ませた方が村人も精神的に安静で済む。

 アッジもそれを分かった上で、ルーシアの思いを汲んだ答えを返したわけだ。

「そうね…じゃあ行くわ」

 そう言うと、ルーシアの体がジンワリと滲むように輪郭を失っていく。
 夜の室内を照らすランプの明かりの具合もあり、その様はまるで彼女だけが焦点がズラされたようで、そしてそのまま体は霧へと変わっていく。

 クロウリーの時は小さな羽虫の群れだったが、ルーシアは霧へと体を変化させる能力のようだ。
 元ルーシアだった霧は僅かに漂うと、吸い込まれるようにして窓の隙間から外へと出て行った。
 扉ではなく窓から立ち去ったのは、霧とはいえ村人に奇妙なものを見せまいという配慮からか。

 何となくルーシアが去っていった窓を見る俺達だが、堪えきれずといった様子でアッジが大きく息を吐いた。

「はぁー…行ったか。敵じゃないとは分かっていても、やっぱり緊張しないわけにはいかんな。いなくなると、こうも安心するとは」

「仕方ないさ。吸血種を前にしたら誰だって緊張する。僕だってそうさ」

 脅威が去ったことで緊張から解放されたせいで、アッジとエランドは体から硬さが取れている。
 落ち着いて対応していたとはいえ、相手が吸血種とあれば身構えずにはいられず、こうして緊張から解放されればそういう態度にもなろう。

「さて、さっきも言ったが今日はもう休むとしよう。色々とあって疲れただろ。特にエランド、アンディとパーラ」

「クロウリーと戦って、その後にルーシアさんとの交渉とあったからね。なんだかんだ疲れは―」

「あのさ、ちょっといい?」

「ん?どうしたんだい?」

 話の流れから、今日はもうお開きになろうかという中、パーラがおずおずと声を上げる。
 その意識が向けられているのは、どうやら俺とエランドのようだ。

 なんだ?おしっこでも漏らしたのか?
 いや、だったらエランドを見るのはおかしいな。

「いや、いつ言おうかと悩んでて、エランドさんが手の空いた今ならと思って」

「僕に?」

「うん、エランドさんなら原因が分かるかなぁと…ほら、私って今の姿って元々のものじゃないじゃん?」

「そうだね、普人種から獣人に変身した、かなり珍しい事例だ」

「そう、それなのよ。実はさっきからこの獣人の姿から普人種に戻ろうとしてるんだけど、一向に変化しないんだよね。ずっと獣人姿のままなんだけど……どういうこと?これ」

 このタイミングでのカミングアウトにより、パーラが獣人姿から普人種型に戻れなくなっていると初めて知った。
 ずっと獣人形態だったのはルーシアを警戒してのものだと思っていたが、本当の所は単に普人種の姿に戻れなかっただけだったとは。

 以前、普人種の姿に戻るために狼の因子に封印をかけてもらったことがある。
 まさかそれが無効化されているのかとも思ったが、そもそも今のパーラの肉体は以前の者とは違っているし、今朝の時点で獣人の姿から戻れていたので、恐らく別に原因がありそうだ。

 パーラの思いの外軽い調子の声に深刻さを見失いかけるが、よく見れば目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
 必要に駆られて今の姿になったとはいえ、戻れなくなったとなればその衝撃はいかばかりか。
 当事者ではない俺には想像するしかないが、この様子を見ると割とショックはでかいのかもしれない。

「戻れないって…んなもん、獣人の姿になった手順の逆をやったらいいんじゃねぇのか?」

 どう解決するべきなのか、難しそうな問題の発生に誰もが口を閉じている中、アッジがシンプルな解決策を言った。

「それはもうやったけど、戻らないんだよ。今朝は普通に戻れてたのに、なんでか今は出来なくて。エランドさん、どうしよ?」

「うーん、なんとも言えないな。僕も別に獣人の専門家ではないし、ましてやパーラは特殊な事情だ。解決方法は正直思い浮かばないね。ただ、一つ推測するなら…」

「するなら…なに?」

「吸血種に対抗するため、パーラは強い狼の力をその身に宿した。あれだけの敵だ、体は生き残るために狼の因子ともいうべきものを強く活性化させ、倒した後もその影響は抜けきらない、という仮説はあり得る」

 本来なら戦いが終わった時点でパーラが狼の力をコントロールして鎮静化するのだが、何分強い狼の力を実戦で使ったのはこれが初めてだ。
 完全に扱いきれないがために、獣人の姿に固定されたのもやはり不慣れな力の代償と言う外ない。

「クロウリーが死んで脅威は去った。けど、活性化した因子が獣人姿から変化するのを妨げているわけだ。とすれば、解決策は一つしかない」

「あるの!?解決策!」

「ああ、たった一つ、たった一つの方法だ。それは…」

「それは!?」

「…一晩寝るってことだね」

 勿体ぶったエランドが口にしたのは、一見すると消極的ともとれる方法だ。
 ともすれば様子見というなの諦めとも取れなくもないが、流石にエランドもそこまで冷血ではない。

「は?それだけ?」

「それだけさ。いや何も適当に言ってるわけじゃないよ?君の体は今、戦闘の興奮が残っているのに似ている。なら一晩安静にして、危機は去ったと体に自覚させるんだ」

 クロウリーという強力な敵を前にして、パーラの体が防衛本能から狼の力が前面に出たままとなっているとすれば、一晩寝ることで戦いは終わって安全だと体に理解させる必要がある。
 要は寝てリセットするというわけだ。

「えー?ほんとにぃ?ほんとにそれでなんとかなる?」

「さて、どうかな。僕も君のような事例は初めてだからね。絶対にこうだとは言えないし、他に思いつかないんだ。一先ず寝て、明日どうなるか見ようじゃあないか。もしもだめだったら、その時に考えればいいさ」

「なんか適当…」

 エランドのやり方は研究者としては妥当なものだが、パーラにしてみれば真剣みが薄いように思えるのか、ジトリとした目をエランドに向けている。
 とはいえ、実際他に方法はなく、エランドの仮説も意外と説得力はあるので、それに結果を託すしかない。

 パーラも普人種の姿に戻れなくなるのは二回目ということもあり、不安はあるが一応落ち着いているし、今も話し合いをしている村長達には悪いが、とりあえず今日の所はもう休むことに決まった。
 決して様子見という名の逃避ではないのをここに誓っておこう。

 一日の最後にそこそこ大きな爆弾が放り込まれたわけだが、疲れているのもまた事実で、宿として借りている部屋へ入り、ベッドに体を預けると強烈な睡魔に襲われる。
 クロウリーとの戦いからルーシアの交渉まで、短い間に肉体的にも精神的にも疲れがのしかかる時間を過ごしたツケがここで来たようだ。

 夜も遅いこともあり、また明日もやることはあるので、疲労回復のためにも睡魔に逆らう意味は見いだせない。
 眼を閉じると同時に、ボンヤリとした心地よい眠気に手を引かれるようにして、俺の意識は深い眠りの中へと沈み込んでいった。

 ―ウォォオオーン…

 どこか遠くから狼の遠吠えが聞こえた。
 心なしか、悲しそうな声に思える。

 今のはまさか、パーラじゃないだろうな?
 狼の本能がそうさせたという理由があれば同情の余地は一応あるが、もしこんな夜中に騒いだとするなら、明日の朝は説教だぞ。
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