ラヴィニアは逃げられない

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15話

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「わあ……!」


 十日振りの外。
 一月以上振りの帝都。
 相も変わらず昼の街は人で溢れていた。

 菫色のドレスと蝶の形をした紫水晶の髪飾りを着け、メルと共に街へ買い物にやって来たラヴィニア。メルの腕に抱き付いたまま歩き、気になる場所があれば言ってと言われるもどの店も気になってしまう。
 シルバース夫人に送る手紙の便箋を買うのが第一の目的。以降は気になる場所を回るだけ。まずは便箋を取り扱う店へ。
 店内の客数は少ないが豊富な便箋が売りでメルへの手紙を書く時も此処で便箋を封筒と共に購入する。
 木製のテーブルに置かれた見本を眺めていき、シルバース夫人が好みそうな柄を探す。夫人は派手で豪華な柄が好き。ラヴィニア、とメルの声に顔を上げて一つの見本を見せられた。
 金色に光る花が風に揺られて動いている風景を魔法で切り取り便箋に刷り込んだ特殊な紙。派手好きなシルバース夫人なら喜んでくれそうだ。


「これにする。ありがとうメル」
「母上はこういう派手な柄が好きだから」
「とても綺麗ね。夫人に書くのとは別に数枚購入しましょう。……あ」


 言って大事なことを思い出した。今の自分はメルに修道院から引き取られた身。自由に使えるお金があまりない。最初に売った宝石のお金は修道院に入る際幾らか寄付をし、子供達の為にお菓子や玩具を買い、刺繍を教える為の布を個人的に購入していたので大した額が残っていない。
 急に黙り込んでしまったラヴィニアを心配げにメルが顔を覗き込む。


「ラヴィニア?」


 見本の前に立てられている値札を確認し、手持ちでギリギリ金額だと知るとそっと息を吐いた。安心してしまったのだ。


「何でもないよ。買ってくるから此処で待ってて」
「俺が買うよ」
「平気だよ。ちゃんとお金は持ってる」
「そういう意味じゃない。ラヴィニアの為に俺が買いたいだけ」


 結局メルに押し切られ、便箋はメルが払った。予備と保管用を兼ねて三枚購入予定が店にある分全部を買ってしまった。特殊な製造方法でしか作れず、期間も長い為次回の入荷は早くて二月後だと店主は語った。
 綺麗に包装された便箋とついでに便箋に劣らない封筒も多目に買い、二人は店を出て露店通りを歩いていく。


「キングレイ侯爵家に戻れたら、あれくらい全部買えるのに。もう少し、宝石を多く持って行けば良かったわ」
「修道院への路銀はその宝石で?」
「お父様から貰った宝石が殆どよ。私には大きく重いだけだけど、売ればかなりの金額になると知ってたもの」


 成人の祝いとして一応という建前で贈られたサファイアの首飾りはラヴィニア自身言った通り、重く大きいだけで首に下げているだけで疲れた。
 売り払い、他の手に渡っても何も感情は抱かなかった。


「メルはお父様と会う機会があるの?」
「さあ……どうだかな」


 曖昧な言い方と冷たい声色を聞き、それ以上は聞かなかった。メルは何か言いたそうにするも、露店通りが近付いて顔色を変えたラヴィニアを見て止めた。


「果物屋さんだって! メルの好きなリンゴが沢山置いてあるわ!」


 ラヴィニアが示した方向には籠一杯に積まれたリンゴが販売されていて、店に近付きリンゴの甘酸っぱい香りに頬を綻ばせた。


「美味しそうな香り。幾つか買って帰ろう」
「いいよ」


 魔法で即席のバスケットを作り、食べ頃のリンゴを選び合計で五個を購入。
 珍しい魔道具を売っている店や妖しい玩具を扱う店もあり、二人楽しんだまま一旦休憩をするべく噴水広場を訪れた。水の魔法で動いている噴水周辺には長椅子が設置されており、休憩するには最適。空いている長椅子に座ったラヴィニアとメル。バスケットにはリンゴの他に丸い形のパンや地方でしか採取されない木の実で作られた珍しいジャムの瓶、最初の店で買った便箋と封筒が入れられている。
 バスケットを自分の隣に置いたメルが次は何処へ行こうかと周囲を見ながら言う。買い物は楽しんだが、まだメルと外にいたいラヴィニアは行列が出来ているお菓子の店に目を付けた。


「次はあそこへ行きましょう。人が沢山並んでるなら、きっと美味しいお菓子があるのよ」


 指差す方向をメルも見て、いいよとラヴィニアの頭にキスを一つ。
 よくしていたデートと何も変わらない。
 よくプリムローズの邪魔を受けていたが今の状況ではさすがにないだろう。

 と思ったのも束の間。


「知っている奴がいるかと思えば、お前達か」


 余程のことがない限り関わりたくない相手の声が前方からする。
 既に立っている。
 隣から伸びた手が腰に回され強く引き寄せられた。驚いてメルを見上げると面倒臭そうで嫌そうなのを一つも隠そうともしない相貌で相手を睨んでいた。
 帝国の皇太子エドアルトはお忍びらしく変装魔法で髪や瞳の色を茶色に変えてはいるが姿形までは変えていない。片手にウサギ型のクッキーが入った薄いピンク色の瓶を持っている。
 大方、プリムローズへの土産といったところか。


「メル、プリムを泣かせたな。昨日からずっと部屋で泣いて顔を出さないと大公が嘆いていたぞ」
「俺の知ったことか」
「大公令嬢と侯爵令嬢、選ぶなら、どちらが有益となるか分かるだろう」
「生憎だな。身分の差を出されても俺がプリムローズを選ぶのは決してない。第一、そこまで言うならお前がプリムローズを娶ればいい」
「……」


 メルとエドアルトは従兄弟。エドアルトが二歳上となる。
 プリムローズを妹同然に可愛がるエドアルトからすると、大切な彼女の気持ちを受け入れないメルの行動に理解を示せないのだ。色が変わっても鋭さは何ら変わらない眼光がラヴィニアに向けられ、体を強張らせるもメルが守るように強く引き寄せるから恐怖よりも安心感が勝る。
 未だに皇太子妃候補がいないのは、プリムローズを大事にする彼自身にも問題がある。親戚を大事にするのは結構だが、度が過ぎれば痛手となる。


「皇太子がお忍びで菓子でも買いに来たか。ご苦労なことだ」
「……」


 暇人と遠回しに嫌味を言うメルを茶色の目が僅かな怒気を孕んで睨むも、冷徹さにおいては引けを取らない空色の瞳に怯みはない。睨み合いはエドアルトが折れて終わった。


「……お前には関係ない。私個人の理由で購入したものだ」
「プリムローズの為だろうがそうじゃなかろうが俺にはどうでもいい」
「そうまでしてプリムを嫌う理由はなんだ。第一、そこの婚約者よりも殊更プリムを大事にしていたお前が」
「それは俺も悪かった。そのせいでプリムローズを図に乗らせてしまった」


 きっと、あの時のキスのことを言っている。プリムローズに特別優しかったのはメルに冷たくされた苛立ちをラヴィニアに向けない為の嘘。メルがプリムローズに好意なんて一欠片も抱いていないと知り驚く程安堵した。
 メルを見上げるとオレンジ色の髪に口付けられた。メルの微笑みに微笑むと冷たく突き刺さる痛い視線が襲う。横を見やると、茶色の瞳が本来の紫の瞳に戻り、視線だけで殺すと言いたげな眼がラヴィニアに放たれていた。
 氷のように冷たく、刃のように鋭い紫の瞳に睨まれるのは何回目だろうか。プリムローズを大公夫妻や兄よりも大事にするのなら、彼自身がプリムローズの心の支えとなればいいものを。
 蛇に睨まれた蛙よろしく固まっていれば、顔をメルの胸元に隠され抱き締められた。動きたくても後頭部を強く押さえるから動けない。


「プリムローズを大事にするのはお前の勝手だ。そこにラヴィニアを巻き込むな」
「そこの令嬢がお前の婚約者である限り、無理な話だ。
 ああ、そういえばキングレイ家を除籍されたんだったな。侯爵夫人や妹君があちこちの茶会に参加しては吹聴していたと聞く。なら婚約者ではないか」
「婚約者のままだ。それにラヴィニアは正式には除籍されていない。当主であるキングレイ侯爵が認めていないのだからな」


 え?

 と言いたかったが黙ったままを貫く。


「勝手に家を飛び出し、どこで何をしていかた分からないんだぞ? そんな令嬢を婚約者のままにするとは、お前だけじゃなく、シルバース家の威厳にも関わる」
「婚約継続は父上や母上も同意の上だ。大体、母上がラヴィニアを大事にしているんだ」
「母親が友人だったからだ」
「それもあるだろうな。だが、ラヴィニアを娘に出来る日を心待ちにしている。もしも俺が心変わりをしてプリムローズを選んだとしても、ラヴィニアと同じ扱いはしない。何だったら、さっさと離縁するよう仕向けるだろうな」
「嫁入りした皇女がするとは思えんな」
「気に入った相手ならともかく。気に入らない相手は何があっても気に入ることはない。お前もよく知ってるだろう」
「……」


 何も告げずにキングレイ家を飛び出した自分を見捨てず、未だ大事に思ってくれているシルバース夫人に無性に会いたくなった。会って謝りたい。勝手に家を飛び出したこと、何も言わず消えたことを。
 ただ、気になるのは父。後妻と一緒になって嫌っていたくせに除籍に同意しなかったのは何故。シルバース家との繋がりを保ちたくて必死という諦念と貴族の当主なら格上の相手と繋がりを持ちたがるのは普通という二つの感情に挟まれるも、父に対して思い入れがないラヴィニアは一旦父を隅に置いた。

 沈黙が訪れた。
 どちらも言葉を発さない。
 視線だけで争っているのだろうが、先に折れたのはやはりエドアルトだった。

 メルが力を緩め、後ろを向いた時にはエドアルトの後姿が先へ行っていた。片手にはクッキーが入った瓶を抱えて。

 個人的な理由で購入したと言うがどう考えてもプリムローズに渡す以外考えられない。

 エドアルト本人はともかく、うさぎ型のクッキーはとても可愛い。メルがうさぎ好きなのもあり、ラヴィニアも動物の中でうさぎが一番好きだったりする。


「ねえメル。殿下が持っていたクッキー瓶を売るお店を探しましょう。メルの好きなうさぎ型のクッキーなんてとても可愛い」
「あいつと同じ物をか……」
「殿下に貰う訳じゃないのだし、クッキーを入れてる瓶もお洒落だから欲しいの。駄目?」
「駄目な訳ない。いいよ、もう少し休憩したら探しに行こう」
「うん!」



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