ラヴィニアは逃げられない

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25話

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「ああっ、メル……!」
「っ……」


 プリムローズの手がメルに触れた。
 嫌だ、メルに触れないで、メルに近付かないで。
 声にしたい悲鳴は自分の命を握る侍女の存在で出せない。

 恍惚とした面持ちでメルの頬を撫で瞳の光を強くしたプリムローズが「わたくしを見て、わたくしを愛してメル」と紡ぐ声には魔力が込められていた。瞳に掛けた魔法といい、人の心を惑わす類の魔法だろうか。メルが拒絶すればラヴィニアに危害が及ぶ。メルはラヴィニアを人質に取られ迂闊に動けない。この宮ではメルの同伴がないと建物外には出られなくても魔法の使用は許されていた。脱走の心配をされないのは脱走防止の魔法をラヴィニア自身に掛けられているからだ。

 裸で初めは恥ずかしがっていたのにメルを手に入れる寸前迄くるとプリムローズは羞恥心を捨て去った。裸のままメルに抱き付いた。胸元に顔を寄せ、手を置き、愛おしげに擦り寄るプリムローズは勝ち誇った目でラヴィニアを嗤った。
 服の間に手を入れようとした矢先、白い手首をメルの手が掴んだ。と同時に侍女の拘束が解けたラヴィニアは床に座り込みそうになりながらもメルの許へ駆け付けた。プリムローズを強引に離したメルに抱き締められ、倒れた侍女の側まで移動した。


「メルっ、大丈夫?」
「大丈夫だよラヴィニア」


 メルに頭を撫でられ、額にキスを落とされる。裸のプリムローズがメルに抱き付いた光景を忘れたくて力強く抱き付いたら、同じくらいの力で抱き締められた。

 呆然としていたプリムローズは我に返ると胸と恥部を慌てて手で隠し、悲痛な声を上げた。


「ど、どうしてよ、なんで魔法がっ」
「さっきお前の手首を掴んだ時、魔力の流れを変えさせてもらった。しばらくは魔法が使えない」


 相手の体内に自身の魔力を注ぎ、魔力の流れを変えることで魔法操作を乱れさせた。熟練の魔法士ならすぐに流れを戻せるが訓練を受けていないプリムローズにその技術はない。メルの言う通り魔力を込めても魔法は発動しない。
 身体を隠すように蹲り、声を上げてプリムローズは泣き出すが心配をする者はこの場には一人もいない。

 慌ただしい足音が迫って来る。開いたままの扉から現れたのはエドアルトとプリムローズの兄ロディオン。二人同時にプリムローズの名を発し、裸で蹲って泣いているプリムローズを発見し絶句した。
 ロディオンは悲しむ妹に駆け寄り外套をプリムローズに掛けてやった。エドアルトは室内をさっと見回し、ロディオンとプリムローズの側へ行く。


「プリムっ、ああ、可哀想に! メル! 貴様、よくプリムを!!」
「勘違いしているようだがプリムローズが裸なのは自分で裸になったんだ」
「嘘を吐くな! プリムがそんなはしたない真似をするか!」
「信じたくないならそれでもいい。ただ、俺は事実しか言わない」
「嫁入り前の、それも大公家の長女をこんな目に遭わせて貴様に罪悪感はないのか!?」
「なら俺からも抗議しよう。プリムローズやフラム大公、更に皇帝陛下はシルバース夫人の名を無断で使用し、俺への贈り物だとしてプリムローズを寄越した。これがどういうことか分かるか?」
「それの何が悪い!!」


 大公家の跡取りとは思えない返しにメルやラヴィニア、プリムローズ側のエドアルトも絶句した。ラヴィニアとメルに至っては二度目の絶句だ。爵位で言えば公爵家よりも大公家と皇室が上だが好き放題していい理由にはならない。


「……ロディオン、まずはプリムが先だ。プリムを連れて急いで皇宮へ行き服を着せてやれ。私の侍女に言えばすぐに用意する」
「エドアルト! この不敬な奴等の対処はお前に任せたぞ。可愛いプリムを傷物にしたメルを痛めつけてやってくれ」


 エドアルトは何も言わず、頷きもせず、早く行けとロディオンを急かした。泣いて蹲っているプリムローズを外套で包み、ロディオンは部屋を出て行った。
 嵐が去っても次の嵐は残ったまま。

 エドアルトは鋭い相貌を保ったまま大きな空の箱に近付いた。


「プリムがこれに入っていたのか」
「お前は知っていた側だろう」
「半分は、な。ただ、プリムがあんな強硬手段に出るとは思わなかった」
「さっさと追い掛けたらどうだ。可愛い妹分を慰めてやればいい」
「……お前はどうしてそこまでキングレイ侯爵令嬢に拘る。キングレイ侯爵家の力が欲しいなら、異母妹を取り入れた方が得だろうに」
「関係ない。キングレイ家じゃなかろうとラヴィニアを選んだ。俺が欲しいのはラヴィニアだけだ」


 メルに抱き締められる力が強まった。それと同じくらい、エドアルトからの視線も強くなった。


「お前こそ、何故プリムローズを皇太子妃候補に入れない」
「妹として可愛がっても異性として見たことがない。プリムでは皇太子妃は務まらない。ロディオンでさえあの様だ……」


 大公家の跡取り教育はどうなっているのか、誰が担当したのかと口を挟みたくなる出来の悪さ。もしくはロディオンの素質か。

 うんざりと言わんばかりのエドアルト。箱を炎魔法で燃やし、灰も残さず消した。


「フラム大公夫妻は今のことを材料にお前とプリムの婚約を強引に押し進めようとするだろうな。父上からの援護があっては、さすがのシルバース家も降参だろう」
「徹底的にプリムローズの身体を検査したらいいさ。俺が何もしていないという事実しか出ないがな。それに勝手に母上の名を使ったんだ。不利になるのはどちらかな」


 言わなくてもエドアルトだって解しているから、何も言わずメルを睨む瞳に力を入れるだけ。
「すぐに皇宮から使者を寄越す」とだけ言い残し、部屋を出て行った。
 プリムローズの入っていた大きな箱以外に小さな箱があったと思い出し、魔法を使ってその箱にロディオンが入っていた予想を立てる。
 魔法の難易度は上がるが練習を重ねれば習得不可能な魔法じゃない。学はともかく、魔法に関しての才能は兄妹揃ってあるらしい。

 別の使用人を呼び、眠っている侍女を別室に運ばせ、暫く二人だけにしてほしいと人払いをした。ソファーに二人並んで座った。


「すぐにこのことは母上に報せる」
「うん……。メル……大丈夫だよね? プリムローズ様が、その、裸になった責任をメルが取らされることなんてないよね?」
「勝手にプリムローズが裸になったんだ。魔法騎士団に依頼して記憶を探ってもらえばすぐに解決する。問題なのは皇帝の方だ」
「うん……」
「大公家に甘いと思っていたが嫁いだ妹の名前を勝手に使わせるなんて何を考えているんだ」
「そうまでしてメルとプリムローズ様を婚約させたいのかな……」


 帝国で最も尊い人が私的な理由で権力を使ってはならない。フラム大公家は皇室と繋がりが強く、娘のプリムローズを自分の娘のように可愛がっている。エドアルトの溺愛も皇帝の影響が強い。
 メルにキスをされると先程までの不安が消えていく。お返しに頬にキスをするとメルは嬉し気に微笑み、騒動を報せる手紙を書くからと便箋を取りに部屋を出た。

 一人残ったラヴィニアは置かれているクッションを抱いた。
 自分にも何か出来ることはないか、と。


「……何もない……」


 今更実家を頼ることはできず、自分自身に特別な力があるわけでもなく。


「そうだ……殿下に……」


 嫌っているのに兎に関連する物を贈ってくるエドアルトにお礼を言えていない。メルが必要ないと不機嫌そうに言うから。エドアルトに会うとしたらメルは駄目だと一蹴してしまう。内緒でエドアルトに会えないか、侍女が起きたら頼もうと決めた。




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