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44話
しおりを挟む二人を乗せた馬車は修道院の前へと到着した。
御者が開けた扉から馬車を降りたメルは、後に控えるラヴィニアに手を差し出した。メルの手を取り馬車を降りたラヴィニアは久しぶりの修道院を見て目を細めた。最初と今の心情は全く異なる。あ、と何かを思い出すと街で買った子供達へのお菓子を持ち出した。職員達へのお土産も忘れていない。
「俺が持つよ」
「重くないから平気だよ」
「俺が持ちたいだけ」
「あ」
慣れた手付きでラヴィニアから荷物を取ったメル。もう、と呆れるがメルのしたいようにさせよう。
正面玄関まで近付くと扉が開かれた。
「もう着いたんだね。待ってたよ」
中から現れたのは修道院の院長サミュエル。「院長」と笑みを浮かべ、駆け寄ったラヴィニア。
「帝都の話は幾つかこっちにも届いていたよ。キングレイ侯爵家の事は残念だったと言った方がいいのかな」
やはりサミュエルにはラヴィニアがキングレイ侯爵家の令嬢だと知らされていた。家族との関係が最悪でも父親が当主から退いたとなればある程度の情は抱くものだと思われたのだろうが「いえ」とラヴィニアは緩く首を振った。
「子供の時からお父様とは碌に親子関係を築いてこなかったから、当主が叔父になっても私は何も思いません」
「そう」
強がっているんじゃない。本心からの言葉。サミュエルからはキングレイ侯爵家の話題は以降出なかった。
「やあシルバース公爵令息。大量の荷物はどうしたの」
「ラヴィニアが街で買った修道院の人達へのお土産ですよ」
「気を遣わせてしまったみたいだね」
建物内に向かってサミュエルが声を出すと何人かの職員が顔を出した。メルの持つお土産を受け取り、子供達や他の職員に配るよう指示が出された。
やって来た職員はラヴィニアの知らない顔ばかり。聞くとラヴィニアが修道院を出された後に入った人だとか。
「元気そうで良かったよ。元々、変装魔法を使っている時点で訳アリな子だとは思っていたから」
「あ……騙していたみたいですよね……ごめんなさい」
「ああ、誤解しないで。時折、君みたいに姿や名前を変えて入る子はいるから」
怒っている訳じゃないと解り安堵する。
ラヴィニアはチラッとメルを見つつも、此処に来たらサミュエルの次に話をしたい人がいて相手がいるか訊ねた。
「院長、ハリーは修道院にいますか?」
「シルバース公爵令息からハリーが誰か聞いた?」
「カトレット家のハロルド様と聞いています」
実際には聞いたのではなく、フラム大公家のお茶会で知った。
「ああ……ハロルドね……失恋したショックで今は近隣諸国を渡り歩いているよ。武者修行とか言って」
「失恋ねえ……」
言い難そうに、若干メルから視線を逸らしてハリーことハロルドの近況を述べたサミュエルに対し、どこか不機嫌な声色で呟いたメル。名前しか知らないハロルドが誰に片思いしていたか当然知らないラヴィニアは「そうですか……」とあっさりと納得した。
「修道院でお世話になったからお礼を言いたかったな」
「今度帰ってきたら伝えておくよ。一応、年に一度は帝国に帰って来るようにとは言ってあるから」
「ありがとうございます」
何も言えないまま修道院から連れ出され、連絡を送れたのは離宮にいた時出せた手紙だけ。それも一通のみ。お世話になったのにお礼の一言も言えないまま会えずに終わったのはハロルドだけ。失恋してしまったのなら、暫くはそっとしておき、過ぎてゆく時間がハロルドの失恋の傷を癒してくれるのを待つ。お礼はその時でも言える。
「シルバース公爵令息ってば、全然連絡を送らないから心配したよ」
「タイミングを逃していただけです」
「しれっと心にもないことを言う……」
ふいっとそっぽを向き、若干不機嫌なメル。メルからすると修道院は勘違いを起こしたラヴィニアが逃げた場所。一刻も早く連れて帰りたかったメルからすると連れて来たい場所でもなかった。
魔法を使って姿を変えるのは余程の訳アリ。ラヴィニア以外にも変装魔法を使って修道院で過ごしている女性、中には男性もいるらしく、院長としてサミュエルが特に気に掛けている。
「院長。院長の花畑にメルと行っていいですか?」
「いいよ。ついさっき水やりをしに行ったばかりだから、花達も上機嫌になって綺麗に咲いている頃だよ」
「ありがとうございます」
水やりとは魔力を指す。サミュエルの魔力によって咲く花々は水よりも、管理者たるサミュエルの魔力が栄養となり美しく咲く。
サミュエルに頭を下げて礼を述べた後、メルの手を引いてラヴィニアは花畑のある森へと移動した。建物の裏を回って森の中を歩くこと二十分。最初に来た時は森の景色ばかりで早く着いてほしいと飽きていたが今はメルがいる。
「こんな場所に花畑を作ったのは、自分だけの時間が欲しかったからだろうな」
「院長でもそんな考えがあるのね。いつも人に囲まれている姿しか見なかったから、考えたこともなかった」
「元々、他人と接するのが好きな人なのは確かさ。まあ、人間誰だって一人になりたい時はある」
「メルもあるの?」
もうすぐ花畑に着く証として花の甘い香りが嗅覚を通った。小さく目を丸くするも、何故か微笑まれるだけでメルは何も言わず。不思議に思いながらラヴィニアは「もうすぐだよ」とメルの手を引いて奥へ進んだ。
——最初に訪れた時と変わらない。辺り一面に咲くピンク色の薔薇は当時と変わらず全て満開。サミュエルの言った通り魔力を与えられたばかりの薔薇は瑞々しく陽光を反射し光を帯びている。
修道院を訪れたのがシルバース家の誰かだと知った際、此処に逃げて帰るのを待った。戻ったらハリーに誰が来たか聞くつもりだった。
メルに見つかって、抵抗も何も出来ないまま此処から離宮へ連れて行かれた。
プリムローズが好きなのだと勘違いをし、乗っていた馬車が事故に遭って怪我を負ったメルのお見舞いに行った先で見たプリムローズとのキス。特別プリムローズに優しかった上、プリムローズもメルが好きだからラヴィニアの誤解を加速させた。
「さっきの答え、言ってあげようか?」
「え?」
真ん中に行ったら何処を見てもピンク色の薔薇が見れるとメルの手を引いて進んで行く途中、不意にメルが発した言葉の意味をラヴィニアは考える。間もなく、メルに手を引っ張られ抱き締められた。
「一人になりたい時って話」
「今?」
「ああ、今」
「メルにもあるの?」
「なくなった」
顔を見ようと上へ向けると後頭部を押さえられ、胸元に顔を押し付けられてしまった。抗議の声を上げてもメルの手は力を緩めない。顔を見られたくないのか、と思ったのは正解だった。
「ラヴィニアがいなくなってから一人でいるのが駄目になった」
自分を抱き締める腕にも時折頭を撫でる手にも、変化はない。
但し、声だけは違った。
メルの声だけは微かに怯えを帯びていた。
「ラヴィニアに嫌いだって言われた日から一人でいるのが駄目になった。一人でいたら、あの時の事を思い出してしまって何も出来なくなる」
「メル……」
自分の勘違いから飛び出た言葉は、想像よりもずっとメルを傷付け深いトラウマを与えていた。きっとこの先、沢山の愛情をメルに注いでも深奥まで傷の入った部分を修復するのは不可能。トラウマを消すこともまた叶わない。
「メル。手を離して」
傷やトラウマを刺激せず、自分にしてやれるのはただ一つ。
そっと手を離したメルと少しだけ距離を作ると襟のところを両手で掴み、背伸びをしてメルにキスをした。……ラヴィニアの行動を読んだメルが高さ不足を見越して顔を下げてくれたのは見なかった事にする。
触れるだけのキスをするだけで恥ずかしくて顔が真っ赤だ。キョトンと目を丸くしつつも、メルの表情はどこか嬉し気だ。ラヴィニアからした些細なキスがメルにとっては嬉しい。
「どこにも行かない。ずっとメルの側にいる。最後までメルと一緒にいさせて」
「……ああ、勿論だよ。どこにも逃がしてやらない」
「逃げたりしない」
すっかりとメルに捕らわれてしまい、逃げたいと思う気持ちが消えてしまっている。
あんなにもメルの側から逃げたくて、逃げたい一心で別れを突き付け修道院へ駆け込んだのに。
あの時と今の気持ちは別物。
自分からメルの側を離れたいと思う日はもう来ない。
「帝都に戻ったら赤ちゃんウサギのお世話をしよう? ブラッドラビットの赤ちゃんを見られるのは今しかないと思うから」
「いいよ。俺も気になっていたんだ」
「うん」
死ぬまでずっと——メルの側にいたい。
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