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せめて、最高のはじめてを 3
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助手席で俯いている葵に、掛ける言葉が見つからない。
車を停めて抱き寄せるわけにもいかず、ただ静かに夜のドライブを続けた。
会社のエントランスで漏れ聞こえた二人の会話と、葵の行動から、葵が自らの意思で真田律と距離を置いたのは間違いない。
何故思い合っている二人が離れる必要があるのかー。
重要な事を見落としているのに気づけないまま、自宅マンションの駐車場に着いてしまった。
「着いたよ」
やっと声を掛けると、こちらを見た葵の顔は、疲れてはいたが、頬に涙の跡はなかった。
少しだけホッとして、後部座席から重たいスーツケースを運び出すと、葵は大人しく俺に着いて来た。
エレベーターに乗り込んだ途端、葵が自分の完全なプライベート空間に入った事に気付いて思わず息を飲む。
急に緊張しだすと、生あくびが出た。
考えてみれば家に誘ったのもほとんど勢いと思いつきだ。
あくびを隠すために口元を押さえていると、葵が怪訝そうな顔で俺を見ていた。
『葵が嫌がることは絶対にしない』
と、心に誓ってから、鞄から部屋の鍵を取り出した。
解錠して、来客用スリッパを出すために先に玄関に入って振り返ると、ドアの前で葵が固まっている。
どうやら彼女もこのシチュエーションに気付いたらしい。
「真田さん?」
俺も緊張していたが、安心させるために、できるだけ柔らかい声で呼びかけた時、葵の電話が鳴り始めた。
スマホをチラ見した葵の表情だけで誰からの電話か分かってしまう。
真田律にとっては全くもって不本意だろうが、葵はその音に背中を押されるように俺の家に足を踏み入れ、電話の電源を落とした。
もう真田律の邪魔は入らない。
葵が家の奥に進むにつれ、さっき誓いを立てたばかりなのに、煩悩がざわめき出す。
もっと葵のことを知りたい。
もっと長く葵と一緒に居たい。
葵の嫌がることは絶対にしないということは、裏を返せば葵が望めば何でもしてやりたい、ということになる。
そしてずる賢い俺は、自分がここに留まる為の大義名分を得る方法を思いついてしまった。
果たして上手くいくだろうかー。
家の最奥にある部屋のドアを開け、
「で、寝るところはここ」
と言うと、眼前のベッドに葵が固り、絶叫した。
「無理です!!」
そうだろうとも。
この反応は想定内だ。
計画が軌道に乗り始めると、調子に乗ってしまうのは俺の悪い癖だ。
さっきまでの緊張がほぐれ、ワクワクし始める。
「ごめん。連れてきたのはいいけど、よく考えたらうち客用布団がないから俺のベッド使って」
ポリシーどおり嘘はつかない。
うちには客用布団がない。
「いえ!私リビングのソファーで十分ですから!」
「いや、そんなことさせられないし。俺違う所で寝るから。真田さんがお風呂入ってる間にシーツ変えとくよ」
「課長はどこで寝るつもりなんですか?
「社長のところだよ」
思わず顔がニヤける。
だって、葵の顔に書いてある。
『ありえない』って。
「こ、こんな時間に…?」
「いつものことだけど?」
ほら、早く言って?
俺が自分の家に留まれるように。
「しゃ、社長のご主人いらっしゃるんじゃ?」
「橘さん?今日は出張で戻らないって言ってたよ」
葵の顔の文字は、『私がここに来たせいで、課長がこんな時間に社長の所に行っちゃう…』に変わった。
…もう一押しか。
「そういうことだから、俺居ないし、早くお風呂に入って自分の家だと思って寛いで。朝迎えに来るから」
つい愉しげな口調で言うと、それが止めになったらしく、必死な顔をした葵が、俺の服を引っ張った。
「待って!行っちゃダメ!!」
ーはい、いただきましたー
同時に嬉しさが脳天をジーンと突き抜ける。
「行っちゃダメ、か。…言わせるように仕向けといて何だけど、想像以上だな」
今回本音を口にしたのは、完全に態とだ。
せっかく知恵を絞って一晩同じ家で過ごす権利を得たんだ。
少しくらい男として意識してもらったっていいだろう?
期待を裏切らず、完全に身構えてくれた葵をしたり顔で風呂に送り出すと、急に喉の渇きを自覚した。
冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルの蓋を開けたタイミングで、利加子からの電話が鳴った。
「…もしもし?」
「唯人?何やってんの。何回もかけたのよ?」
「ごめん。ちょっと緊急事態で」
「まさか真田さん連れ込んでるの?」
会話の合間に口に含んだ水を、派手に噴いてしまった。
「…盗聴器でも付けてんの?」
「そんなに暇じゃないわよ…っていうか、本当に連れ込んでるの?もう既成事実作ったとか!?」
いくら何でも知り合って二日目に既成事実はないだろうと言ってやりたいが、寝室のシーツを替えないといけないんだった。
おしゃべり好きの利加子との会話を早く切り上げるために、本題を促す。
「…で?急ぎ?」
「耳寄りな情報が入ったから教えてあげようと思って」
「何?」
「いや、もうそういう関係まで持ち込んだんなら必要ないわよ」
「事情があって連れてきただけで、まだ指一本触れてないよ。もったいぶるな」
早くしないと風呂上がりの葵を見逃してしまうという焦りで、つい口調がきつくなる。
「あんたの恋敵情報よ」
「真田律の?俺を指名手配させたとか?」
大事な葵が消えたんだ。その可能性がないこともない。
「何言ってんのよ。見合いよ、見合い。それも殆ど結婚内定してるんですって」
「…は?まさか葵と?」
「そんなわけないでしょ?まだ相手までは分からないけど、相当名家のご令嬢らしいわよ。良かったわね。不戦勝みたいなもんじゃない?」
見合い?
結婚?
誰の…何の話、だ?
さっき対峙した真田律は、葵に対する愛情から来る執着をあからさまに見せていたじゃないか。
それが、葵とは別の女と婚約、だと?
電話の向こうで利加子が話を続けていたが、頭を整理するのに耳障りなので、無視して通話終了ボタンをタップしてしまった。
車を停めて抱き寄せるわけにもいかず、ただ静かに夜のドライブを続けた。
会社のエントランスで漏れ聞こえた二人の会話と、葵の行動から、葵が自らの意思で真田律と距離を置いたのは間違いない。
何故思い合っている二人が離れる必要があるのかー。
重要な事を見落としているのに気づけないまま、自宅マンションの駐車場に着いてしまった。
「着いたよ」
やっと声を掛けると、こちらを見た葵の顔は、疲れてはいたが、頬に涙の跡はなかった。
少しだけホッとして、後部座席から重たいスーツケースを運び出すと、葵は大人しく俺に着いて来た。
エレベーターに乗り込んだ途端、葵が自分の完全なプライベート空間に入った事に気付いて思わず息を飲む。
急に緊張しだすと、生あくびが出た。
考えてみれば家に誘ったのもほとんど勢いと思いつきだ。
あくびを隠すために口元を押さえていると、葵が怪訝そうな顔で俺を見ていた。
『葵が嫌がることは絶対にしない』
と、心に誓ってから、鞄から部屋の鍵を取り出した。
解錠して、来客用スリッパを出すために先に玄関に入って振り返ると、ドアの前で葵が固まっている。
どうやら彼女もこのシチュエーションに気付いたらしい。
「真田さん?」
俺も緊張していたが、安心させるために、できるだけ柔らかい声で呼びかけた時、葵の電話が鳴り始めた。
スマホをチラ見した葵の表情だけで誰からの電話か分かってしまう。
真田律にとっては全くもって不本意だろうが、葵はその音に背中を押されるように俺の家に足を踏み入れ、電話の電源を落とした。
もう真田律の邪魔は入らない。
葵が家の奥に進むにつれ、さっき誓いを立てたばかりなのに、煩悩がざわめき出す。
もっと葵のことを知りたい。
もっと長く葵と一緒に居たい。
葵の嫌がることは絶対にしないということは、裏を返せば葵が望めば何でもしてやりたい、ということになる。
そしてずる賢い俺は、自分がここに留まる為の大義名分を得る方法を思いついてしまった。
果たして上手くいくだろうかー。
家の最奥にある部屋のドアを開け、
「で、寝るところはここ」
と言うと、眼前のベッドに葵が固り、絶叫した。
「無理です!!」
そうだろうとも。
この反応は想定内だ。
計画が軌道に乗り始めると、調子に乗ってしまうのは俺の悪い癖だ。
さっきまでの緊張がほぐれ、ワクワクし始める。
「ごめん。連れてきたのはいいけど、よく考えたらうち客用布団がないから俺のベッド使って」
ポリシーどおり嘘はつかない。
うちには客用布団がない。
「いえ!私リビングのソファーで十分ですから!」
「いや、そんなことさせられないし。俺違う所で寝るから。真田さんがお風呂入ってる間にシーツ変えとくよ」
「課長はどこで寝るつもりなんですか?
「社長のところだよ」
思わず顔がニヤける。
だって、葵の顔に書いてある。
『ありえない』って。
「こ、こんな時間に…?」
「いつものことだけど?」
ほら、早く言って?
俺が自分の家に留まれるように。
「しゃ、社長のご主人いらっしゃるんじゃ?」
「橘さん?今日は出張で戻らないって言ってたよ」
葵の顔の文字は、『私がここに来たせいで、課長がこんな時間に社長の所に行っちゃう…』に変わった。
…もう一押しか。
「そういうことだから、俺居ないし、早くお風呂に入って自分の家だと思って寛いで。朝迎えに来るから」
つい愉しげな口調で言うと、それが止めになったらしく、必死な顔をした葵が、俺の服を引っ張った。
「待って!行っちゃダメ!!」
ーはい、いただきましたー
同時に嬉しさが脳天をジーンと突き抜ける。
「行っちゃダメ、か。…言わせるように仕向けといて何だけど、想像以上だな」
今回本音を口にしたのは、完全に態とだ。
せっかく知恵を絞って一晩同じ家で過ごす権利を得たんだ。
少しくらい男として意識してもらったっていいだろう?
期待を裏切らず、完全に身構えてくれた葵をしたり顔で風呂に送り出すと、急に喉の渇きを自覚した。
冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのボトルの蓋を開けたタイミングで、利加子からの電話が鳴った。
「…もしもし?」
「唯人?何やってんの。何回もかけたのよ?」
「ごめん。ちょっと緊急事態で」
「まさか真田さん連れ込んでるの?」
会話の合間に口に含んだ水を、派手に噴いてしまった。
「…盗聴器でも付けてんの?」
「そんなに暇じゃないわよ…っていうか、本当に連れ込んでるの?もう既成事実作ったとか!?」
いくら何でも知り合って二日目に既成事実はないだろうと言ってやりたいが、寝室のシーツを替えないといけないんだった。
おしゃべり好きの利加子との会話を早く切り上げるために、本題を促す。
「…で?急ぎ?」
「耳寄りな情報が入ったから教えてあげようと思って」
「何?」
「いや、もうそういう関係まで持ち込んだんなら必要ないわよ」
「事情があって連れてきただけで、まだ指一本触れてないよ。もったいぶるな」
早くしないと風呂上がりの葵を見逃してしまうという焦りで、つい口調がきつくなる。
「あんたの恋敵情報よ」
「真田律の?俺を指名手配させたとか?」
大事な葵が消えたんだ。その可能性がないこともない。
「何言ってんのよ。見合いよ、見合い。それも殆ど結婚内定してるんですって」
「…は?まさか葵と?」
「そんなわけないでしょ?まだ相手までは分からないけど、相当名家のご令嬢らしいわよ。良かったわね。不戦勝みたいなもんじゃない?」
見合い?
結婚?
誰の…何の話、だ?
さっき対峙した真田律は、葵に対する愛情から来る執着をあからさまに見せていたじゃないか。
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