社長の×××

恩田璃星

文字の大きさ
125 / 131

葵の帰還 3

しおりを挟む

 「そんなの嘘!!お爺さまとの取引の為に近付いたって…」

 「葵、よく聞いて。確かに、葵に近付いたきっかけはそうだった。でも…本当に、一目で好きになって、すぐに契約の取消を申し出ようとしたんだ。…前会長の連絡先が分からなくて、できなかったけど。そうこうしてるうちに、りっちゃんみたいな超強力なライバルが現れて…俺、葵に会うまで、結構テキトーに生きてたから、まずは男としてちゃんとしようと思って…。そこからは自力で会社を軌道に乗せることに必死だった」

 思い返してみれば、確かにそうだ。
 私と結婚すれば、黙っていても真田グループとの契約が転がり込んでくることになっていたのに、唯人は仕事に明け暮れていた。
 それは、秘書だった私が誰よりも知っている。

 「じゃあ、本当にー」

 「うん。これまで葵に伝えてきた言葉に嘘はない。ただ、あの日は、あの日だけは…葵の幸せのためにと思って、嘘を言った。でも、やっぱり嘘なんて吐くべきじゃなかった」

 唯人の言葉を聞きながら、後から後から涙が溢れて止まらなかった。

 今すぐ振り返って、この温かな胸に縋り付いて泣けたらー。

 でも、私が寄りかかっていいのは、ホテルの冷たい壁だけ。

 「だったら…尚更、あなたのところには戻れない…」




 「何で!?」

 「…だって…私、信じきれなくてっ、りっ、律と…っ」

 『関係を持ってしまった』と、懺悔したいのに、口からは、もう嗚咽しか出て来ない。
 泣く資格なんて、私にはないのに。

 必死で口元を覆って、声を押し殺していると、唯人の大きな掌が、私の背中を優しく撫でた。

 「…葵だけが悪いんじゃない。いくらでも本当のことを言う機会はあったのに、自分に自信がなくて、先延ばしにしていた俺にだって責任はあると思ってる」

 私の心に直接語りかけるような、穏やかな口調から、唯人が本心からそう思っていることが伝わって来る。

 いくら唯人が優しいからといって、ここで頷くわけにはいかないのに。

 「あの日だって、這ってでも二人を追えば良かったのに、そうしなかったのは、相手がりっちゃんだったから…俺なんかが敵うわけないって、戦う前に逃げたんだ。でも…」

 唯人の言葉が、どんどん胸に染みていく。

 「葵の気持ちを知ったからには、もう絶対逃げない。葵がりっちゃんを好きだった過去からも、二人が一度結ばれた事実からも。だから、もう一度だけ、俺にチャンスを頂戴?」





 唯人は、どこまでも私に甘くて。
 心地よい言葉で、私を掌の上で転がしながら、優しく包み込んでしまう。

 本来なら私が赦しを請う立場なのに、いつの間にか立場を入れ替えられ、これ以上抵抗できないようにされてしまった。

 「…んなっ、そんな言い方……狡いっ」

 「今の俺にとってはこの上ない褒め言葉だね。社長は少しくらい狡猾じゃないとやってられないから。2ヶ月で実力ついてきたって自信もっていい?」

 「…唯人は最初からそういうところ、あった」

 少しだけ振り向きながら答えると、唯人の目尻にはっきりとシワが刻まれ、はにかんだような笑顔が見えた。

 「何、笑って…?」

 「やっと『唯人』って呼んでくれたから。名前呼ぶだけで、俺のことこんなに幸せにできるの、世界中探しても葵だけだよ」

 伸びてきた唯人の手が、私の後頭部の髪を梳きながら、身体ごと自分の方に引き寄せる。
 そして、私を見つめる優しい眼差しがゆっくりと近づき、触れるだけのキスが落ちてきた。

 やっと止まりかけていた涙が、再び溢れ出した。

 その夜、唯人は私が泣き疲れて眠るまで、ただ、優しく抱きしめてくれていた。





***

 「とにかく、日本に帰ろう」

 翌朝一番、唯人に言われ、腫れぼったい目のまま、引きずられるようにして日本行きの飛行機に乗った。

 そして、日本に着いて、空港で乗り込んだタクシーの運転手に、唯人が告げた行き先は、唯人のマンション。

 ではなくて。
 よりによって真田本家だった。

 帰りの飛行機で、唯人から、律の結婚は瑠美さんの妊娠が発覚したことによるものだと知らされた。
 やはり二人と瑠美さんのお腹の子どものためにも、今後本家には…律には関わらないようにしようと決意したばかりだったのに。

 「ちょ、何で本家に向かってるの!?」

 「俺が用事があるの」

 「用事って…」

 まだ真田家との取引は続いているとか?
 昨夜言ってくれたことも、全部演技だった?

 恐ろしい想像をしていると、唯人が優しく笑いながら、私のおでこにコツンと軽く拳を当てた。

 「相変わらず全部顔に出るよね。違うよ」

 じゃあ、一体何しに本家に…?





 唯人は、渋る私の背中を、まるで子どもをあやすかのようにポンポンと叩いて促した。
 観念してタクシーを降り、並んで歩き始めると、すぐに唯人が私の手に指を絡めてきた。

 その手を玄関の前で、ギュッと握りなおした唯人が、インターフォンを鳴らすと、懐かしい好美さんの声。

 「こんにちは。天澤です。りっちゃんにお届けものです」

 用事って律に?
 お届けものって、私!?

 逃げようとする私の手を唯人が一層しっかり握る。

 振りほどこうともがいていると、扉の向こうが急に騒がしくなり、律と元おじさんと日菜子さんが一斉に飛び出してきた。

 「アオ!」
 「葵!」
 「葵ちゃん!!」

 律とのいざこざはさて置き、もうなくなっていたと思っていたのに、ここにもまだ私の居場所があったんだと知る。
 胸の奥がギュウッと締め付けられて、苦しい。

 「あの………ただいま。心配かけて、ごめんなさい」

 「いいから、とにかく中に入りなさい」

 元おじさんに促され、リビングに向かおうとする私と唯人を止めたのは、律だった。

 「…先に二人で話したいんだけど、いい?」

しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない

彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。 酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。 「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」 そんなことを、言い出した。

政略結婚かと思ったら溺愛婚でした。

如月 そら
恋愛
父のお葬式の日、雪の降る中、園村浅緋と母の元へ片倉慎也が訪ねてきた。 父からの遺言書を持って。 そこに書かれてあったのは、 『会社は片倉に託すこと』 そして、『浅緋も片倉に託す』ということだった。 政略結婚、そう思っていたけれど……。 浅緋は片倉の優しさに惹かれていく。 けれど、片倉は……? 宝島社様の『この文庫がすごい!』大賞にて優秀作品に選出して頂きました(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎) ※表紙イラストはGiovanni様に許可を頂き、使用させて頂いているものです。 素敵なイラストをありがとうございます。

年上幼馴染の一途な執着愛

青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。 一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。

社長はお隣の幼馴染を溺愛している【宮ノ入シリーズ④】

椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13 【初出】2020.9.17 倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。 そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。 大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。 その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。 要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。 志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。 けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。 社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され――― ★宮ノ入シリーズ第4弾 【シリーズ① 若き社長は~コミカライズされました】 【規約のため、引き下げました。他サイトのみの掲載となります】

ホストと女医は診察室で

星野しずく
恋愛
町田慶子は開業したばかりのクリニックで忙しい毎日を送っていた。ある日クリニックに招かれざる客、歌舞伎町のホスト、聖夜が後輩の真也に連れられてやってきた。聖夜の強引な誘いを断れず、慶子は初めてホストクラブを訪れる。しかし、その日の夜、慶子が目覚めたのは…、なぜか聖夜と二人きりのホテルの一室だった…。

冷酷な王の過剰な純愛

魚谷
恋愛
ハイメイン王国の若き王、ジクムントを想いつつも、 離れた場所で生活をしている貴族の令嬢・マリア。 マリアはかつてジクムントの王子時代に仕えていたのだった。 そこへ王都から使者がやってくる。 使者はマリアに、再びジクムントの傍に仕えて欲しいと告げる。 王であるジクムントの心を癒やすことができるのはマリアしかいないのだと。 マリアは周囲からの薦めもあって、王都へ旅立つ。 ・エブリスタでも掲載中です ・18禁シーンについては「※」をつけます ・作家になろう、エブリスタで連載しております

君に何度でも恋をする

明日葉
恋愛
いろいろ訳ありの花音は、大好きな彼から別れを告げられる。別れを告げられた後でわかった現実に、花音は非常識とは思いつつ、かつて一度だけあったことのある翔に依頼をした。 「仕事の依頼です。個人的な依頼を受けるのかは分かりませんが、婚約者を演じてくれませんか」 「ふりなんて言わず、本当に婚約してもいいけど?」 そう答えた翔の真意が分からないまま、婚約者の演技が始まる。騙す相手は、花音の家族。期間は、残り少ない時間を生きている花音の祖父が生きている間。

処理中です...