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葵の帰還 3
しおりを挟む「そんなの嘘!!お爺さまとの取引の為に近付いたって…」
「葵、よく聞いて。確かに、葵に近付いたきっかけはそうだった。でも…本当に、一目で好きになって、すぐに契約の取消を申し出ようとしたんだ。…前会長の連絡先が分からなくて、できなかったけど。そうこうしてるうちに、りっちゃんみたいな超強力なライバルが現れて…俺、葵に会うまで、結構テキトーに生きてたから、まずは男としてちゃんとしようと思って…。そこからは自力で会社を軌道に乗せることに必死だった」
思い返してみれば、確かにそうだ。
私と結婚すれば、黙っていても真田グループとの契約が転がり込んでくることになっていたのに、唯人は仕事に明け暮れていた。
それは、秘書だった私が誰よりも知っている。
「じゃあ、本当にー」
「うん。これまで葵に伝えてきた言葉に嘘はない。ただ、あの日は、あの日だけは…葵の幸せのためにと思って、嘘を言った。でも、やっぱり嘘なんて吐くべきじゃなかった」
唯人の言葉を聞きながら、後から後から涙が溢れて止まらなかった。
今すぐ振り返って、この温かな胸に縋り付いて泣けたらー。
でも、私が寄りかかっていいのは、ホテルの冷たい壁だけ。
「だったら…尚更、あなたのところには戻れない…」
「何で!?」
「…だって…私、信じきれなくてっ、りっ、律と…っ」
『関係を持ってしまった』と、懺悔したいのに、口からは、もう嗚咽しか出て来ない。
泣く資格なんて、私にはないのに。
必死で口元を覆って、声を押し殺していると、唯人の大きな掌が、私の背中を優しく撫でた。
「…葵だけが悪いんじゃない。いくらでも本当のことを言う機会はあったのに、自分に自信がなくて、先延ばしにしていた俺にだって責任はあると思ってる」
私の心に直接語りかけるような、穏やかな口調から、唯人が本心からそう思っていることが伝わって来る。
いくら唯人が優しいからといって、ここで頷くわけにはいかないのに。
「あの日だって、這ってでも二人を追えば良かったのに、そうしなかったのは、相手がりっちゃんだったから…俺なんかが敵うわけないって、戦う前に逃げたんだ。でも…」
唯人の言葉が、どんどん胸に染みていく。
「葵の気持ちを知ったからには、もう絶対逃げない。葵がりっちゃんを好きだった過去からも、二人が一度結ばれた事実からも。だから、もう一度だけ、俺にチャンスを頂戴?」
唯人は、どこまでも私に甘くて。
心地よい言葉で、私を掌の上で転がしながら、優しく包み込んでしまう。
本来なら私が赦しを請う立場なのに、いつの間にか立場を入れ替えられ、これ以上抵抗できないようにされてしまった。
「…んなっ、そんな言い方……狡いっ」
「今の俺にとってはこの上ない褒め言葉だね。社長は少しくらい狡猾じゃないとやってられないから。2ヶ月で実力ついてきたって自信もっていい?」
「…唯人は最初からそういうところ、あった」
少しだけ振り向きながら答えると、唯人の目尻にはっきりとシワが刻まれ、はにかんだような笑顔が見えた。
「何、笑って…?」
「やっと『唯人』って呼んでくれたから。名前呼ぶだけで、俺のことこんなに幸せにできるの、世界中探しても葵だけだよ」
伸びてきた唯人の手が、私の後頭部の髪を梳きながら、身体ごと自分の方に引き寄せる。
そして、私を見つめる優しい眼差しがゆっくりと近づき、触れるだけのキスが落ちてきた。
やっと止まりかけていた涙が、再び溢れ出した。
その夜、唯人は私が泣き疲れて眠るまで、ただ、優しく抱きしめてくれていた。
***
「とにかく、日本に帰ろう」
翌朝一番、唯人に言われ、腫れぼったい目のまま、引きずられるようにして日本行きの飛行機に乗った。
そして、日本に着いて、空港で乗り込んだタクシーの運転手に、唯人が告げた行き先は、唯人のマンション。
ではなくて。
よりによって真田本家だった。
帰りの飛行機で、唯人から、律の結婚は瑠美さんの妊娠が発覚したことによるものだと知らされた。
やはり二人と瑠美さんのお腹の子どものためにも、今後本家には…律には関わらないようにしようと決意したばかりだったのに。
「ちょ、何で本家に向かってるの!?」
「俺が用事があるの」
「用事って…」
まだ真田家との取引は続いているとか?
昨夜言ってくれたことも、全部演技だった?
恐ろしい想像をしていると、唯人が優しく笑いながら、私のおでこにコツンと軽く拳を当てた。
「相変わらず全部顔に出るよね。違うよ」
じゃあ、一体何しに本家に…?
唯人は、渋る私の背中を、まるで子どもをあやすかのようにポンポンと叩いて促した。
観念してタクシーを降り、並んで歩き始めると、すぐに唯人が私の手に指を絡めてきた。
その手を玄関の前で、ギュッと握りなおした唯人が、インターフォンを鳴らすと、懐かしい好美さんの声。
「こんにちは。天澤です。りっちゃんにお届けものです」
用事って律に?
お届けものって、私!?
逃げようとする私の手を唯人が一層しっかり握る。
振りほどこうともがいていると、扉の向こうが急に騒がしくなり、律と元おじさんと日菜子さんが一斉に飛び出してきた。
「アオ!」
「葵!」
「葵ちゃん!!」
律とのいざこざはさて置き、もうなくなっていたと思っていたのに、ここにもまだ私の居場所があったんだと知る。
胸の奥がギュウッと締め付けられて、苦しい。
「あの………ただいま。心配かけて、ごめんなさい」
「いいから、とにかく中に入りなさい」
元おじさんに促され、リビングに向かおうとする私と唯人を止めたのは、律だった。
「…先に二人で話したいんだけど、いい?」
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