隠世の門

海谷ノ

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13話 呼ばれる影

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翌朝、学校へ向かう道で、空気が少し重いことに気づいた。

昨日までは感じなかった圧のようなものが、喉の奥にかすかに残っている。
風もないのに、足元の空気が薄く波打った。

(……また、揺れてる)

カマイタチだ。
姿は見えないのに、風の形で僕のそばを離れない。

昨日まではここまで張りついていなかった。

斗泉さんの言葉を思い出す。

危ないのはお前じゃない。お前の周囲だ。

その意味が、じわりと胸の奥へ沈んでくる。

校門をくぐると、違和感はさらに強くなった。
生徒たちはいつも通り歩いているのに、影だけがほんの少し長い。

朝の光の角度のせい――とは思えない。
影が、音のない水みたいに揺れている。

僕だけが、それに気づく。

教室へ向かう途中、背後から声がした。

「……おい、晴翔」

振り返ると、影山くんがいた。
昨日より顔色が悪い。

でも、その影だけが妙に薄い。

「影山くん、大丈夫?」

「わかんねぇ。昨日の……あれ。あれから、なんか変なんだよ」

影山くんは足元を見下ろし、眉を寄せた。

「歩くとさ、自分がもうひとりいる感じがすんだ。
 体が、ちょっと遅れてくるみたいな……」

「……影が揺れてる」

「え?」

「影山くんの影、ほんの少し薄い。昨日の“揺れ”がまだ残ってるんだと思う」

影山くんは苦笑した。

「お前、ほんと……そういうの分かるよな。怖ぇよ。
 でも、なんか……お前と話すとちょっと楽になる」

胸がざわつく。

楽になるのは、きっと僕じゃない。
僕の“周囲”の何かだ。

「気をつけてね」

それだけ言うのが精一杯だった。

***

昼休み。
渡り廊下を歩いていると、校舎の影がふっと膨らんだ。

光の加減じゃない。
影そのものの濃度が変わっている。

息を呑む。
昨日の、あの“呼吸する影”だ。

(また……?)

足を前に出そうとした瞬間、風が鋭く巻いた。

(行くな)

足首を引き戻すような風。
カマイタチがはっきりと止めている。

影は僕の方へ伸びようとして――
しかし、何かに押し返されたみたいに引きつれた。

背中に、冷たいものが触れる。

白い尾が、ほんの一瞬だけ僕の影と重なって揺れた。

(白狐……守ってくれてる?)

でも、それが安心なのか、恐怖なのかは分からない。

***

放課後。

影山くんに呼ばれて校舎裏へ向かうと、そこは昼に見た影よりもさらに濃かった。

「晴翔……来てくれたか」

影山くんの声は震えている。
そして、やっぱり影が薄い。

「大丈夫?」

「分かんねぇ。でも……お前が来ると、ちょっと楽になる。
 でもな、同時にぞわってもする」

「……ごめん」

「晴翔のせいじゃねぇよ。
 でも昨日から、何かが俺を“引っぱってる”気がすんだ。
 歩くと後ろに残る感じっていうか……」

言葉を聞きながら、僕の胸がざわりと揺れた。

そのとき――

地面の影が、パキ……ッと音を立てて割れた。

影が、割れる。

「っ、影山くん、下がって!」

カマイタチの風が強く吹き、影山くんを押すように離す。
足元が震え、地面の影が開きかける。

向こう側の空気が、薄く漏れ出してくる。

(……まただ。昨日と同じ。
 でも今日は、“僕を見ている”)

裂け目は呼吸みたいに開きかけては閉じる。
そのたびに、僕の胸の奥が反応した。

(呼ばれてる……)

言葉にならない確信だけが残る。

そのとき、影の上に別の黒い影が落ちた。

「間に合った」

斗泉さんだった。

犬神の影が、裂け目を踏みつけるように揺れる。
影の奥へ向かって、低く唸る気配が走った。

「晴翔、離れろ」

「でも――影山くんが――」

「お前が近いと、向こう側が開く。
 “呼ばれている”んだ。分かるだろ?」

呼ばれている。
その言葉が、胸の奥の揺れと重なった。

裂け目はやがて閉じ、地面の影は元に戻る。
影山くんが震えながら座り込んだ。

斗泉さんは僕の方へ歩み寄り、静かに言う。

「晴翔。今日ここへ来たのは、偶然じゃないな?」

「僕の……せいですか?」

「“せい”じゃない。お前が中心にいるだけだ。
 器が……そういう構造なんだ」

意味は分からない。
でも、その言い方に嘘はなかった。

「晴翔、もう気づいてるはずだ。お前の周囲は、これからもっと揺れる」

「……止められないんですか?」

「お前が“何者かを知らない限り”はな」

斗泉さんは少しだけ目を細め、僕を呼んだ。

「来い。倉橋晴翔――お前は、知らなすぎる」

その言葉が胸の奥に沈んだ瞬間、足元の風がそっと巻いた。
カマイタチが、“ついていく”と告げるように。

僕は息を吸い、斗泉さんの背中を追った。

──13話 了。
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