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14話 倉橋という器
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放課後の空気は、朝よりずっと重かった。
学校で起きた影の揺れが、まだ胸にまとわりついている。
呼吸をするたび、肺の奥が冷たく震えた。
「来い」
斗泉さんの短い声に従って歩き出す。
僕は影山くんの顔が気になって何度も振り返ったけれど、斗泉さんは一度も立ち止まらない。
「影山は大丈夫だ。今はお前の方が優先だ」
その言葉の重さに、胸がぎゅっと縮む。
九曜本社の奥へ続く廊下は、昨日と違う気配をしていた。
スーツ整備室の無機質な空気とは違う。
どこか古い畳みたいな、乾いた紙みたいな匂いがする。
扉の向こうにあったのは、静かに沈んだ部屋だった。
壁には古い札や図面。
墨の濃淡が、時間の層をそのまま閉じ込めているみたいに見える。
機械音はほとんどなく、影の形だけが淡く揺れていた。
「ここなら揺れに干渉されない」
斗泉さんが部屋の中央へ進む。
僕は戸惑いながら後を追った。
けれど、部屋へ足を踏み入れた瞬間――心臓がひとつ、強く跳ねた。
(……なに、この感じ)
落ち着かない。
怖いわけじゃないのに、足元の影がわずかに震える。
呼吸が浅くなる。
足首に風が巻いた。
カマイタチがそっと寄り添ってくる。
「晴翔」
斗泉さんがゆっくり振り返った。
「お前、自分の姓をどれだけ知っている?」
「え……倉橋は、ただの……名字で……」
「違う」
はっきりした声だった。
「倉橋は土御門家の分派。古い陰陽師の家系だ」
「……そんなの、父さんも母さんも……」
「普通は隠す。“表に出せない理由”があるからだ」
喉が乾く。
「理由……?」
「倉橋は、“器になりやすい”体質なんだ」
器――その言葉が、胸の奥へゆっくり沈んでいく。
「……器って、何の……?」
「何かを宿すための“余白”が、他家より大きい。
だからこそ、お前に――晴明の欠片が入った」
空気が止まった。
心臓の鼓動さえ聞こえなくなるような静けさ。
「僕……安倍の血じゃないのに……?」
「血は関係ない。倉橋の器が“呼んだ”。必要とされたんだ」
視界が揺れる。
その揺れに合わせて、足元の影がふっと膨らんだ。
(……やめて。落ち着いて……)
影が勝手に揺れる。
僕の意思じゃない。
僕の心の揺れとも違う。
「落ち着け」
斗泉さんが低く言った。
「これは、お前の心が揺れてるんじゃない。“器”が反応してる」
「僕は……僕じゃないってことですか?」
「違う」
斗泉さんが一歩近づく。
「お前だからこそ“受け止められた”。器が大きいからだ」
その瞬間、背中に冷気が触れた。
白い尾がそっと肩に寄り添う。
(……大丈夫、って言ってる?)
言葉にはならない。
でも確かに、“そこにいてくれる”感覚がある。
「白狐まで出てきたか」
斗泉さんが息をひとつ落とす。
「晴翔、お前はまだ気づいていない。
式神たちは、お前を“戦わせないために”動いている」
「戦わない方が……いいんですか?」
「お前の場合はな」
斗泉さんが目を細める。
「戦えば戦うほど揺れが呼ばれて、向こう側が開く」
昨日の裂け目を思い出す。
影が割れ、僕を呼ぶように揺れたあの光景。
(……あれも、僕のせい……?)
胸が詰まる。
言葉を探すより先に、斗泉さんが続けた。
「晴翔。お前は、自分が呼ばれている理由を知りたいか?」
「……知りたい。でも、怖いです」
「怖いなら、それでいい」
斗泉さんの声は、少しだけやわらかかった。
「向こう側は、お前を“帰る場所”だと思ってるだけだ」
「帰る場所……?」
「違う」
斗泉さんは静かに首を振る。
「お前の“揺れ”が欲しいだけだ。器を満たす揺れが」
体の奥がひゅっと縮む。
「倉橋は揺れの器。安倍は術の起点。
そのふたつが、お前の中で重なってしまった」
「……どうして僕なんですか」
「分からない」
斗泉さんはほんの少しだけ目を伏せた。
「だが、偶然ではない」
白狐の尾が揺れ、足元の風がやさしく巻く。
僕が立っていられるように、そっと支えるみたいに。
斗泉さんがまっすぐ僕を見る。
「晴翔。お前は今日、“倉橋”という家の意味を知った。
だが、これは始まりにすぎない」
「もっと……揺れるんですか?」
「そうだ」
ためらいなく言い切る。
「だが安心しろ。揺れの中心に立つ者が、必ずしも壊れるとは限らない」
そして最後に、静かに告げた。
「――お前は、壊れない器だ」
胸の奥で、小さく緑の光が揺れた。
気のせいじゃない。
確かに、何かがそこにある。
白狐の気配が淡く薄れ、カマイタチが足元でそっと風を巻く。
僕は息を吸った。
深く。
揺れを抱くように。
──14話 了。
学校で起きた影の揺れが、まだ胸にまとわりついている。
呼吸をするたび、肺の奥が冷たく震えた。
「来い」
斗泉さんの短い声に従って歩き出す。
僕は影山くんの顔が気になって何度も振り返ったけれど、斗泉さんは一度も立ち止まらない。
「影山は大丈夫だ。今はお前の方が優先だ」
その言葉の重さに、胸がぎゅっと縮む。
九曜本社の奥へ続く廊下は、昨日と違う気配をしていた。
スーツ整備室の無機質な空気とは違う。
どこか古い畳みたいな、乾いた紙みたいな匂いがする。
扉の向こうにあったのは、静かに沈んだ部屋だった。
壁には古い札や図面。
墨の濃淡が、時間の層をそのまま閉じ込めているみたいに見える。
機械音はほとんどなく、影の形だけが淡く揺れていた。
「ここなら揺れに干渉されない」
斗泉さんが部屋の中央へ進む。
僕は戸惑いながら後を追った。
けれど、部屋へ足を踏み入れた瞬間――心臓がひとつ、強く跳ねた。
(……なに、この感じ)
落ち着かない。
怖いわけじゃないのに、足元の影がわずかに震える。
呼吸が浅くなる。
足首に風が巻いた。
カマイタチがそっと寄り添ってくる。
「晴翔」
斗泉さんがゆっくり振り返った。
「お前、自分の姓をどれだけ知っている?」
「え……倉橋は、ただの……名字で……」
「違う」
はっきりした声だった。
「倉橋は土御門家の分派。古い陰陽師の家系だ」
「……そんなの、父さんも母さんも……」
「普通は隠す。“表に出せない理由”があるからだ」
喉が乾く。
「理由……?」
「倉橋は、“器になりやすい”体質なんだ」
器――その言葉が、胸の奥へゆっくり沈んでいく。
「……器って、何の……?」
「何かを宿すための“余白”が、他家より大きい。
だからこそ、お前に――晴明の欠片が入った」
空気が止まった。
心臓の鼓動さえ聞こえなくなるような静けさ。
「僕……安倍の血じゃないのに……?」
「血は関係ない。倉橋の器が“呼んだ”。必要とされたんだ」
視界が揺れる。
その揺れに合わせて、足元の影がふっと膨らんだ。
(……やめて。落ち着いて……)
影が勝手に揺れる。
僕の意思じゃない。
僕の心の揺れとも違う。
「落ち着け」
斗泉さんが低く言った。
「これは、お前の心が揺れてるんじゃない。“器”が反応してる」
「僕は……僕じゃないってことですか?」
「違う」
斗泉さんが一歩近づく。
「お前だからこそ“受け止められた”。器が大きいからだ」
その瞬間、背中に冷気が触れた。
白い尾がそっと肩に寄り添う。
(……大丈夫、って言ってる?)
言葉にはならない。
でも確かに、“そこにいてくれる”感覚がある。
「白狐まで出てきたか」
斗泉さんが息をひとつ落とす。
「晴翔、お前はまだ気づいていない。
式神たちは、お前を“戦わせないために”動いている」
「戦わない方が……いいんですか?」
「お前の場合はな」
斗泉さんが目を細める。
「戦えば戦うほど揺れが呼ばれて、向こう側が開く」
昨日の裂け目を思い出す。
影が割れ、僕を呼ぶように揺れたあの光景。
(……あれも、僕のせい……?)
胸が詰まる。
言葉を探すより先に、斗泉さんが続けた。
「晴翔。お前は、自分が呼ばれている理由を知りたいか?」
「……知りたい。でも、怖いです」
「怖いなら、それでいい」
斗泉さんの声は、少しだけやわらかかった。
「向こう側は、お前を“帰る場所”だと思ってるだけだ」
「帰る場所……?」
「違う」
斗泉さんは静かに首を振る。
「お前の“揺れ”が欲しいだけだ。器を満たす揺れが」
体の奥がひゅっと縮む。
「倉橋は揺れの器。安倍は術の起点。
そのふたつが、お前の中で重なってしまった」
「……どうして僕なんですか」
「分からない」
斗泉さんはほんの少しだけ目を伏せた。
「だが、偶然ではない」
白狐の尾が揺れ、足元の風がやさしく巻く。
僕が立っていられるように、そっと支えるみたいに。
斗泉さんがまっすぐ僕を見る。
「晴翔。お前は今日、“倉橋”という家の意味を知った。
だが、これは始まりにすぎない」
「もっと……揺れるんですか?」
「そうだ」
ためらいなく言い切る。
「だが安心しろ。揺れの中心に立つ者が、必ずしも壊れるとは限らない」
そして最後に、静かに告げた。
「――お前は、壊れない器だ」
胸の奥で、小さく緑の光が揺れた。
気のせいじゃない。
確かに、何かがそこにある。
白狐の気配が淡く薄れ、カマイタチが足元でそっと風を巻く。
僕は息を吸った。
深く。
揺れを抱くように。
──14話 了。
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