透明人間vs塩田剛三

梧桐彰

文字の大きさ
10 / 32
第二章 合気術参上

欧州回顧録「怪異との出会い」

しおりを挟む
 日本を離れる際、植芝先生は私に『あんたは誰にも負けんのやよ』とおっしゃっいました。

 これは終生忘れることのない言葉です。
 今になっても、この気持ちは変わることはありません。
 しかしながら、お墨付きをもらったところで、ためしてみないことには真偽はまだまだわかりません。

 まずは一合。
 お互いに触れるときはいつになるのか。
 そればかりが頭をめぐっておりました。

 合気術にはいくつもの技がありますが、その多くが投げ技で構成されています。
 打ち技や突き技も主体ではありますが、そこからさらに投げこむことが合気術の本領といえるでしょう。

 相手の肘を抑えて相手を腹這いにさせる一教、手首をつかんで制圧する二教、相手と横並びになって手首をつかむ三教、相手の手首を下に抑え込む四教、あたりが代表です。
 加えて相手の側面に入って投げる入身投げ、相手の後頭部をおさえて投げる回転投げ、手首をひねる小手返しなどもあります。
 私が得意としていたのは、相手の片腕をつかんで折りたたみ、後頭部から地面にたたきつける四方投げという技です。

 しかし、透明人間にこうした技をうまく使えるのか。
 私は不安と自信とが重なる複雑な気分で、ヒトラー総統がいらっしゃるという本営へ足を踏み入れました。

 指令室に通されたときは夜分になっていましたが、会議はまだ続いているということでした。
 毎晩のように透明人間は何かしらの邪魔を仕掛けてくるので、まずはその状況を見たうえで、どこに私を配置するのか考えるということになりました。

 これを聞く限り、意外と余裕があるのだろうかな、と思いました。

 敵は透明ではありますが、天狗の隠れ蓑を着ているのではないのです。
 透明なのは体だけですから、服も抜いでピストルも持たないことで、初めて見えなくなるわけです。

 このことが、少し私の心を落ち着かせました。
 しかも、いつもは物音を立てたり調度をひっくり返したりするだけとのことです。
 ひょっとすると今晩は何もないのかもしれない。
 そのくらいに構えておりました。

 ですが、それは事実ではありませんでした。

 私が会議室のそばについた時には、すでにどすんばたんという物音が聞こえていたのです。
 つんのめるように、私の前を歩いていた大柄な兵隊さんが止まりました。
 その横から首を出すと、ヒトラー総統と高官の方々がいるであろう会議室の前で、一人が体をひねりながら倒れていました。
 頭の後ろに黒々とした不気味な飛沫が走っていて、すぐにそれが人の血であるとわかりました。

 聞いていた話とは全く違います。

 「これが毎晩あるのですか」と聞きました。
 「いや、そんなはずは」と通訳さんが青い顔をして答えます。

 透明な姿は複数いるようで、あちこちで兵士たちがもがいています。
 ある意味ではとても滑稽な姿で、冷徹、強靭で知られる屈強なナチス・ドイツの武装親衛隊とは思えない狼狽でした。
 それでも笑うことはできませんでした。
 私を囲む兵士たちは銃を手に手に駆け寄りましたが、その一人がまたも刺し殺されてしまったのです。
 
 私は混乱の空気に流されぬよう自分を保ちました。

 見つめているうちに、なんとなく事態が飲み込めてきました。
 狭い場所での乱闘なのですから、どうしたってその空間における人間の動きは限られます。
 しかも件の透明人間は何か、ガラスか何かで作られた透明な刃物で相手を刺し、その相手の拳銃を奪って撃つという戦い方をしているようです。

 通訳さんが私の耳元でささやきました。

「センセイ・シオタ。なにか見えますか」

 姿はもちろん見えません。
 金色の光も見えません。
 修練の日々も植芝先生のお言葉も、目の前の事実に消し飛びそうです。

 ですが、光の加減に応じてキラッと反射する透明な刃物だけは、なんとか見えました。

 対峙しているのはドイツ人の士官でした。
 拳銃を抜こうとしていますが、間に合わないことは明らかです。

 私は意を決して答えました。

「見えますとも」

 実際に見えるのは微かな光ひとつです。
 ですが、その刃物を持ち、構え、刺そうと魂魄こんぱくを込める。
 その動作が怪物の全身を描いていました。

 透明人間といえど、思考は透明ではないのです。

 私は考えることも感じることも忘れ、息を止めて猫のように駆け寄りました。
 刃物のわずか左横に手を伸ばします。
 体温。
 脈拍。
 見えなくとも間違いなし。
 私の指先が、これは人間の腕だと語っています。

 私は体軸を揃えるや、身をひるがえして四方投げに入りました。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

竜頭――柔太郎と清次郎――

神光寺かをり
歴史・時代
幕末の信州上田藩。 藤井松平家の下級藩士・芦田家に、柔太郎と清次郎の兄弟が居た。 兄・柔太郎は儒学を学ぶため昌平黌《しょうへいこう》へ、弟・清次郎は数学を学ぶため瑪得瑪弟加塾《まてまてかじゅく》へ、それぞれ江戸遊学をした。 嘉永6年(1853年)、兄弟は十日の休暇をとって、浦賀まで「黒船の大きさを測定する」ための旅に向かう。 品川宿で待ち合わせをした兄弟であったが、弟・清次郎は約束の時間までにはやってこなかった。 時は経ち――。 兄・柔太郎は学問を終えて帰郷し、藩校で教鞭を執るようになった。 遅れて一時帰郷した清次郎だったが、藩命による出仕を拒み、遊学の延長を望んでいた。 ---------- 幕末期の兵学者・赤松小三郎先生と、その実兄で儒者の芦田柔太郎のお話。 ※この作品は史実を元にしたフィクションです。 ※時系列・人物の性格などは、史実と違う部分があります。 【ゆっくりのんびり更新中】

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...