ふしあわせに、殿下

古酒らずり

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一 皇子ヴァルフリードについて

珍妙なアウローラ

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「──では、健康の証を立ててもらおうか」

 ヴァルフリードは試す物言いに、あっさりとアウローラ王女はうなずいてみせるのだった。

「あ、そうですね。承知しました」

 ヴァルフリードは彼女の二つ返事に、やや拍子抜けしかけた。

「……!?」

「実践は今からでよろしいですか」

「実践!?」

 もたれていた玉座から跳ね起き、おうのようにヴァルフリードはアウローラの言葉を繰り返してしまった。ぱちぱちと長い睫毛をひとしきりしばたたかせる。

「ほう、ずいぶんとやる気があるなあ」

「はい、やる気は万端です」

「若干嬉しそうではないか」

 困惑気味にヴァルフリードが言えば、「特技ですから」とアウローラはにわかに目を輝かせているのだ。だから、ますますヴァルフリードは戦慄を覚えてしまった。

「はあ!? すでに何人も産んでいるのか!?」

 アウローラは齢二十だと、ヴァルフリードは情報を聞いていた。すでに子が何人もいるような年齢か。あまりにも若すぎはしないか。

 だが、途端にアウローラは怪訝そうな様子で小首を傾げている。

「え。一体なんのことでしょうか。今から、狩りの獲物を献上してご覧に入れようと思った次第なのですが」

 それを聞いて、ようやくヴァルフリードはほっと胸を撫でおろしたくなった。いや、なぜほっとしているかは分からないが、確かに心の中の何かが守られたのである。自分の勘違いだったことにも間違いなかった。いや、勘違いさせたのは、ほとんど向こうのせいなのだが。

「あ、ああ……理解した」

 安堵の一息をついたヴァルフリードは、手を上げて合図した。すると、お付きの部下がアウローラを縛っていた縄を短剣でぶつりと断ち切る。

「……ありがとうございます」

 そうして縄を解かれたアウローラは、いまいち実感がなさそうに手のひらを握ったり開いたりしていた。

「では、さっそく行ってまいります」

 が、それが終わると、監視のために付けていたヴァルフリードの部下を半ば置いていくような勢いで、ぐいぐいと引き連れていく。部下たちの狼狽する声が静かな謁見の間に小さくこだまする。

 ヴァルフリードは玉座から立ち上がる。弓と矢筒を手にして、レンゼル城外の森にある王家専用の猟場に颯爽と駆け出していくアウローラ。そのやけに凛とした背中を、ヴァルフリードは唖然として見送ることになったのである。

「なんなんだ、あの珍妙な娘は……」

 気が抜けたようにしばらくその場に立ち尽くしていたヴァルフリードだったが、ようやく事態を把握し直して、慌てて追うようにして愛馬にまたがり猟場に入った。

 そこには、すでに大きめの鳥を片手にしたアウローラが洗い場である小川のほとりで座り込んでいた。ヴァルフリードの姿に気がつくや、振り返って立ち上がり、微笑みかけてくる。

「遅いですわ。もう獲ってしまいました。鴨です」

「おれをおびき出す暗殺計画の一端だったらどうする。獣ではなく人間用の罠でも張ってあったら?」

 ヴァルフリードはそれを案じて慎重に道を進んだために、やや時間がかかった。

「そんなこと、私はいたしません。それより、ほら、獲物を見てください」

「とてつもなく早かったな」

「そうですかね。まあ、弓は友のようなものでして。幼い頃から慣れ親しんでおりますから」

「そうなのか」

 そういうことなら一瞬で鴨を仕留めてみせたのも、そこはかとなくうなずける。弓が特技というのなら、緊急時に何かと役立ちそうな王女だ。そして、森に放り投げていても一人で生還してきそうな、このおびただしい生活力は。

「さて、血抜きは済ませました。これから、鍋で羽根を湯剥きしていきます。……ですから、鴨は晩餐のローストにいたしますか。それとも、日持ちするパストラミにいたしますか」

「…………好きな方でよいのだが」

 長めの沈黙に包まれながら、ヴァルフリードは頭を抱えかけた。

「困ります、答えてください」

「ならば、すぐ味わいたい。ローストで」

「承知いたしました」

 これは予想していた展開と、だいぶ違っている。予想していた展開は、今頃、寝台の上だったかもしれない。だが、これでは、餌付けだ。

「湯剥きを、見せてもらおうか」

 としか、その場で言えなかったのである。

「鍋、鍋、寸胴鍋~」

 やたらと機嫌がよさそうに鈴の音を鳴らすような声で口ずさむアウローラだったが、肝心の歌の内容は、ヴァルフリードが主観的に判断して可愛らしいとはそれほど思えなかった。

「ああ、分かった」

 ヴァルフリードは、ふいに、ぽつりと一言こぼした。

「何がです?」

「きみは、充分に逞しいことが分かった」

「そうですか、よろしゅうございました」

 どこから突っ込むべきか。目の前の王女は、なぜ、求婚しあった直後に鴨の羽根をむしりだすのだ。

「確かに。丈夫な子を産むのに栄養をつけるのは、大事であるからな」

 と、ひとりでに納得することで、なんとか胸にわだかまる感情を発散させようとする。ヴァルフリードとて一人の騎士。会ったその日の王女と深い仲になりたい、と結論を急ぎたがる不届者ではないのだ。

 ……不届者といえば、目の前の王女だ。

「ところで、鴨の血と羽根が袖に付いているぞ」

「あら、本当ですね。しくじりました」

 そうだ。どうあっても、この王女が嬉々として血まみれになる危険人物にしか見えないのだ。殺人犯が血痕を隠し損なったような言い方をするな。

「物騒な見た目だな」

「人斬り騎士大公殿下に言われたくないですわ」

「確かに。それもそうだ」

 と、ヴァルフリードは腕を組んでうなずいた。言いくるめられたのが、やや腑に落ちない。

「出来上がりを待っていてくださいね、殿下」

「あ、ああ……」

 結論から言うと、鴨は晩餐のローストとしてヴァルフリードの食卓にのぼったし、ちょうどいい塩加減とともにこんがりとした皮目はパリッと香ばしく、噛めば噛むほど旨味と肉汁が溢れ出す鴨肉は、絶品だったのである。
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