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1.二人の公爵令嬢
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「リディア、なんでその格好なんですか? 今日はあちら側のはず……でしたよね」
王宮の舞踏会の片隅で壁の花に徹していると、いきなり声を掛けられる。振り向くと、そこには私――リディア・マーコックの上官が眉を顰めて立っていた。
気まずくて思わず目を逸らしてしまう。
うっ、まずい……。
長髪を後ろで一つに括っている彼の名はアクセル・タイアン。王弟にして、三十代という若さでこの国の王宮魔法士の頂点まで登りつめた人物。なぜか自ら王位継承権を放棄しており、貴族達からは変わり者だと陰で囁かれている。
けれど、彼は『王族なんてたくさんいます。一人くらい放棄しても支障はないですから』と飄々としていた。
気取らない性格で誰に対しても丁寧に接する。気位の高い貴族が苦手な私にとって、彼が上官なのは有り難いことだった。
アクセルの視線の先では、華やかな衣装を纏った紳士淑女達が踊っている。
……そう、今夜の私は公爵令嬢として、あちら側にいるはずだったのだ。
王宮魔法士の肩書を持つ者は、王宮で開かれる舞踏会に持ち回りで参加することになっている。もちろん娯楽のためではない。
王宮で開催される舞踏会は他国の使者との外交の場でもある。希少な魔法士を有していると暗に見せつけて、優位に立とうとしているのだ。
魔法士とは魔力を紡ぐことが出来る者達。誰しも体内に魔力を有しているが、それを使うことが出来るのはほんの一握りである。
魔力を紡ぐ才は血によって受け継がれるらしく、その血筋に生まれなければスタートラインにすら着けない。先天的要素に努力は関係ない。そのうえ、その才の開花には後天的要素――努力が不可欠。結果、魔法士は希少な存在なのだ。
襟元に紅蓮の刺繍を施した漆黒の制服は魔法士の証――通称”王宮の鴉”。
それを私は今、身に着けている。……当番でもないのに。悪いことをしているわけではないけれど、焦りが早口となって表れる。
「ローマンが急病のため急遽交代しました」
「それはおかしいですね。先ほど彼に会いましたが、元気そうに踊っていましたよ。ということは、彼に押し付けられたのですか?」
彼の声音に不穏な響きを感じ、私は慌てて訂正する。同僚のローマンに頼み込んだのは私のほうだから。
「いいえ、違います! 私から交代して欲しいと言いました。えーと、婚約者と踊れないのは可哀想だと思ったので。これって、規律違反ではないですよね? タイアン魔法士長」
「任務放棄でないなら違反ではありません。だが、婚約者と踊れないのはあなたも同じでは?」
王宮の鴉は誰とも踊らないという不文律がある。咄嗟にそれを持ち出したのだが、墓穴を掘ってしまうとは。
「私に婚約者はいませんので、ご心配には及びません」
「マーコック公爵令嬢にはいるはずです。そんなに嫌ですか? 公爵令嬢として舞踏会に参加するのが」
「嫌とかではなく、マーコック公爵令嬢は一人いれば十分だという話です」
言葉遊びのような不可解な会話。でも、そこに嘘はひとつもない。
アクセルは眉を下げて曖昧な笑みを浮かべる。私がマーコック公爵家で微妙な立場だと知っているからだろう。
自分からは吹聴していない。何を言っても自分の首を締めるだけだと分かっているから。この一年間で身に沁みている。
王位継承権を放棄していると言っても、彼は王弟。噂だけでなく、他家の内情も正確に把握しているのだろう。
「マーコック公爵家、ホワイト伯爵家、両家から婚約の届け出は正式になされていません。ですから、あなたもまだホワイト伯爵子息の婚約者候補であるという事実は変わりませんよ」
「……分かっています」
この話を終わらせたくて「タイアン魔法士長はあっち側に加わらなくていいのですか?」と話題を逸らす。
笑顔を貼り付ける私に、アクセルは諭すような口調で告げてくる。
「今日をやり過ごしても現実は都合よく変わったりはしません。それどころか、相手に都合よく変わってしまうことも。静観が悪手になる可能性だってありますよ、リディア」
たぶん、親切な上官として忠告してくれているのだ。マーコック公爵家と縁を切りたいのなら、逃げてばかりでは駄目だと。
彼はそれだけ言うと、「では、最低限のご機嫌取りでもしてきましょうか」と苦笑いしながら私の元を去っていく。彼が今日纏っている衣装は、魔法士の制服ではない。つまり、王族として社交をしに行ったのだ。
忠告は有り難く胸に留めながらも、ほっとしていた。これ以上話が続いていたら、口籠っていただろうから。彼を満足させる答えは私の中にまだない。
だから、こうして中途半端なままなのよね……。
腕を組み嘆息しながら大広間の中央を何気なしに見ると、先ほど話題にしていた者達の姿があった。
ホワイト伯爵令息ケイレブとマーコック公爵令嬢シャロンだ。
――私の婚約者候補と、私の義妹。
いいえ、正確にはマーコック公爵令嬢の婚約者か。本当にややこしいな。
マーコック公爵家に誕生した娘はひとりだけ。でも、今は二人――私と彼女――も存在する。どちらも正真正銘シャロン・マーコックだ。
ケイレブ達は軽やかにステップを踏んでいて、幼馴染みでもある彼らの息はぴったりだった。本当にお似合いである。
私ではあんなふうに踊れない。一年間一生懸命頑張ったので、人並みには踊ることは出来るようになった。でも、滲み出る優雅さは残念ながらない。
気品というものは、育ちがものを言う。
私がマーコック公爵家で育ったのは生まれてからの一年間と、去年からの一年間だけ。
もしずっと公爵家で育っていたら、私もあんなふうになれたのだろうか。
ふと、頭にそんな考えが浮かんだ。羨ましいと思っているわけではなく、純粋な疑問。優雅な自分を想像できなくて、クスッと声が漏れる。
――私は私。誰かになる必要なんてない。
”王宮の鴉”となれた自分に誇りを持っている。今はそれだけで十分だ。
◇ ◇ ◇
十八年前、私はマーコック公爵家の長女として誕生した。シャロンと名付けられ、両親と七歳年上の兄に可愛がられていたという。だが、一歳の時、私の姿は屋敷から忽然と消えた。
何者かによって誘拐されたのだ。
必死の捜索にもかかわらず、犯人の手がかりも私の行方も掴めずに長い年月が過ぎ、誰もが私の生存を諦めるようになった。
しかし、十六年後、運命の歯車が急に動き出す。
魔法士の適性ありと判断された私は、見習いとして王宮に出入りするようになり、行方知れずとなっていたマーコック公爵令嬢本人だと判明した。
私はただ、ただ驚いた。まさか、本当の親が見つかるなんて考えたこともなかったから。ましてや、それが公爵夫妻なんて。
『ああ、シャロン。私の可愛い娘、もっとよく顔を見せてちょうだい。うっ、う……、一歳の時と同じ髪に同じ瞳だわ。ちっとも変わらない、生きていてくれたのね』
むせび泣きながら、私を優しく抱きしめたのはとても綺麗な人だった。そして、私と同じ亜麻色の髪をしていた。
『この日をずっと待ちわびていたぞ、シャロン。一日たりともお前のことを考えない日はなかった』
唇を震わせながら涙を堪えていたのは壮年の紳士。その鮮やかな藍色の瞳は、鏡に映る私のものにそっくりだった。彼は手を伸ばし、ぎこちなく私の髪を撫でた。
『シャロン、覚えているかい? ノアだ、お前の兄だよ。よく抱っこをしてあげていたんだ。こんなに大きくなって。もう抱っこは出来ないな。だから、抱きしめさせておくれ』
私を強く抱きしめた若者は私と似ているところはなかったけれど、その腕の中はとても温かった。
血の繋がりを感じた。
気づいたら私も静かに泣いていた。捨てられたと思っていた。でも、……違ったのね。
シャロン――それが私の本当の名前。
下ろしたての服を体に馴染ませるかのように、シャロン、シャロンと心の中でその名を繰り返した。
鈴の音のよう綺麗過ぎる響き。
高級なドレスに袖を通してみたけれど、着られている感じしかせず落ち着かない――そんな感覚。
誰がつけたのかも知らないけど、リディアという名を気に入っていた。でも、それ以上にシャロンという名前を好きになっていた。
だって、私の家族がそう呼んでくれたから。
王宮の舞踏会の片隅で壁の花に徹していると、いきなり声を掛けられる。振り向くと、そこには私――リディア・マーコックの上官が眉を顰めて立っていた。
気まずくて思わず目を逸らしてしまう。
うっ、まずい……。
長髪を後ろで一つに括っている彼の名はアクセル・タイアン。王弟にして、三十代という若さでこの国の王宮魔法士の頂点まで登りつめた人物。なぜか自ら王位継承権を放棄しており、貴族達からは変わり者だと陰で囁かれている。
けれど、彼は『王族なんてたくさんいます。一人くらい放棄しても支障はないですから』と飄々としていた。
気取らない性格で誰に対しても丁寧に接する。気位の高い貴族が苦手な私にとって、彼が上官なのは有り難いことだった。
アクセルの視線の先では、華やかな衣装を纏った紳士淑女達が踊っている。
……そう、今夜の私は公爵令嬢として、あちら側にいるはずだったのだ。
王宮魔法士の肩書を持つ者は、王宮で開かれる舞踏会に持ち回りで参加することになっている。もちろん娯楽のためではない。
王宮で開催される舞踏会は他国の使者との外交の場でもある。希少な魔法士を有していると暗に見せつけて、優位に立とうとしているのだ。
魔法士とは魔力を紡ぐことが出来る者達。誰しも体内に魔力を有しているが、それを使うことが出来るのはほんの一握りである。
魔力を紡ぐ才は血によって受け継がれるらしく、その血筋に生まれなければスタートラインにすら着けない。先天的要素に努力は関係ない。そのうえ、その才の開花には後天的要素――努力が不可欠。結果、魔法士は希少な存在なのだ。
襟元に紅蓮の刺繍を施した漆黒の制服は魔法士の証――通称”王宮の鴉”。
それを私は今、身に着けている。……当番でもないのに。悪いことをしているわけではないけれど、焦りが早口となって表れる。
「ローマンが急病のため急遽交代しました」
「それはおかしいですね。先ほど彼に会いましたが、元気そうに踊っていましたよ。ということは、彼に押し付けられたのですか?」
彼の声音に不穏な響きを感じ、私は慌てて訂正する。同僚のローマンに頼み込んだのは私のほうだから。
「いいえ、違います! 私から交代して欲しいと言いました。えーと、婚約者と踊れないのは可哀想だと思ったので。これって、規律違反ではないですよね? タイアン魔法士長」
「任務放棄でないなら違反ではありません。だが、婚約者と踊れないのはあなたも同じでは?」
王宮の鴉は誰とも踊らないという不文律がある。咄嗟にそれを持ち出したのだが、墓穴を掘ってしまうとは。
「私に婚約者はいませんので、ご心配には及びません」
「マーコック公爵令嬢にはいるはずです。そんなに嫌ですか? 公爵令嬢として舞踏会に参加するのが」
「嫌とかではなく、マーコック公爵令嬢は一人いれば十分だという話です」
言葉遊びのような不可解な会話。でも、そこに嘘はひとつもない。
アクセルは眉を下げて曖昧な笑みを浮かべる。私がマーコック公爵家で微妙な立場だと知っているからだろう。
自分からは吹聴していない。何を言っても自分の首を締めるだけだと分かっているから。この一年間で身に沁みている。
王位継承権を放棄していると言っても、彼は王弟。噂だけでなく、他家の内情も正確に把握しているのだろう。
「マーコック公爵家、ホワイト伯爵家、両家から婚約の届け出は正式になされていません。ですから、あなたもまだホワイト伯爵子息の婚約者候補であるという事実は変わりませんよ」
「……分かっています」
この話を終わらせたくて「タイアン魔法士長はあっち側に加わらなくていいのですか?」と話題を逸らす。
笑顔を貼り付ける私に、アクセルは諭すような口調で告げてくる。
「今日をやり過ごしても現実は都合よく変わったりはしません。それどころか、相手に都合よく変わってしまうことも。静観が悪手になる可能性だってありますよ、リディア」
たぶん、親切な上官として忠告してくれているのだ。マーコック公爵家と縁を切りたいのなら、逃げてばかりでは駄目だと。
彼はそれだけ言うと、「では、最低限のご機嫌取りでもしてきましょうか」と苦笑いしながら私の元を去っていく。彼が今日纏っている衣装は、魔法士の制服ではない。つまり、王族として社交をしに行ったのだ。
忠告は有り難く胸に留めながらも、ほっとしていた。これ以上話が続いていたら、口籠っていただろうから。彼を満足させる答えは私の中にまだない。
だから、こうして中途半端なままなのよね……。
腕を組み嘆息しながら大広間の中央を何気なしに見ると、先ほど話題にしていた者達の姿があった。
ホワイト伯爵令息ケイレブとマーコック公爵令嬢シャロンだ。
――私の婚約者候補と、私の義妹。
いいえ、正確にはマーコック公爵令嬢の婚約者か。本当にややこしいな。
マーコック公爵家に誕生した娘はひとりだけ。でも、今は二人――私と彼女――も存在する。どちらも正真正銘シャロン・マーコックだ。
ケイレブ達は軽やかにステップを踏んでいて、幼馴染みでもある彼らの息はぴったりだった。本当にお似合いである。
私ではあんなふうに踊れない。一年間一生懸命頑張ったので、人並みには踊ることは出来るようになった。でも、滲み出る優雅さは残念ながらない。
気品というものは、育ちがものを言う。
私がマーコック公爵家で育ったのは生まれてからの一年間と、去年からの一年間だけ。
もしずっと公爵家で育っていたら、私もあんなふうになれたのだろうか。
ふと、頭にそんな考えが浮かんだ。羨ましいと思っているわけではなく、純粋な疑問。優雅な自分を想像できなくて、クスッと声が漏れる。
――私は私。誰かになる必要なんてない。
”王宮の鴉”となれた自分に誇りを持っている。今はそれだけで十分だ。
◇ ◇ ◇
十八年前、私はマーコック公爵家の長女として誕生した。シャロンと名付けられ、両親と七歳年上の兄に可愛がられていたという。だが、一歳の時、私の姿は屋敷から忽然と消えた。
何者かによって誘拐されたのだ。
必死の捜索にもかかわらず、犯人の手がかりも私の行方も掴めずに長い年月が過ぎ、誰もが私の生存を諦めるようになった。
しかし、十六年後、運命の歯車が急に動き出す。
魔法士の適性ありと判断された私は、見習いとして王宮に出入りするようになり、行方知れずとなっていたマーコック公爵令嬢本人だと判明した。
私はただ、ただ驚いた。まさか、本当の親が見つかるなんて考えたこともなかったから。ましてや、それが公爵夫妻なんて。
『ああ、シャロン。私の可愛い娘、もっとよく顔を見せてちょうだい。うっ、う……、一歳の時と同じ髪に同じ瞳だわ。ちっとも変わらない、生きていてくれたのね』
むせび泣きながら、私を優しく抱きしめたのはとても綺麗な人だった。そして、私と同じ亜麻色の髪をしていた。
『この日をずっと待ちわびていたぞ、シャロン。一日たりともお前のことを考えない日はなかった』
唇を震わせながら涙を堪えていたのは壮年の紳士。その鮮やかな藍色の瞳は、鏡に映る私のものにそっくりだった。彼は手を伸ばし、ぎこちなく私の髪を撫でた。
『シャロン、覚えているかい? ノアだ、お前の兄だよ。よく抱っこをしてあげていたんだ。こんなに大きくなって。もう抱っこは出来ないな。だから、抱きしめさせておくれ』
私を強く抱きしめた若者は私と似ているところはなかったけれど、その腕の中はとても温かった。
血の繋がりを感じた。
気づいたら私も静かに泣いていた。捨てられたと思っていた。でも、……違ったのね。
シャロン――それが私の本当の名前。
下ろしたての服を体に馴染ませるかのように、シャロン、シャロンと心の中でその名を繰り返した。
鈴の音のよう綺麗過ぎる響き。
高級なドレスに袖を通してみたけれど、着られている感じしかせず落ち着かない――そんな感覚。
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