二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

文字の大きさ
17 / 62

17.母娘

しおりを挟む
 チリンッ、という扉の音に反射的に顔を上げれば、そこには母の姿があった。
 私と目があった母は顔を綻ばせ、私の時と同じように給仕人に案内されてテーブルへとやって来た。

「シャロン、待たせて本当にごめんなさいね。途中で事故があったの」

「お母様、大丈夫ですか?」

 私は身を乗り出すように尋ねた。怪我はしてはいないように見える。でも、私のために痛みを堪えてここに来てくれたのかもしれない。不謹慎かもしれないけど、そう思うと嬉しかった。

 母は心配ないと言うように軽く頷いた。

「怪我はないのよ。馬車が大きく揺れたのには驚いたけど。メイプル通りにある教会の前で車輪が轍に嵌って外れたの。その修理に時間が掛かって遅れてしまったのよ」

 そう話す母の眉尻は下がっていて、本当に申し訳なさそうな顔をしている。

 私もその通りを歩いて来たから知っている。確かここまで歩いて十分ほどの距離。貴族御用達の高級な店ばかりが並んでいるからか、警らしている騎士と何度もすれ違った。治安が良いので、供の者を連れずに歩いている貴族達もたくさんいた。


――歩けない理由はない。


 このお店の前には馬車寄せはない。建物をぐるりと樹木で囲んでいるからだ。だから、馬車を降りてからお店の玄関までは少しだけ歩くことになる。

 私の目の前に座る母は、髪も崩れていないし息も乱れていなかった。淑女らしく優雅に歩いていたのだろう。遅れて申し訳ないと心を痛めながら……。

 私が母ならせめて馬車を降りてから走ってくる。でも、これが育ちの差なのだと、湧き上がってくるもやもやを心の奥に仕舞った。

「それは災難でしたね」

「ええ、本当に」

 母が席に着くとすぐに料理は運ばれてきた。どれも私の好きなものばかりだった。覚えていてくれた、そう思うと自然と声が弾んだ。

「どれも美味しそうですね、お母様」

「本日のおすすめコースをお願いしたのよ。シャロン、苦手なものがあったら残してもいいのよ」

「……はい」

 弾んでいた声が消えてしまう。勝手に勘違いしたのは私だ。……母は悪くない。

 母は綺麗な所作で食べながら嬉しそうに話を始めた。家族のことや、最近マーコック公爵邸で起こったことを。
 たぶん、私が見逃してしまったことを教えようとしてくれているのだ。
 その気持ちは痛いほど伝わってくるから、私は笑みを絶やさずに聞き役に徹した。

 そして、デザートを食べる段階になって、私は今日ここに来た目的のために口を開いた。

「狩猟大会のドレスですが、お気持ちだけ頂きます。魔法士は私服着用となっていますが、それは参加者よりも目立たないためなので」

「でも、あなたはマーコック公爵令嬢でもあるのよ。相応しい格好というものがあるわ。あなたの瞳の色と同じ宝石を小さく砕いて胸元に散りばめようと思っているの」

 母はやはり華美なドレスを作ろうとしているらしい。いいえ、母にとっては小さく砕くから華美ではないのかもしれないけど。
 私は溜息を飲み込んで説得を続ける。

「お母様のお気持ちは本当に嬉しく思っています。でも、目立っては駄目なのです。私は公爵令嬢として参加するのではありませんから」

 母は「でもね、シャロン」と言ったあと、先ほどと同じ言葉を繰り返す。私が母の気持ちを踏みにじっている――そんな気持ちにさせる悲しそうな顔をしながら。

 断られてもめげないのは、老魔法士の言った通りだ。

『まさに親心じゃの』と好々爺の顔をして彼は言っていた。でも、彼が持っている親心と、母のは少し違う気がする。

 母は娘である私の立場に立って考えてくれない。でも、彼は他人である私にも寄り添う。



 少し厳しい口調で断ると、母は「分かったわ」と了承してくれたけど項垂れてしまった。
 気まずい雰囲気になりたいわけではない。もっと母と娘らしい会話をしたかったのに。

 そうだわ、母が知りたいことを話そう。母は私がどんな生活をしているか知らない。きっと気になっているはずだ。
 
 私は努めて明るい口調を心掛ける。

「魔法士は意外と地味な作業が多いんですよ。でも、凄くやり甲斐のある仕事です。そうだ、先日初めて防御の盾で人を守りました」

「まあ、恐ろしいわ。やはり魔法士は危険と隣合わせなのね……」

 しまったと思った。心配させるつもりはなかったのにと、私は慌てて言葉を紡ぐ。

「心配しなくとも大丈夫です、お母様。まだ新米なので危険度が高い任務に就くことはありま――」

「シャロン、食事中にそんな話題はやめましょう。相応しくないわ」

「……申し訳ございません」

 また、私の勘違い。母は私の心配などしていなかった。


 確かに相応しくなかったかもしれないけど、母は怖いと感じたのかもしれないけど。……でも、どうして私がどんな生活をしているかも聞かないのだろうか。

 タイアンは『親はいつだって子供が気になるものです』と教えてくれた――でも、それは正しくはなかった。

 彼でも間違うことがあるんだなと、私は心の中で苦笑いしながら唇をきつく噛み締めた。だって、そうしないと泣きそうだから。ここに湿布はないもの。


 ……なんだか私、馬鹿みたい。何を話そうかとか、こんなことを聞かれるだろうとか、勝手に浮かれたりして。
  

 しばらくして少し気持ちが落ち着くと、私は黙々とデザートを口に運び始める。砂を噛んでいるようで味なんて分からない。でも、この時間を早く終わらせるために作業を続けた。

 先に食べ終わっていた母がじっと私を見ているのに気づく。食事の作法は間違っていないけど、待たせすぎているのかもしれない。急いでお皿に残っているデザートを口に押し込め食事を終わらせる。
 すると、母は懺悔するかのように胸の前で両手を組んだ。

「あなたが公爵邸を出ていったのは、私のせいで攫われたと知ったからでしょ? シャロン」

 そう告げる母の艷やかな唇は微かに震えていて、その声音は後悔そのものだった。



しおりを挟む
感想 349

あなたにおすすめの小説

病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。

恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。 キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。 けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。 セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。 キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。 『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』 キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。   そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。 ※ゆるふわ設定 ※ご都合主義 ※一話の長さがバラバラになりがち。 ※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。 ※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。

廃妃の再婚

束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの 父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。 ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。 それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。 身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。 あの時助けた青年は、国王になっていたのである。 「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは 結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。 帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。 カトルはイルサナを寵愛しはじめる。 王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。 ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。 引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。 ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。 だがユリシアスは何かを隠しているようだ。 それはカトルの抱える、真実だった──。

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

私だけが家族じゃなかったのよ。だから放っておいてください。

恋愛
 男爵令嬢のレオナは王立図書館で働いている。古い本に囲まれて働くことは好きだった。  実家を出てやっと手に入れた静かな日々。  そこへ妹のリリィがやって来て、レオナに助けを求めた。 ※このお話は極端なざまぁは無いです。 ※最後まで書いてあるので直しながらの投稿になります。←ストーリー修正中です。 ※感想欄ネタバレ配慮無くてごめんなさい。 ※SSから短編になりました。

婚約解消しろ? 頼む相手を間違えていますよ?

風見ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢である、私、リノア・ブルーミングは元婚約者から婚約破棄をされてすぐに、ラルフ・クラーク辺境伯から求婚され、新たな婚約者が出来ました。そんなラルフ様の家族から、結婚前に彼の屋敷に滞在する様に言われ、そうさせていただく事になったのですが、初日、ラルフ様のお母様から「嫌な思いをしたくなければ婚約を解消しなさい。あと、ラルフにこの事を話したら、あなたの家がどうなるかわかってますね?」と脅されました。彼のお母様だけでなく、彼のお姉様や弟君も結婚には反対のようで、かげで嫌がらせをされる様になってしまいます。ですけど、この婚約、私はともかく、ラルフ様は解消する気はなさそうですが? ※拙作の「どうして私にこだわるんですか!?」の続編になりますが、細かいキャラ設定は気にしない!という方は未読でも大丈夫かと思います。 独自の世界観のため、ご都合主義で設定はゆるいです。

処理中です...