二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです

矢野りと

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58.鴉の子――道化師

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「……見て、アークを抱きしめてくれているわ」

「あの子が誰の子か、父さん、気づいてくれたんだな」

 私が口元を押さえて泣くのを堪えていると、ルークライが優しく私の肩を抱き寄せてくれる。私達の視線の先には、池のほとりで私達の息子――アークライを抱きしめているタイアンがいた。


 ――この日が来るのを、私達はずっと待っていた。


 六年前、国を出た私達はひたすら南へと移動し続けた。国交を結んだ国同士は罪人の手配書を共有しており、捕らえた場合は身柄を引き渡すことになっているからだ。

 長い旅路の末に辿り着いたのはナジュールという小さな国。
 ここで暮らそうと決めたのは、ナジュール語が多少理解できたからだ。養親の片方が子供達を叱るときに使っていたのである。たぶん、この国と縁があったのだろう。

 初めて、私達は養親に感謝した。

 最初、魔法士であることを隠して暮らしていた。
 ナジュール国は魔法士の育成がまだ発展途上で、極端にその数が少なかったからだ。異国から流れ着いた魔法士なんて悪目立ちしてしまう。

 だが、ある日、市井に紛れ込んだ野生の虎が暴れまわった。ひとりの勇敢な青年があっという間に仕留めたのだが、その直後、隠れていた虎が背後から彼に飛びかかった。

『伏せろ!』

 ルークライは叫ぶと同時に防御の盾で虎を囲った。殆どの人達は見えない何かに閉じ込められている虎を不思議そうに見ていた。けれども、ひとりだけ何が起こったのか正しく把握している者がいた。

『見事な盾だな。だが、我が国の魔法士ではない。こんな技量を持っている者は残念ながらいない。訳ありかな? 魔法士殿』

『そうだと言ったら、どうしますか……』

 ルークライは私を背中に庇いながら答えた。青年の背後には息を切らした騎士達が集まって来ていたからだ。
 平民服の青年は、遅いぞと王宮騎士の制服を纏った彼らを叱責している。となれば、青年は王族。

『スカウトさせてくれ、魔法士殿』

『流れ者を信用していいのですか? 罪人かもしれませんよ……』

『文書偽造、窃盗、不敬……それから冤罪。罪人を作る手段は数多ある。だが、魔法士殿は悪人ではない。もし悪人なら防御の盾で自分だけを守ったはずだ。そして、私は人を見る目がある』

 自信満々に最後の台詞を言い放った青年は、なんとナジュール国の第二王子だった。

 これをきっかけに魔法士として仕えることなったのだが、蓋を開けてみれば、ナジュールの魔法士事情は悲惨なものだった。
 待遇が悪いというのではなく、上に立って指導する者がいなかったのだ。

 私達は魔法士のために体制を整えるところから始めた。その結果、私達は信頼できる仲間と、安定した生活を手に入れたのだ。


 
 そして、昨日、第二王子に随伴しこの国に入国した。
 
 廊下で鴉達とすれ違う度に泣きそうになった。彼らが私達の正体に気づくことはなかった。それは当然だ。道化師は頭巾がついた民族服を着てそのうえ仮面をつけている。
 ちなみに、仮面を採用したのは第二王子だ。訳ありの魔法士を囲うために。

 だからこそ、罪人である私達も堂々と入国できた。他国の魔法士の身分は、他国の王族によって保証されているから顔を検めることはしない。

 この国の国王が交代しても、私達の手配書は撤回されてはいない。他国にまで流した手配書が間違っていたとなれば、……確実に誰かの首が物理的に飛ぶ。前国王ならいいが、たいがい手配書を作成した者になる。

 名誉の回復など求めてはない。
 
 巣立った子鴉は安住の地を見つけた。大切な家族には会いに来られる。……それで十分なのだ。



 私達が王宮の鴉に声を掛けなかったのはまず最初にタイアンと、と決めていたから。一週間後に北の辺境から戻って来ると聞いていたのに、今日会えるなんて……。


 私達は木の陰からアークライを見守っている時、あの子に向かっていくタイアンに気づいた。私とルークライはふたりの様子を見ていた。そんな中、白が抜け駆けしたのだ。……狡い鴉。


「リディ、挨拶に行こう」

 ルークライと私は手を繋いで歩き始める。庭園にいる者達はぎょっとした顔をして私達を見てくる。道化師を見慣れていないからだろう。

「とーさま、かーさま!」

 私達に気づいたアークライが、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら手を振ってくる。そして、ルークライに駆け寄ってくると、ぴんと腕を伸ばす。

 抱っこをせがんでいるのだ。ナジュールでは息子を肩に乗せた道化師は有名になりつつある。
 ルークライが息子を抱き上げると、私達に背を向ける形になっていたタイアンがゆっくりと振り返った。

「道化師殿、初めまして……」

 六年ぶりに聞く懐かしい声に涙腺が緩んでしまう。
 
 私達が誰か分かっているのだ。でも、仮面のままだからそれに合わせている。……ここでは外せない。

 ルークライは防御の盾を発動した。これで会話は聞こえない。たぶんではなく、きっとタイアンは今、防御の盾は作れない。……私も無理だもの。


「父さん、不肖の息子を忘れましたか?」

「私には自慢の息子しかいませんよ。ああ、違いましたね。可愛い義娘もいます」

タイアンはルークライを見て、それから私を目に映す。私の仮面の下はもうずぶ濡れで、涙声で言葉を紡いでいく。

「お義父様、可愛い孫息子もいますよ。アークライと名付けました。あなたのように優しくて強い人になってもらいたかったの……で、お名前を……頂き……っ……ました」

「おとーさま?」

 アークライはコテンと首を傾げる。

「アークのおじい様だよ。たくさん話しただろ」

「ちろと同じ鴉で、ものすごく優しくて、かっこ良くて。そんけいしていて。それから、とーさまとかーさまが大好きなひと。そうでしゅよね?」

 アークは僕は知ってますという感じで、タイアンを指さした。
 この子が生まれてからずっと話して聞かせていた。いつの間にか台詞を覚えていたようだ。

 ルークライは頬にキスをしてから「ご挨拶しなさい」とそっと地面におろした。アークライはトコトコとタイアンのもとに戻っていく。

「おじいしゃま、アークのこともすきでしゅか?」

「はい、大好きですよ、アークライ」

 挨拶を飛ばしたのは、きっと済ませていたからだろう。
 タイアンに抱き上げられると、アークライは唇を可愛らしく尖らせタイアンの頬にキスをする。

「だいすきな人にはチュッしましゅ」

 これ以上ないくらい目尻を下げたタイアンは、賢いのは誰に似たのでしょうかと呟く。

「おじいしゃまです。似ているって、とーさまが教えてくれました。ね? ちろ」

「カアッ」

 いつの間にか白がタイアンの肩にとまっている。

「お目々がまたぬれてるのー」

「はっ……は…は、白が髪を毟るからですよ」

 アークライは不思議そうにタイアンを見ている。だって、白は今、何もしていないから。でも、すぐに先ほど白が毟っていたのを思い出したのだろう。しゅんとした顔になる。

「ちろはわるい子でした。やきとりにして食べちゃいましゅか……」

「とんでもない。とても良い鴉ですよ。本当に感謝しています。それに仲間食べません」

「どうけしは食べるんでしゅね!」

アークライは両手を頬に当て、どうしようという顔をする。この子は本当に表情が豊かだ。

「道化師も食べませんよ。美味しくないですから」

「おなかをこわしたことがあるんでしゅね」

「……ありません」

 孫息子と祖父の可愛らしい会話が続いていく。
 ルークライは私の耳元で「そろそろ代わってくるよ」と囁く。重くて大変だと思っての言葉だろう。
 でも、私はルークライの袖を掴んで引き止めた。

「あのね、六年前、孫の面倒を見ると約束してくれたの。だから、もう少しお任せしましょう」

 この約束を果たせる日を、彼もまた心待ちにしていたのだ。……表情を見れば分かる。

 いつ? とルークライは聞いてくる。タイアンと交わした会話は秘密だったから、仮面の口元に人差し指を立てる。

「内緒よ」

「仲がいいんだな」

 ルークライが拗ねたような声を出す。

「だって、大好きな人ルークライのお父様だから」

 私とルークライは見つめ合って笑うが、その声は盾に阻まれ周囲には届かない。
 
 きっと、道化師が子供を他国の魔法士長に預けて、睨み合っていると思ってるだろう。道化師という通称はまだ他国に浸透していない。これをきっかけに覚えて貰えそうだと、私達はまた笑った。
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