愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと

文字の大きさ
22 / 57

22.近づく距離①

しおりを挟む
いつしかヒューイ様は私を『マリア嬢』ではなく、『マリア』と呼ぶようになっていた。

それは孤児院で一緒に仕事をする仲間としては自然な流れで、特別なことではない。
ここでは私が貴族であることは関係ない。だから他の人達からも『マリアさん』とか『マリア』と呼ばれている。

そして私もヒューイ様を『ヒューイ』と今は呼ばせて貰うようになっている。


それは彼の方からの申し出だった。

『俺の方だけ君を呼び捨てなのも気が引ける。どうだろうか、これからはヒューイと気軽に呼んでくれないか。
なのだから遠慮しないでくれ』

真っ直ぐに見つめるながら話す彼の口調は真剣そのもの。『』という重要な言葉が、私の耳から抜け落ちてしまいそうになる。


 深い意味なんてないわ。
 一緒に仕事をしている仲間だもの。
 

彼の申し出を拒む理由なんてない。

『え、ええ…そうですね。ではこれからは…、と呼ばせてもらいますね』

初めて彼をそう呼ぶと、彼は『マリア』と微笑みながら私の名を呼んでくれる。

なんだかお互いに照れくさくていつものように会話が続かない。


『仕事仲間だから、』
『仕事仲間ですから、』

同時に言い訳というか呼び方を変えた理由をわざわざ口にする。


言わなくていい意味のない言葉だったのに、なぜか息はピッタリだった。

なんともいえない雰囲気が漂い、そして顔を見合わせお互いに声を上げて笑ってしまった。







お互いに『マリア』『ヒューイ』と呼ぶ関係になって自然と距離が近くなっていく。

それは変な意味ではない。

彼の孤児院での仕事も順調に進み、『クーガー伯爵家が治めている領内のことだから礼儀として報告をしたい』と我が家に顔を出すようになったからだ。

最初はダイソン伯爵家の親戚であるヒューイ・マイルを、両親と兄ノーマンは歓迎しなかった。
失礼な態度こそ取らなかったが、慇懃無礼ともいえる丁寧すぎる態度で『親しくする気はありません』としっかり意思表示をする。


もちろんヒューイがそのあからさまな態度の意味に気がつかないわけはない。


「ごめんなさいヒューイ、嫌な思いをさせてしまって。どうしても家族は私のことを心配するあまり、ダイソン家の親戚である貴方を警戒してしまっているの」

私の過去は彼には関係はない。それなのにこんな形で巻き込んでしまい申し訳なく思う。

謝る私に彼が返してきた言葉は意外なものだった。


「良いご家族じゃないか。マリアが謝る必要なんてない、あんな素晴らしい家族がいることを誇るべきだ。
それに君が温かい家族に囲まれていると分かってほっとしているんだ。
マリアは本当に周りの人に恵まれているな。
いいや、それは違うな。君だから、そういう人達が自然と引き寄せられているんだろう。
それに君のそばにいると関わった人達はみな心が豊かに成長していく。意識していないだろうけど、君はそんな素晴らしい人なんだよ」

彼の口から出た私への過大評価に赤面してしまう。

「ヒューイったら私を買い被り過ぎよ。未熟な私はただ周りの人に助けて貰っているだけだわ。
でも家族のことをそんな風に思ってくれてありがとう。それは凄く嬉しい」


彼のほうが貴族としては上位だから、我が家の態度を非難してもいい立場なのに彼はそれをしない。
それどころか素敵な家族だと受け止めてくれている。
それだけではなく家族の態度を気にしている私を慰めようと、恥ずかしいほどの過大評価でさり気なく話を変えてくる。


彼は流石だった。
どんな時でも誰を前にしてもブレることはない。



彼はそれからも我が家への報告を欠かすことはなかった。彼のほうが出向くのではなく、クーガー伯爵家当主を呼びつけてもいいのに、自ら足を運ぶことを止めない。

彼の言動や振る舞いを知るにつれ、私の家族の頑なな態度も徐々に変化していく。

いつの間にか彼と兄は意気投合し親友のような間柄になり、両親も噂とは違う彼の人柄を気に入り頻繁に我が家に招くようになっている。


気づけばヒューイ・マイルは『私の元夫の従兄弟』ではなく『ただの好青年』としてクーガー伯爵家で認識されるようになっていた。





そして彼と家族ぐるみの付き合いをするようになった頃、珍しくこの領地に季節外れの嵐がやってくることになった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子殿下との思い出は、泡雪のように消えていく

木風
恋愛
王太子殿下の生誕を祝う夜会。 侯爵令嬢にとって、それは一生に一度の夢。 震える手で差し出された御手を取り、ほんの数分だけ踊った奇跡。 二度目に誘われたとき、心は淡い期待に揺れる。 けれど、その瞳は一度も自分を映さなかった。 殿下の視線の先にいるのは誰よりも美しい、公爵令嬢。 「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」 優しくも残酷なその言葉に、胸の奥で夢が泡雪のように消えていくのを感じた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」「エブリスタ」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎泡雪 / 木風 雪乃

氷の貴婦人

恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。 呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。 感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。 毒の強めなお話で、大人向けテイストです。

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

完結 愛される自信を失ったのは私の罪

音爽(ネソウ)
恋愛
顔も知らないまま婚約した二人。貴族では当たり前の出会いだった。 それでも互いを尊重して歩み寄るのである。幸いにも両人とも一目で気に入ってしまう。 ところが「従妹」称する少女が現れて「私が婚約するはずだった返せ」と宣戦布告してきた。

[完結]「私が婚約者だったはずなのに」愛する人が別の人と婚約するとしたら〜恋する二人を切り裂く政略結婚の行方は〜

h.h
恋愛
王子グレンの婚約者候補であったはずのルーラ。互いに想いあう二人だったが、政略結婚によりグレンは隣国の王女と結婚することになる。そしてルーラもまた別の人と婚約することに……。「将来僕のお嫁さんになって」そんな約束を記憶の奥にしまいこんで、二人は国のために自らの心を犠牲にしようとしていた。ある日、隣国の王女に関する重大な秘密を知ってしまったルーラは、一人真実を解明するために動き出す。「国のためと言いながら、本当はグレン様を取られたくなだけなのかもしれないの」「国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ」 二人は再び手を取り合うことができるのか……。 全23話で完結(すでに完結済みで投稿しています)

【完結】君を迎えに行く

とっくり
恋愛
 顔だけは完璧、中身はちょっぴり残念な侯爵子息カインと、 ふんわり掴みどころのない伯爵令嬢サナ。  幼い頃に婚約したふたりは、静かに関係を深めていくはずだった。 けれど、すれ違いと策略により、婚約は解消されてしまう。 その別れが、恋に鈍いカインを少しずつ変えていく。 やがて彼は気づく。 あの笑顔の奥に、サナが隠していた“本当の想い”に――。 これは、不器用なふたりが、 遠回りの先で見つけた“本当の気持ち”を迎えに行く物語

処理中です...