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絶叫
しおりを挟むこれまで、アーロンが何度ジョーセフに真実を話しても、何も変わらなかった。
ジョーセフが引きこもって夢を見ていたあの王城の部屋では、アーロンが何を言っても伝わらなかった。
『何を馬鹿なことを言ってるんだい? アリアドネはここにいるじゃないか』
『あまりタチの良くない冗談を言ってはいけないよ、アーロン』
『忙しくてお前と遊んでやれなくなったから拗ねてるのかな』
話が通じないことに、ジョーセフが変わらず夢を見たままでいることに、懐かしすぎる兄の言動に。
アーロンは絶望すると同時に安堵してしまった。
けれど、もう終わりにしないといけない。
大切だった昔のジョーセフと、今も大切なアリアドネ。どちらかを選ばなければならないのなら、答えは明白だ。
だから。
アーロンは心を固くして口を開いた。
「兄上。他でもないあなたが、精霊の泉に身を投げよとアリアドネ正妃にお命じになったのです」
再度繰り返された言葉にジョーセフは目を激しく瞬かせ、それから視線を馬上に向けて困惑顔をした。
今までそこにいた筈のアリアドネが見えなくなったのか、ジョーセフは焦ったように周囲を見回している。
これで何が変わるかは分からない。遂に現実に戻るのか、さらに狂気に走るのか。
どちらにせよ、この1年間の、十数年ぶりに交わした兄ジョーセフとの穏やかな会話は、きっともう二度と戻らないだろう。
だとしても、それが正しいことなら受け止めるしかないのだ。
「アリアドネ、アリアドネ、どこだ」
「兄上。言ったではありませんか。義姉上は泉の底です」
「うるさい! 違う、そんな筈はない。だって、さっきまで私の、俺の腕の中で、一緒に馬に乗って」
「いませんでした。僕の目には兄上ひとりが馬に乗っておられました」
「嘘だ! 酷い、酷すぎる冗談だ。アリアドネ、お願いだ。隠れてないで出てきておくれ。ここは嫌だ、怖い、城に帰ろう」
「兄上は、身分も教養も何もないカレンデュラの側にいる方が心地よいと、そう仰って義姉上を遠ざけたのです」
カレンデュラ、その名にジョーセフがぴくりと反応する。
苦しげに眉を寄せ、顔は青ざめ、唇をわなわなと振るわせて。
「兄上はいつしか変わってしまわれた。義姉上を、僕を遠ざけ、常にカレンデュラを側に置くようになった」
「カ、レンデュラ」
ジョーセフは頭を押さえ、呻くようにその名を呼んだ。
「違う。俺はカレンデュラなど選んでいない。側妃になどしていない。あの女と子など作っていない。ああ、そうだ、セドリックもリゼットもマーカスも、俺の子じゃなかった。俺の妻は、最初からアリアドネだけ。だから俺は間違ってなどいない」
澄んでいた金色の瞳が、どろりと濁る。
ジョーセフは紫の髪をかきむしった。
「側妃などいないのだから、俺は側妃から毒を盛られたりしていない。側妃も自ら毒を飲んで倒れるふりなどしていない。だからアリアドネの断罪など、俺がした筈がない。アリアドネは、アリアドネは生きている。今もどこかで生きているんだ」
大好きだった兄の面影が消え、大嫌いだった兄の姿が段々と濃くなっていく。
それが悲しく情けなく。
アーロンは涙を拭うこともせず、それが頬を流れ落ちるままにして言葉を続けた。
「毒殺の疑いをかけられた義姉上はこの泉に沈み、王国を闇と雪が襲いました。精霊王の裁きが下ったのです。その裁きは真の咎人を求めて1年後に再び・・・」
「黙れ、アーロン! 嘘ばかり並べるな!」
「・・・1年後、闇と雪が再びこの地を襲いました」
ご存知ですか、とアーロンが続ける。
「その時、デンゼル公はちょうどここにおられたそうです」
これは最近になって知ったことだ。
ポワソン公国に謝罪の手紙を何度か送った後、先日初めてデンゼルからの私的な手紙を受け取った。
そこに書いてあったのは、雪に埋もれたデンゼルの前に現れた小さな妖精の姿のアリアドネの話。
幼く、ポワソンで過ごした幼少期の頃の姿で、体の大きさは指先くらいしかなかったという。
妖精王の力で目が開かれるまで、小さな光の玉にしか見なかったというアリアドネは、雪で凍えるデンゼルの体の周りを必死に飛び回って温めようとしたのだとか。
あのまま泉の傍で死に、怒ったトラキアが攻め込んでクロイセフを滅ぼすのもいいと思ったのに、妖精になっても優しいアリアドネに阻まれてしまったと、本気ではないと前置きした上で書かれた一文を読んだ時は肝が冷えるのと同時に、今も別の形でアリアドネが存在しているという事実に胸が震えた。
大好きな、大好きなアリアドネ。
ここに本当にあなたがいるというのなら―――
そんな思いを抱えつつ、アーロンは続けた。
「兄上。デンゼル公によると、義姉上は今は妖精となってここに、この泉に住んでおられるそうです。その前で、まだあなたは言うのですか・・・?」
―――自分は何も間違ってなどいないと。
「うあ・・・うああぁ・・・っ!」
2人の会話以外、何ひとつ音のない静かな世界。
最後に響いたのは、ジョーセフの絶叫だった。
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