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第二部
七十三話 蕾の薔薇と世の喜び《急転》 前①
しおりを挟む目の前の景色がまた変わった。
手首を掴まれて中吊りになったまま、俺と皇帝だけが転移したらしい。
かなり上空にいるのか、下を見ると地上が遠い。周りは一面の砂漠だった。俺たちの下には黒っぽい木が群生している森のようなものが見える。それから微かに遺跡のような影も。
砂漠に転移したのか。
一人だけ連れ出されてしまったが、闘技場からこいつを引き離すことができて良かったのかもしれない。この間にライネル達がなんとか魔物を片付けてくれれば残った皆は助かる。
皇帝は俺の手首を掴んで引き上げたまま、ぶら下がる俺を見下ろして目を細めた。
「私を人間ではないと言うか」
興味深そうな目で俺を観察してくる皇帝を鋭く睨め付けた。
「お前の正体はわかってんだよ。アシュラフ皇帝の中に入ってるけど、人間じゃねぇな。あの時魔界に追い返した悪魔だろう」
俺がそう吐き捨てると、瞳を赤く染め上げた悪魔が嗤った。
嫌な予感がしたのは俺を妙に見てくるこの目つきに覚えがあると思ったからだ。
四ヶ月前、デルトフィアの王宮で眠らされていたアシュタルトという名前の悪魔を、俺はグウェンと総帥達と共に魔界に落とした。
そもそもゲームでは起こらなかったはずのアシュラフ皇帝の呪いの発現が早まったのならば、原因は俺がシナリオを変えてしまったことにあると考えるのが当然の帰結だった。俺が関わったことで明らかな改変が起きたのは、物語の最後にルシアが聖女にならず、デルトフィアの王宮に眠っていた悪魔を魔界に追い返したことだろう。
だからこのラムルの呪い騒動も、もしかしたらあの悪魔の封印に関係があるんじゃないかと薄々考えていた。
今思い返せば、あの時俺は魔界に落ちる寸前で悪魔の額に刺さった宝剣を抜いた。そしてその瞬間、確かに悪魔の額から黒い残滓が飛んだのを見たのだ。
もしやあの残滓の中に、悪魔の一部が残っていてあの時密かに地上に逃れたのかもしれない。その後奴がラムルまできてアシュラフ皇帝の身体を乗っ取ったのだとしたら、色々辻褄が合う。
なんとなくそう不吉な予感があったのだが、そんなの気のせいで、俺の勘ぐりすぎであれと強く願っていた。しかし試験の最中に常軌を逸している皇帝の振る舞いを実際に目にしたら、本当にあの時の悪魔が憑いているかもしれないという疑惑は強くなった。
それに加えて昨日の夜に鈴園で出会ったアルフ殿下は、皇帝の性格が変わったのは三、四ヶ月前だったと答えた。それを聞いて俺はますます疑いを強めた。俺たちが悪魔を追い返した時期とタイミングが一致してしまっている。
だから今日、皇帝が掴んだ護符が黒く燃え上がるのを見た瞬間、俺はその推測にほとんど確信に近いものを抱いた。
「確かアシュタルトって言ったな。聖堂で俺が剣を抜いた時、意識だけ逃れてアシュラフ皇帝の中に入り込んだのか」
俺の言葉を聞いた悪魔は、瞬きもせずにじっと俺を見下ろしていた。
そして愉快そうに唇を歪める。
「あの時はやってくれたな、人間」
ゆったりした口調で、悪魔は俺の問いを肯定した。
俺の腕を掴んだ手をぐっと引き上げて、俺と奴の顔の位置が同じ高さになった。宙吊りになっているせいで掴まれた左手首に体重がかかって痛い。だんだん左の肩も痺れてきた。
皇帝の身体を乗っ取ったアシュタルトは、相変わらず妙な目つきで俺を観察するように視線を動かす。
「あの時は私も寝起きで不意をつかれた。しかしお前の気配には覚えがある。私の配下の指を切ったのもお前だろう。ことごとく私の邪魔をしてくれたものだ」
部下と感覚の共有でもしているのか、トロンの森の神殿で悪魔の手と交戦したことも知っているらしい。
苦々しげに俺を見てくる皇帝の顔から目を逸らさず、俺はその赤い目をまっすぐ睨み返した。
「その身体から出て行け。それはお前のものじゃない」
そう言うとアシュタルトはふん、と嗤った。
「こやつの血族はいずれ私のものになる。どうせ遅かれ早かれ私は目覚めることになっただろう」
俺は悪魔を睨みながら、四ヶ月前に自分がしでかしたことを後悔した。
あの時宝剣を抜いたのは、間違っていたのか。
いや、でもあの剣がなければ上手く結界を閉じられなかったかもしれない。
まさかデルトフィアにではなく、ラムルの方にアシュタルトを封じた余波が生じてしまうなんて考えもしなかった。
悪魔は片手で俺を掴みながら、もう片方の手を自分の前に広げて眺めた。
「この者は神聖力が高い。それでいて私の呪いがかかったこの体は私を拒絶しない。本来の力までは出せないが、良い器を手に入れたものだ」
皇帝の顔をした悪魔がそうしみじみとした調子で呟く。まるで初代皇帝に呪いをかけたのも、自分だったというような言い方だった。
こんな状況でも俺は内心で頭を抱える。
アシュラフ皇帝がアシュタルトに乗っ取られたのが実は俺が宝剣を抜いたせいだったなんて、マスルール達にどう説明したらいいんだ。
この国からさっさと逃げ出そうと思っていたのに、どうやらこいつをもう一度封印するか、アシュラフ皇帝から追い出す方法を探さなくてはならなくなった。
でもそれ以前に、俺がここから脱するのが先だ。なんとかして逃げられるだろうか。
そう考えていると、アシュタルトは思い出したような顔でギロリと俺を睨んだ。
「ついでに忌々しい力を持つ聖女達を始末しようと思っていたのに、お前は随分邪魔をしてくれたな」
俺は黙って奴を睨み返した。
やはり、殺すつもりで六女典礼を始めたのか。
そうとしか考えられないと思っていたから、俺は驚かない。
光属性や神聖力の強そうな人間が邪魔だったということだろう。悪魔を封じることができる光属性の保持者は確かに目障りだったはずだ。
こいつは明らかに妃を選ぶよりもむしろ何人か殺そうとして試験を受けさせていたし、さっきの闘技場ではもう全員纏めて殺すつもりだっただろう。そのために魔物を集めてマスルールを追い払ったのだから、悪魔にしてはよく頭が回る。
「しかしこの国も昔に比べてどうということはなくなった。あれだけの女がいて、まともな神聖力を持つのが王族だけなどとは、わざわざ集めて殺すまでもなかったな」
やれやれという顔をしたアシュタルトは、「無駄な時間をすごした。鍵を見つけるまでは大人しくしていようと思ったが、これで鍵が見つからないならいよいよここに留まる理由がない」と呟いて首を振ると、無表情で俺を眺めた。
「さてつい転移してしまったが、お前をどうするか。邪魔になりそうだからここで殺しておくべきだろうな」
「……ごちゃごちゃうるせーよ。ここはお前がいるべき場所じゃない。魔界に帰れ」
悪魔のセリフを無視して吐き捨てると、赤い目を大きく開いたアシュタルトが口角を上げた。爛々とした血のような色の目が俺を鋭く見据える。
「ここが私の居場所ではない、か。それは、やってみなければわからないだろう」
にやりと嗤った能面のような顔に背筋がぞくりとした。
本能的に恐怖を覚えるが、ここで引いたら本当に殺される。腹の底に力を入れて目の前の悪魔を強く睨みつけた。
「お前の顔だけは気に入っていたが、知りすぎたな。残念だが処分するしかない」
そう言った悪魔は俺の腕を掴んで吊り上げながら、もう片方の手で俺の首を掴んできた。
「ぐぅっ」
最初から強い力で絞められて喉から空気が漏れる。
こいつ、昨日の今日でまた首絞めてきやがって。
馬鹿みたいに繰り返し俺の顔、俺の顔って言うのはなんなんだよ。俺はお前の顔なんか全然好きじゃない。
右手で喉を掴む奴の手に爪を立てて抵抗すると、ほとんど効果が切れていた筋力増強の術がまだ少し有効だったらしく、かなり深くまで爪が刺さり首を掴まれた力が少し緩んだ。
「忌々しい」
舌打ちしてそう呟いた悪魔が、俺の腕を吊り上げていた手を離した。
その瞬間がくんと身体が下がって自分の全体重が首にかかり、喉が絞まる。
「うっ……!」
苦しい、
さすがにヤバい。
首を掴む手を両手で引き剥がそうと全力で力を込めた時、俺の背中から金色の塊がひゅっと飛び出した。
「ぴぃっ」
「っ、メル?!」
鞄の蓋を無理矢理中からこじ開けて出てきたのか、メルは俺の首を絞める悪魔の手に飛び乗ると皇帝を見上げ、ぱかっと小さな口を開いた。
ゴオッ
突然炎が吐き出されて、驚いた顔をした悪魔が思わずといった動きで俺の首から手を離す。
大した威力はなかったが、意表を突くには十分だった。
今炎吐いた……?!
驚愕しながらもメルがぴょんと俺の方に跳んだので素早く手を伸ばしてその小さな身体を捕まえる。
吊り下げられるものがなくなった俺は、一瞬の浮遊感を感じた後落下した。
俺を見る悪魔と目が合った。落ちていく俺を見下ろしたアシュタルトが、「は」と口を歪めて嘲笑を浮かべる。
「どうせ下は魔の虚だ。魔物に喰われて果てるが良い」
そう言い捨てると、その身体は瞬く間に掻き消えた。
「あ! おいてめぇ!」
叫びながら、俺の身体は猛スピードで背中から地面に落下していく。
クソ。
首輪さえなければ。
「くっそ! 絶対に許さねぇからな!! クソ悪魔!!!!」
手の中で動くメルを胸元に抱えながら、俺は消えた悪魔に向かって大声で怒鳴り散らした。
ちらりと振り返って下を見ると、どんどん地面が迫ってきている。
ヤバい。
「グウェン!! 助けて!!」
そう叫んでから、はっと思い出して片手でポケットを漁った。
もつれる手で金色の笛を取り出し、それを力いっぱい吹く。
「来てくれ! グウェン!!」
このままだとさすがに死ぬ!!
使える魔法陣は持っていない。
いくら下が砂漠で砂だからって、この高さから叩きつけられたら無事では済まないだろう。
メルを抱えて身体ごと下を向いた。枯れたように黒く変色した木々が見え、それがどんどん目前に迫ってくる。樹林の間には確かに魔物のような影も見えるが、このままでは魔物にやられる前に地面にぶつかって死んでしまう。
まさか、間に合わないのか?
嘘だろう。
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