悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第三部

四十五話 小休止 メリーゴーランドならあなたと 前①

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◆◇◆

 グウェンの話を聞いていたら切なさと愛しさが込み上げてしまい、いても立ってもいられず抱きついてしまった。

 グウェンは固まって棒立ちになっているが、振り払われたりすることはないから俺は調子に乗っている。黒いシャツごしに頬を胸に押し当てて、久しぶりに抱きしめたグウェンの身体と彼の匂いを密かに堪能していると、そのうち彼は途方に暮れたようになった。しかし押し退けてくることはない。
 こうして見ると、グウェンの脳内では彼はやはり十五なのだな、と実感する。人と接することも、こんなときどうリアクションすればいいのかも、わからないようなのだ。可愛い。

 船の事件の後、キスしたいなんて邪なことを考えていた自分を反省した。
 このピュアで可愛いグウェンは、このままにして守るべきだ。俺は純粋な十五のグウェンをもっと愛でたい。

 そう考えながら、ずっと固まらせたままなのも可哀想だなと思い、腕を離した。ほっと息を吐いたグウェンは安堵したような、それでいて少し寂しそうな目をするから俺は内心で悶える。
 彼は何か考え込むように眉間に力を入れて、俺の顔を見つめていた。その目にはまだ戸惑いが浮かんでいる。

「あなたは……周囲の人間から大事にされているし、あなたに好意を寄せる人間はたくさんいるのに、何故私なんだ」

 最初に聞いてきた疑問に戻ったな。
 よほどそれが気になるのか。
 心からわからない、という顔をするグウェンを見上げて、俺は迷わずに即答する。

「そんなの俺がお前を愛してるからに決まってんだろ」

 お前からあんなに愛されてたら、他の誰かと恋愛しようなんて思わねーよ。

 そう答えたら、彼はますますわからないという顔をして「私のどこを……」と呟いていた。
 そのグウェンの顔を見て俺はくすりと微笑み、肩からずり下がっていたストールを直した。さっき庭に出るときにたまたま母さんに見つかって渡された肩掛けは、薄いけど柔らかくて暖かい。
 
「グウェンドルフの好きなところは、挙げようと思えばいくらでもあるよ。でも、一番は愛情深いところかな。俺はグウェンに溢れるほど愛されて、いつも安心してた。だからお前に愛された分、今度は俺がお前に返したいんだ」
「……私が?」

 意外だったのか、目を丸くしたグウェンを見上げて俺は頷いた。

「グウェンは最初から、ずっと俺を愛して守ってくれた。厄介な事件に巻き込まれたときも、魔界に落ちたときも、必ず俺を追いかけてきて手を掴んでくれた。絶対に俺の手を離さなかった。だから俺は、グウェンに愛されて安心したんだよ。安心してお前を好きになれた。俺はお前が大好きだし、グウェンと一緒にいるだけで幸せなんだ」

 語りながら、目の前のグウェンドルフに話しているのか、記憶の中のグウェンに向かって話しているのか、わからなくなってきた。十五のグウェンが戸惑わないようになるべく気をつけているけど、俺にとってはどっちもグウェンだから気持ちを伝えるときはどうしても混ざってしまう。
 俺の言葉をじっと聞いていた彼は、静かに俺を見つめた。

「……私の記憶が戻らなくてもいいのか」

 慎重なニュアンスの声を聞いて今度は俺が瞬きする。
 当たり前だけど、グウェンも気にしているのか。記憶がなくても俺の気持ちが変わらないのか。
 もしそれに不安を感じているのなら、やっぱり愛しいな、と思い、俺は彼を安心させるように笑いかけた。
 
「うん。いいよ。俺たちはまた新しく二人の関係を築ける。楽しそうだろ。お前とまた最初から色んな思い出が作れるなんてさ」

 戻らないかもしれない、と思うと不安がないとは言い切れない。
 でも大丈夫だ。
 俺はグウェンとなら、何度でも同じように恋ができる。目の前にいるグウェンが、二十のグウェンの昔の姿だと思えば、愛しさは全然変わらない。今も変わらずに愛してる。なんというか、つまり今度は俺がグウェンを追いかける番なんだろう。それはそれで、なんだか楽しいじゃないか。恋になるまでの初々しい関係を追体験できるなんて。
 思えば、俺たちがゴールインしたのって事件の中でものすごく慌ただしくて、ゆっくり時間をかけてって感じじゃなかったし。
 こうなったら蛇が飽きるまでの間、思う存分グウェンと愛を育んでやろう。

 俺が微笑むと、グウェンは黒い瞳を少し見開いて、ほんの少し、目元を緩ませた。
 その安心したような表情を見て、十五のグウェンドルフはなんて可愛いのだろう、と俺は感動で打ち震えている。

 ベルとウィルはグウェンを見て不安そうにしていたけど、これならきっと早いうちにまた打ち解けられる気がする。さっきは俺との関係がちゃんとできてからの方がいいかと思ってベル達を紹介しなかったから、後で呼び戻してみようかな。

 そう思っていたら、グウェンが小さな声で何か言った。

「ん? どうした」
「……んでもいいだろうか」
「え?」
「レイナルド卿と呼んでも、いいだろうか」

 意を決したような顔でそう言われて、思わず彼の顔をまじまじと見つめ返してしまった。
 今更、なんて思わない。
 グウェンが最初から家名ではなく名前を呼んでもいいかと尋ねてくることの意味を思えば、胸がいっぱいになるくらい嬉しい。
 強張ったような顔をしている彼を見上げて、自然と笑みが溢れた。

「だめ」

 そう言うと、グウェンは固まってショックを受けたような顔をする。彼の瞳から目を逸らさず、俺は再び手が触れ合うほど近くまで身を寄せて、下から覗き込むようにして微笑んだ。

「レイナルドって呼んで」

 自分でも意図せず、甘えるような声が出た。
 俺の囁きを聞いて、グウェンはまた息を呑む。怯んだような反応を見せたから、俺は肩からするりとストールを外してそれを後ずさろうとする彼の頭に被せて引っ張った。自分も一緒にその中に入ると、藤色の柔らかな布の内側で、彼は驚きと困惑とが入り交じったような顔をしている。
 ストールの薄い布をすかして、外の明るい日差しがぼんやりと見えた。被ったときにふわっと香ったのは、多分ストールに染みた母さんの香水で、ライラックのような甘い匂い。周りが見えなくなっただけで、グウェンとの距離が近づいた気がして嬉しくなる。
 俺はストールの端を持ったまま彼を見上げた。

「呼んで。グウェン」

 促すように囁いてその名前で呼んだら、伏せていた目を上げた彼と視線が絡む。強く見つめると、彼は躊躇いながらも目は逸らさなかった。

「……レイナルド」

 ごく小さな声だったが、ちゃんと聞こえた。

 そうしたら、なんだかまた泣きたいような気持ちになった。

 全然違う。
 いつもグウェンが俺を呼ぶ声とは全然違うけど、泣きたくなるくらい嬉しかった。
 久しぶりにグウェンの声で名前を呼ばれたら、こんなに胸が苦しくなるなんて思わなかった。自分では自覚していなかったけど、やっぱり結構キツかったんだな。

「もう一回」

 俺の切実な声音に気づいたのか、グウェンは僅かな戸惑いを顔に浮かべたまま、もう一度繰り返してくれる。

「レイナルド」
「うん」

 久しぶりに、息が深く吸えたような気がした。

 よかった。俺は大丈夫だ。まだ頑張れる。

 下を向いて鼻をすすると、グウェンは怯んだような気配になって、ストールを被ったまま狼狽えた。

「ごめん、平気。ちょっと感動しただけ」

 安心させるように微笑んで、俺は布の端を掴んでいた手を離し、目尻に溜まった涙を拭った。

「レイナルドって呼んでくれる?」
「……わかった」

 多少強張ってはいたが、こくりと頷いてくれたグウェンにほっとして表情を緩めた。彼は黙って俺を見下ろしている。
 そのときふわりと風が吹いて、煽られたストールが俺達の頭から離れて浮かび上がった。咄嗟にグウェンが布の端を掴み、柔らかな薄い布が風に靡いて空に広がる。
 彼はそのストールから目を離さず、一時何かに思いを馳せるように、空に向かってはためく淡い藤色の波を見つめていた。
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