女子にモテる極上のイケメンな幼馴染(男)は、ずっと俺に片思いしてたらしいです。

山法師

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1 またかよ

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「ゔぇぇ゛え゛ぇぇん……!」

 幼い声が、奏夜そうやの耳にこだまする。
 その葬儀場は、それなりに静かだったような、ある程度騒がしかったような、……正直なところあまり覚えていないというのが、奏夜の記憶からすると正しい。
 天井の照明は眩しいくらいに白く、黒い服を着た人たちが沢山いて、立ったり座ったり歩いたりしていた。その人たちの顔は、ほとんど覚えていない。夏だったから暑かったような、冷房が効いていて逆に寒かったような、それすら記憶が定かでない。
 周りの色は白と黒ばかり──飾られている花も白ばかりだった気がする──で、奏夜にとってそこは、その記憶は、……たぶん、本当は、葬式以前から、モノクロの世界だった。
 色がなく、さざめく音は意味が理解できず。隣にいてくれた父の存在すら、その時は希薄に感じていた。
 そんな場所にいた奏夜の記憶がはっきりしだしたのは、彼の幼馴染──圭介けいすけの泣き声を耳にしてからだ。

「ぞーぢゃん゛っ、ぞーぢゃん゛のおがあざんぅうぇえぇぇん!!」

 母が死んだ自分より大号泣している圭介の声を聴きながら、今、自分はその圭介に抱きしめられているのだと思い返す。
 そうだ。今にも泣き出しそうな顔で向かってきた圭介に、体当たりのように抱きしめられたんだ、確か。
 圭介の泣き声を聴いていると、少しずつ、夢から覚めるような心地がした。
 棒立ちのままの奏夜は、泣き出した圭介の声を聴きながら、思う。

(……あったかい)

 圭介、あったかい。
 生きている人は、こんなにも温かいんだっけ。
 モノクロで、音らしい音が無かった世界に、温度も匂いも無かった世界に、欠けていたものが戻ってくる。
 大号泣している圭介の泣き声。温かな圭介の体温。サラサラと頬に触れる、圭介の明るい茶色の髪の毛。圭介から香る、お日様みたいな匂い。
 生きていると全身で主張している、圭介という存在。
 その存在を確かめるように背中に腕を伸ばしながら周りを見ると、見えていたはずなのに認識できていなかった景色が見えてくる。
 圭介を泣き止ませようと、しゃがみ込んで声をかけてくる圭介の両親や奏夜の父。半分泣いているけれど口を引き結んで声を出さないようにしている、二つ年上で今年七歳になる圭介の姉。親に手を繋がれ、圭介から伝播したように泣き始めた、幼稚園の友達たち。
 彼らへ目を向けながら、奏夜は圭介の背中に回した腕で、ぎゅ、とシャツの背中部分を掴んだ。すると、圭介の泣き声は大きくなって、自分の背中に回された腕の力も強くなったのがわかった。
 そーちゃんのお母さんが、そーちゃんの。
 泣いて、しゃくりあげながら何度も言うそれを聴く。圭介の体温と声が、体に染み込んでくるみたいだった。
 思えば。
 母が事故死した日から今日まで、自分の世界はモノクロで、自分の体は冷たかった気がする。
 圭介の家で遊んでいる時に、予定の時間より随分早く、父が迎えに来た。母が迎えに来てくれる予定だった。外は蒸し暑いというのに、父の顔色は、青白かった。
 そして、家に帰るのではなく、恐らく病院だったんだろう、知らない場所に連れて行かれ、横たわる『母』を見ることになる。
 真夏だというのに、ぴくりとも動かなくて文字通り血の気の引いた母の肌に触れると、ゾッとするほど冷たかった。母だった何かの手を握り、涙を流しながら静かに名前を呼ぶ父のシャツの裾を掴んで、恐怖と混乱を抑え込もうとした。
 泣くことは、できなかった。ただ、どこまでも怖いと思った。
 怖くて、怖くて、訳がわからなくて。
 そのあたりから世界はモノクロになっていって、温度も匂いもなくなっていった。
 色んな人が家に来て、奏夜も父に連れられて色んな場所へ行って、目まぐるしく変わる景色に追い立てられているような心地だった。
 母が死んだ。この世から消えた。それはどこか遠い世界の出来事のようで、奏夜が実感を得る機会は、無かった。
 今、この瞬間。泣きじゃくっている圭介に抱きしめられるまで。

「……けぇ、すけ……」

 涙を流す幼馴染の名前を呼ぼうとして、失敗する。気づけばしゃくりあげていて、ぼろぼろと涙をこぼしていた。
 相変わらず大声で泣く圭介は、やっぱりどこまでも温かくて。その熱を分けてもらうように抱きしめ、涙をこぼす。
 動かなくなって、怖いくらい白くなった母は、冷たかった。温かい母はもう居ないのだと、やっと理解した。
 圭介は、あったかい。生きているから、あったかい。
 この温かさを失いたくないと思った。
 母の死を受け入れるのと同時に、今抱きしめている温もりを失くしたくないと、強く思った。
 五歳になる年の夏、太陽が高い位置にある時間帯。
 圭介という幼馴染に抱きしめられて、奏夜の心は現実に戻ってきた。

 ◇

『別れた』

 メッセージアプリに届いた簡潔な言葉を見て、奏夜の眉間にしわが寄る。んぐぅ、と呻き、しばしの逡巡のあと、口から大きなため息が出た。

「またかよ……」

 自室にいたせいか、ひとりごとの声量が思いのほか大きい。
 奏夜は左手にスマートフォンを持ったまま、少し癖のある黒髪を右手でかき回す。
 ひとしきりかき回すと、髪がボサボサになるのと引き換えにクサクサした心はいくらか静まった。奏夜は乱れた髪から右手を離し、灰色がかった黒目に映るメッセージ画面に『今どこ』と送る。
 既読が付いて、少しして。『電車の中』『帰り』と返ってきたので、『何時頃駅着くか教えろ』と送ってから、スマートフォンに表示されている時刻を確認した。
 20:26。メッセージを送ってきた相手、圭介がどの辺りにいるかにもよるけれど、終電を気にするような時間じゃないのは不幸中の幸いとでも言うべきか。
 そんなことを考えていると、九時くらいに着く、とメッセージが入る。

(あんま時間ないな)

 了解のスタンプと『今から行く』のメッセージを送り、スマートフォンを暗くして外出の準備に取り掛かった。
 今いる自宅から最寄り駅までは、自転車を飛ばして十分。駅ですぐに電車に乗れても、圭介が一人暮らしをしているアパートの最寄り駅まで十五分はかかる。スムーズに動けても三十分近くある道のりだ。
 余裕を持って駅には着いていたいという思いのもと、部屋着を雑に脱いでタンスから適当に出した服に着替え、自転車に乗るから丈が短い厚手のコートを選んで着る。
 十二月上旬の夜に自転車で風を切る時の寒さは何度か経験しているし、それより寒い時期にこうすることだってあったので、慣れていると言えば慣れている。が、あまり慣れたくはないな、と毎年のように──というか毎回、思っている。
 寒くても暑くても、「別れた」から始まるこの流れには慣れたくない。
 理由は単純。
 傷心の圭介を目にするだけで、自分の心も痛むから。

(いっつも辛そうなんだよ、別れたんだから当然なんだけど)

 スマートフォンを確認すると、メッセージに既読が付いていた。けれど、返事は特になし。この流れではいつものことだった。

「……はぁ……」

 浅く、ため息を漏らす。いつもの、ということは、圭介が傷ついている状態だということだ。十中八九、いや、九割九分。
 スマートフォンを含めた最低限の荷物をコートのポケットに入れ、風呂に入っていた父に「ちょっと圭介んとこ行ってくる」と声をかけ、「え? あ、圭介くん?」という声を聞きながら玄関へ向かう。
 靴を履いて、玄関を出て、自転車の鍵を外してサドルにまたがる。

「……圭介……」

 幼馴染の名前を呟きながら見上げた冬の夜空は澄み渡り、三日月よりは太めな月と、点々と散る星が見えた。
 電車の中で、圭介もこの夜空を見ているだろうか。
 そんな余裕もないほど、傷ついているだろうか。
 幼馴染の胸中を思いながら、奏夜は自転車を漕ぎ出した。


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