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第11話:中断された鳥かごの鍵
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ゼノン様の顔が、すぐそこまで迫っている。
そのアイスブルーの瞳に囚われて、私は身動き一つできない。
彼の唇が、私のものに重なろうとした、その刹那――
「シルヴァーグ公爵! そこにおられるのだろう!?」
温室の外から、鋭く、張りのある声が響き渡った。
続いて、複数の鎧が擦れる音と、慌ただしい足音。
その声の主は、間違いなくアラン殿下だった。
「…チッ」
ゼノン様が、小さく、しかしはっきりと舌打ちをした。
彼の唇は、私の唇の寸前で止まり、ゆっくりと離れていく。
私は、間一髪で最悪の事態を免れたことに、心の中で安堵の息を漏らした。
ゼノン様は、名残惜しそうに私の唇を一瞥すると、億劫そうに身体を起こした。
そして、温室の入り口に立つアラン殿下へと、冷たい視線を向ける。
「…何の御用ですかな、アラン殿下。せっかくの、**“話し合い”**の途中だったのですが」
“話し合い”という部分を、ことさらに強調するゼノン様。
その言葉に、アラン殿下は眉をひそめた。
「妃殿下…母上が、貴公を至急お呼びだ。王宮での会議の件で、確認したいことがあると」
「ほう。それは、今この時でなければならぬ用件ですかな?」
「いかにも。公爵ともあろう方が、婚約者殿を人気のない場所に連れ込み、無理強いするなどという醜聞が、母上の耳に入るよりは、よほど急ぎの用件だと思うが?」
アラン殿下の言葉は、明確な牽制だった。
王妃の名を出し、ゼノン様の行動を非難する。
さすがのゼノン様も、王妃陛下直々のお召しとあれば、無視することはできない。
ゼノン様は、無言でアラン殿下を睨みつけた。
凍てつくような視線が、温室の中の空気をさらに冷たくする。
「…承知いたしました。すぐに向かいましょう」
しばらくの沈黙の後、彼は静かにそう答えた。
しかし、その声には、抑えきれない怒りが滲んでいる。
彼は、最後に私の方へ向き直った。
「イザベラ」
「…はい」
「この話は、また後で、ゆっくりと続けよう」
その言葉は、甘い約束のようで、恐ろしい呪いのようだった。
“後で”。
その言葉の重みに、私の心臓は再び、氷水に浸されたように冷たくなった。
彼は私の頬を、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと撫でた。
「良い子で、待っているんだぞ」
そう言い残すと、彼は私に背を向け、アラン殿下の横を通り過ぎて温室から出て行った。
去り際に、二人の間で火花が散ったように見えたのは、気のせいではないだろう。
一人、温室に残された私。
まだ、ゼノン様の指先の感触が、頬に残っている。
恐怖で、膝がガクガクと震えて、立っていられない。
「…大丈夫か、イザベラ嬢」
心配そうな声と共に、アラン殿下が駆け寄ってきてくれた。
彼は、私が座っているベンチの前に跪くと、私の顔を優しく覗き込む。
「酷い顔色だ。…何も、されていないか?」
その問いに、私はかぶりを振ることしかできなかった。
何もされなかった。寸でのところで。
けれど、心は、もう限界だった。
「殿下…」
私の声は、自分でも驚くほど、か細く震えていた。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が、彼の優しさに触れて、ぷつりと切れてしまう。
「助けて、ください…」
私の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「あの人は、おかしいんです…! 私、あの人に、殺されてしまうかもしれない…!」
それは、大げさな言葉ではなかった。
本心からの叫びだった。
彼のあの執着は、異常だ。
いつか、彼の意に沿わないことをすれば、本当に何をされるかわからない。
アラン殿下は、私の言葉を黙って聞いていた。
そして、私が泣きじゃくるのを、静かに待ってくれた。
彼のその沈黙が、今の私には何よりもありがたかった。
やがて、私が少し落ち着いたのを見計らって、彼はゆっくりと口を開いた。
その表情は、いつもの軽薄な笑みではなく、真剣そのものだった。
「…やはりな」
彼は、何かを確信したように、そう呟いた。
「イザベラ嬢。君が、本気で彼から逃れたいと願うのなら」
彼は、私の涙を指で優しく拭うと、まっすぐに私の瞳を見つめて言った。
「俺と、協力しないか?」
その提案は、暗闇の中で見つけた、たった一本の蜘蛛の糸のように思えた。
しかし、その糸が、天国へ続くものなのか、それとも、別の地獄へ続くものなのか。
今の私には、判断する術がなかった。
そのアイスブルーの瞳に囚われて、私は身動き一つできない。
彼の唇が、私のものに重なろうとした、その刹那――
「シルヴァーグ公爵! そこにおられるのだろう!?」
温室の外から、鋭く、張りのある声が響き渡った。
続いて、複数の鎧が擦れる音と、慌ただしい足音。
その声の主は、間違いなくアラン殿下だった。
「…チッ」
ゼノン様が、小さく、しかしはっきりと舌打ちをした。
彼の唇は、私の唇の寸前で止まり、ゆっくりと離れていく。
私は、間一髪で最悪の事態を免れたことに、心の中で安堵の息を漏らした。
ゼノン様は、名残惜しそうに私の唇を一瞥すると、億劫そうに身体を起こした。
そして、温室の入り口に立つアラン殿下へと、冷たい視線を向ける。
「…何の御用ですかな、アラン殿下。せっかくの、**“話し合い”**の途中だったのですが」
“話し合い”という部分を、ことさらに強調するゼノン様。
その言葉に、アラン殿下は眉をひそめた。
「妃殿下…母上が、貴公を至急お呼びだ。王宮での会議の件で、確認したいことがあると」
「ほう。それは、今この時でなければならぬ用件ですかな?」
「いかにも。公爵ともあろう方が、婚約者殿を人気のない場所に連れ込み、無理強いするなどという醜聞が、母上の耳に入るよりは、よほど急ぎの用件だと思うが?」
アラン殿下の言葉は、明確な牽制だった。
王妃の名を出し、ゼノン様の行動を非難する。
さすがのゼノン様も、王妃陛下直々のお召しとあれば、無視することはできない。
ゼノン様は、無言でアラン殿下を睨みつけた。
凍てつくような視線が、温室の中の空気をさらに冷たくする。
「…承知いたしました。すぐに向かいましょう」
しばらくの沈黙の後、彼は静かにそう答えた。
しかし、その声には、抑えきれない怒りが滲んでいる。
彼は、最後に私の方へ向き直った。
「イザベラ」
「…はい」
「この話は、また後で、ゆっくりと続けよう」
その言葉は、甘い約束のようで、恐ろしい呪いのようだった。
“後で”。
その言葉の重みに、私の心臓は再び、氷水に浸されたように冷たくなった。
彼は私の頬を、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと撫でた。
「良い子で、待っているんだぞ」
そう言い残すと、彼は私に背を向け、アラン殿下の横を通り過ぎて温室から出て行った。
去り際に、二人の間で火花が散ったように見えたのは、気のせいではないだろう。
一人、温室に残された私。
まだ、ゼノン様の指先の感触が、頬に残っている。
恐怖で、膝がガクガクと震えて、立っていられない。
「…大丈夫か、イザベラ嬢」
心配そうな声と共に、アラン殿下が駆け寄ってきてくれた。
彼は、私が座っているベンチの前に跪くと、私の顔を優しく覗き込む。
「酷い顔色だ。…何も、されていないか?」
その問いに、私はかぶりを振ることしかできなかった。
何もされなかった。寸でのところで。
けれど、心は、もう限界だった。
「殿下…」
私の声は、自分でも驚くほど、か細く震えていた。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が、彼の優しさに触れて、ぷつりと切れてしまう。
「助けて、ください…」
私の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「あの人は、おかしいんです…! 私、あの人に、殺されてしまうかもしれない…!」
それは、大げさな言葉ではなかった。
本心からの叫びだった。
彼のあの執着は、異常だ。
いつか、彼の意に沿わないことをすれば、本当に何をされるかわからない。
アラン殿下は、私の言葉を黙って聞いていた。
そして、私が泣きじゃくるのを、静かに待ってくれた。
彼のその沈黙が、今の私には何よりもありがたかった。
やがて、私が少し落ち着いたのを見計らって、彼はゆっくりと口を開いた。
その表情は、いつもの軽薄な笑みではなく、真剣そのものだった。
「…やはりな」
彼は、何かを確信したように、そう呟いた。
「イザベラ嬢。君が、本気で彼から逃れたいと願うのなら」
彼は、私の涙を指で優しく拭うと、まっすぐに私の瞳を見つめて言った。
「俺と、協力しないか?」
その提案は、暗闇の中で見つけた、たった一本の蜘蛛の糸のように思えた。
しかし、その糸が、天国へ続くものなのか、それとも、別の地獄へ続くものなのか。
今の私には、判断する術がなかった。
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