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第十二章 偽りの叡智と王の涙
第214話 禁書庫の沈黙
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俺たちは再び『学術都市』の『大書庫』に足を踏み入れた。
以前訪れた時と変わらぬ、壮大で静謐な空間。だが、今の俺たちには、その静けさそのものが、敵の息遣いのように重苦しく感じられた。
行き交う神官たちの無関心な視線ですら、俺たちを監視し、あざ笑う『目』のように思えてしまう。
カズエルに導かれ、俺たちは一直線に『禁書庫』を管理するヴァレリウスの書斎へと向かった。
重厚な扉の前に立つ。
俺は一度深く息を吸い込み、震えそうになる手を抑えて扉をたたいた。
「……入れ」
中から聞こえてきたのは以前と変わらぬ、しかし、どこか疲れをにじませた穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのを全員が感じた。少なくとも、彼は無事だったのだ。
俺が扉を開けると、書斎の空気は以前よりもさらに澱んでいるように感じられた。
山と積まれた古文書の奥で、ヴァレリウスが顔を上げる。その顔色は蝋のように白く、目元には深い隈が刻まれていた。
だが、俺たちの姿を認めた瞬間、その死んだような瞳に生気が戻り、驚きと安堵の色が爆発した。
「おお……! カイン殿、カズエル……! それに皆も……!」
老神官は杖にすがりつくようにして立ち上がり、よろめきながら俺たちの元へと歩み寄ってきた。
「無事であったか……! 王都での死闘、この都市にまで響いておったぞ。わしはもう、お前たちが戻らぬのではないかと……」
その声は震えていた。俺は思わず駆け寄り、倒れそうになる彼の身体を支えた。
「ヴァレリウス様。……戻りました。約束通り、生きて」
「うむ、うむ……! よくぞ、よくぞ無事で……」
彼は俺の手を骨ばった両手で強く握りしめた。その手の温もりが、ここが敵地における唯一の安息所であることを実感させる。
「ヴァレリウス様こそ、ご無事で何よりです」
俺がそう言うと、彼はふと表情を曇らせ、力なく首を振った。
「いや……わしは無力じゃった。生き恥をさらしておるに過ぎん。……敵は我々のはるか上を行っておったよ」
その言葉に含まれた深い悔恨の響きに、俺たちの間に再び緊張が走る。
ヴァレリウスは俺たちに椅子を勧めると、王都へ向かった後の出来事を、絞り出すように語り始めた。
「お前たちがあの魔獣と戦っているであろう、まさにその頃じゃ。セイオンの手の者が、この禁書庫に現れた」
「……!」
「奴らは封印書庫で、お前たちが突破した罠や、破壊したゴーレムの残骸を、実に興味深げに調べておった。まるで、実験動物の行動データを収集するようにな。わしには何も手出しができなんだ。ただ、奴らが嘲笑しながら作業するのを、指をくわえて見ていることしか……」
彼は悔しそうに唇を噛みしめ、拳を膝に叩きつけた。
「奴らは、わしが『黒い石板』を隠した最奥部には、指一本触れなかった。ただ、封印書庫全体に新たな防衛理式を上書きして、去っていったのじゃ」
「新たな防衛理式……」
カズエルが険しい表情で身を乗り出す。
「どのようなものです?」
「……わしにも完全には解析できん。だが、分かることは一つ。封印庫全体が都市の中枢魔力炉と直結する、巨大な『因果律の罠』と化した。一度足を踏み入れれば二度と出ることはできん。時間と空間の概念そのものが侵入者を捕らえ、永遠にさまよわせる悪夢の迷宮じゃ」
その説明を聞いた瞬間、カズエルの顔からさっと血の気が引いていった。
プログラマーであった彼にとって、その術式がどれほど恐ろしく、そして突破が絶望的なものであるか、誰よりも理解できてしまったのだ。
「……無限ループ、それもシステムの中核(カーネル)に直結した強制的な……」
カズエルは呻くように言い、ガクリと椅子に沈み込んだ。
「無理だ。その理式は都市そのものを破壊でもしない限り、外部から解除することは不可能だ。完全に道を閉ざされた……」
その言葉は俺たちに冷たい絶望を突きつけた。
王都での勝利も、王からの勅命も、全てが無に帰した。俺たちは敵の掌の上で踊らされ、その間に目的であった『解呪の理式』への道は、物理的にも論理的にも、完全に断たれてしまったのだ。
「そんな……嘘、ですよね……?」
カラン、と乾いた音が響く。エルンが手にしていた杖を取り落とし、その場に崩れ落ちた。
「では、心を壊された者たちは……カイラン様は、もう……救えないのですか……?」
彼女の悲痛な問いかけに、誰も答えることができなかった。
重い沈黙が部屋を支配する。
俺たちが味わったのは戦いにおける敗北ではない。知略と戦略における完全な敗北だった。
どうすることもできない、という事実が、鉛のように俺たちの肩にのしかかる。
その絶望に満ちた静寂を破ったのは、ヴァレリウスの意外なほどに落ち着いた、そして底知れぬ怒りを秘めた声だった。
「……諦めるのはまだ早いぞ、賢者よ」
彼は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には老いてなお衰えぬ、反骨の炎が宿っていた。
「セイオンは一つだけ大きな過ちを犯した。奴はお前たちを、そして、わしのような老いぼれを侮りすぎたのじゃ。……奴はお前たちに、あまりにも挑発的な『置き土産』を残していきおった」
以前訪れた時と変わらぬ、壮大で静謐な空間。だが、今の俺たちには、その静けさそのものが、敵の息遣いのように重苦しく感じられた。
行き交う神官たちの無関心な視線ですら、俺たちを監視し、あざ笑う『目』のように思えてしまう。
カズエルに導かれ、俺たちは一直線に『禁書庫』を管理するヴァレリウスの書斎へと向かった。
重厚な扉の前に立つ。
俺は一度深く息を吸い込み、震えそうになる手を抑えて扉をたたいた。
「……入れ」
中から聞こえてきたのは以前と変わらぬ、しかし、どこか疲れをにじませた穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのを全員が感じた。少なくとも、彼は無事だったのだ。
俺が扉を開けると、書斎の空気は以前よりもさらに澱んでいるように感じられた。
山と積まれた古文書の奥で、ヴァレリウスが顔を上げる。その顔色は蝋のように白く、目元には深い隈が刻まれていた。
だが、俺たちの姿を認めた瞬間、その死んだような瞳に生気が戻り、驚きと安堵の色が爆発した。
「おお……! カイン殿、カズエル……! それに皆も……!」
老神官は杖にすがりつくようにして立ち上がり、よろめきながら俺たちの元へと歩み寄ってきた。
「無事であったか……! 王都での死闘、この都市にまで響いておったぞ。わしはもう、お前たちが戻らぬのではないかと……」
その声は震えていた。俺は思わず駆け寄り、倒れそうになる彼の身体を支えた。
「ヴァレリウス様。……戻りました。約束通り、生きて」
「うむ、うむ……! よくぞ、よくぞ無事で……」
彼は俺の手を骨ばった両手で強く握りしめた。その手の温もりが、ここが敵地における唯一の安息所であることを実感させる。
「ヴァレリウス様こそ、ご無事で何よりです」
俺がそう言うと、彼はふと表情を曇らせ、力なく首を振った。
「いや……わしは無力じゃった。生き恥をさらしておるに過ぎん。……敵は我々のはるか上を行っておったよ」
その言葉に含まれた深い悔恨の響きに、俺たちの間に再び緊張が走る。
ヴァレリウスは俺たちに椅子を勧めると、王都へ向かった後の出来事を、絞り出すように語り始めた。
「お前たちがあの魔獣と戦っているであろう、まさにその頃じゃ。セイオンの手の者が、この禁書庫に現れた」
「……!」
「奴らは封印書庫で、お前たちが突破した罠や、破壊したゴーレムの残骸を、実に興味深げに調べておった。まるで、実験動物の行動データを収集するようにな。わしには何も手出しができなんだ。ただ、奴らが嘲笑しながら作業するのを、指をくわえて見ていることしか……」
彼は悔しそうに唇を噛みしめ、拳を膝に叩きつけた。
「奴らは、わしが『黒い石板』を隠した最奥部には、指一本触れなかった。ただ、封印書庫全体に新たな防衛理式を上書きして、去っていったのじゃ」
「新たな防衛理式……」
カズエルが険しい表情で身を乗り出す。
「どのようなものです?」
「……わしにも完全には解析できん。だが、分かることは一つ。封印庫全体が都市の中枢魔力炉と直結する、巨大な『因果律の罠』と化した。一度足を踏み入れれば二度と出ることはできん。時間と空間の概念そのものが侵入者を捕らえ、永遠にさまよわせる悪夢の迷宮じゃ」
その説明を聞いた瞬間、カズエルの顔からさっと血の気が引いていった。
プログラマーであった彼にとって、その術式がどれほど恐ろしく、そして突破が絶望的なものであるか、誰よりも理解できてしまったのだ。
「……無限ループ、それもシステムの中核(カーネル)に直結した強制的な……」
カズエルは呻くように言い、ガクリと椅子に沈み込んだ。
「無理だ。その理式は都市そのものを破壊でもしない限り、外部から解除することは不可能だ。完全に道を閉ざされた……」
その言葉は俺たちに冷たい絶望を突きつけた。
王都での勝利も、王からの勅命も、全てが無に帰した。俺たちは敵の掌の上で踊らされ、その間に目的であった『解呪の理式』への道は、物理的にも論理的にも、完全に断たれてしまったのだ。
「そんな……嘘、ですよね……?」
カラン、と乾いた音が響く。エルンが手にしていた杖を取り落とし、その場に崩れ落ちた。
「では、心を壊された者たちは……カイラン様は、もう……救えないのですか……?」
彼女の悲痛な問いかけに、誰も答えることができなかった。
重い沈黙が部屋を支配する。
俺たちが味わったのは戦いにおける敗北ではない。知略と戦略における完全な敗北だった。
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その絶望に満ちた静寂を破ったのは、ヴァレリウスの意外なほどに落ち着いた、そして底知れぬ怒りを秘めた声だった。
「……諦めるのはまだ早いぞ、賢者よ」
彼は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には老いてなお衰えぬ、反骨の炎が宿っていた。
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