219 / 310
野薔薇怪異談集全100話
73話「闇人」
しおりを挟む──私の家の中に、それは現れた。
最初に気づいたのは、夜中だった。トイレに起きて、ふと廊下を振り返ると、奥の壁の前に黒い影がぼんやりと立っていた。形は曖昧で、まるで霧のようだった。けれど“それ”は、確かに人の形をしていた。
私は寝ぼけているのだと思い、目を擦って再び見ると、影はもうなかった。
それからというもの、家の中に“何か”がいるような気配が消えなくなった。気づけば物の位置がわずかに変わっていたり、鏡の中に自分以外の気配を感じたり。誰もいないはずの部屋から、床をこすれるような足音が聞こえる。
それでも、私は気のせいだと自分に言い聞かせた。怖がりなだけなのだと。
けれど、ある晩。
テレビをつけたとき、画面の隅に、明らかに人のような“黒い影”が映り込んでいた。
私は目を疑った。振り返っても誰もいない。なのに、テレビに映る部屋の角には、肩を落としたような黒い影が確かにいた。
それから日々、影は濃く、輪郭を持ちはじめた。
気づけば、それはまるで“人間”のような姿になっていた。顔は見えない。ただ、真っ黒な影が私の家の中を歩いている。キッチンを通り、廊下を曲がり、時に私の部屋を覗く。何かを探すように、黙って彷徨っていた。
私は怖くて、部屋に鍵をかけるようになった。だが、それは意味をなさなかった。
ある夜、私は夢を見た。いや、あれは夢だったのか。
私は自分の部屋にいた。だが、何かが違っていた。家具の配置は同じなのに、壁の色がほんの少し暗く、空気が冷たく濁っていた。そして、ドアの前に、あの“黒い人影”が立っていた。
人影は何も言わず、ドアを開けて入ってきた。私は逃げようとした。だが体が動かない。
そして、人影は私に触れた。いや、触れたというよりも――溶けるように、私の中へと入ってきた。
その瞬間、意識がふっと遠のいた。
目が覚めると朝だった。部屋に異変はない。あの出来事もただの夢だったのだと、自分に言い聞かせた。だが、それ以来、私は少しずつ“自分”を見失っていった。
言葉遣いが変わった。好みの音楽や食べ物が、以前とは違って感じられる。
知人に「最近雰囲気が変わったね」と言われることが増えた。
鏡の中の自分が、どこか他人のように見える。
ある日、私は自分の日記を読んでいた。だが、そこに書かれていた内容に覚えがなかった。
それは確かに私の字だった。けれど、知らない出来事、知らない名前が記されていた。
──「今日は“ミユキ”と話した。あの子の声が心地よい」
ミユキなんて人、私は知らない。そんな名前、聞いたこともない。
なのに、なぜかその名前が妙に懐かしく、切なく響いた。
それからというもの、私は「私が私でない」時間が増えていった。
意識がふと途切れ、次に気づくと数時間が過ぎている。手にしているものも、場所も、自分が何をしていたのかもわからない。
周囲の人々は、私を以前の私として扱っている。
だけど、私の中にいる“私”は、もう……私ではない気がしていた。
ある夜、再び“それ”は現れた。もはや黒い影ではなかった。人間と変わらない姿だった。だが顔だけが、暗闇の中に沈み、どうしても見えない。
そして、それは私の前でこう言った。
──「おかえり」
私は震えた。だが、なぜか懐かしさすら感じていた。
それは、かつて“私だったもの”が、私に戻ってきたのか。
それとも、“私でないもの”が、完全に私になったのか。
いま、私の家の中には、もうひとつの“私”がいる。
毎晩、私と同じ動きをし、同じ服を着て、同じ言葉を呟いている。
私は誰なのか。どちらが本物なのか。
それを考えるたびに、答えが霞む。
──けれど、ひとつだけ確かなことがある。
今でも、この家には“黒い人影”が、ゆっくりと、少しずつ、増えているのだ。
それはまるで、私の中の“私でない何か”が増殖しているように。
私はまだ、私でいられるのだろうか。
──いや、もうとっくに、私は……
闇人 完
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
静かに壊れていく日常
井浦
ホラー
──違和感から始まる十二の恐怖──
いつも通りの朝。
いつも通りの夜。
けれど、ほんの少しだけ、何かがおかしい。
鳴るはずのないインターホン。
いつもと違う帰り道。
知らない誰かの声。
そんな「違和感」に気づいたとき、もう“元の日常”には戻れない。
現実と幻想の境界が曖昧になる、全十二話の短編集。
一話完結で読める、静かな恐怖をあなたへ。
※表紙は生成AIで作成しております。
百の話を語り終えたなら
コテット
ホラー
「百の怪談を語り終えると、なにが起こるか——ご存じですか?」
これは、ある町に住む“記録係”が集め続けた百の怪談をめぐる物語。
誰もが語りたがらない話。語った者が姿を消した話。語られていないはずの話。
日常の隙間に、確かに存在した恐怖が静かに記録されていく。
そして百話目の夜、最後の“語り手”の正体が暴かれるとき——
あなたは、もう後戻りできない。
■1話完結の百物語形式
■じわじわ滲む怪異と、ラストで背筋が凍るオチ
■後半から“語られていない怪談”が増えはじめる違和感
最後の一話を読んだとき、
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる