霊和怪異譚 野花と野薔薇

野花マリオ

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鐘技怪異談集全18話

16話「そいつ」

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 ──誰かが指さしたその先に。

 ⸻

【1】

 ーー鐘技市・千景台住宅区・ある高層マンション前ーー

 夏の夕方。
 女子高生の夢道亜矢と、クラスメイトの安良田恵、そして図体も声もでかいがどこか憎めない馬具野絵留胃奈が、住宅街の一角にある古びたマンションを訪れていた。

「ここ……星華ちゃんが住んでるとこ?」
 恵が尋ねると、亜矢が軽くうなずく。

「ああ。でも、ちょっと変な話を聞いたんだよな。このあたり、“見えてる人”が多いって」

「見えてるって……何が?」
 馬具野が眉をしかめる。

 そのときだった。
 通りすがりの住民が、ふとベランダの上階を見上げて指を差した。

 次にすれ違った高齢女性も、同じ方向へ指を伸ばす。

「……うわぁ、なに? なにあれ……」
 と馬具野がつぶやく。
 それに対し、亜矢はただ静かに言った。

「“そいつ”だよ。そこにいるの」

 ⸻

【2】

 わたしは、ちゃんと母親をやってる。

 毎朝、ごはんを作って、掃除して、子どもを寝かしつけて……。
 ちゃんと、やってる。

 だから――ねえ、悠(はる)。

「ねえ、なんで、“そこ”を指さすの?」

 おかあさんは、ここにいるのに。
 テレビの横じゃない。壁の奥じゃない。
 リビングの真ん中に、ちゃんと“いる”のに。

 どうして――

「“そいつ”って呼ぶの?」

 そんな名前じゃない。
 そんな存在じゃない。

 

 わたしは、わたしだよ。

 ⸻

【3】

 義母――あの人も、最近目を合わせない。

 夕飯を出しても無言のまま。
 キッチンですれ違っても、まるで空気みたいに扱う。

 ときどき、仏壇の前で手を合わせて震えてる。

 そんなにおかしい?
 私、ちゃんとやってるよ?
 家族でしょう?

 

 でも、悠だけはわたしを見てくれる。

 ただ、黙って――
 指を差す。

 ⸻

【4】

 夫が眠る夜、姿見の前に立った。

 私は――安堵したかった。
「大丈夫、ちゃんと生きてる」って。

 でも、鏡の中に映った自分の顔は、

 痩せこけて、
 唇は色を失い、
 首には、赤黒い線が走っていた。

「あれ……私、こんなだったっけ……?」

 息が止まった瞬間。
 ドアの隙間から、悠が顔を出して、震える声で言った。

「……ママ、そこにいる“それ”、だれ?」

 

 ――違う。わたしだよ。
 あなたのママだよ……。

 そう言いたかったのに、声が出なかった。

 ⸻

【5】

 ある夜、思い出した。

 確かに――あの日、私は首を吊った。

 寝室の梁にロープを掛け、静かに脚を外した。

 理由はもう、思い出せない。

 でも、戻ってきた。

 目が覚めたら、また台所にいた。
 洗濯物を干して、夕飯を作っていた。

 

 つまり……私は、もう死んでる。

 

 そして、もうとっくに、“そいつ”になっていた。

 ⸻

【6】

 今日も、悠はわたしを指差す。

「……そいつ、そこにいる」

 私は、ただ笑って言う。

「違うよ。ママだよ」

 でも、悠の目は――悲しくて、怯えていた。

 黙って、指を差し続けている。

 私は、今もリビングに立っている。

「ねえ、聞こえる?
 おかあさんは、ちゃんとあなたのそばにいるよ」

 この声が届かなくても、
 この手がすり抜けても。

 わたしはここに“いる”。

 あなたが指差す限り――

 わたしは、“そいつ”として、永遠に。

 ⸻

【7】

「はは……そんな話、あたいには関係ないもんね」
 と、話を聞き終えた馬具野は、肩をすくめて笑っていた。

「そういう“視える”ってやつ、うちには関係ないからさ~」

 

 だが次の瞬間――

 マンションの住民たちが、一斉に馬具野の方向を指さした。

「……な、なによ……?」
 巨体を震わせる馬具野。

 住民たちは、ゆっくりと、同じ言葉をつぶやいた。

「……そいつ」
「そいつ……そいつ……」

 

 その瞬間、馬具野は青ざめ、白目を剥き、
 その場で**“仁王立ちのまま”気絶**した。

 あの姿、まるで――

「まんま、戦国武将の討ち死にだったよ」
 と、後に亜矢は語ったという。

 ⸻

 そいつ   完 
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