悪役令嬢まさかの『家出』

にとこん。

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39話

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「――これは、どういうことなのだ……?」

王国遠征軍の本陣、地図と報告書に囲まれた一室で、レオニス=フォン=シュトラール王子は、震える手で一枚の書簡を握りしめていた。  
それは帝国駐在の王国密偵が送った最新の情報だった。

“神の使い”“迷い姫”“風の巫女”――  
近頃、帝国各地で語られる奇跡の旅人。  
民を癒やし、魔物を退け、婚姻を結び直し、天候を和らげ、収穫を呼ぶという伝説の令嬢。

そして、その名。

ルゥナ=フェリシェ。

その一行を目にした瞬間、レオニスの意識は一瞬、白く飛んだ。

「まさか……まさか、そんな……」

あの日、婚約破棄の言葉を伝えるはずだった令嬢。  
音もなく姿を消し、王宮中を混乱させた彼女。  
その“いなくなったはずの彼女”が、よりによって――

「帝国で神扱い……!?」

理解が追いつかず、椅子を立った拍子に机を倒す。  
部屋にいた部下が驚いて駆け寄るが、レオニスは既に地図を広げ直し、震える指で印を打ち始めていた。

「帝都郊外の市場、東方の薬草村、西の温泉郷、港町、そして……この、北部の祝福地と記された村……」

すべて彼女が立ち寄ったとされる場所。  
すべてに、民の証言と新聞記事と、祠や詩が残されていた。

「……まるで、神話の足跡だ」

彼の背筋に冷たいものが走る。  
いや、冷たいのか、熱いのかさえ、もう分からない。

「全軍に通達! 令嬢――ルゥナ=フェリシェの確保を最優先とする。武力は用いるな、どんな命令よりも慎重に、丁重に接触せよ!」

命令が飛び、伝令が走り、騎馬隊が準備される。

しかし、そのすべてはまたしても、空を切ることになる。

報告が戻るたびに告げられるのは、「一日前にいた」「数時間前に目撃された」「風のように消えた」という言葉ばかり。

そして極めつけは、帝都のある詰所からの報告だった。

“令嬢、ご本人からの言葉。『婚約……しておりましたの?』”

その一文を読んだ瞬間、レオニスは顔を真っ赤に染め、立ち上がるどころか崩れ落ちた。

「……き、記憶に、ない……だと……」

動揺のあまり額に手を当てたまま、床に項垂れる王子。  
周囲の将官たちは目を逸らし、誰も何も言わなかった。  
もはや哀れみの域に達していた。

その頃、ルゥナ本人は森の湖畔で猫と釣り糸を垂らしていた。

「……魚が釣れなくても、お水が綺麗でしたら、それで十分ですわね」

「にゃあ」

優雅に笑うその姿を、誰かが遠くから見て、またひとつ詩を書いた。  
それが王子の手元に届くまでには、もう少しだけ時を要する。

そしてその日もまた、レオニスは“足跡”だけを追って、風に踊らされる。  
顔を見る日は、やはりまだ遠かった。
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