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おまけ
0話 家出の元凶
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侯爵家の朝は、静謐に始まる。
銀のポットに満たされた紅茶の香り。
精緻な絵付けの陶器に並べられたパン。
そして今日の食卓には、もうひとつの特別な品が添えられていた。
「まあ、これ……昨夜わたくしが煮たジャムでございますのよ」
ルゥナ=フェリシェは、少し誇らしげに小さな瓶を差し出した。
庭の奥で拾った、熟れたすももを使い、厨房の隅でこっそりと煮詰めたものだ。
見た目は少々素朴。だがその酸味と自然な甘みは、どこか懐かしく、心を和ませる味だった。
「ふふ。まあ、令嬢が台所仕事? 可愛らしいこと」
母イレーネは微笑みながらも、スプーンひと匙だけを掬い、眉を寄せる。
「これは……お砂糖が足りていないわ。酸味が強くて下品ね!お客様の前には絶対に出せませんわよ」
「そうそう、これって庶民の市で売ってるようなやつじゃない?」
弟もつまようじでパンをつつきながら笑う。
ルゥナは笑わなかった。
けれど、口を閉じたまま、瓶をそっと自分の前に引き寄せた。
「……わたくしは、美味しいと思いましたのに」
その声に、イレーネは少しだけため息をついた。
「食卓の格というものがあるのよ、ルゥナ。 あなたももうすぐ成人なのだから、品位ある味覚を身につけなさいな」
言い終わる前に、近くにいた侍女がそっと瓶を手に取る。
「ではお片づけを……」
「――お待ちになって」
ルゥナは立ち上がっていた。
椅子の脚が静かに床を擦る音が響く。
そして残飯のカゴに侍女は捨てた。
「……それは、わたくしが時間をかけて煮たものですのよ。
今朝、皆さまと分かち合おうと……そのために用意いたしましたのに」
それだけを言い残して、ルゥナは背筋を伸ばしたまま食堂を後にした。
廊下を抜け、自室の扉を閉める。
静かに、しかししっかりと鍵をかけたあと、
ルゥナは窓辺に腰を下ろし風に問いかける。
「……わたくし、そんなにいけないことをいたしましたの?」
風からの答えなかった。
けれどその代わりに、風が窓を揺らした。
やわらかな春の風。
どこまでも自由で、けれどどこか行き先を知っている風。
ルゥナはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと息をつくと、こう呟いた。
「風の吹く方へ……ちょっとだけ、お散歩に出てまいりますわ」
その“ちょっと”が、思いがけない長旅になるとは、
このときのルゥナも屋敷も王国の誰もが知る由もなかった。
銀のポットに満たされた紅茶の香り。
精緻な絵付けの陶器に並べられたパン。
そして今日の食卓には、もうひとつの特別な品が添えられていた。
「まあ、これ……昨夜わたくしが煮たジャムでございますのよ」
ルゥナ=フェリシェは、少し誇らしげに小さな瓶を差し出した。
庭の奥で拾った、熟れたすももを使い、厨房の隅でこっそりと煮詰めたものだ。
見た目は少々素朴。だがその酸味と自然な甘みは、どこか懐かしく、心を和ませる味だった。
「ふふ。まあ、令嬢が台所仕事? 可愛らしいこと」
母イレーネは微笑みながらも、スプーンひと匙だけを掬い、眉を寄せる。
「これは……お砂糖が足りていないわ。酸味が強くて下品ね!お客様の前には絶対に出せませんわよ」
「そうそう、これって庶民の市で売ってるようなやつじゃない?」
弟もつまようじでパンをつつきながら笑う。
ルゥナは笑わなかった。
けれど、口を閉じたまま、瓶をそっと自分の前に引き寄せた。
「……わたくしは、美味しいと思いましたのに」
その声に、イレーネは少しだけため息をついた。
「食卓の格というものがあるのよ、ルゥナ。 あなたももうすぐ成人なのだから、品位ある味覚を身につけなさいな」
言い終わる前に、近くにいた侍女がそっと瓶を手に取る。
「ではお片づけを……」
「――お待ちになって」
ルゥナは立ち上がっていた。
椅子の脚が静かに床を擦る音が響く。
そして残飯のカゴに侍女は捨てた。
「……それは、わたくしが時間をかけて煮たものですのよ。
今朝、皆さまと分かち合おうと……そのために用意いたしましたのに」
それだけを言い残して、ルゥナは背筋を伸ばしたまま食堂を後にした。
廊下を抜け、自室の扉を閉める。
静かに、しかししっかりと鍵をかけたあと、
ルゥナは窓辺に腰を下ろし風に問いかける。
「……わたくし、そんなにいけないことをいたしましたの?」
風からの答えなかった。
けれどその代わりに、風が窓を揺らした。
やわらかな春の風。
どこまでも自由で、けれどどこか行き先を知っている風。
ルゥナはしばらく黙っていた。
やがて、ふっと息をつくと、こう呟いた。
「風の吹く方へ……ちょっとだけ、お散歩に出てまいりますわ」
その“ちょっと”が、思いがけない長旅になるとは、
このときのルゥナも屋敷も王国の誰もが知る由もなかった。
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