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第1章:転生と魔法の目覚め
第4話:匠の壁とメイドの絶叫
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目の前には、ぽっかりと、あまりにも無慈悲に穿たれた巨大な風穴が広がっている。 その巨大な穴の向こう側には、この惨状を嘲笑うかのように、皮肉なほど穏やかで美しい初夏の午後の情景が、一枚の絵画のように広がっていた。穴から吹き込んでくる生温かい風が、部屋の中に充満した鼻を突く焦げ臭い匂いと、石が高熱で焼けた独特の異臭、そして粉塵の匂いを、ゆっくりとかき混ぜていく。
だだだだだだだだだだだだだっ!
直後、長く続く廊下の向こうから、猛烈な勢いでこちらに近づいてくる複数の慌ただしい足音が聞こえてきた。重く、床を強く踏みしめるような音。軽やかで、しかし切迫感に満ちた音。いくつもの音が重なり合い、一つの巨大な脅威となって俺に迫ってくる。
まずい。来る。絶対にアイツらが来る。
この屋敷の主にして俺の厳格なる父、ギュンター。冷静沈着だが怒ると怖い長兄、エドガー。猪突猛進で単純な次兄、ジーク。そして、俺を溺愛しているが故に心配性な乳母のマーサ。いや、きっと優しき母のイザベラまで!
(やばい、やばい、やばい、やばいやばいやばいやばいやばいやばいっ!!!)
フリーズしていた俺の脳が、ようやく強制的に再起動した。そして、まるで高性能なコンピュータのように、瞬時に現状を分析し、考えうる限り最悪の未来を予測する。
第一段階、この凄惨な事件現場が発見される。轟音と振動からして、これを無視することは不可能だろう。 第二段階、犯人捜しが始まる。しかし、この部屋には内側から鍵がかけられており、完全なる密室器物損壊事件の成立だ。俺が犯人であることに、一片の疑いの余地もない。 そして第三段階、俺を待ち受けているのは、父ギュンターによる地鳴りのような雷鳴のごとき説教だ。目に浮かぶようだ。鬼の形相で部屋に飛び込んできた父が、俺を指さして叫ぶのだ。
『ガク!これはどういうことか、きちんと説明しなさい!』
そして俺は、その威圧感に完全に気圧され、ぷるぷると全身を震わせながら、「えっと、あの、その」と意味のない言葉を濁すことしかできない。結果、俺を待っているのは、有無を言わさぬお尻ペンペンの刑。あるいは、夕食のデザートである特製プリンの永久追放。三歳児の肉体を持つ俺にとって、それは実質的な死刑宣告に等しい苦痛だ。
(冗談じゃない!人生二度目にして、まさかいきなり不動産損壊罪で前科持ち(家族内限定)になるとか、そんなハードすぎるスタートダッシュがあってたまるか!俺が心の底から望んでいる、何にも縛られず、ただただ平和に、そして自堕落に過ごすという崇高なライフプランは一体どうなってしまうんだ!)
なんとかしなければならない。この絶望的な危機を、何としてでも回避しなければならない。 俺の、元日本人高校生として生きた十七年分の経験と知識、そして養われた悪知恵のすべてが、この窮地から生き残るための一手を導き出すべく、脳内で火花を散らしながらフル回転を始めた。
(選択肢その1:何者かに襲撃されたいたいけな被害者のフリをする) →即座に却下だ。これだけの破壊が行われた現場で、俺は奇跡的に無傷。あまりにもリアリティが欠如している。そんな都合の良い話が通用するほど、我が家の大人たちは甘くない。
(選択肢その2:ポルターガイスト現象、つまり超常現象のせいにしてみる) →悪くないかもしれない。しかし、これだけの規模のポルターガイストがピンポイントで俺の部屋だけで起こるというのも不自然極まりない。
(選択肢その3:潔く、正直に謝罪する) →論外中の論外だ。そんな選択肢は最初から存在しない。俺の中に巣食う、元十七歳としてのちっぽけなプライド(と、俺のお尻の平和)が、それを断じて許さない。第一、謝って済むレベルの破壊ではない。
(となれば、残された道はただ一つしかないじゃないか!)
俺は、意を決して震える脚に力を込めて立ち上がった。まだおぼつかない短い足で、しかし確かな意志を持った足取りで、ぽっかりと穴の開いた壁へと近づいていく。
(そうだ。簡単な話だ。バレる前に、治してしまえばいいんだ)
これぞ、完璧なソリューション。まさに、灯台下暗しというやつだ。自分で火をつけておいて、自分で消火する。マッチポンプならぬ、マッチ自腹消火とでも言おうか。犯人が、誰よりも先に、自らの手で証拠を完璧に隠滅する。これ以上に完全な犯罪が存在するだろうか。いや、ない。
(問題は、どうやって治すか、だ。だが、それもすでに答えは出ている)
俺は、先ほどの世紀の大失敗を、冷静沈着に分析する。 敗因は、明白だ。初手で「火」という、あまりにも攻撃的かつ拡散的なエネルギーを持つ属性を選択してしまったことにある。エネルギーのベクトルが、一点に収束するのではなく、外へ外へと向かう性質を持っている。そんなものを、まだ魔力制御がおぼつかない三歳児の俺が扱おうとしたこと自体が、そもそもの間違いだったのだ。
(ならば、次に俺が選ぶべきは、その正反対の属性。すなわち、「構築」と「収束」を司るエネルギー。そうだ土だ!)
俺の脳内に、再び天才的なひらめきが稲妻のように走った。 土魔法。それは、物事を形作り、固め、安定させ、元のあるべき姿に戻す力。火がプラスドライバーだとしたら、土はマイナスドライバーのようなもの。破壊と創造。それは表裏一体であり、この世界を構成する根源的な真理の一つなのだ。
(今度こそ、絶対にうまくやる。最も大事なのは、精密なイメージ。そうだ、今度は破壊のイメージじゃない。プラモデルを組み立てる時のような、緻密で繊細なイメージコントロールが求められる。砕けて散らばった壁の破片が、一つ、また一つと、まるで精巧なパズルのピースのように、吸い寄せられて元の場所に戻っていく。そして、寸分の狂いもなく組み合わさり、隙間なく融合し、完全に元通りになるよし、完璧だ!俺の脳内シミュレーションは完璧だ!)
俺は、すっかり自信を取り戻していた。人間、いや、元人間は、失敗から学ぶことができる素晴らしい生き物なのだ。一度目のあの壮絶な失敗は、この二度目の大成功のための、壮大なる布石に過ぎなかったのだ。そうに違いない。
俺は、再び両手をゆっくりと前に突き出した。その小さな手のひらを、破壊の象徴である壁の穴へと向ける。 廊下から聞こえてくる複数の足音は、もうすぐそこの角を曲がるところまで迫っている。もはや一刻の猶予も残されていない。
(集中しろ、俺。腹の底にある魔力の塊を、今度は決して拡散させるな。練り上げ、固め、安定させ、純粋な構築の力へと変換するんだ!)
じわり、と両方の手のひらが温かくなってくるのを感じた。だが、先ほどのすべてを焼き尽くさんとする灼熱とは明らかに違う。まるで、温かい粘土を手のひらでこねているかのような、穏やかで、優しく、そして可塑性に富んだエネルギーの確かな感触だ。
(いける!これなら絶対にいけるぞ!)
俺は、壁の巨大な風穴に向かって、その構築のエネルギーを一気に放った。
「戻れえええええええええええっ!俺の輝かしい未来と平和な日常と共にッ!」
俺の魂の叫びに呼応するかのように、奇跡は、確かに起きた。
床に無残に散らばっていた大小様々な壁の破片や石屑が、カタカタカタ、と小刻みに震え始めたかと思うと、次の瞬間には、まるで意思を持ったかのようにふわりと宙に浮かび上がったのだ。
それだけではない。壁の穴の向こう側、庭の芝生の上へと無惨に吹き飛ばされていた瓦礫の山もまた、一斉に浮かび上がった。そして、まるで映像を逆再生するかのような、非現実的な光景が展開された。屋外から室内へと、大小様々な岩石や土砂が、猛烈な勢いで竜巻のように渦を巻きながら逆流してくる。
(おおおお!すごいぞ!本当に脳内シミュレーション通り、パズルみたいになってる!)
飛来した無数の石片は、寸分の狂いもなく、自らが元々あったはずの場所へと吸い付いていく。砕けた断面と断面が、まるで磁石のように引き合い、ピタリと一致し、そして滑らかに融合していく。魔法の淡い茶色の光が、その修復された隙間を埋め、さらに強固に補強していくのが見えた。
順調だ。あまりにも順調すぎる。これなら、父たちが怒りの形相でドアを蹴破って乱入してくる前に、この世で最も完璧な犯罪を成し遂げることができる!
俺が勝利を確信し、口元に笑みを浮かべかけた、まさにその時だった。
(ん?あれ?)
ある決定的な異変に気づいてしまった。 壁の穴は、もうほとんど完全に塞がっている。修復はほぼ完了していると言っていい。だが、なんか、壁のデザインが違う。以前はただの白い漆喰の壁だったはずなのに、今はそこに、なんだかよくわからない、妙に芸術的な立体感のあるレリーフのようなものが形成されている。
(まあいいか!)
もはや細かいことを気にしている暇はなかった。とにかく穴が塞がればそれでいいのだ。
ドカアァァァン!
その絶妙なタイミングを見計らったかのように、部屋のドアが外から力任せに蹴破られた。蝶番が悲鳴を上げ、木っ端微塵に砕け散る。
「ガク!無事か!」
そこに立っていたのは、まさに鬼の形相という言葉がぴったりの父ギュンターと、血の気の引いた青ざめた顔の兄たち。そして、彼らの後ろから、金色の髪を振り乱して駆け込んできた母のイザベラだった。
彼らは、部屋に勢いよく飛び込んできて、まずその光景に絶句した。そして、きょろきょろと怪訝な顔で部屋の中を見回し、さらに深い困惑の表情になった。
「おかしい。確かに、今の音は爆発音だったはずだが」
父が、眉間に深いしわを寄せ、訝しげに呟く。
「壁に、穴も開いていない。しかし、この焦げ臭い匂いは一体」
長兄のエドガーも、鋭い視線で室内を検分しながら、首を傾げている。
やばい、疑われている。この空気、非常にまずい。 ここで黙っていたら、いずれ違和感に気づかれてしまう。ならば、俺がとるべき行動は一つしかない!
俺は、今持てるすべての演技力を総動員し、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「うわあああああああん!こわいよおおおおおっ!おとうちゃああああんっ!」
三歳児の最強の武器、それは「泣き」だ。 轟音に驚き、恐怖に震える可哀想な子供。今の俺は、それ以外の何者でもない!
「ガクちゃん!ああ、怖かったわよねえ!もう大丈夫よ!」
作戦は完璧に的中した。 状況分析よりも息子の安否を優先した母イザベラが、真っ先にベッドに駆け寄り、俺を強く抱きしめた。その温かい胸の中で、俺は心の中でガッツポーズをしながら、さらにボリュームを上げて泣き叫んだ。
「うあああああん!びっくらしたあああ!」
「よしよし、いい子だ。雷かしらね、それとも何かの事故かしら……。もう大丈夫、お父さんもお兄ちゃんたちもいるからね」
震える母の声に、少々胸が痛むが、背に腹は代えられない。父さんも兄さんたちも、泣きじゃくる俺を見て、「なんだ、何もなかったのか」と安心したように肩の力を抜いている。
チョロい。チョロすぎるぞ、アルベイン家。
***
そして、嵐のようなあの日から、数日が穏やかに過ぎた。 屋敷の誰もが、あの日の不可解な騒動を「何かの聞き間違いだろう」「あるいは近くで落雷でもあったのかもしれない」と結論付け、次第に忘れかけていた。俺の部屋の壁に突如として出現した奇妙なレリーフも、「まあ、もとからこういうデザインだったんだろう」と、いつの間にか日常の風景の中に完全に溶け込み始めていた。人の記憶とは、かくも曖昧なものである。
その日、掃除のために俺の部屋へとやってきたのは、新人の若いメイドのリリだった。 彼女は、働き者で、とても真面目で、そして少しだけおっちょこちょいな、愛嬌のある女の子だ。いつも通り、軽やかな鼻歌交じりに、手際よく部屋の掃除を進めていく。
「ふんふふーん♪ ガク坊ちゃまのお部屋は、いつもピカピカ綺麗にしなくっちゃーっと」
リリは、壁際の埃を丁寧に払おうとして、ふと、壁に生じた決定的な異変に気がついた。彼女の動きが、ぴたりと止まる。
「あれ?」
彼女は、大きな瞳をぱちくりとさせた。自分の記憶と、目の前の光景が一致しない。
そして、手に持っていた柔らかな羽箒が、彼女の手から滑り落ち、音もなく床の絨毯に着地した。
「え?ええ?な、なんか壁のデザインが、前と全然違うんですけど?」
気づいてしまった。屋敷の誰もがスルーした真実に、彼女だけが、気づいてしまったのだった。
だだだだだだだだだだだだだっ!
直後、長く続く廊下の向こうから、猛烈な勢いでこちらに近づいてくる複数の慌ただしい足音が聞こえてきた。重く、床を強く踏みしめるような音。軽やかで、しかし切迫感に満ちた音。いくつもの音が重なり合い、一つの巨大な脅威となって俺に迫ってくる。
まずい。来る。絶対にアイツらが来る。
この屋敷の主にして俺の厳格なる父、ギュンター。冷静沈着だが怒ると怖い長兄、エドガー。猪突猛進で単純な次兄、ジーク。そして、俺を溺愛しているが故に心配性な乳母のマーサ。いや、きっと優しき母のイザベラまで!
(やばい、やばい、やばい、やばいやばいやばいやばいやばいやばいっ!!!)
フリーズしていた俺の脳が、ようやく強制的に再起動した。そして、まるで高性能なコンピュータのように、瞬時に現状を分析し、考えうる限り最悪の未来を予測する。
第一段階、この凄惨な事件現場が発見される。轟音と振動からして、これを無視することは不可能だろう。 第二段階、犯人捜しが始まる。しかし、この部屋には内側から鍵がかけられており、完全なる密室器物損壊事件の成立だ。俺が犯人であることに、一片の疑いの余地もない。 そして第三段階、俺を待ち受けているのは、父ギュンターによる地鳴りのような雷鳴のごとき説教だ。目に浮かぶようだ。鬼の形相で部屋に飛び込んできた父が、俺を指さして叫ぶのだ。
『ガク!これはどういうことか、きちんと説明しなさい!』
そして俺は、その威圧感に完全に気圧され、ぷるぷると全身を震わせながら、「えっと、あの、その」と意味のない言葉を濁すことしかできない。結果、俺を待っているのは、有無を言わさぬお尻ペンペンの刑。あるいは、夕食のデザートである特製プリンの永久追放。三歳児の肉体を持つ俺にとって、それは実質的な死刑宣告に等しい苦痛だ。
(冗談じゃない!人生二度目にして、まさかいきなり不動産損壊罪で前科持ち(家族内限定)になるとか、そんなハードすぎるスタートダッシュがあってたまるか!俺が心の底から望んでいる、何にも縛られず、ただただ平和に、そして自堕落に過ごすという崇高なライフプランは一体どうなってしまうんだ!)
なんとかしなければならない。この絶望的な危機を、何としてでも回避しなければならない。 俺の、元日本人高校生として生きた十七年分の経験と知識、そして養われた悪知恵のすべてが、この窮地から生き残るための一手を導き出すべく、脳内で火花を散らしながらフル回転を始めた。
(選択肢その1:何者かに襲撃されたいたいけな被害者のフリをする) →即座に却下だ。これだけの破壊が行われた現場で、俺は奇跡的に無傷。あまりにもリアリティが欠如している。そんな都合の良い話が通用するほど、我が家の大人たちは甘くない。
(選択肢その2:ポルターガイスト現象、つまり超常現象のせいにしてみる) →悪くないかもしれない。しかし、これだけの規模のポルターガイストがピンポイントで俺の部屋だけで起こるというのも不自然極まりない。
(選択肢その3:潔く、正直に謝罪する) →論外中の論外だ。そんな選択肢は最初から存在しない。俺の中に巣食う、元十七歳としてのちっぽけなプライド(と、俺のお尻の平和)が、それを断じて許さない。第一、謝って済むレベルの破壊ではない。
(となれば、残された道はただ一つしかないじゃないか!)
俺は、意を決して震える脚に力を込めて立ち上がった。まだおぼつかない短い足で、しかし確かな意志を持った足取りで、ぽっかりと穴の開いた壁へと近づいていく。
(そうだ。簡単な話だ。バレる前に、治してしまえばいいんだ)
これぞ、完璧なソリューション。まさに、灯台下暗しというやつだ。自分で火をつけておいて、自分で消火する。マッチポンプならぬ、マッチ自腹消火とでも言おうか。犯人が、誰よりも先に、自らの手で証拠を完璧に隠滅する。これ以上に完全な犯罪が存在するだろうか。いや、ない。
(問題は、どうやって治すか、だ。だが、それもすでに答えは出ている)
俺は、先ほどの世紀の大失敗を、冷静沈着に分析する。 敗因は、明白だ。初手で「火」という、あまりにも攻撃的かつ拡散的なエネルギーを持つ属性を選択してしまったことにある。エネルギーのベクトルが、一点に収束するのではなく、外へ外へと向かう性質を持っている。そんなものを、まだ魔力制御がおぼつかない三歳児の俺が扱おうとしたこと自体が、そもそもの間違いだったのだ。
(ならば、次に俺が選ぶべきは、その正反対の属性。すなわち、「構築」と「収束」を司るエネルギー。そうだ土だ!)
俺の脳内に、再び天才的なひらめきが稲妻のように走った。 土魔法。それは、物事を形作り、固め、安定させ、元のあるべき姿に戻す力。火がプラスドライバーだとしたら、土はマイナスドライバーのようなもの。破壊と創造。それは表裏一体であり、この世界を構成する根源的な真理の一つなのだ。
(今度こそ、絶対にうまくやる。最も大事なのは、精密なイメージ。そうだ、今度は破壊のイメージじゃない。プラモデルを組み立てる時のような、緻密で繊細なイメージコントロールが求められる。砕けて散らばった壁の破片が、一つ、また一つと、まるで精巧なパズルのピースのように、吸い寄せられて元の場所に戻っていく。そして、寸分の狂いもなく組み合わさり、隙間なく融合し、完全に元通りになるよし、完璧だ!俺の脳内シミュレーションは完璧だ!)
俺は、すっかり自信を取り戻していた。人間、いや、元人間は、失敗から学ぶことができる素晴らしい生き物なのだ。一度目のあの壮絶な失敗は、この二度目の大成功のための、壮大なる布石に過ぎなかったのだ。そうに違いない。
俺は、再び両手をゆっくりと前に突き出した。その小さな手のひらを、破壊の象徴である壁の穴へと向ける。 廊下から聞こえてくる複数の足音は、もうすぐそこの角を曲がるところまで迫っている。もはや一刻の猶予も残されていない。
(集中しろ、俺。腹の底にある魔力の塊を、今度は決して拡散させるな。練り上げ、固め、安定させ、純粋な構築の力へと変換するんだ!)
じわり、と両方の手のひらが温かくなってくるのを感じた。だが、先ほどのすべてを焼き尽くさんとする灼熱とは明らかに違う。まるで、温かい粘土を手のひらでこねているかのような、穏やかで、優しく、そして可塑性に富んだエネルギーの確かな感触だ。
(いける!これなら絶対にいけるぞ!)
俺は、壁の巨大な風穴に向かって、その構築のエネルギーを一気に放った。
「戻れえええええええええええっ!俺の輝かしい未来と平和な日常と共にッ!」
俺の魂の叫びに呼応するかのように、奇跡は、確かに起きた。
床に無残に散らばっていた大小様々な壁の破片や石屑が、カタカタカタ、と小刻みに震え始めたかと思うと、次の瞬間には、まるで意思を持ったかのようにふわりと宙に浮かび上がったのだ。
それだけではない。壁の穴の向こう側、庭の芝生の上へと無惨に吹き飛ばされていた瓦礫の山もまた、一斉に浮かび上がった。そして、まるで映像を逆再生するかのような、非現実的な光景が展開された。屋外から室内へと、大小様々な岩石や土砂が、猛烈な勢いで竜巻のように渦を巻きながら逆流してくる。
(おおおお!すごいぞ!本当に脳内シミュレーション通り、パズルみたいになってる!)
飛来した無数の石片は、寸分の狂いもなく、自らが元々あったはずの場所へと吸い付いていく。砕けた断面と断面が、まるで磁石のように引き合い、ピタリと一致し、そして滑らかに融合していく。魔法の淡い茶色の光が、その修復された隙間を埋め、さらに強固に補強していくのが見えた。
順調だ。あまりにも順調すぎる。これなら、父たちが怒りの形相でドアを蹴破って乱入してくる前に、この世で最も完璧な犯罪を成し遂げることができる!
俺が勝利を確信し、口元に笑みを浮かべかけた、まさにその時だった。
(ん?あれ?)
ある決定的な異変に気づいてしまった。 壁の穴は、もうほとんど完全に塞がっている。修復はほぼ完了していると言っていい。だが、なんか、壁のデザインが違う。以前はただの白い漆喰の壁だったはずなのに、今はそこに、なんだかよくわからない、妙に芸術的な立体感のあるレリーフのようなものが形成されている。
(まあいいか!)
もはや細かいことを気にしている暇はなかった。とにかく穴が塞がればそれでいいのだ。
ドカアァァァン!
その絶妙なタイミングを見計らったかのように、部屋のドアが外から力任せに蹴破られた。蝶番が悲鳴を上げ、木っ端微塵に砕け散る。
「ガク!無事か!」
そこに立っていたのは、まさに鬼の形相という言葉がぴったりの父ギュンターと、血の気の引いた青ざめた顔の兄たち。そして、彼らの後ろから、金色の髪を振り乱して駆け込んできた母のイザベラだった。
彼らは、部屋に勢いよく飛び込んできて、まずその光景に絶句した。そして、きょろきょろと怪訝な顔で部屋の中を見回し、さらに深い困惑の表情になった。
「おかしい。確かに、今の音は爆発音だったはずだが」
父が、眉間に深いしわを寄せ、訝しげに呟く。
「壁に、穴も開いていない。しかし、この焦げ臭い匂いは一体」
長兄のエドガーも、鋭い視線で室内を検分しながら、首を傾げている。
やばい、疑われている。この空気、非常にまずい。 ここで黙っていたら、いずれ違和感に気づかれてしまう。ならば、俺がとるべき行動は一つしかない!
俺は、今持てるすべての演技力を総動員し、顔をくしゃくしゃに歪めた。
「うわあああああああん!こわいよおおおおおっ!おとうちゃああああんっ!」
三歳児の最強の武器、それは「泣き」だ。 轟音に驚き、恐怖に震える可哀想な子供。今の俺は、それ以外の何者でもない!
「ガクちゃん!ああ、怖かったわよねえ!もう大丈夫よ!」
作戦は完璧に的中した。 状況分析よりも息子の安否を優先した母イザベラが、真っ先にベッドに駆け寄り、俺を強く抱きしめた。その温かい胸の中で、俺は心の中でガッツポーズをしながら、さらにボリュームを上げて泣き叫んだ。
「うあああああん!びっくらしたあああ!」
「よしよし、いい子だ。雷かしらね、それとも何かの事故かしら……。もう大丈夫、お父さんもお兄ちゃんたちもいるからね」
震える母の声に、少々胸が痛むが、背に腹は代えられない。父さんも兄さんたちも、泣きじゃくる俺を見て、「なんだ、何もなかったのか」と安心したように肩の力を抜いている。
チョロい。チョロすぎるぞ、アルベイン家。
***
そして、嵐のようなあの日から、数日が穏やかに過ぎた。 屋敷の誰もが、あの日の不可解な騒動を「何かの聞き間違いだろう」「あるいは近くで落雷でもあったのかもしれない」と結論付け、次第に忘れかけていた。俺の部屋の壁に突如として出現した奇妙なレリーフも、「まあ、もとからこういうデザインだったんだろう」と、いつの間にか日常の風景の中に完全に溶け込み始めていた。人の記憶とは、かくも曖昧なものである。
その日、掃除のために俺の部屋へとやってきたのは、新人の若いメイドのリリだった。 彼女は、働き者で、とても真面目で、そして少しだけおっちょこちょいな、愛嬌のある女の子だ。いつも通り、軽やかな鼻歌交じりに、手際よく部屋の掃除を進めていく。
「ふんふふーん♪ ガク坊ちゃまのお部屋は、いつもピカピカ綺麗にしなくっちゃーっと」
リリは、壁際の埃を丁寧に払おうとして、ふと、壁に生じた決定的な異変に気がついた。彼女の動きが、ぴたりと止まる。
「あれ?」
彼女は、大きな瞳をぱちくりとさせた。自分の記憶と、目の前の光景が一致しない。
そして、手に持っていた柔らかな羽箒が、彼女の手から滑り落ち、音もなく床の絨毯に着地した。
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気づいてしまった。屋敷の誰もがスルーした真実に、彼女だけが、気づいてしまったのだった。
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捨てられていたガラクタ素材から伝説級ポーションを錬金し、瞬く間に大金持ちに! 慕ってくれる仲間と大商会を立ち上げ、追放された男が、今、圧倒的な知識と生産力で成り上がる! 一方、慧を追い出した元ギルドは、偽物の薬草のせいで自滅の道をたどり……?
無能と蔑まれた生産職の、痛快無比なざまぁ&成り上がりファンタジー、ここに開幕!
異世界転生旅日記〜生活魔法は無限大!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
農家の四男に転生したルイ。
そんなルイは、五歳の高熱を出した闘病中に、前世の記憶を思い出し、ステータスを見れることに気付き、自分の能力を自覚した。
農家の四男には未来はないと、家族に隠れて金策を開始する。
十歳の時に行われたスキル鑑定の儀で、スキル【生活魔法 Lv.∞】と【鑑定 Lv.3】を授かったが、親父に「家の役には立たない」と、家を追い出される。
家を追い出されるきっかけとなった【生活魔法】だが、転生あるある?の思わぬ展開を迎えることになる。
ルイの安寧の地を求めた旅が、今始まる!
見切り発車。不定期更新。
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
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