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第10章:それぞれの道と新たなる旅立ち
第91話:世界の夜明け
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魔王城、いや全ての元凶であったマッドサイエンティスト「ゼロ」の狂気が、
朝日の中に塵となって消えてから、数週間が過ぎた。
天地がひっくり返るかのような、世界の理そのものを揺るがすほどの壮絶な死闘。
その残響は、今も俺の鼓膜の奥で微かに、しかし確かに鳴り響いている。
だが、俺たちが古代の転移魔法陣を使い、
満身創痍の体を引きずるようにして舞い戻ったこの世界は、
あの絶望に満ちた終末の風景がまるで悪夢だったかのように、
あまりにも穏やかで美しい光に満ち溢れていた。
季節は初夏。
春が若々しい生命のエネルギーを世界中に解き放った後、
全てがより深く鮮やかな生命の色に染まる、一年で最も輝かしい季節だ。
俺たちが降り立った聖王国の王都は、まさしくその輝きの真ん中にあった。
空はどうだ。
見上げてみろ。
まるで腕利きの職人が三日三晩寝る間も惜しんで磨き上げた巨大なラピスラズリの板のように、
どこまでもどこまでも深く、鮮やかな青色をしていた。
魔王城を覆っていた禍々しい紫色の嵐雲など、一片たりとも残っていない。
太陽はその力強い黄金色の光を惜しげもなく大地に降り注ぎ、
街の白い石畳を宝石のようにきらきらと輝かせている。
風はどうだ。
深呼吸してみろ。
もう、あの魂まで凍てつかせるような絶望の匂いはしない。
代わりに運ばれてくるのは、
街路樹として植えられた菩提樹の小さな白い花々から放たれる蜜のように甘く、どこか神聖な香り。
街のあちこちにあるパン屋の窯から漏れ聞こえてくる、焼きたてのパンの香ばしい幸せな匂い。
そして、この解放と平和の喜びに満ち溢れた人々の熱気そのものが一つの巨大な生命の息吹となり、
俺たちの肺をくすぐったいほどの喜びで満たしてくれた。
そして、音だ。
街は音で溢れ返っていた。
教会の鐘がからんころんと高らかに平和の訪れを告げている。
露店の陽気な売り子の威勢のいい呼び込みの声。
その声につられて足を止める母親と、その腕の中できゃっきゃっと無邪気に笑う赤ん坊の声。
そして何よりも、この王都中の全ての民が今日というこの特別な日を祝うために通りへと繰り出し、
語り合い、笑い合い、歌い合っている、その圧倒的なまでの歓声の渦。
その全ての光と音と匂いが一体となり、巨大な祝祭のシンフォニーを奏でていた。
「世界を救った英雄様たちの凱旋だ!」
誰かがそう叫んだのを皮切りに、
俺たちの姿を見つけた民衆から、大地そのものを揺るがすかのような割れんばかりの歓声が巻き起こった。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!!!」
その熱狂は、もはや嵐だった。
俺たちはいつの間にか、王城が用意した豪華絢爛なオープンカータイプの馬車
(もはや馬ですらない。馬の代わりに四体の小型ゴーレムが寸分の狂いもない動きで車を引いていた)
の上に乗せられ、街のメインストリートをゆっくりとパレードしていた。
道の両脇は、俺たちを一目見ようと集まった民衆で完全に埋め尽くされている。
建物の窓という窓からは人々がその身を乗り出すようにして、色とりどりの旗やハンカチを振っていた。
空からは祝福の雪のように大量の花吹雪と紙吹雪が舞い降りてきて、
俺たちの視界をきらきらと染め上げていく。
そのあまりに熱狂的な歓迎ぶりに、
俺は英雄というものがどれほど居心地の悪いものなのかを、生まれて初めて身をもって知った。
(うわぁ……なんか、すっごい見られてる)
俺は馬車の隅の方でどうしていいか分からず、
ただ愛想笑いを浮かべながら小さく手を振ることしかできなかった。
その動きは、あまりにもぎこちなく、まるで壊れかけのブリキのおもちゃのようだったに違いない。
そんな俺の情けない姿をよそに、愉快な仲間たちはこの人生最大級の晴れ舞台をそれぞれの流儀で満喫していた。
「みんなー!ありがとおおおおおおおっ!愛してるぜええええええええっ!」
最初にこの熱狂の渦に完全に順応したのは、やはりこのパーティの切り込み隊長サラだった。
彼女は馬車の一番前に立ち、その美しい顔を満面の笑みで輝かせながら、民衆に投げキッスまで送っている。
沿道から投げ込まれる祝福の花束を曲芸のように片手でひょいとキャッチすると、
それをくるりと一回転させてから近くにいた小さな女の子ににっこりとウィンクしながら投げ返してやる。
そのあまりに様になったヒロインっぷりに、民衆からはひときわ大きな歓声が上がっていた。
「うおおおおおっ!皆の愛、確かに受け取ったぞ!そして美味いぞおおおおおおおっ!」
そのサラの隣で負けず劣らず、いやそれ以上に民衆とのコミュニケーションを楽しんでいたのは、ハガンだった。
彼は民衆から投げ込まれるパンや果物、中には串に刺さったソーセージまでその巨大な口で見事に空中キャッチすると、
それをそのままバリバリと美味そうに咀嚼しているのだ。
「兄貴!兄貴!ここのパン、めちゃくちゃ美味いぜ!」
彼は口の周りをパンくずだらけにしながら、俺に満面の笑みを向けてきた。
その脳天気な笑顔を見ていると、こちらの緊張まで馬鹿らしくなってくるから不思議なものだ。
「まあ!見てください、セリアさん!皆なんて素晴らしい笑顔なのでしょう!」
「ええ、王女殿下。これも全て神のお導きと、そしてガク様たちのお力のおかげですわ」
アリシアとセリア、そしてエリスの聖女様トリオは、
馬車の少し後ろの方でその神々しい微笑みを民衆に振りまいていた。
そのあまりの清廉さと美しさに、沿道の男たちは皆うっとりとした表情でその場にひれ伏している。
彼女たちが軽く手を振るだけで、まるで奇跡でも目の当たりにしたかのように
「おお、聖女様が我に微笑みかけてくださった!」と感動の涙を流す者までいる始末だった。
そんな華やかな女性陣のすぐ後ろ、馬車の一番隅っこで、二人のオヤジが実にどうでもいい会話を繰り広げていた。
「ふぉっふぉっふぉ。いやはや、若いもんは元気じゃのう。これほどの歓迎、ワシの若い頃を思い出すわい」
「けっ。じじいのくせに見栄を張りやがって。それよりバルガスよ。見てみろ、あの窓際で手を振ってる姉ちゃん。なかなかの別嬪さんじゃねえか。あの胸の膨らみ、実にけしからん。実に素晴らしい」
ドルセンとバルガスは、この歴史的なパレードの真っ最中だというのに、
いつものように酒瓶を片手に美女の品定めをしていた。
そのあまりのマイペースぶりには、もはや尊敬の念すら覚えてしまう。
そして、その全てのカオスな光景を一人、
馬車の最も高い場所にある装飾用の椅子に女王のように腰かけ、
冷たい紫色の瞳で見下ろしている少女がいた。
ソフィアだ。
彼女は、この民衆の熱狂をまるで顕微鏡で微生物の生態でも観察するかのように、
実に冷静に、そしてどこか面白そうに眺めていた。
「やれやれ。全く、愚民どもは単純でよろしいことですわね。少し分かりやすい『物語』と『英雄』を与えてやれば、こうも簡単に熱狂するのですから」
その口から出る言葉は相変わらずどこまでも辛辣で腹黒い。
だが。
俺は見逃さなかった。
沿道にいた一人の小さな男の子が人混みに押されて転びそうになった、その瞬間。
彼女のその細く白い指が、ほんのわずかにぴくと動いたのを。
次の瞬間、男の子の足元にごく小さな、しかし絶妙なタイミングの風がふわりと巻き起こり、
彼が転ぶのを優しく防いでやったのを。
そのあまりにさりげなく、誰にも気づかれない優しさに、
俺は思わず口元が緩んでしまうのを禁じ得なかった。
(全く、素直じゃないんだから)
俺は、そんなかけがえのない仲間たちのそれぞれの姿を、目に焼き付けるように見つめていた。
ああ、なんて騒がしくてどうしようもなくて、そして最高に愛おしい光景なのだろう。
俺は、この温かい光の中心で、生まれて初めて心の底から「生きていてよかった」と、そう思った。
パレードの終着点は、聖王国の王城だった。
俺たちが城のバルコニーに姿を現すと、
眼下の広場を埋め尽くした民衆から再び地鳴りのような大歓声が巻き起こった。
そして、俺たちの隣には、かつては狂信という名の闇に囚われ、
俺たちと敵対した聖王国の王が静かに立っていた。
彼は民衆と、そして俺たちに向かって、ゆっくりと頭を垂れた。
いや、違う。
彼はその場で深々と膝を折り、まるで神にでも祈りを捧げるかのように土下座をしたのだ。
一国の王が民衆の前で土下座をする。
その前代未聞の光景に、あれほど熱狂していた民衆も水を打ったように静まり返った。
「皆の者、そして英雄殿」
王の震える、しかし心の底からの懺悔と感謝を込めた声が、
マイクを通して広場全体に響き渡った。
「我々は間違っていた。」
「我々は正義という名の傲慢に目を曇らせ、真に見るべきものを見失っていた。」
「我々はあやうく、この美しき世界を自らの手で滅ぼすところだった」
「我々をその狂気の淵から救い出してくれたのは、ここにいる英雄殿たちだ。」
「彼らの勇気と優しさが、我々の凍てついた心を溶かし、光を示してくれたのだ」
王は顔を上げた。
その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。
「ありがとう。本当にありがとう、英雄殿。」
「この御恩は聖王国が続く限り、永遠に忘れることはないだろう。」
「我々はここに誓う。これからは貴殿らの気高き隣人として、共にこの平和な世界を築いていくことを」
その魂の叫び。
そのあまりに真摯な誓いの言葉に、静まり返っていた民衆から再び、
今度は先ほどよりももっと温かく、そして力強い拍手と歓声が巻き起こった。
それは真の和解と、新たな時代の幕開けを告げる産声のようだった。
俺は、その感動的な光景を少しだけ気恥ずかしげに、しかしどこまでも誇らしい気持ちで見つめていた。
その夜から、聖王国、アリシアの王国、ソフィアの帝国、そして法国、
俺たちが旅の途中で関わった全ての国々で、
国を挙げての盛大な祝宴がそれこそ毎晩のように催された。
どの祝宴もその国の特色が出ていて、実に面白かった。
聖王国の祝宴はどこまでも厳かで神聖だったが、出されるワインだけは最高に美味かった。
アリシアの王国は華やかで自由な雰囲気で、美しい音楽とダンスが夜通し続いた。
ソフィアの帝国は全てが完璧に管理統制されており、一分の隙もないがどこか息の詰まる祝宴だったが、出される料理の味だけは天下一品だった。
法国は、セリアとエリスの尽力もあり、かつての狂信的な雰囲気はすっかりと影を潜め、素朴で心温まる手料理で俺たちをもてなしてくれた。
俺の仲間たちは、それぞれの祝宴を心の底から楽しんでいた。
バルガスは各国の美しい貴婦人たちに片っ端から声をかけ、その度にサラに鉄拳制裁を食らっていた。
ハガンはそれぞれの国の名物肉料理を文字通り山のように平らげ、「うむ!この国の肉も美味い!甲乙つけがたい!」と実にどうでもいい食レポを繰り返していた。
フィオナとミリアは初めて見る豪華な宮廷料理や美しいドレスの貴婦人たちに目をきらきらと輝かせ、まるで夢の世界にでも迷い込んだかようにはしゃいでいた。
ドルセンはそれぞれの国の王立図書館の禁書庫に忍び込み、その度に衛兵につまみ出されていた。
俺はそんな仲間たちの幸せそうで、そして相変わらずどうしようもない姿を、
少し離れたテラスの隅で相棒のクロの柔らかい黒い毛を撫でながら、微笑ましく眺めていた。
前世では決して手に入れることのできなかった、温かくかけがえのない時間。
病室の冷たいベッドの上で、俺が死ぬほど渇望した当たり前の日常。
そのあまりの幸福に、俺の目頭がじんと熱くなるのを感じた。
「(何のために、生まれたのか)」
かつて俺が最後に抱いた、あの後悔に満ちた問い。
その答えが、今ようやく見つかったような気がした。
俺は、この温かい光を守るために、
このかけがえのない仲間たちと笑い合うために、
もう一度この世界に生まれてきたのだ、と。
その平和の尊さを、俺は誰よりも深く深く噛み締めていた。
この幸せな時間が、やがて俺の心を蝕む「退屈」という名の新たな敵に変わっていくことなど、
この時の俺はまだ知る由もなかった。
今はただ、この世界の夜明けを、この最高の仲間たちと共に、
静かに、そしてどこまでも深く味わっているだけだった。
空には、満月が優しく浮かんでいる。
その穏やかな光は、俺たちの輝かしい未来を祝福しているかのようだった。
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