15 / 62
シーズン1 F級の祝福者と、恋する女神の英雄譚
第15話:『絶望の魔神、希望の女神』
しおりを挟む
「――女神、本人も、ご一緒とはな」
まるで世界の音すべてを吸い込んだかのように、その一言は絶対的な静寂をこの禍々しい洞窟の最深部にもたらした。枢機卿が放った言葉は、冷たく、そして確信に満ちた響きをもって、我々の鼓膜を、いや、魂そのものを直接揺さぶった。先程までの激しい戦闘の予兆に満ちた緊張感とは質の違う、空気が凍てつくような沈黙。仲間たちが息を呑む気配が、肌を刺すように痛いほど伝わってくる。誰もがその言葉の意味を咀嚼しきれず、信じられないという感情のままに、その視線を玉座に鎮座する邪悪の化身たる枢機卿と、そして、ただ静かに佇むソフィアとの間で、寄る辺なくさまよわせていた。
「……ソフィア、さん……が……?」
その氷のような静寂を最初に破ったのは、リナのか細い、ほとんど吐息に近い声だった。彼女の大きな瞳は驚愕に見開かれ、目の前で起きている現実を受け止めきれないでいる。
「女神……様……? まさか、あの、いつも俺たちに呆れながら説教垂れてる、あの姐さんが……?」
ジンが、まるで理解不能な現象に遭遇したかのように、ガシガシと無造作に頭を掻きながら呟く。彼の脳裏には、旅の資金管理に厳しく、生活態度に口うるさく、それでいていつも的確な助言をくれるソフィアの姿が浮かんでいるのだろう。その日常の姿と、「女神」というあまりに超越的な存在とが、どうしても結びつかないのだ。
「ど、どういうことだ……。ソフィアさんが……本物の……女神様、だというのか……?」
パーティのリーダーとして、常に冷静であろうと努めてきたサラでさえ、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ目の前の光景を呆然と見つめることしかできなかった。彼女の握る剣の切っ先が、わずかに震えている。
そして、女神の敬虔な信徒であるアンジェラは。
「おお……おおお……おおおおおおおおおおおおっ!」
彼女はわなわなと、その美しい肢体のすべてを打ち震わせた。その顔は、長年の信仰が成就したことへの純粋な感涙と、神聖なる存在を間近にした恍惚、そして、これまでの自らの言動を省みた時の、あまりの不敬に対する絶望とで、ぐちゃぐちゃになっていた。完璧に整えられていたはずの化粧も、涙と混じり合って見る影もない。
「わ、わ、私の、この私の目の前にいらっしゃった、このあまりにも美しく気高いお方こそが……! 我が信仰のすべて! 我が魂の導き手! 本物の、生きて呼吸をなさる、秩序の女神ソフィア様、そのご本人であったというのか……! なんという、なんという僥倖! 我が生涯における最大の奇跡! そして、私は、ああ、私は! なんという愚か者なのだ! そんな尊き御方を前にして、朝食のパンが硬いだの、泉で洗濯した下着の色がどうのと、ああ、なんという、なんという不敬極まりない戯言を、私は述べ立てていたのだあああああ!」
彼女はその場にがくりと膝から崩れ落ちた。もはや立っていることすら叶わない。そのまま流れるような動作で、しかし全身の関節が軋むほどの力強さで、大地に額をこすりつける最も丁寧な礼法――五体投地――の姿勢をとり、ソフィアに向かって必死に謝罪と祈りを捧げ始めた。その姿は滑稽であると同時に、彼女の信仰の純粋さを物語っており、痛々しいほどだった。
枢機卿は、そんな我々の、あまりにも対照的な動揺の様を、まるで極上の演劇でも鑑賞するかのように、実に楽しそうに眺めていた。その歪んだ唇が、嘲笑の形にゆっくりと吊り上がる。
「いかにも。その女こそ、この世界を管理し、森羅万象の法則を司る秩序の女神、ソフィア。我ら『魔神教団』が、永きに渡り、その存在を探し求め、その力を追い求めてきた、至高にして唯一無二の贄よ」
言葉と共に、彼はゆっくりと立ち上がると、その身にまとっていた深紅のローブをこともなげに脱ぎ捨てた。ひらりと宙を舞い、塵芥のように床に落ちたローブの下から現れたのは、聖なる法王国が定めた枢機卿の法衣ではない。黒は深淵の闇を、紫は堕落した魂の色を象徴するかのように、邪悪な紋様がおぞましいまでに緻密に刻まれた、禍々しい司祭服だった。その姿は、彼がもはや神に仕える者ではなく、神に敵対する存在であることを雄弁に物語っていた。
「我らの目的は、ただ一つ。この聖なる洞窟の最深部に封印され、永き眠りについておられる、偉大なる我が主、混沌の魔神様の、完全なる復活! そのためには、世界の秩序を司る対極の力を持つ女神、その聖なる神気と魂が、最高の鍵となるのだ!」
枢機卿の狂信的な声が、洞窟の隅々にまで響き渡る。その言葉に呼応するように、彼の背後に影のように控えていた黒いローブの者たちも、次々と、一斉にその顔を覆い隠していたフードを取った。
そこに現れたのは、それぞれが一目で人ならざる者とわかる、異様な気配を全身から発散させる魔神教団の幹部たちだった。
一人は、妖艶な笑みを唇の端に浮かべ、その両手に握られた二本の曲刀に月光を反射させる女剣士。そのしなやかな身のこなしは、死の舞踏を踊るためのものだと直感させた。
一人は、全身を黒い鋼鉄の分厚い鎧で固め、まるで歩く要塞のような威圧感を放つ巨大な重装甲騎士。その兜のスリットの奥からは、一切の感情を窺わせない、冷たい光だけが覗いていた。
一人は、その幼さの残る顔に不釣り合いな狂気の光を瞳に宿し、指先で小さな黒い炎をまるで玩具のように弄ぶ、若き魔導士。彼の周囲だけ、空間の魔力が不気味に歪んでいるのが見えた。
そして最後の一人は、その顔に、かつて自らの信じたであろう女神への、深く、救いようのない憎悪を刻みつけた堕落神官。その手には、聖なる力を穢して作られたであろう、禍々しい儀式用の短剣が握られていた。
彼らは、我々パーティの一人一人を、まるで競りにかけられた家畜でも品定めするかのように、値踏みするような、侮蔑に満ちた視線で見つめていた。その視線だけで、彼らがこれまで幾多の修羅場を乗り越え、多くの命を奪ってきた歴戦の猛者であることが痛いほどに伝わってくる。
「驚いている暇は、どうやらないようだな」
仲間たちがそれぞれの衝撃に囚われる中、ジンは顔からすっと血の気を拭うと、不敵にもニヤリと口の端を吊り上げて笑った。
「へっ……なるほどな。そういうことだったのか。どうりで、ユウキの旦那が無茶苦茶なわけだ。そりゃあ、本物の女神様がバックについてりゃ、どんな無茶も通るってもんだ。だが、面白え! 女神様だろうが、なんだろうが、ソフィアはソフィアだ! 俺たちの、大事な仲間(ダチ)だってことに、何一つ変わりはねえんだよ!」
彼の言葉が、呆然としていた仲間たちの心に火をつけた。
「その通りだ!」サラもまた、己を奮い立たせるように叫び、震えを止めた手で剣を強く握り直した。「驚いたが、納得はできる! ソフィアさんが、これまでどれだけ、俺たちを、そして、特にユウキを、陰ながら守ってくれていたか! その優しさと強さに、俺たちは何度も救われてきたじゃないか!」
「師匠が……女神様……。なんと……なんと光栄なことでしょう! ということは、私は、女神の直弟子! このセレスティア、生涯最大の栄誉です!」
魔法使いのセレスティアが、感激に打ち震えながら高らかに宣言する。彼女にとって、ソフィアが女神であるという事実は、恐怖ではなく、自らの存在価値を高める至上の喜びでしかなかった。
「おおおお! 女神ソフィア様! このアンジェラ、これまでの数々の非礼、万死に値します! ですが、この償いは、我が命を懸けて! この命に代えても、貴方様を、この不肖のアンジェラがお守りいたしますぞおおおお!」
五体投地の姿勢から跳ね起きたアンジェラが、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、しかしその瞳には一点の曇りもない、純粋な覚悟の光を宿して叫んだ。
仲間たちの、覚悟は、決まった。
ソフィアが女神であるという、常識を根底から覆す衝撃的な事実は、彼らを絶望させるどころか、逆に、これ以上ないほどの強い結束と、燃え盛るような闘志で結びつけていた。守るべきものが、より明確に、より尊くなったのだ。
「愚かなる人間どもめ。秩序に縛られた抜け殻のような女神一人、その脆い絆で守りきれるとでも、本気で思うか?」
枢機卿が、我々の覚悟を鼻でせせら笑う。その声には、絶対的な強者の余裕と、哀れな弱者への侮蔑が色濃く滲んでいた。
「――かかれ! 奴らを、一人残らず、偉大なる魔神様への復活の儀を彩る、血の捧げものとせよ!」
その非情な号令が、戦いの開始を告げるゴングとなった。号令を合図に、魔神教団の幹部たちが、それぞれの獲物を定めるかのように、一斉に、我々に襲いかかってきたのだ。
戦いの火蓋は、今、無慈悲に切られた。
◇
洞窟の最深部は、ほんの一瞬にして、死と暴力が支配する激戦の舞台と化した。 鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音、肉を焦がし空気を震わせる魔法の爆音、そして、覚悟を決めた者たちの雄叫びが、反響し、混じり合い、狂乱の交響曲を奏でる。激しく交錯する剣と魔法は、凄まじい火花と衝撃波を撒き散らし、悠久の時を刻んできた洞窟の壁という壁を、無慈悲に削り取っていく。 それは、これまでの、どこか気の抜けたドタバタな冒険とは、全く違う。命のチップをテーブルに積み上げた、真剣勝負。死と、常に隣り合わせの、本物の戦いだった。
「神鳴流・改――『月光』!」
ジンは、普段のスケベな表情を完全に封印し、研ぎ澄まされた剣士の顔で、妖艶な女剣士と激しく渡り合っていた。彼の振るう太刀筋は、流水の如く滑らかでありながら、雷鳴の如く鋭い。しかし、彼の放つ神速の剣技は、女剣士の、まるで予測不能な軌道で舞う二本の曲刀によって、ことごとく、柳に風と受け流されてしまう。
「あらあら、いい男。その剣筋、なかなかのものね。でも、少し、動きが硬いわよ? もっと力を抜かないと、私とは踊れないわ」 「うるせえ! 俺はな、仲間(ダチ)の前じゃ、いつだって、最高にカッコつけるって決めてんだよ! お前みたいな毒蜘蛛と、馴れ合ってる暇はねえんだ!」
ジンの叫びと共に、彼の剣速がさらに増す。だが、女剣士は余裕の笑みを崩さず、その猛攻を美しい舞踏のように捌き続けていた。
「はあああああっ!」
サラは、パーティの盾として、その最前線で、重装甲騎士の振り下ろす巨大な戦斧を、その身に不釣り合いな大盾で正面から受け止めていた。ズシン、と大地を揺るがすほどの衝撃が、彼女の腕を、全身を駆け巡る。もはや、そこに、絶望的なまでの方向音痴で仲間を困らせていた、かつての彼女の姿はない。ただ、ひたすらに、パーティの守護者として、リーダーとしての覚悟を胸に、そのあまりにも重い一撃を、歯を食いしばって耐え続けていた。
「お前の、その無骨で力任せなだけの攻撃では、私の、後ろにいる仲間たちの、指一本、触れさせるものか!」
「燃え盛れ、煉獄の炎! 吹き荒べ、極北の吹雪よ! 森羅万象の力、今こそ我が手に! 『エレメンタル・バースト』!」
セレスティアは、もう、かつてのように魔法の暴発を恐れてはいなかった。彼女は、自らの持てる最大、最高の魔力を解き放ち、無詠唱で次々と魔法を操る天才魔導士相手に、荒れ狂う元素の嵐を叩きつけていた。しかし、その圧倒的な破壊の奔流は、いとも容易くいなされる。
「無駄だ。お前の魔法は、力が、拡散しすぎている。ただ叫び散らすだけの、躾のなっていない駄犬と同じだ」
敵の魔導士は、セレスティアが命を削って放つ荒れ狂う魔法を、まるで戯れのように指先一つで逸らし、あるいは自らの魔力として吸収していく。格の違いは明らかだった。だが、セレスティアの瞳には、諦めの色は微塵もなかった。彼女は知っているのだ。自らの師が、本物の女神であることを。その事実が、彼女に無限の勇気を与えていた。
「この、女神の裏切り者めが! その腐った信仰心、私が、この魔法で根こそぎ浄化してくれる!」 「ふん、哀れな信者よ。お前が信じる女神など、ただの、秩序という名の檻に縛られた、無力な人形に過ぎんことを、その身に教えてやろう!」
アンジェラは、自らが信じた絶対の「正義」と「女神」の名の下に、堕落神官と激しい信仰のぶつかり合いを演じていた。彼女の放つ聖なる光の槍と、堕落神官の放つ穢れた闇の呪詛が、互いを打ち消し合い、激しく火花を散らす。その信念は、少し、いや、かなりズレてはいるが、ソフィアを守りたいというその想いだけは、誰よりも純粋で、本物だった。
仲間たちは、皆、己の限界を超え、死力を尽くして戦っていた。 だが、敵は、あまりにも、強い。 魔神教団の幹部たちは、それぞれが小国の騎士団長クラスか、あるいはそれ以上の実力者揃いだった。徐々に、徐々に、仲間たちはその力量の差に押し込まれ、追い詰められていく。傷が増え、呼吸が乱れ、その動きに焦りと疲労の色が濃くなっていくのが、離れていても分かった。
そして、俺と、俺が守るべきソフィアの前には、この惨劇の元凶である枢機卿が、悠然と立ちはだかっていた。
「さあ、女神ソフィア。無駄な抵抗はそこまでだ。おとなしく、その聖なる力を、我らが魔神様のために、こちらへ渡してもらおうか」
彼は、その手に黒い霧でできた、禍々しい生命体のように蠢く杖を構え、凝縮された強力な闇の魔法を、立て続けに俺たちへと放ってきた。空間そのものを抉り取るような、魂を直接凍てつかせる冷気を伴う一撃。
「させるか!」
俺は、女神様から授かった特製の盾を構え、ソフィアを背中にかばうようにして、その漆黒の魔法弾を受け止めた。 だが、枢機卿の放つ魔法はあまりに重い。
「ぐぅぅ……ッ!」
数撃を防いだ瞬間、これまで俺を守り続けてきた盾が悲鳴を上げるように軋み――次の瞬間、パリーンという音と共に、粉々に砕け散った。 頼みの綱である女神謹製の鎧でさえ、枢機卿の放つ底知れぬ闇の冷気までは完全に遮断できず、冷たさが骨の髄まで侵食してくる。
「くそっ……!」
俺は、残った白銀の剣を両手で握り直し、必死に闇の奔流を弾き続ける。国王陛下より賜った、王家伝来の退魔の剣。その刀身は闇を弾き、俺を守ってくれているが、その魔力はあまりにも強大だった。一撃、また一撃と防ぐたびに、剣を持つ腕が痺れ、内臓が揺さぶられ、呼吸が、乱れていく。
防戦一方。ジリ貧。消耗戦。 このままでは、俺も、そして死闘を繰り広げる仲間たちも、いずれは力尽きてしまう。
その、残酷なまでに明確な事実を、誰よりも、何よりも深く理解していたのは、俺の背後で静かに戦況を見つめていた、ソフィアだった。 彼女は、俺の背中の後ろで、静かに、しかし、固く、ひとつの覚悟を決めていた。
彼女の脳裏に、これまでの旅の日々が、まるで走馬灯のように、鮮やかに駆け巡る。 初めて、俺と出会った、あの光溢れる神聖な空間。 「貴方と一緒に旅がしたい」と、何のてらいもなく、馬鹿正直に叫んだ、彼の真っ直ぐな顔。 共に笑い、共に悩み、共に食事をし、そして、共に戦ってきた、あまりにも短いけれど、あまりにも色鮮やかで、かけがえのない時間。 そして、いつの間にか、自分の心の中に確かに芽生えていた、温かくて、少し切なくて、どうしようもなく、愛おしい、この感情。
(……ユウキ。貴方と出会えて、私は、本当に、幸せでした。女神としてではなく、ただのソフィアとして過ごしたこの時間は、私の永遠の宝物です)
彼女は、背後から、俺に静かに告げた。その声は、不思議なほど穏やかで、澄み切っていた。
「ユウキ。……ここまでです。本当に、よく戦ってくれました。貴方は、私の誇りです」
その言葉には、万感の想いと、慈しみが込められていた。
「貴方だけは、逃げなさい。大切な仲間たちと共に、未来へ」
彼女は、自らの命と、その身に宿す神気のすべて、そして魂のすべてを贄とすることで、俺たちをこの絶望的な戦場から、強制的に安全な場所へと転移させようとしていた。 自分一人が、この世界から消えることで、愛する人と、その大切な仲間たちの、未来を、守るために。 それが、秩序の女神ソフィアが、自らの存在意義のすべてを懸けて下した、最後の、そして最大の自己犠牲の決断だった。
◇
だが。 その、女神のあまりにも悲壮な覚悟を、一人の、ただの人間が、魂からの咆哮、その一喝の元に、打ち砕いた。
「――ふざけるなッ!!!!」
それは、俺の、魂の奥底からの叫びだった。洞窟全体がビリビリと震え、激しく打ち合っていた仲間たちも、敵の幹部たちも、そして枢機卿さえもが、一瞬、動きを止めてこちらを向くほどの、絶叫だった。
俺は、枢機卿への警戒も忘れて振り返り、ソフィアの、その驚くほどに細い肩を、強く、しかし決して傷つけないように、掴んだ。
「俺が! 俺がなんで、こんな訳の分からない異世界に来たと思ってるんだ! どんなチート能力よりも、どんなお宝よりも、あんたと、あんたと一緒にいたいって、そう、願ったからだろうが!」
俺の瞳から、熱いものが、堰を切ったようにこぼれ落ちる。もう、格好つけてなどいられなかった。
「あんたを、一人ぼっちにして、俺だけが仲間と逃げるくらいなら! 俺は、ここで、あんたと一緒に、戦って死んだ方が、一億倍、マシだ!」
もう、守られるだけのか弱い存在ではない。 ただ、女神の祝福に、一方的に頼るだけの、しがない一般人ではない。 俺は、彼女と、「共に在る」ことを、今この場で、改めて選ぶ。守られる者と守る者ではなく、対等な、パートナーとして。
「俺は、弱い! チートなんて、便利なもんは持ってない! みんなみたいに特別な才能もない! でもな、ソフィア! あんたが、俺の隣にいてくれるだけで、俺は、最強になれるって、心の底から、本気で、信じてるんだ!」
俺は、彼女の、驚きと涙で濡れた美しい瞳を、真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥に、俺の覚悟が、想いが、すべて伝わるように、願いを込めて。
「だから、ソフィア! 俺に、あんたの力を、全部、貸してくれ! 中途半端な加護じゃない! あんたの、持てる力のすべてをだ! 俺が、あんたの剣になる! あんたの、翼になる! だから!」
俺の、不器用で、めちゃくちゃで、しかし、そこには一片の嘘偽りもない、魂の叫び。
その言葉は、ソフィアが己に課した、自己犠牲という名の、悲しい覚悟を、粉々に打ち砕いた。 彼女の、女神としての、最後の、理性の壁を、跡形もなく溶かしていった。
涙が、彼女の透き通るような瞳から、とめどなく、とめどなく溢れ出す。 だが、その唇には、俺が、これまで見た中で、一番、美しくて、一番、愛おしい、最高の笑みが、花が咲くように、ゆっくりと浮かんでいた。
「…………はい、ユウキ」
彼女は、夜明けの光そのもののような、世界中のどんな宝石よりも輝いて見える最高の笑顔で、はっきりと、頷いた。
「私のすべてを、貴方に、捧げます。私の、愛する、たった一人の、私の勇者様」
その言葉が、最後のスイッチとなった。 俺とソフィアの心が、魂が、完全に、一つになった。 彼女は、女神としての、すべての権能を、一切の制限なく、俺という存在に、惜しみなく注ぎ込み始めた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
俺の全身から、これまでの比ではない、純金の、あまりにも神々しいオーラが、後光のように迸った。手にした白銀の剣が、まるでその光を待ち望んでいたかのように強く共鳴する。王家に伝わる退魔の剣は、女神の力という最高の主を得て、ついにその真の姿を現したのだ。刀身が黄金の粒子をまとい、眩いばかりの光を、力強く放ち始める。 洞窟全体が、その、圧倒的なまでの神気に満たされ、震えていた。禍々しい気配が浄化され、岩肌が聖なる輝きを帯びていく。
「な、なんだ、この力は……!? 馬鹿な!」
枢機卿が、その凄まじいエネルギーの高まりに、初めて、狼狽の表情を浮かべた。彼の余裕に満ちた顔から、血の気が引いていくのが見て取れた。
「馬鹿な! 女神が、ただの人間に、これほどの力を、これほど直接的に与えるなど……! ありえん! あってはならんことだ! それは、世界の理に反する!」
俺は、黄金の輝きを放ち、今や名実ともに「聖剣」へと昇華したその剣を、ゆっくりと、しかし力強く、構え直した。 体中に、無限の力が、みなぎってくる。先程までの疲労や痛みは、嘘のように消え去っていた。 もう、怖くはなかった。勝てる、と確信できた。
俺は、絶望の淵で戦う仲間たちと、そして、俺の隣で、そのすべてを信じ、微笑んでくれている、愛する女神に向かって、叫んだ。
「さあ、始めようぜ、枢機卿の旦那!」
俺は、反撃の、第一歩を、力強く踏み出した。
「――第二ラウンドだ」
絶望の闇を、切り裂く、希望の光。 俺たちの、本当の戦いは、今、ここから、始まる。
まるで世界の音すべてを吸い込んだかのように、その一言は絶対的な静寂をこの禍々しい洞窟の最深部にもたらした。枢機卿が放った言葉は、冷たく、そして確信に満ちた響きをもって、我々の鼓膜を、いや、魂そのものを直接揺さぶった。先程までの激しい戦闘の予兆に満ちた緊張感とは質の違う、空気が凍てつくような沈黙。仲間たちが息を呑む気配が、肌を刺すように痛いほど伝わってくる。誰もがその言葉の意味を咀嚼しきれず、信じられないという感情のままに、その視線を玉座に鎮座する邪悪の化身たる枢機卿と、そして、ただ静かに佇むソフィアとの間で、寄る辺なくさまよわせていた。
「……ソフィア、さん……が……?」
その氷のような静寂を最初に破ったのは、リナのか細い、ほとんど吐息に近い声だった。彼女の大きな瞳は驚愕に見開かれ、目の前で起きている現実を受け止めきれないでいる。
「女神……様……? まさか、あの、いつも俺たちに呆れながら説教垂れてる、あの姐さんが……?」
ジンが、まるで理解不能な現象に遭遇したかのように、ガシガシと無造作に頭を掻きながら呟く。彼の脳裏には、旅の資金管理に厳しく、生活態度に口うるさく、それでいていつも的確な助言をくれるソフィアの姿が浮かんでいるのだろう。その日常の姿と、「女神」というあまりに超越的な存在とが、どうしても結びつかないのだ。
「ど、どういうことだ……。ソフィアさんが……本物の……女神様、だというのか……?」
パーティのリーダーとして、常に冷静であろうと努めてきたサラでさえ、あまりの衝撃に言葉を失い、ただ目の前の光景を呆然と見つめることしかできなかった。彼女の握る剣の切っ先が、わずかに震えている。
そして、女神の敬虔な信徒であるアンジェラは。
「おお……おおお……おおおおおおおおおおおおっ!」
彼女はわなわなと、その美しい肢体のすべてを打ち震わせた。その顔は、長年の信仰が成就したことへの純粋な感涙と、神聖なる存在を間近にした恍惚、そして、これまでの自らの言動を省みた時の、あまりの不敬に対する絶望とで、ぐちゃぐちゃになっていた。完璧に整えられていたはずの化粧も、涙と混じり合って見る影もない。
「わ、わ、私の、この私の目の前にいらっしゃった、このあまりにも美しく気高いお方こそが……! 我が信仰のすべて! 我が魂の導き手! 本物の、生きて呼吸をなさる、秩序の女神ソフィア様、そのご本人であったというのか……! なんという、なんという僥倖! 我が生涯における最大の奇跡! そして、私は、ああ、私は! なんという愚か者なのだ! そんな尊き御方を前にして、朝食のパンが硬いだの、泉で洗濯した下着の色がどうのと、ああ、なんという、なんという不敬極まりない戯言を、私は述べ立てていたのだあああああ!」
彼女はその場にがくりと膝から崩れ落ちた。もはや立っていることすら叶わない。そのまま流れるような動作で、しかし全身の関節が軋むほどの力強さで、大地に額をこすりつける最も丁寧な礼法――五体投地――の姿勢をとり、ソフィアに向かって必死に謝罪と祈りを捧げ始めた。その姿は滑稽であると同時に、彼女の信仰の純粋さを物語っており、痛々しいほどだった。
枢機卿は、そんな我々の、あまりにも対照的な動揺の様を、まるで極上の演劇でも鑑賞するかのように、実に楽しそうに眺めていた。その歪んだ唇が、嘲笑の形にゆっくりと吊り上がる。
「いかにも。その女こそ、この世界を管理し、森羅万象の法則を司る秩序の女神、ソフィア。我ら『魔神教団』が、永きに渡り、その存在を探し求め、その力を追い求めてきた、至高にして唯一無二の贄よ」
言葉と共に、彼はゆっくりと立ち上がると、その身にまとっていた深紅のローブをこともなげに脱ぎ捨てた。ひらりと宙を舞い、塵芥のように床に落ちたローブの下から現れたのは、聖なる法王国が定めた枢機卿の法衣ではない。黒は深淵の闇を、紫は堕落した魂の色を象徴するかのように、邪悪な紋様がおぞましいまでに緻密に刻まれた、禍々しい司祭服だった。その姿は、彼がもはや神に仕える者ではなく、神に敵対する存在であることを雄弁に物語っていた。
「我らの目的は、ただ一つ。この聖なる洞窟の最深部に封印され、永き眠りについておられる、偉大なる我が主、混沌の魔神様の、完全なる復活! そのためには、世界の秩序を司る対極の力を持つ女神、その聖なる神気と魂が、最高の鍵となるのだ!」
枢機卿の狂信的な声が、洞窟の隅々にまで響き渡る。その言葉に呼応するように、彼の背後に影のように控えていた黒いローブの者たちも、次々と、一斉にその顔を覆い隠していたフードを取った。
そこに現れたのは、それぞれが一目で人ならざる者とわかる、異様な気配を全身から発散させる魔神教団の幹部たちだった。
一人は、妖艶な笑みを唇の端に浮かべ、その両手に握られた二本の曲刀に月光を反射させる女剣士。そのしなやかな身のこなしは、死の舞踏を踊るためのものだと直感させた。
一人は、全身を黒い鋼鉄の分厚い鎧で固め、まるで歩く要塞のような威圧感を放つ巨大な重装甲騎士。その兜のスリットの奥からは、一切の感情を窺わせない、冷たい光だけが覗いていた。
一人は、その幼さの残る顔に不釣り合いな狂気の光を瞳に宿し、指先で小さな黒い炎をまるで玩具のように弄ぶ、若き魔導士。彼の周囲だけ、空間の魔力が不気味に歪んでいるのが見えた。
そして最後の一人は、その顔に、かつて自らの信じたであろう女神への、深く、救いようのない憎悪を刻みつけた堕落神官。その手には、聖なる力を穢して作られたであろう、禍々しい儀式用の短剣が握られていた。
彼らは、我々パーティの一人一人を、まるで競りにかけられた家畜でも品定めするかのように、値踏みするような、侮蔑に満ちた視線で見つめていた。その視線だけで、彼らがこれまで幾多の修羅場を乗り越え、多くの命を奪ってきた歴戦の猛者であることが痛いほどに伝わってくる。
「驚いている暇は、どうやらないようだな」
仲間たちがそれぞれの衝撃に囚われる中、ジンは顔からすっと血の気を拭うと、不敵にもニヤリと口の端を吊り上げて笑った。
「へっ……なるほどな。そういうことだったのか。どうりで、ユウキの旦那が無茶苦茶なわけだ。そりゃあ、本物の女神様がバックについてりゃ、どんな無茶も通るってもんだ。だが、面白え! 女神様だろうが、なんだろうが、ソフィアはソフィアだ! 俺たちの、大事な仲間(ダチ)だってことに、何一つ変わりはねえんだよ!」
彼の言葉が、呆然としていた仲間たちの心に火をつけた。
「その通りだ!」サラもまた、己を奮い立たせるように叫び、震えを止めた手で剣を強く握り直した。「驚いたが、納得はできる! ソフィアさんが、これまでどれだけ、俺たちを、そして、特にユウキを、陰ながら守ってくれていたか! その優しさと強さに、俺たちは何度も救われてきたじゃないか!」
「師匠が……女神様……。なんと……なんと光栄なことでしょう! ということは、私は、女神の直弟子! このセレスティア、生涯最大の栄誉です!」
魔法使いのセレスティアが、感激に打ち震えながら高らかに宣言する。彼女にとって、ソフィアが女神であるという事実は、恐怖ではなく、自らの存在価値を高める至上の喜びでしかなかった。
「おおおお! 女神ソフィア様! このアンジェラ、これまでの数々の非礼、万死に値します! ですが、この償いは、我が命を懸けて! この命に代えても、貴方様を、この不肖のアンジェラがお守りいたしますぞおおおお!」
五体投地の姿勢から跳ね起きたアンジェラが、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、しかしその瞳には一点の曇りもない、純粋な覚悟の光を宿して叫んだ。
仲間たちの、覚悟は、決まった。
ソフィアが女神であるという、常識を根底から覆す衝撃的な事実は、彼らを絶望させるどころか、逆に、これ以上ないほどの強い結束と、燃え盛るような闘志で結びつけていた。守るべきものが、より明確に、より尊くなったのだ。
「愚かなる人間どもめ。秩序に縛られた抜け殻のような女神一人、その脆い絆で守りきれるとでも、本気で思うか?」
枢機卿が、我々の覚悟を鼻でせせら笑う。その声には、絶対的な強者の余裕と、哀れな弱者への侮蔑が色濃く滲んでいた。
「――かかれ! 奴らを、一人残らず、偉大なる魔神様への復活の儀を彩る、血の捧げものとせよ!」
その非情な号令が、戦いの開始を告げるゴングとなった。号令を合図に、魔神教団の幹部たちが、それぞれの獲物を定めるかのように、一斉に、我々に襲いかかってきたのだ。
戦いの火蓋は、今、無慈悲に切られた。
◇
洞窟の最深部は、ほんの一瞬にして、死と暴力が支配する激戦の舞台と化した。 鋼と鋼がぶつかり合う甲高い音、肉を焦がし空気を震わせる魔法の爆音、そして、覚悟を決めた者たちの雄叫びが、反響し、混じり合い、狂乱の交響曲を奏でる。激しく交錯する剣と魔法は、凄まじい火花と衝撃波を撒き散らし、悠久の時を刻んできた洞窟の壁という壁を、無慈悲に削り取っていく。 それは、これまでの、どこか気の抜けたドタバタな冒険とは、全く違う。命のチップをテーブルに積み上げた、真剣勝負。死と、常に隣り合わせの、本物の戦いだった。
「神鳴流・改――『月光』!」
ジンは、普段のスケベな表情を完全に封印し、研ぎ澄まされた剣士の顔で、妖艶な女剣士と激しく渡り合っていた。彼の振るう太刀筋は、流水の如く滑らかでありながら、雷鳴の如く鋭い。しかし、彼の放つ神速の剣技は、女剣士の、まるで予測不能な軌道で舞う二本の曲刀によって、ことごとく、柳に風と受け流されてしまう。
「あらあら、いい男。その剣筋、なかなかのものね。でも、少し、動きが硬いわよ? もっと力を抜かないと、私とは踊れないわ」 「うるせえ! 俺はな、仲間(ダチ)の前じゃ、いつだって、最高にカッコつけるって決めてんだよ! お前みたいな毒蜘蛛と、馴れ合ってる暇はねえんだ!」
ジンの叫びと共に、彼の剣速がさらに増す。だが、女剣士は余裕の笑みを崩さず、その猛攻を美しい舞踏のように捌き続けていた。
「はあああああっ!」
サラは、パーティの盾として、その最前線で、重装甲騎士の振り下ろす巨大な戦斧を、その身に不釣り合いな大盾で正面から受け止めていた。ズシン、と大地を揺るがすほどの衝撃が、彼女の腕を、全身を駆け巡る。もはや、そこに、絶望的なまでの方向音痴で仲間を困らせていた、かつての彼女の姿はない。ただ、ひたすらに、パーティの守護者として、リーダーとしての覚悟を胸に、そのあまりにも重い一撃を、歯を食いしばって耐え続けていた。
「お前の、その無骨で力任せなだけの攻撃では、私の、後ろにいる仲間たちの、指一本、触れさせるものか!」
「燃え盛れ、煉獄の炎! 吹き荒べ、極北の吹雪よ! 森羅万象の力、今こそ我が手に! 『エレメンタル・バースト』!」
セレスティアは、もう、かつてのように魔法の暴発を恐れてはいなかった。彼女は、自らの持てる最大、最高の魔力を解き放ち、無詠唱で次々と魔法を操る天才魔導士相手に、荒れ狂う元素の嵐を叩きつけていた。しかし、その圧倒的な破壊の奔流は、いとも容易くいなされる。
「無駄だ。お前の魔法は、力が、拡散しすぎている。ただ叫び散らすだけの、躾のなっていない駄犬と同じだ」
敵の魔導士は、セレスティアが命を削って放つ荒れ狂う魔法を、まるで戯れのように指先一つで逸らし、あるいは自らの魔力として吸収していく。格の違いは明らかだった。だが、セレスティアの瞳には、諦めの色は微塵もなかった。彼女は知っているのだ。自らの師が、本物の女神であることを。その事実が、彼女に無限の勇気を与えていた。
「この、女神の裏切り者めが! その腐った信仰心、私が、この魔法で根こそぎ浄化してくれる!」 「ふん、哀れな信者よ。お前が信じる女神など、ただの、秩序という名の檻に縛られた、無力な人形に過ぎんことを、その身に教えてやろう!」
アンジェラは、自らが信じた絶対の「正義」と「女神」の名の下に、堕落神官と激しい信仰のぶつかり合いを演じていた。彼女の放つ聖なる光の槍と、堕落神官の放つ穢れた闇の呪詛が、互いを打ち消し合い、激しく火花を散らす。その信念は、少し、いや、かなりズレてはいるが、ソフィアを守りたいというその想いだけは、誰よりも純粋で、本物だった。
仲間たちは、皆、己の限界を超え、死力を尽くして戦っていた。 だが、敵は、あまりにも、強い。 魔神教団の幹部たちは、それぞれが小国の騎士団長クラスか、あるいはそれ以上の実力者揃いだった。徐々に、徐々に、仲間たちはその力量の差に押し込まれ、追い詰められていく。傷が増え、呼吸が乱れ、その動きに焦りと疲労の色が濃くなっていくのが、離れていても分かった。
そして、俺と、俺が守るべきソフィアの前には、この惨劇の元凶である枢機卿が、悠然と立ちはだかっていた。
「さあ、女神ソフィア。無駄な抵抗はそこまでだ。おとなしく、その聖なる力を、我らが魔神様のために、こちらへ渡してもらおうか」
彼は、その手に黒い霧でできた、禍々しい生命体のように蠢く杖を構え、凝縮された強力な闇の魔法を、立て続けに俺たちへと放ってきた。空間そのものを抉り取るような、魂を直接凍てつかせる冷気を伴う一撃。
「させるか!」
俺は、女神様から授かった特製の盾を構え、ソフィアを背中にかばうようにして、その漆黒の魔法弾を受け止めた。 だが、枢機卿の放つ魔法はあまりに重い。
「ぐぅぅ……ッ!」
数撃を防いだ瞬間、これまで俺を守り続けてきた盾が悲鳴を上げるように軋み――次の瞬間、パリーンという音と共に、粉々に砕け散った。 頼みの綱である女神謹製の鎧でさえ、枢機卿の放つ底知れぬ闇の冷気までは完全に遮断できず、冷たさが骨の髄まで侵食してくる。
「くそっ……!」
俺は、残った白銀の剣を両手で握り直し、必死に闇の奔流を弾き続ける。国王陛下より賜った、王家伝来の退魔の剣。その刀身は闇を弾き、俺を守ってくれているが、その魔力はあまりにも強大だった。一撃、また一撃と防ぐたびに、剣を持つ腕が痺れ、内臓が揺さぶられ、呼吸が、乱れていく。
防戦一方。ジリ貧。消耗戦。 このままでは、俺も、そして死闘を繰り広げる仲間たちも、いずれは力尽きてしまう。
その、残酷なまでに明確な事実を、誰よりも、何よりも深く理解していたのは、俺の背後で静かに戦況を見つめていた、ソフィアだった。 彼女は、俺の背中の後ろで、静かに、しかし、固く、ひとつの覚悟を決めていた。
彼女の脳裏に、これまでの旅の日々が、まるで走馬灯のように、鮮やかに駆け巡る。 初めて、俺と出会った、あの光溢れる神聖な空間。 「貴方と一緒に旅がしたい」と、何のてらいもなく、馬鹿正直に叫んだ、彼の真っ直ぐな顔。 共に笑い、共に悩み、共に食事をし、そして、共に戦ってきた、あまりにも短いけれど、あまりにも色鮮やかで、かけがえのない時間。 そして、いつの間にか、自分の心の中に確かに芽生えていた、温かくて、少し切なくて、どうしようもなく、愛おしい、この感情。
(……ユウキ。貴方と出会えて、私は、本当に、幸せでした。女神としてではなく、ただのソフィアとして過ごしたこの時間は、私の永遠の宝物です)
彼女は、背後から、俺に静かに告げた。その声は、不思議なほど穏やかで、澄み切っていた。
「ユウキ。……ここまでです。本当に、よく戦ってくれました。貴方は、私の誇りです」
その言葉には、万感の想いと、慈しみが込められていた。
「貴方だけは、逃げなさい。大切な仲間たちと共に、未来へ」
彼女は、自らの命と、その身に宿す神気のすべて、そして魂のすべてを贄とすることで、俺たちをこの絶望的な戦場から、強制的に安全な場所へと転移させようとしていた。 自分一人が、この世界から消えることで、愛する人と、その大切な仲間たちの、未来を、守るために。 それが、秩序の女神ソフィアが、自らの存在意義のすべてを懸けて下した、最後の、そして最大の自己犠牲の決断だった。
◇
だが。 その、女神のあまりにも悲壮な覚悟を、一人の、ただの人間が、魂からの咆哮、その一喝の元に、打ち砕いた。
「――ふざけるなッ!!!!」
それは、俺の、魂の奥底からの叫びだった。洞窟全体がビリビリと震え、激しく打ち合っていた仲間たちも、敵の幹部たちも、そして枢機卿さえもが、一瞬、動きを止めてこちらを向くほどの、絶叫だった。
俺は、枢機卿への警戒も忘れて振り返り、ソフィアの、その驚くほどに細い肩を、強く、しかし決して傷つけないように、掴んだ。
「俺が! 俺がなんで、こんな訳の分からない異世界に来たと思ってるんだ! どんなチート能力よりも、どんなお宝よりも、あんたと、あんたと一緒にいたいって、そう、願ったからだろうが!」
俺の瞳から、熱いものが、堰を切ったようにこぼれ落ちる。もう、格好つけてなどいられなかった。
「あんたを、一人ぼっちにして、俺だけが仲間と逃げるくらいなら! 俺は、ここで、あんたと一緒に、戦って死んだ方が、一億倍、マシだ!」
もう、守られるだけのか弱い存在ではない。 ただ、女神の祝福に、一方的に頼るだけの、しがない一般人ではない。 俺は、彼女と、「共に在る」ことを、今この場で、改めて選ぶ。守られる者と守る者ではなく、対等な、パートナーとして。
「俺は、弱い! チートなんて、便利なもんは持ってない! みんなみたいに特別な才能もない! でもな、ソフィア! あんたが、俺の隣にいてくれるだけで、俺は、最強になれるって、心の底から、本気で、信じてるんだ!」
俺は、彼女の、驚きと涙で濡れた美しい瞳を、真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥に、俺の覚悟が、想いが、すべて伝わるように、願いを込めて。
「だから、ソフィア! 俺に、あんたの力を、全部、貸してくれ! 中途半端な加護じゃない! あんたの、持てる力のすべてをだ! 俺が、あんたの剣になる! あんたの、翼になる! だから!」
俺の、不器用で、めちゃくちゃで、しかし、そこには一片の嘘偽りもない、魂の叫び。
その言葉は、ソフィアが己に課した、自己犠牲という名の、悲しい覚悟を、粉々に打ち砕いた。 彼女の、女神としての、最後の、理性の壁を、跡形もなく溶かしていった。
涙が、彼女の透き通るような瞳から、とめどなく、とめどなく溢れ出す。 だが、その唇には、俺が、これまで見た中で、一番、美しくて、一番、愛おしい、最高の笑みが、花が咲くように、ゆっくりと浮かんでいた。
「…………はい、ユウキ」
彼女は、夜明けの光そのもののような、世界中のどんな宝石よりも輝いて見える最高の笑顔で、はっきりと、頷いた。
「私のすべてを、貴方に、捧げます。私の、愛する、たった一人の、私の勇者様」
その言葉が、最後のスイッチとなった。 俺とソフィアの心が、魂が、完全に、一つになった。 彼女は、女神としての、すべての権能を、一切の制限なく、俺という存在に、惜しみなく注ぎ込み始めた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
俺の全身から、これまでの比ではない、純金の、あまりにも神々しいオーラが、後光のように迸った。手にした白銀の剣が、まるでその光を待ち望んでいたかのように強く共鳴する。王家に伝わる退魔の剣は、女神の力という最高の主を得て、ついにその真の姿を現したのだ。刀身が黄金の粒子をまとい、眩いばかりの光を、力強く放ち始める。 洞窟全体が、その、圧倒的なまでの神気に満たされ、震えていた。禍々しい気配が浄化され、岩肌が聖なる輝きを帯びていく。
「な、なんだ、この力は……!? 馬鹿な!」
枢機卿が、その凄まじいエネルギーの高まりに、初めて、狼狽の表情を浮かべた。彼の余裕に満ちた顔から、血の気が引いていくのが見て取れた。
「馬鹿な! 女神が、ただの人間に、これほどの力を、これほど直接的に与えるなど……! ありえん! あってはならんことだ! それは、世界の理に反する!」
俺は、黄金の輝きを放ち、今や名実ともに「聖剣」へと昇華したその剣を、ゆっくりと、しかし力強く、構え直した。 体中に、無限の力が、みなぎってくる。先程までの疲労や痛みは、嘘のように消え去っていた。 もう、怖くはなかった。勝てる、と確信できた。
俺は、絶望の淵で戦う仲間たちと、そして、俺の隣で、そのすべてを信じ、微笑んでくれている、愛する女神に向かって、叫んだ。
「さあ、始めようぜ、枢機卿の旦那!」
俺は、反撃の、第一歩を、力強く踏み出した。
「――第二ラウンドだ」
絶望の闇を、切り裂く、希望の光。 俺たちの、本当の戦いは、今、ここから、始まる。
48
あなたにおすすめの小説
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
疎遠だった叔父の遺産が500億円分のビットコインだった件。使い道がないので、隣の部屋の塩対応な美少女に赤スパ投げまくってる件
月下花音
恋愛
貧乏大学生の成瀬翔は、疎遠だった叔父から500億円相当のビットコインが入ったUSBメモリを相続する。使い道に困った彼が目をつけたのは、ボロアパートの薄い壁の向こうから聞こえる「声」だった。隣人は、大学で「氷の令嬢」と呼ばれる塩対応な美少女・如月玲奈。しかしその正体は、同接15人の極貧底辺VTuber「ルナ・ナイトメア」だったのだ!
『今月ももやし生活だよぉ……ひもじい……』
壁越しに聞こえる悲痛な叫び。翔は決意する。この500億で、彼女を最強の配信者に育て上げようと。謎の大富豪アカウント『Apollo(アポロ)』として、5万円の赤スパを投げ、高級機材を即配し、彼女の生活を神の視点で「最適化」していく。しかし彼はまだ知らなかった。「金で買えるのは生活水準だけで、孤独は埋められない」ということに。500億を持った「見えない神様」が、神の座を捨てて、地上の女の子の手を握るまでの救済ラブコメディ。
詠唱? それ、気合を入れるためのおまじないですよね? ~勘違い貴族の規格外魔法譚~
Gaku
ファンタジー
「次の人生は、自由に走り回れる丈夫な体が欲しい」
病室で短い生涯を終えた僕、ガクの切実な願いは、神様のちょっとした(?)サービスで、とんでもなく盛大な形で叶えられた。
気がつけば、そこは剣と魔法が息づく異世界。貴族の三男として、念願の健康な体と、ついでに規格外の魔力を手に入れていた!
これでようやく、平和で自堕落なスローライフが送れる――はずだった。
だが、僕には一つ、致命的な欠点があった。それは、この世界の魔法に関する常識が、綺麗さっぱりゼロだったこと。
皆が必死に唱える「詠唱」を、僕は「気合を入れるためのおまじない」だと勘違い。僕の魔法理論は、いつだって「体内のエネルギーを、ぐわーっと集めて、どーん!」。
その結果、
うっかり放った火の玉で、屋敷の壁に風穴を開けてしまう。
慌てて土魔法で修復すれば、なぜか元の壁より遥かに豪華絢爛な『匠の壁』が爆誕し、屋敷の新たな観光名所に。
「友達が欲しいな」と軽い気持ちで召喚魔法を使えば、天変地異の末に伝説の魔獣フェンリル(ただし、手のひらサイズの超絶可愛い子犬)を呼び出してしまう始末。
僕はただ、健康な体でのんびり暮らしたいだけなのに!
行く先々で無自覚に「やりすぎ」てしまい、気づけば周囲からは「無詠唱の暴君」「歩く災害」など、実に不名誉なあだ名で呼ばれるようになっていた……。
そんな僕が、ついに魔法学園へ入学!
当然のように入学試験では的を“消滅”させて試験官を絶句させ、「関わってはいけないヤバい奴」として輝かしい孤立生活をスタート!
しかし、そんな規格外な僕に興味を持つ、二人の変わり者が現れた。
魔法の真理を探求する理論オタクの「レオ」と、強者との戦いを求める猪突猛進な武闘派女子の「アンナ」。
この二人との出会いが、モノクロだった僕の世界を、一気に鮮やかな色に変えていく――!
勘違いと無自覚チートで、知らず知らずのうちに世界を震撼させる!
腹筋崩壊のドタバタコメディを軸に、個性的な仲間たちとの友情、そして、世界の謎に迫る大冒険が、今、始まる!
「働きたくない…」と本気で祈ったら怠惰の神が降臨。【フルオート】で身の回りを快適にしていたら、インフラを整備した救国の英雄になっていた
夏見ナイ
ファンタジー
過労死した俺が転生して誓ったのは、ただ一つ。「今世こそは絶対に働かない!」
その強すぎる祈りは怠惰の神に通じ、万能スキル【全自動化(フルオート)】を授かった。これで完璧な引きこもり生活ができる!…はずだった。
水汲みが面倒で井戸を掘れば水不足が解決し、買い物が面倒で街道を整備すれば国の物流が激変。俺はただ楽をしたいだけなのに、なぜか周囲は俺を「深謀遠慮の聖人」と勘違いしていく。真面目な王女騎士や天才エルフ魔術師にまで崇められて、もう逃げ場がない!
本人の意思とは裏腹に、怠惰を極めるほど国が豊かになり、ついには救国の英雄に祭り上げられていく男の、勘違いスローライフ(?)ファンタジー、ここに開幕!
痩せる為に不人気のゴブリン狩りを始めたら人生が変わりすぎた件~痩せたらお金もハーレムも色々手に入りました~
ぐうのすけ
ファンタジー
主人公(太田太志)は高校デビューと同時に体重130キロに到達した。
食事制限とハザマ(ダンジョン)ダイエットを勧めれるが、太志は食事制限を後回しにし、ハザマダイエットを開始する。
最初は甘えていた大志だったが、人とのかかわりによって徐々に考えや行動を変えていく。
それによりスキルや人間関係が変化していき、ヒロインとの関係も変わっていくのだった。
※最初は成長メインで描かれますが、徐々にヒロインの展開が多めになっていく……予定です。
カクヨムで先行投稿中!
最強無敗の少年は影を従え全てを制す
ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。
産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。
カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。
しかし彼の力は生まれながらにして最強。
そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
転生先は上位貴族で土属性のスキルを手に入れ雑魚扱いだったものの職業は最強だった英雄異世界転生譚
熊虎屋
ファンタジー
現世で一度死んでしまったバスケットボール最強中学生の主人公「神崎 凪」は異世界転生をして上位貴族となったが魔法が土属性というハズレ属性に。
しかし職業は最強!?
自分なりの生活を楽しもうとするがいつの間にか世界の英雄に!?
ハズレ属性と最強の職業で英雄となった異世界転生譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる