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6.君の手を取り、紡ぐ言葉は
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葉山綾が、佐倉遥希を初めて見たのは高校の入学式であった。それでもクラスメイトというだけで、特に親しくなることもなく日々は過ぎていく。それから高校生になって初めての中間テストを迎えて、答案を見た親が戦慄した翌日。綾は佐倉が成績優秀であることをはじめて知った。
頭部に沿って流れる黒髪。決して高くはないけれど、低くもない身長。いつも本を読んでいて、おとなしいクラスメイト。たしかにいかにも勉強ができそうな雰囲気だ。世間一般が思い浮かべる男子高校生、というのが綾が佐倉に抱いた印象だった。そんな彼の友人が、女をとっかえひっかえしているという噂のある男なのは意外ではあったが。
ある日の放課後。帰り際、佐倉が昇降口で箒を持って床を掃いていた。今日の掃除当番は佐倉なのか、と労いの言葉もそこそこにすれ違う。しかし、翌日になると彼は教室を掃除していた。掃除当番は一週間ごとにローテーションしており、日ごとに場所が変わったりはしないはずなのだが。
今週の当番表を見てみれば、どの掃除場所にも佐倉の名前はない。となると、彼は誰かの当番を肩代わりしていることになる。それも二日連続で。それは翌日も同じだった。
「あの、佐倉さ」
「なに?」
今日も今日とて箒を持っている佐倉に声をかけた。まとめた埃たちをちりとりに移している途中。丸い頭がゆっくり動いて、綾を見上げる。そういえば、佐倉はメガネをかけていないのだなと思った。頭がいい人間とはメガネをかけているものだと思い込んでいた。
「いつも掃除当番代わってない?」
「……そうかも」
ちりとりから離した左手で指折り何かを数えている。どうやら、ここ最近で代わった回数を数えているらしい。その指は折り返してからすぐ止まった。
「俺、言っておこうか?」
「なにを?」
きょとんとした顔をされて、言葉に詰まってしまった。押し付けられているとは思っていないのだろうか。この場合、気づかせないままの方がいいのか。しかし、掃除を他者にさせるというのは明らかに間違っているのだから、そちらは指摘すべきだろう。
「掃除ぐらい自分でやれって思わないの?」
「あぁ。まぁ思わなくもないけど、どうせ暇だから。暇な人間がやった方が綺麗になるかなって」
カルチャーショック。という言葉は知らなかったが、まさに目から鱗がいくつもこぼれ落ちるほどの衝撃だった。当番だから掃除するのではなく、掃除をする当番なのだと捉えている学生を初めて見たからだ。
「教室は綺麗になって、俺は暇が潰せて、他の人はやりたいことができるって考えたら、それなりに合理的じゃない?」
「そう、なのかな」
ウィンウィンだと言いたげだが、どうにも佐倉だけマイナスな気もする。自己犠牲とまでは言わないけれど。本人が気にしていないならそれでいいのだろうか。
話しかけた手前、そのまま帰るのも忍びなくてゴミ捨てを引き受ける。恐縮する佐倉に、暇だから、と言ってやればまたきょとんとしたあと小さく笑って頷いた。ありがとう、という言葉を添えられたゴミ袋を譲り受けて教室を出る。
――面白い男すぎる。
緩みそうな口元を抑えるのが大変だった。
それからすぐのことだ。ファストフード店で友人たちと駄弁った帰り道、よぼよぼと不安な足取りで老婆が横断歩道を渡っている。歩けていないわけでも、助けを求めているわけでもない。それでもその場を去るのは見捨てることになる気がして、動けないでいた。
声をかけるわけでもなく。ただ見つめるだけ。そんな時だった。
「大丈夫ですか」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ」
向こう岸の歩道。渡る予定もなかっただろう少年が躊躇いもなく駆け寄って、手を差し伸べる。佐倉だった。老婆の片手を塞いでいた買い物袋を受け取って、止まっている車に会釈しながら歩き出す。
綾は見ているだけだった。助けない理由を探して傍観していただけだろう、と突きつけられた気がする。この前の放課後、心のどこかで掃除をする佐倉に対して内申点を稼いでいるんじゃないか、なんて邪推していた自分を少し恥じた。
彼は誰にアピールするでもない。ただ見て見ぬふりをせずに人助けをしているだけなのだ。横断歩道を渡る老人を素通りしたって、咎められるようなことではない。それでも彼は駆け寄った。
綾にとって優しさとは武器であり、道具だと思っていた。
物心ついたころから、女子たちは自分を取り合って喧嘩していた。近所の人々からも可愛いとチヤホヤされ、時が経てばかっこいいと評されれば流石に自分のことについては自覚せざるを得ない。それからそれは同性との友好関係には時に邪魔になることも早々に学んだ。
いつでも笑顔で応対して、友人の頼みは断らない。それが綾にとっての処世術だった。私には敵意がないので攻撃しないでくださいというサインでしかない。餌のために飼い主に媚び諂う犬のようだと思うこともあったが、皆そんなものだろうと自分を納得させていた。
綾が誰にでも優しいから彼女になる人は不安だろうね、とは幼馴染である平井美佳の言葉だ。
中学入学以来、お試しでいいから付き合ってくれと押し切られることが増えた。しかしその全てが短期間に破局した。いつも綾がフラれる側。その度に平井はそう言って笑う。そのころからだったように思う。綾と平井は両思いであるという噂が囁かれるようになったのは。
それは高校に入っても変わらず、決して問いただされはしないが常に周囲に纏わりついている。
頭部に沿って流れる黒髪。決して高くはないけれど、低くもない身長。いつも本を読んでいて、おとなしいクラスメイト。たしかにいかにも勉強ができそうな雰囲気だ。世間一般が思い浮かべる男子高校生、というのが綾が佐倉に抱いた印象だった。そんな彼の友人が、女をとっかえひっかえしているという噂のある男なのは意外ではあったが。
ある日の放課後。帰り際、佐倉が昇降口で箒を持って床を掃いていた。今日の掃除当番は佐倉なのか、と労いの言葉もそこそこにすれ違う。しかし、翌日になると彼は教室を掃除していた。掃除当番は一週間ごとにローテーションしており、日ごとに場所が変わったりはしないはずなのだが。
今週の当番表を見てみれば、どの掃除場所にも佐倉の名前はない。となると、彼は誰かの当番を肩代わりしていることになる。それも二日連続で。それは翌日も同じだった。
「あの、佐倉さ」
「なに?」
今日も今日とて箒を持っている佐倉に声をかけた。まとめた埃たちをちりとりに移している途中。丸い頭がゆっくり動いて、綾を見上げる。そういえば、佐倉はメガネをかけていないのだなと思った。頭がいい人間とはメガネをかけているものだと思い込んでいた。
「いつも掃除当番代わってない?」
「……そうかも」
ちりとりから離した左手で指折り何かを数えている。どうやら、ここ最近で代わった回数を数えているらしい。その指は折り返してからすぐ止まった。
「俺、言っておこうか?」
「なにを?」
きょとんとした顔をされて、言葉に詰まってしまった。押し付けられているとは思っていないのだろうか。この場合、気づかせないままの方がいいのか。しかし、掃除を他者にさせるというのは明らかに間違っているのだから、そちらは指摘すべきだろう。
「掃除ぐらい自分でやれって思わないの?」
「あぁ。まぁ思わなくもないけど、どうせ暇だから。暇な人間がやった方が綺麗になるかなって」
カルチャーショック。という言葉は知らなかったが、まさに目から鱗がいくつもこぼれ落ちるほどの衝撃だった。当番だから掃除するのではなく、掃除をする当番なのだと捉えている学生を初めて見たからだ。
「教室は綺麗になって、俺は暇が潰せて、他の人はやりたいことができるって考えたら、それなりに合理的じゃない?」
「そう、なのかな」
ウィンウィンだと言いたげだが、どうにも佐倉だけマイナスな気もする。自己犠牲とまでは言わないけれど。本人が気にしていないならそれでいいのだろうか。
話しかけた手前、そのまま帰るのも忍びなくてゴミ捨てを引き受ける。恐縮する佐倉に、暇だから、と言ってやればまたきょとんとしたあと小さく笑って頷いた。ありがとう、という言葉を添えられたゴミ袋を譲り受けて教室を出る。
――面白い男すぎる。
緩みそうな口元を抑えるのが大変だった。
それからすぐのことだ。ファストフード店で友人たちと駄弁った帰り道、よぼよぼと不安な足取りで老婆が横断歩道を渡っている。歩けていないわけでも、助けを求めているわけでもない。それでもその場を去るのは見捨てることになる気がして、動けないでいた。
声をかけるわけでもなく。ただ見つめるだけ。そんな時だった。
「大丈夫ですか」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ」
向こう岸の歩道。渡る予定もなかっただろう少年が躊躇いもなく駆け寄って、手を差し伸べる。佐倉だった。老婆の片手を塞いでいた買い物袋を受け取って、止まっている車に会釈しながら歩き出す。
綾は見ているだけだった。助けない理由を探して傍観していただけだろう、と突きつけられた気がする。この前の放課後、心のどこかで掃除をする佐倉に対して内申点を稼いでいるんじゃないか、なんて邪推していた自分を少し恥じた。
彼は誰にアピールするでもない。ただ見て見ぬふりをせずに人助けをしているだけなのだ。横断歩道を渡る老人を素通りしたって、咎められるようなことではない。それでも彼は駆け寄った。
綾にとって優しさとは武器であり、道具だと思っていた。
物心ついたころから、女子たちは自分を取り合って喧嘩していた。近所の人々からも可愛いとチヤホヤされ、時が経てばかっこいいと評されれば流石に自分のことについては自覚せざるを得ない。それからそれは同性との友好関係には時に邪魔になることも早々に学んだ。
いつでも笑顔で応対して、友人の頼みは断らない。それが綾にとっての処世術だった。私には敵意がないので攻撃しないでくださいというサインでしかない。餌のために飼い主に媚び諂う犬のようだと思うこともあったが、皆そんなものだろうと自分を納得させていた。
綾が誰にでも優しいから彼女になる人は不安だろうね、とは幼馴染である平井美佳の言葉だ。
中学入学以来、お試しでいいから付き合ってくれと押し切られることが増えた。しかしその全てが短期間に破局した。いつも綾がフラれる側。その度に平井はそう言って笑う。そのころからだったように思う。綾と平井は両思いであるという噂が囁かれるようになったのは。
それは高校に入っても変わらず、決して問いただされはしないが常に周囲に纏わりついている。
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