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イリベロトスドルイワ4
しおりを挟む知らない、ということは、自覚なく残酷になれるという事だということを光太に教えてくれたのも先生という存在だった。
光太は先生に特別悪い印象など持っていなかったし、むしろ好きだった。
傷つけたいと思った事なんてなかったし、むしろ喜んで欲しいという気持ちの方が強い。
けれど、知らないままに距離を詰めていくという行動は時に鋭利な刃物になる。
まだ、幼く。
まだ、経験がなく。
幸せという中で、不幸というものをあまり味わってきていない光太という少年は、その質問が時に大きな爆弾たりえることなんて想像もできなかった。
光太自身実際は空手ではないような気がしてきた習い事を終え、2人して並んでゲームをしていた。
趣味は特にないといった先生に対して、子供ながらに色々進めたものの1つ。
他にも漫画などを押し付けたりもしている。
「せんせーって結婚しないの?」
それは、何気ない質問だったのだ。
多くのものにとって、たとえ癇に障ったとしてもある程度はスルー出来るだろう程度の話題だったはずなのだ。
す、といきなり冷たい空気が隙間から入り込んできたような寒気に、思わず顔を上げた。
強力プレイしてモンスターを倒すタイプのゲーム。
顔を上げて先制を見た光太のキャラクターと、ゲーム画面を見たまま動かない先生のキャラクターがモンスターに吹き飛ばされた。
「……先生?」
いつもの嫌な雰囲気さえ感じられない、凍り付いたものだった。
からっぽのようでいて、その中の空気は酷く寒くて粘ついている。
そんなよくわからない空想が浮かぶような、そんな。
「いや、すまんな。なんでもない。結婚な、先生は一応結婚してたぞ」
それも数秒の話で、霧散する。
光太を見た顔は――いつも通りの苦笑するような顔であった。
酷く違和感を覚える。
あまりの落差に、いつもの顔は、いつもの顔だと思っていたものが粘土細工のような偽物のように思えてしまったのだ。
「へぇ……そうなんだ」
触れてほしくない場所に自分が触れたのだ。
触れる前に気付くことはできなくとも、触れた後に気付くことはできる程度には光太は勘が働く。
気分は『やってしまった』だ。
同じ年頃の友人と勢いで喧嘩した時よりも、どこか罪悪感が強く働いてしまう。
強い強い後悔の気持ち。
(だって、怒りもしないんだ)
先生という人物は、子供に優しい。
知り合いならば、それは更にだ。
習いたいとゆすればできる範囲で教えられるように整えるし、興味がなかったことでも付き合ってしまえる程度には、甘い。
触れてほしくない傷跡を晒されて、それで触れた子供に怒るような人ではなかった。
それが、逆に光太に素直な罪悪感を抱かせたのだ。
それが良い事なのかどうかは置いても、怒ってくれれば、こちらも逆切れ的に興奮して、罪悪感も薄くすることができたかもしれない。
確かに、質問の内容としては別に怒られるような事ではない。
だから、そうしなかった。それだけの話かもしれない。
(でも、嫌ならそう言ってほしかった。怒ってほしかった)
子供だ。
光太はまだ少年である。
どこか、嘘をつかれたような気分にもなったのだ。
それは、罪悪感を強くしないための言い訳めいてはいたけれど、それもまた事実。
「子供とかは?」
だから、傷にふれているとわかっていたのにそう続けてしまったのは、子供めいた感情に従ってしまったものだ。
ぎしぎしと何かがきしんでいる錯覚を受ける。
色々なものを、先生という大人が抑えている。
それを、光太は感じ取っている。いや、感じ取れないのがおかしいくらいに、空気がまるで歪むような、光太には理解できない、しかし光のように温かいものではないものが漏れ出てしまっていることがわかる。
とても。
とても嫌な気分だった。
そんなつもりはなかった、という言葉が身勝手にも思い浮かんでしまうほどの。
怒ってほしかった。
答えるのが嫌だから答えないと不機嫌になってほしかった。
我慢しないで、感情というものをぶつけてほしかったのだ。
光太にとって先生という存在が大人でも友達だったから。
まるで、ただの子供と大人であるような関係が見えてしまったようでそれが嫌だったのだ。
「子供はな、1人いた」
光太の短い人生において、これほど後悔という感情が襲ってきた瞬間はなかった。
悪戯して怒られたときなんて、それこそ比べ物にならない。
いじわるして妹を泣かした時だって、ここまで強くどうしようない気持ちに包まれたことはなかった。
いただ。
いるではない。
今の雰囲気と重ねれば、もう馬鹿でもわかる答えだ。
もういないのだ。
手が届くところに、もういないのだ。
だから、触れてほしくなかったのだと気付くことは容易だった。
「……ごめんなさい」
「いや、謝ることはない。それは、ありふれた質問だからな」
すぐに謝ることができないほどに張れる意地を光太が持ってないことは幸いであったろう。
結婚も、していた。
この答えだって、重ねれば不穏。
別れたにしても、綺麗にというわけにはいっていないだろう。
そういう想像をさせてしまう。
子供。
子供がなくなっている。
子供に殊更優しいのは。
父親めいた目を光太やその友人や妹に向けてくるのは。
特に、光太や友人に強くその目を向けていることから、子供の性別もわかるような気がした。
白髪が多いが顔も性格も悪くないのに女っけがないのは。
遊びに連れて行ってもらった時に、近寄ってくるような女を一律じゃけんにしていたのは。
母親という存在に、どこか苦手な雰囲気に似た何かを醸し出していたのは。
パズルのピースのように、断片的なものを光太は回想する。
先生について、これだけで色々なことが分かった気がしていた。それが逆に不謹慎に思えてしまって後悔の念はさらに増す。
(そんなつもりはなかった)
なんとうすら寒い言葉だろうと思う。
吐いた言葉は、戻ってくれないというのに。
その言葉を、相手に吐かないだけの自制心を持っていたことだけは、自分を褒めたい気持ちだった。
そして、光太はこれはうぬぼれでなければ他人よりは近しい自分だったからこそ抉ることになったのだとなんとなく思う。
きっと、これが気をはるというか、日常を過ごす上でされた質問なら、先生という存在はおどけて返すことさえできたかもしれないと。実際はわからないが、光太という人間にとって、先生というのは強い大人を象徴するものだったから。
保てないほどに、気を緩めてしまうほどに、近くなれていたことが嬉しくて、悔しかった。
「嫁も、子供も……まぁ……死んじまってな」
「いいよ! ……言わなくて。ごめん」
遮るように叫んだ。
続けて、説明をしてくれようというのか続けられた言葉が辛かった。
血反吐を吐き出しているように感じられたのだ。
なにより、漏れ出る雰囲気が怖いより、傷口を広げているように感じるその行為が嫌だった。
それが、古傷でないことがわかるのだ。
まだ、乾きもせずに血を流している傷だということがわかってしまう。きっとそうだと、どこか確信できるのだ。
それくらいには、年齢が離れていても友達になれていたと思っているから。
「そうか」
「そうだよ。ガキだった。わかりやすい雰囲気出してたんだから、やめるべきだったんだ。ごめん」
「いや……気持ちってのは、結局言わなければわからんからな。俺が悪いのさ。大人だしな」
「そういう時に大人ぶんなよ……なんか、なおさら落ち込んでくる」
「はは、悪ガキには似合わんな」
「今日はそのそしりを受け入れようではないか……」
「時折でてくるお前のそのキャラなんなんだ……?」
知識としてなんとなくは知っていたが、自分が大丈夫だろうが、それが多くのものにとって何ら問題ない事であろうが、安易に触れるべきでないことがあることを身をもって理解するはめになった。
友達をわざわざ傷つけるなんてありえない、と思っていた光太が、実は今までだってそうだったかもしれないと不安に思ってしまうほど強く。
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