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鬼の首31
しおりを挟む目を開ければ虫がいた。
虫。
虫。虫。虫。
虫。虫。虫。虫。虫。虫。
虫だらけの世界。
虫だらけの視界。
半透明じみた、あるいはそうでない。色とりどりの、醜く綺麗な虫の群れ。
視界を埋め尽くす虫の群れ。
浅井祥子にとってそれは生まれてこのかた当然の景色。
浅井祥子という人間は色とりどりの虫と共にあった人生だ。
視界は虫があふれているもので、全てのものはその虫にたかられている存在。
他人はそれが見えていないのだと知るのは、案外早く。
その景色は、一体どういうものなのだろうかと、そんなことすら想像もできず。
――きっと、きっと、見えているから自分は虫がよってくるのだと思い始めて――思い始めたからなのか、実際そうなった。
ぞりぞりと、ざわざわと、ぶんぶんと、地面空中中から外から全てから。
虫はよってくる。
汚い虫は、人を不幸にする。
特に、浅井はそれが嫌いで嫌いで仕方なく、どうしようもなく目をそらせなかった。
虫はそれを把握しているように、よってくるのだ。
自身に――そして、周りに。
綺麗な虫がいっぱいの人間だって、汚い虫に食われてしまう。
嘲笑う虫が近くによれば、綺麗な虫がいくらいても突然ダメになってしまったりもする。
浅井には――見ることはできたって、触ることができない。
それでも、触ることができず、他人にとっては見ることすらできない幻覚でも。
それが浅井にとっての現実であることは変わらない。幻覚だとて、そう認めたとして、見える景色が変わらないなら浅井にのってそれは何の意味もないだろう。
浅井は自分にとっての真実を、母にだけは伝えた。
母は親身になって、信じてくれて。
まさに子供の味方である親というものはかくあれかしといわんばかり。
しかし――父はそういう虫だらけなのだ、と伝えてからすべてがおかしくなったのだ。
もし、親ですらないような生き物だったなら、こうはならなかったのだろうか。
そうして、誰にも言わなくなった。
虫が見えることは、浅井にとって最大の秘密で禁忌になったのだ。
一緒にいる、一番初めの友達にだって言えやしない。
それが不幸の始まり、立ち向かえない浅井祥子という始まり。
虫は、浅井をじわじわと弄るようだった。
致命的に拙い虫はよってこない。あっさり終わるほどの恐ろしい虫だけは、なぜかよってこないのだ。
嘲笑うのが好きなような虫や汚くする虫がよってきては自身や近くのものに張り付く。
特に、汚い虫は張り付かれた人がそれに同調してしまうとその人の一部を食って、もぐりこんで、その人の一部になってしまう。
一部となれば、元通りになるのは難しいのだ。だってそれはもうまとわりつかれているだけでなく一部なのだから。
一部なら、おかしいと他人が思う事でもおかしいとは思えなくなる。
そうやって、どんどんとおかしくなっていくことを、戻りはしないことを、己の母で知っている。知ってしまっている。
虫のせいでそうなったのだ。
そういって、何もできなかった。
もともと汚い虫だらけだった父は、擬態する虫を飼い始めて。表向きだけでもまともに見えるようになって、気持ちが悪かった。
しかし、それを見て母の虫はおかしく騒ぎ出したのだ。
一度そうなって、同調してしまえばダメなのだ。
だめになるのだ。
結局、その通りに全て駄目になったのだ。
浅井自身は何もしていない。
何もしていない。
何もしていないが、何かしてしまったような気分になった。
そんなことはないはずなのに、全部自分が悪いような気持ちになった。
『そんなことないよね』と、過程を全部すっ飛ばして友達に言えば、首をかしげるも『そんなことないよ』といってくれた。それだけが、小さな浅井祥子にとって小さな逃避であり、小さいながら救いであった。救われきれは決してしないけれど、縋りつくことまではできないけれど、虫にすぐに食われつくされてしまいそうな弱弱しい少年は、確かに浅井にとって重要な人間ではあったのだ。
助けてはくれないけれど、助ける力なんてないけれど。
罰だと思った。
嫌なことばかりが起こって、今自分がこんな目にあっていることを、なにのそれだかしれないが、それでも罰だと思った。
汚い虫が視界を覆っている。
中途半端に、どいつもこいつも。
汚い虫が視界を走っている。ずっとずっと。
近くにいる友達は、やはり自分を助ける力がなかった。
それはそうだ。
落胆なんて、きっとしなかった。
誰だって、こんな汚いばかりのものから救い出す力なんてもっていない。そう思うのだ。
無理なのだ。
『仕方がないよ』と笑った後、どんな表情をその友達がしていたのかは――虫にまみれて見えなかった。
罰だから、仕方ないのだ。
――そう、思っていた。
ある日、転校生が来た。
(ああ、私と同じだ)
間違えようもなく、それは一目でわかった。
ちりちりとした。
心が、ざわついた。
それでも関係ないと思ったのは、期待の裏返しだったのかもしれない。
光。
浅井には、何故だか光っているように思えた。容姿も、汚い虫がいない可愛らしい子だといえるが、それだけではない。ぼんやりと、優しく光っているように思えたのだ。
光は虫を引き付ける。
当たり前のように、それに群がる。
その考えが間違いでないと示すように、汚い虫共は寄ってたかろうとしている。無反応なところから、同じかもしれないが、少なくとも虫共は見えてはいないと確信した。
(私と同じなのに。私とは違う)
それにどうしてか、浅井は複雑な感情を抱いた。
一本の直線でない、ぐねぐねと曲がりくねったような感情を抱いた。
もしかするとそれは、今までで一番の激情といえるものだったのかもしれない。
きしり、とどこかで虫が鳴いたような気がした。
強く光る人を見た。
(だから、きっと、私は虫のように――)
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