4 / 13
4.提案
しおりを挟む
「はい、おしまい。これでひとまずは大丈夫なはずよ」
一番大きな脚の傷に、清潔な布で包帯を巻き終わると、カタリーナはふぅと短く息を吐いて立ち上がった。
庭に自生していた薬草をすり潰し、止血と消毒を施しただけだが、男は感心したように眺めていた。
「手慣れているな」
「まあね」
(実家にいた時から自分の手当ては自分でやってたもの)
怪我をしても誰にも頼れなかったカタリーナにとって、自分の傷を自分で治す技術は生き延びるために必須のスキルだった。
「助かった。礼を言う」
男は立ち上がろうとするが、傷口が疼くのか、わずかに眉を寄せていた。
それでも重い腰を上げてそのまま玄関の扉へと向かおうとする。その背中には、どこか「自分のような者が長く留まってはいけない」という頑なな決意のようなものが滲んでいる。
カタリーナは思わず、彼のたくましい腕を掴んでいた。
「待って。もう帰る気? まだ脚も痛むんでしょう? ごはんがまだなら、食べていきなさいよ」
「は? お前、正気か?」
男は信じられないものを見るような目でカタリーナを振り返った。
「お前、自分がどれだけ危ういことをしているのか分かっているのか。俺が毒でも盛るような悪党だったらどうする」
「毒を盛る人は、そんなに丁寧なご説明しません。それに、怪我人を放り出したら寝覚めが悪いの。いいから座って」
カタリーナは半ば強引に彼を椅子に座らせると、竈の方へと向かった。
小さな土鍋の中には、朝作った野菜スープが残っている。そこに村人から分けてもらったチーズと硬いパンを添えれば、立派な夕食だ。
木製のボウルにスープを注ぐと、湯気とともにハーブと根菜の優しい香りが部屋中に広がった。
「はい、どうぞ。これしかないけれど」
料理をテーブルに差し出すが、男はそれを見つめたまま動こうとしない。
やがて、彼は絞り出すような声で言った。
「……これは、お前の分だろう」
「え?」
「この家のどこを見ても、食料が豊富にあるようには見えない。このスープだって、貴重な食料のはずだ」
彼の指摘は正しい。カタリーナの備蓄は決して多くない。
村の人から分けてもらった食材と、自分で育てたわずかな収穫。それを考えれば、見ず知らずの男に与える余裕など、本来はないはずだった。
(でも……この人は私よりお腹がすいているはずよ)
「そうね。じゃあ、こうしましょう」
カタリーナはもう一つの空のボウルを持ってくると、男の前に置かれたスープを迷うことなく半分に分けた。
「……何をしている」
「はんぶんこ。これがこの家のルールなの。今決めたんだけどね」
カタリーナは、半分になったスープとパンを自分の手元に引き寄せ、にっこりと微笑んだ。
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
カタリーナの言葉に男はしばらく絶句していた。
「どうしたの? 手当てのお礼、してくれないの?」
「……本当に、お前は」
男は低く呟くと、諦めたようにスプーンを手に取った。
男が一口、スープを口に運ぶ。それを見たカタリーナもスープに口をつけた。
野菜の甘みと、丁寧に処理されたハーブの香りが、口いっぱいに広がる。
「……旨い」
「そう? 良かった。裏の小さな畑で採れた野菜よ。不格好だけど味だけは良いでしょ」
カタリーナはふぅと幸せそうに息をつく。
ただのスープ。
けれど向かい合わせに座って食べる誰かがいるだけで、それは実家で見ていたご馳走よりも美味しいに違いないのだ。
「お前、一人で暮らしているのか?」
「そうよ。この家も畑も私が管理しているの。土をいじっていると嫌なことも忘れられるから、結構気に入っているわ」
カタリーナの言葉に、男は何かを言いかけて飲み込んだ。
食後の沈黙は、不思議と気まずいものではなかった。
「……世話になったな」
男が再び立ち上がったとき、その瞳からは最初の鋭い雰囲気が消えていた。
(帰ってほしくない)
カタリーナは急に寂しさを感じた。
誰かとゆっくりと過ごすなんて久しぶりだったからだろう。
「ねえ、今日はこの後雨が降るわ。だから……」
「……」
カタリーナの言葉に、男は小さくため息をついて再び席に着いた。
「本当に用心という言葉を知らないな。まったく……俺はギルだ。今夜は世話になる」
「……! 私はカタリーナよ。よろしく」
一番大きな脚の傷に、清潔な布で包帯を巻き終わると、カタリーナはふぅと短く息を吐いて立ち上がった。
庭に自生していた薬草をすり潰し、止血と消毒を施しただけだが、男は感心したように眺めていた。
「手慣れているな」
「まあね」
(実家にいた時から自分の手当ては自分でやってたもの)
怪我をしても誰にも頼れなかったカタリーナにとって、自分の傷を自分で治す技術は生き延びるために必須のスキルだった。
「助かった。礼を言う」
男は立ち上がろうとするが、傷口が疼くのか、わずかに眉を寄せていた。
それでも重い腰を上げてそのまま玄関の扉へと向かおうとする。その背中には、どこか「自分のような者が長く留まってはいけない」という頑なな決意のようなものが滲んでいる。
カタリーナは思わず、彼のたくましい腕を掴んでいた。
「待って。もう帰る気? まだ脚も痛むんでしょう? ごはんがまだなら、食べていきなさいよ」
「は? お前、正気か?」
男は信じられないものを見るような目でカタリーナを振り返った。
「お前、自分がどれだけ危ういことをしているのか分かっているのか。俺が毒でも盛るような悪党だったらどうする」
「毒を盛る人は、そんなに丁寧なご説明しません。それに、怪我人を放り出したら寝覚めが悪いの。いいから座って」
カタリーナは半ば強引に彼を椅子に座らせると、竈の方へと向かった。
小さな土鍋の中には、朝作った野菜スープが残っている。そこに村人から分けてもらったチーズと硬いパンを添えれば、立派な夕食だ。
木製のボウルにスープを注ぐと、湯気とともにハーブと根菜の優しい香りが部屋中に広がった。
「はい、どうぞ。これしかないけれど」
料理をテーブルに差し出すが、男はそれを見つめたまま動こうとしない。
やがて、彼は絞り出すような声で言った。
「……これは、お前の分だろう」
「え?」
「この家のどこを見ても、食料が豊富にあるようには見えない。このスープだって、貴重な食料のはずだ」
彼の指摘は正しい。カタリーナの備蓄は決して多くない。
村の人から分けてもらった食材と、自分で育てたわずかな収穫。それを考えれば、見ず知らずの男に与える余裕など、本来はないはずだった。
(でも……この人は私よりお腹がすいているはずよ)
「そうね。じゃあ、こうしましょう」
カタリーナはもう一つの空のボウルを持ってくると、男の前に置かれたスープを迷うことなく半分に分けた。
「……何をしている」
「はんぶんこ。これがこの家のルールなの。今決めたんだけどね」
カタリーナは、半分になったスープとパンを自分の手元に引き寄せ、にっこりと微笑んだ。
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
カタリーナの言葉に男はしばらく絶句していた。
「どうしたの? 手当てのお礼、してくれないの?」
「……本当に、お前は」
男は低く呟くと、諦めたようにスプーンを手に取った。
男が一口、スープを口に運ぶ。それを見たカタリーナもスープに口をつけた。
野菜の甘みと、丁寧に処理されたハーブの香りが、口いっぱいに広がる。
「……旨い」
「そう? 良かった。裏の小さな畑で採れた野菜よ。不格好だけど味だけは良いでしょ」
カタリーナはふぅと幸せそうに息をつく。
ただのスープ。
けれど向かい合わせに座って食べる誰かがいるだけで、それは実家で見ていたご馳走よりも美味しいに違いないのだ。
「お前、一人で暮らしているのか?」
「そうよ。この家も畑も私が管理しているの。土をいじっていると嫌なことも忘れられるから、結構気に入っているわ」
カタリーナの言葉に、男は何かを言いかけて飲み込んだ。
食後の沈黙は、不思議と気まずいものではなかった。
「……世話になったな」
男が再び立ち上がったとき、その瞳からは最初の鋭い雰囲気が消えていた。
(帰ってほしくない)
カタリーナは急に寂しさを感じた。
誰かとゆっくりと過ごすなんて久しぶりだったからだろう。
「ねえ、今日はこの後雨が降るわ。だから……」
「……」
カタリーナの言葉に、男は小さくため息をついて再び席に着いた。
「本当に用心という言葉を知らないな。まったく……俺はギルだ。今夜は世話になる」
「……! 私はカタリーナよ。よろしく」
223
あなたにおすすめの小説
「お前みたいな卑しい闇属性の魔女など側室でもごめんだ」と言われましたが、私も殿下に嫁ぐ気はありません!
野生のイエネコ
恋愛
闇の精霊の加護を受けている私は、闇属性を差別する国で迫害されていた。いつか私を受け入れてくれる人を探そうと夢に見ていたデビュタントの舞踏会で、闇属性を差別する王太子に罵倒されて心が折れてしまう。
私が国を出奔すると、闇精霊の森という場所に住まう、不思議な男性と出会った。なぜかその男性が私の事情を聞くと、国に与えられた闇精霊の加護が消滅して、国は大混乱に。
そんな中、闇精霊の森での生活は穏やかに進んでいく。
美男美女の同僚のおまけとして異世界召喚された私、ゴミ無能扱いされ王城から叩き出されるも、才能を見出してくれた隣国の王子様とスローライフ
さら
恋愛
会社では地味で目立たない、ただの事務員だった私。
ある日突然、美男美女の同僚二人のおまけとして、異世界に召喚されてしまった。
けれど、測定された“能力値”は最低。
「無能」「お荷物」「役立たず」と王たちに笑われ、王城を追い出されて――私は一人、行くあてもなく途方に暮れていた。
そんな私を拾ってくれたのは、隣国の第二王子・レオン。
優しく、誠実で、誰よりも人の心を見てくれる人だった。
彼に導かれ、私は“癒しの力”を持つことを知る。
人の心を穏やかにし、傷を癒す――それは“無能”と呼ばれた私だけが持っていた奇跡だった。
やがて、王子と共に過ごす穏やかな日々の中で芽生える、恋の予感。
不器用だけど優しい彼の言葉に、心が少しずつ満たされていく。
婚約破棄を兄上に報告申し上げます~ここまでお怒りになった兄を見たのは初めてでした~
ルイス
恋愛
カスタム王国の伯爵令嬢ことアリシアは、慕っていた侯爵令息のランドールに婚約破棄を言い渡された
「理由はどういったことなのでしょうか?」
「なに、他に好きな女性ができただけだ。お前は少し固過ぎたようだ、私の隣にはふさわしくない」
悲しみに暮れたアリシアは、兄に婚約が破棄されたことを告げる
それを聞いたアリシアの腹違いの兄であり、現国王の息子トランス王子殿下は怒りを露わにした。
腹違いお兄様の復讐……アリシアはそこにイケない感情が芽生えつつあったのだ。
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
【完結】記憶喪失の令嬢は無自覚のうちに周囲をタラシ込む。
ゆらゆらぎ
恋愛
王国の筆頭公爵家であるヴェルガム家の長女であるティアルーナは食事に混ぜられていた遅延性の毒に苦しめられ、生死を彷徨い…そして目覚めた時には何もかもをキレイさっぱり忘れていた。
毒によって記憶を失った令嬢が使用人や両親、婚約者や兄を無自覚のうちにタラシ込むお話です。
「婚約破棄された聖女ですが、実は最強の『呪い解き』能力者でした〜追放された先で王太子が土下座してきました〜
鷹 綾
恋愛
公爵令嬢アリシア・ルナミアは、幼い頃から「癒しの聖女」として育てられ、オルティア王国の王太子ヴァレンティンの婚約者でした。
しかし、王太子は平民出身の才女フィオナを「真の聖女」と勘違いし、アリシアを「偽りの聖女」「無能」と罵倒して公衆の面前で婚約破棄。
王命により、彼女は辺境の荒廃したルミナス領へ追放されてしまいます。
絶望の淵で、アリシアは静かに真実を思い出す。
彼女の本当の能力は「呪い解き」——呪いを吸い取り、無効化する最強の力だったのです。
誰も信じてくれなかったその力を、追放された土地で発揮し始めます。
荒廃した領地を次々と浄化し、領民から「本物の聖女」として慕われるようになるアリシア。
一方、王都ではフィオナの「癒し」が効かず、魔物被害が急増。
王太子ヴァレンティンは、ついに自分の誤りを悟り、土下座して助けを求めにやってきます。
しかし、アリシアは冷たく拒否。
「私はもう、あなたの聖女ではありません」
そんな中、隣国レイヴン帝国の冷徹皇太子シルヴァン・レイヴンが現れ、幼馴染としてアリシアを激しく溺愛。
「俺がお前を守る。永遠に離さない」
勘違い王子の土下座、偽聖女の末路、国民の暴動……
追放された聖女が逆転し、究極の溺愛を得る、痛快スカッと恋愛ファンタジー!
婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?
ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」
華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。
目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。
──あら、デジャヴ?
「……なるほど」
【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!
りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。
食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。
だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。
食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。
パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。
そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。
王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。
そんなの自分でしろ!!!!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる