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第57話 エリオット視点 シリウス=ラ=ロシェル公爵令息との会談
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疑念の夜 ― エリオット視点
夜の静寂を切り裂くように、扉が二度ノックされた。
「殿下、シリウス=ラ=ロシェル公爵令息がお見えです」
侍従の声に、私は手にしていた書簡を机に伏せ、深く息をついた。
「通せ」
言葉短く告げると、やがて背の高い青年が姿を現す。淡い金髪を持つ彼――シリウスは、いつもは朗らかな笑みを浮かべているが、今夜ばかりは緊張の色を隠していなかった。
「夜分遅くに失礼いたします、殿下」
「構わぬ。――報告があるのだろう?」
私が促すと、シリウスは小さく頷き、深刻な面持ちで言葉を紡ぎ出した。
「はい。聖女エリシアのことです。……殿下も既に噂は耳にされているかと」
胸の奥に冷たい針が刺さるような感覚が走る。ローゼの苦しげな表情が、すぐに思い出された。
「ああ。街にも広まっている。私とエリシアが――特別な関係にあるかのように」
唇を噛む。
真実ではない。だが、火のないところに煙は立たぬと人は言う。繰り返される囁きはやがて真実を装い、ローゼを傷つけている。
「その噂を広めているのが……エリシアご本人だという証を掴みました」
シリウスの声音は固く、迷いがなかった。
私は息を呑む。
「……なんだと?」
「エリシアは周囲に、『ローゼ嬢こそが殿下と自分との仲を邪魔している』と語っておられるのです」
拳が自然と握りしめられる。
エリシアは妹のような存在だった。幼いころから神殿に守られ、世間知らずで、だからこそ守ってやらねばと感じてきた。
だが――その彼女が、ローゼを貶める噂を広めているというのか。
「……信じがたい話だが、王家の影からもそのような報告を受けている」
低く呟くと、シリウスは苦しげに目を伏せた。
「私も信じたくはありません。ですが、確かな証言があります。殿下……エリシアをこのまま放置すれば、王宮はさらに混乱するでしょう」
沈黙が落ちる。
私は心の中で、幾度もローゼの名を呼んでいた。
彼女はエリシアとも親しくしていた。互いを尊重し合い、友情すら芽生えつつあったはずだ。それなのに――もし真実を知れば、ローゼはどれほど傷つくだろう。
「……どうすればよいと思う?」
率直に問うと、シリウスは苦い笑みを浮かべ、やがて静かに言った。
「殿下ご自身が、直接エリシアにお話しになるべきかと。殿下のお心がローゼ嬢にあること、エリシアは妹のような存在にすぎないことを、はっきりとお伝えすれば――噂も力を失うでしょう」
私は黙り込む。
その提案は理にかなっている。だが同時に、刃のように鋭い。
エリシアにとって、それは拒絶の言葉となる。……彼女を傷つけるのは避けられまい。
「シリウス……お前は、それでいいのか」
「え?」
「お前は……エリシアを想っているのだろう」
私の問いに、シリウスの瞳が大きく揺れた。
しばし沈黙が続き、やがて彼は観念したように小さく笑った。
「……隠しても無駄ですね、わたしは彼女を……ずっと想ってきました。けれど、国家の憂いとなるのならば、わたしの感情など関係ないと考えております」
その声音には、未練と同時に決意が混じっていた。
「だからこそ、殿下にお願いしたいのです。エリシアを、はっきりと導いてください。……私には、それしかできません」
彼の真摯な瞳に、胸の奥が熱くなる。
幼き日々から、私は王子として数多の人を見てきた。だが、シリウスのように誠実に人を想う者は稀だ。
彼の想いを踏みにじることになるかもしれない。それでも――彼がエリシアの未来を案じているのは確かだった。
「……わかった。私がエリシアに会おう」
静かに言い切ると、シリウスの肩から重荷が下りたように見えた。
「では、場所をどうするかですが……」
「公の場では無理だな。王宮の目は多い。余計な誤解を招く」
「でしたら……殿下の執務室に内密にお連れしましょう。あそこなら人目もなく、警備も厳しい。殿下のお言葉を伝えるには最も相応しい場かと」
私は頷いた。
「よかろう。明晩、時を見てエリシアを連れてこい」
「承知しました」
シリウスは深く頭を垂れた。だがその背中には、言葉にできぬ葛藤が渦巻いているのを私は見逃さなかった。
――彼にとって、この役目は苦しいものだろう。
それでも彼は、己の想いよりも彼女の行く末を案じている。
その誠実さに応えるためにも、私は必ずやエリシアを説得し、真実を正さねばならない。
シリウスが去った後、執務室に再び静寂が戻る。
机に伏せていた書簡を手に取り、私は窓の外に視線を向けた。
月明かりが中庭を照らしている。
その光の下で、ローゼがどれほど不安な夜を過ごしているかを思うと、胸が締めつけられた。
「……ローゼ」
名を呟く。
かつては姉上と慕っていたが、今ではローゼと名を呼べる喜び。
年下だと子供のように扱われると思い、最近では一人称を僕から私と大人っぽく変えた。
そうまでしても私が護りたいのは、彼女の私に向けてくれる笑顔だ。
誰が何を囁こうとも、揺るぎはしない。
――だからこそ、明日の夜。
聖女エリシアに、すべてを伝えよう。
噂を断ち切り、彼女を正しい道へ導くために。
そして何より、ローゼを再び安心させるために。
窓の外に瞬く星々へ、私は静かに誓った。
夜の静寂を切り裂くように、扉が二度ノックされた。
「殿下、シリウス=ラ=ロシェル公爵令息がお見えです」
侍従の声に、私は手にしていた書簡を机に伏せ、深く息をついた。
「通せ」
言葉短く告げると、やがて背の高い青年が姿を現す。淡い金髪を持つ彼――シリウスは、いつもは朗らかな笑みを浮かべているが、今夜ばかりは緊張の色を隠していなかった。
「夜分遅くに失礼いたします、殿下」
「構わぬ。――報告があるのだろう?」
私が促すと、シリウスは小さく頷き、深刻な面持ちで言葉を紡ぎ出した。
「はい。聖女エリシアのことです。……殿下も既に噂は耳にされているかと」
胸の奥に冷たい針が刺さるような感覚が走る。ローゼの苦しげな表情が、すぐに思い出された。
「ああ。街にも広まっている。私とエリシアが――特別な関係にあるかのように」
唇を噛む。
真実ではない。だが、火のないところに煙は立たぬと人は言う。繰り返される囁きはやがて真実を装い、ローゼを傷つけている。
「その噂を広めているのが……エリシアご本人だという証を掴みました」
シリウスの声音は固く、迷いがなかった。
私は息を呑む。
「……なんだと?」
「エリシアは周囲に、『ローゼ嬢こそが殿下と自分との仲を邪魔している』と語っておられるのです」
拳が自然と握りしめられる。
エリシアは妹のような存在だった。幼いころから神殿に守られ、世間知らずで、だからこそ守ってやらねばと感じてきた。
だが――その彼女が、ローゼを貶める噂を広めているというのか。
「……信じがたい話だが、王家の影からもそのような報告を受けている」
低く呟くと、シリウスは苦しげに目を伏せた。
「私も信じたくはありません。ですが、確かな証言があります。殿下……エリシアをこのまま放置すれば、王宮はさらに混乱するでしょう」
沈黙が落ちる。
私は心の中で、幾度もローゼの名を呼んでいた。
彼女はエリシアとも親しくしていた。互いを尊重し合い、友情すら芽生えつつあったはずだ。それなのに――もし真実を知れば、ローゼはどれほど傷つくだろう。
「……どうすればよいと思う?」
率直に問うと、シリウスは苦い笑みを浮かべ、やがて静かに言った。
「殿下ご自身が、直接エリシアにお話しになるべきかと。殿下のお心がローゼ嬢にあること、エリシアは妹のような存在にすぎないことを、はっきりとお伝えすれば――噂も力を失うでしょう」
私は黙り込む。
その提案は理にかなっている。だが同時に、刃のように鋭い。
エリシアにとって、それは拒絶の言葉となる。……彼女を傷つけるのは避けられまい。
「シリウス……お前は、それでいいのか」
「え?」
「お前は……エリシアを想っているのだろう」
私の問いに、シリウスの瞳が大きく揺れた。
しばし沈黙が続き、やがて彼は観念したように小さく笑った。
「……隠しても無駄ですね、わたしは彼女を……ずっと想ってきました。けれど、国家の憂いとなるのならば、わたしの感情など関係ないと考えております」
その声音には、未練と同時に決意が混じっていた。
「だからこそ、殿下にお願いしたいのです。エリシアを、はっきりと導いてください。……私には、それしかできません」
彼の真摯な瞳に、胸の奥が熱くなる。
幼き日々から、私は王子として数多の人を見てきた。だが、シリウスのように誠実に人を想う者は稀だ。
彼の想いを踏みにじることになるかもしれない。それでも――彼がエリシアの未来を案じているのは確かだった。
「……わかった。私がエリシアに会おう」
静かに言い切ると、シリウスの肩から重荷が下りたように見えた。
「では、場所をどうするかですが……」
「公の場では無理だな。王宮の目は多い。余計な誤解を招く」
「でしたら……殿下の執務室に内密にお連れしましょう。あそこなら人目もなく、警備も厳しい。殿下のお言葉を伝えるには最も相応しい場かと」
私は頷いた。
「よかろう。明晩、時を見てエリシアを連れてこい」
「承知しました」
シリウスは深く頭を垂れた。だがその背中には、言葉にできぬ葛藤が渦巻いているのを私は見逃さなかった。
――彼にとって、この役目は苦しいものだろう。
それでも彼は、己の想いよりも彼女の行く末を案じている。
その誠実さに応えるためにも、私は必ずやエリシアを説得し、真実を正さねばならない。
シリウスが去った後、執務室に再び静寂が戻る。
机に伏せていた書簡を手に取り、私は窓の外に視線を向けた。
月明かりが中庭を照らしている。
その光の下で、ローゼがどれほど不安な夜を過ごしているかを思うと、胸が締めつけられた。
「……ローゼ」
名を呟く。
かつては姉上と慕っていたが、今ではローゼと名を呼べる喜び。
年下だと子供のように扱われると思い、最近では一人称を僕から私と大人っぽく変えた。
そうまでしても私が護りたいのは、彼女の私に向けてくれる笑顔だ。
誰が何を囁こうとも、揺るぎはしない。
――だからこそ、明日の夜。
聖女エリシアに、すべてを伝えよう。
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