75 / 84
閑話10 クローリー編 冬の修道院生活 ― 雪と飢えとの戦い
しおりを挟む
冬の修道院生活 ― 雪と飢えとの戦い
修道院に冬が訪れた。
ここは王都から遠く離れた山あいにあり、冷たい北風が容赦なく吹きつけてくる。高い石壁に囲まれた修道院も、雪の前では頼りなく、隙間風が廊下を駆け抜けて肌を刺した。
クローリー=ジリンガムは厚手の外套も持っていなかった。伯爵家から追放される際に、まともな持ち物は許されなかったのだ。与えられたのは修道女たちと同じ、質素な灰色の修道服だけ。麻の布はごわごわしていて、風を通す。王都にいた頃は毛皮のマントを羽織り、火の前で温められていたのに、今はわずかな藁を詰めた寝台に身を縮めて夜を越すしかなかった。
「さむい……」
吐く息が白い。朝起きても水は凍りつき、桶の氷を砕いて顔を洗わなければならない。最初の頃は「どうしてわたしがこんな目に……」と泣いていたが、修道院では泣いたからといって誰も慰めてはくれない。年長の修道女からは「泣く暇があるなら薪を割れ」と叱られるだけだった。
そして何より苦しかったのは、飢えだった。
王都では食卓に常に肉や菓子が並び、好きなだけ食べていた。けれど修道院では、一日の食事は黒パンと野菜のスープが少し。冬になれば畑は雪に覆われ、貯蔵していた根菜も底をついてくる。パンはどんどん薄くなり、スープの具はほとんど溶けた大根のかけらだけになる日もあった。
「これじゃ……おなかがすいて死んでしまうわ……」
夜、腹を抱えながらベッドに横たわる。寝返りを打つたびに骨が当たり痛む。かつてはふくよかだった身体が、数か月でやせ細っていくのを自分でも感じた。
雪の日の作業はさらに厳しかった。修道女たちは村の人々に食糧を分け与えるため、雪をかきわけて荷車を押し、薪を配りに出かける。その列にクローリーも加わらなければならない。足もとから冷気が染みこみ、指先の感覚がなくなる。立ち止まれば年長の修道女が厳しい目を向けてくる。
「ほら、伯爵令嬢さま。そんなに足が遅くては役に立ちませんよ」
「……っ」
笑われるたびに、心臓が痛んだ。
王都にいた頃は自分こそが上に立つ者だと信じていた。けれど今は、誰よりも役立たずで、足手まといと見られている。
ある日、雪嵐の日に外へ薪を取りに行かされた。
風は耳を切るように冷たく、雪は目の前を覆い隠す。薪小屋までの道はすぐそこなのに、歩くだけで息が苦しくなり、足がもつれた。
「いや……もう歩けない……」
その場に膝をつき、雪に倒れこんだ。冷たさが体に染みて、眠りに落ちそうになる。――このまま死んでしまうのか、と頭の隅で思った。
だが背後から手が伸び、腕をつかまれた。
「立ちなさい、クローリー。死にたいのですか」
厳しい声で引き起こしたのは、修道院長の老女だった。白髪で背は曲がっていたが、その手は驚くほど力強い。
「……わたしは……もう……」
「生きなさい。飢えも寒さも、あなたに与えられた罰です。それでも生きるのです」
その言葉が胸に突き刺さった。
生きることすら、今はこんなに苦しい。けれど、それを耐えなければならない。
夜、震える手で薄いパンを口に運びながら、クローリーは涙を流した。
「どうして……どうしてこんなことに……」
思い浮かぶのは、かつて憎んでいたリースの顔。彼女はきっと今ごろ、王都で暖かい部屋にいて、豊かな食事をしているだろう。あのときの嫉妬心が、自分をここまで落とした。
飢えと寒さの中で、ようやく気づく。
最後まで勝てなかった。リースに勝とうとした結果、自分は何もかも失い、凍える修道院で死にそうになっているのだ。
冬はまだ続く。雪は溶けず、食糧はさらに減っていく。
クローリーの苦難の日々は、終わりを見せることなく続いていった。
修道院に冬が訪れた。
ここは王都から遠く離れた山あいにあり、冷たい北風が容赦なく吹きつけてくる。高い石壁に囲まれた修道院も、雪の前では頼りなく、隙間風が廊下を駆け抜けて肌を刺した。
クローリー=ジリンガムは厚手の外套も持っていなかった。伯爵家から追放される際に、まともな持ち物は許されなかったのだ。与えられたのは修道女たちと同じ、質素な灰色の修道服だけ。麻の布はごわごわしていて、風を通す。王都にいた頃は毛皮のマントを羽織り、火の前で温められていたのに、今はわずかな藁を詰めた寝台に身を縮めて夜を越すしかなかった。
「さむい……」
吐く息が白い。朝起きても水は凍りつき、桶の氷を砕いて顔を洗わなければならない。最初の頃は「どうしてわたしがこんな目に……」と泣いていたが、修道院では泣いたからといって誰も慰めてはくれない。年長の修道女からは「泣く暇があるなら薪を割れ」と叱られるだけだった。
そして何より苦しかったのは、飢えだった。
王都では食卓に常に肉や菓子が並び、好きなだけ食べていた。けれど修道院では、一日の食事は黒パンと野菜のスープが少し。冬になれば畑は雪に覆われ、貯蔵していた根菜も底をついてくる。パンはどんどん薄くなり、スープの具はほとんど溶けた大根のかけらだけになる日もあった。
「これじゃ……おなかがすいて死んでしまうわ……」
夜、腹を抱えながらベッドに横たわる。寝返りを打つたびに骨が当たり痛む。かつてはふくよかだった身体が、数か月でやせ細っていくのを自分でも感じた。
雪の日の作業はさらに厳しかった。修道女たちは村の人々に食糧を分け与えるため、雪をかきわけて荷車を押し、薪を配りに出かける。その列にクローリーも加わらなければならない。足もとから冷気が染みこみ、指先の感覚がなくなる。立ち止まれば年長の修道女が厳しい目を向けてくる。
「ほら、伯爵令嬢さま。そんなに足が遅くては役に立ちませんよ」
「……っ」
笑われるたびに、心臓が痛んだ。
王都にいた頃は自分こそが上に立つ者だと信じていた。けれど今は、誰よりも役立たずで、足手まといと見られている。
ある日、雪嵐の日に外へ薪を取りに行かされた。
風は耳を切るように冷たく、雪は目の前を覆い隠す。薪小屋までの道はすぐそこなのに、歩くだけで息が苦しくなり、足がもつれた。
「いや……もう歩けない……」
その場に膝をつき、雪に倒れこんだ。冷たさが体に染みて、眠りに落ちそうになる。――このまま死んでしまうのか、と頭の隅で思った。
だが背後から手が伸び、腕をつかまれた。
「立ちなさい、クローリー。死にたいのですか」
厳しい声で引き起こしたのは、修道院長の老女だった。白髪で背は曲がっていたが、その手は驚くほど力強い。
「……わたしは……もう……」
「生きなさい。飢えも寒さも、あなたに与えられた罰です。それでも生きるのです」
その言葉が胸に突き刺さった。
生きることすら、今はこんなに苦しい。けれど、それを耐えなければならない。
夜、震える手で薄いパンを口に運びながら、クローリーは涙を流した。
「どうして……どうしてこんなことに……」
思い浮かぶのは、かつて憎んでいたリースの顔。彼女はきっと今ごろ、王都で暖かい部屋にいて、豊かな食事をしているだろう。あのときの嫉妬心が、自分をここまで落とした。
飢えと寒さの中で、ようやく気づく。
最後まで勝てなかった。リースに勝とうとした結果、自分は何もかも失い、凍える修道院で死にそうになっているのだ。
冬はまだ続く。雪は溶けず、食糧はさらに減っていく。
クローリーの苦難の日々は、終わりを見せることなく続いていった。
42
あなたにおすすめの小説
断罪の準備は完璧です!国外追放が楽しみすぎてボロが出る
黒猫かの
恋愛
「ミモリ・フォン・ラングレイ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放に処す!」
パルマ王国の卒業パーティー。第一王子アリオスから突きつけられた非情な断罪に、公爵令嬢ミモリは……内心でガッツポーズを決めていた。
(ついにきたわ! これで堅苦しい王妃教育も、無能な婚約者の世話も、全部おさらばですわ!)
婚約破棄で悪役令嬢を辞めたので、今日から素で生きます。
黒猫かの
恋愛
「エリー・オルブライト! 貴様との婚約を破棄する!」
豪華絢爛な夜会で、ウィルフレッド王子から突きつけられた非情な宣告。
しかし、公爵令嬢エリーの心境は……「よっしゃあ! やっと喋れるわ!!」だった。
『お前の顔は見飽きた!』内心ガッツポーズで辺境へ
夏乃みのり
恋愛
「リーナ・フォン・アトラス! 貴様との婚約を破棄する!」
華やかな王宮の夜会で、第一王子ジュリアンに突きつけられた非情な宣告。冤罪を被せられ、冷酷な悪役令嬢として追放を言い渡されたリーナだったが、彼女の内心は……「やったーーー! これでやっとトレーニングに専念できるわ!」と歓喜に震えていた!
断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について
夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。
ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。
しかし、断罪劇は予想外の展開へ。
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
ループ7回目の公爵令嬢は、もう恋愛も復讐も面倒なので、前世の知識で「魔導カフェ」を開き、異世界初のバリスタになります
希羽
恋愛
公爵令嬢アリスは、婚約破棄されて処刑される人生を6回繰り返してきた。7回目の人生が始まった瞬間、彼女は悟る。「もう何もかも面倒くさい」。 復讐も、破滅回避のための奔走も、王子への媚びもすべて放棄。彼女は早々に家を出奔し、市井の片隅で、前世(現代日本)の知識を活かした「魔導カフェ」を開店する。彼女が淹れる「魔力を込めたコーヒー」と、現代風の軽食(ふわふわパンケーキ、サンドイッチ)は、疲れた王都の人々の心を掴み、店は繁盛する。 すると、本来なら敵対するはずの王子や、ゲームの隠しキャラである暗殺者、堅物の騎士団長などが、「癒やし」を求めてカフェに入り浸るように。「君の淹れるコーヒーだけが私の安らぎだ」と勝手に好感度を上げてくる彼らを、アリスは「ただの客」としてドライにあしらうが、その媚びない態度と居心地の良さが、逆に彼らの執着を煽ってしまう。恋愛を捨てたはずが、過去最高のモテ期が到来していた。
※本作は「小説家になろう」でも投稿しています。
婚約者から婚約破棄されたら、王弟殿下に捕まった件
みおな
恋愛
「ルチル、君との婚約を破棄させてもらう」
五年間、婚約者として交流して来た王太子であるランスロットから婚約破棄を告げられたクォーツ公爵家の令嬢であるルチル。
「ランスロットと婚約破棄したって?なら、俺と婚約しよう」
婚約破棄をきっかけに、領地に引きこもる予定だったルチルに、思いがけない婚約の打診が。
のんびり田舎生活をしたいルチルだが・・・
婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。
桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。
「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」
「はい、喜んで!」
……えっ? 喜んじゃうの?
※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。
※1ページの文字数は少な目です。
☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」
セルビオとミュリアの出会いの物語。
※10/1から連載し、10/7に完結します。
※1日おきの更新です。
※1ページの文字数は少な目です。
❇❇❇❇❇❇❇❇❇
2024年12月追記
お読みいただき、ありがとうございます。
こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。
※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる