婚約破棄された上に、追放された伯爵家三男カールは、実は剣聖だった!これからしっかり復讐します!婚約破棄から始まる追放生活!!

山田 バルス

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第47話 リリスの没落

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◆君と歩む、偽りの誓い――リリス=ヴァレンタインの帰還◆

 馬車の中は、しんと静まり返っていた。

 リリス=ヴァレンタインは、両手を膝の上に置き、硬直したまま動けずにいた。薔薇の庭園での出来事――いや、惨劇と呼ぶべきかもしれない――が、何度も脳裏をよぎる。

 カールの怒声。
 セリアと見つめ合い、跪く彼。
 媚薬の瓶を暴かれたあの瞬間。
 そして、令嬢たちの冷たい視線――。

 「……ちがうのに」

 小さく、かすれる声が漏れる。でも、それが誰に届くわけでもないことは、リリス自身が一番よく分かっていた。

 やがて馬車が止まる。

 使用人が静かに扉を開き、リリスはまるで人形のように動いて邸宅へと足を運ぶ。高くそびえるヴァレンタイン邸の門は、今までと何も変わらず、荘厳で、誇り高く……なのに、今日だけは、やけに冷たく見えた。

 邸内に足を踏み入れた瞬間、執事のノルマンが彼女を出迎えた。

 「お帰りなさいませ、お嬢様。……侯爵様が、応接間でお待ちです」

 「……お父様が?」

 リリスはうっすらと眉をひそめた。こんな時間に、わざわざ応接間で待つなど、よほどの用件に違いない。

 案の定だった。

 応接間の扉を開けると、父――ヴァレンタイン侯爵が、重厚なソファに腰かけ、ワイングラスを揺らしていた。深紅の液体がグラスの中で静かに波打っている。

 「……来たか」

 侯爵の声は低く、そして冷静だった。リリスは思わず足を止める。

 「座れ」

 促されるまま、リリスはおそるおそる対面の椅子に腰を下ろした。

 沈黙が落ちる。

 やがて、父がグラスをテーブルに置き、重々しく言葉を発した。

 「……カール=キリトとの件、失敗したようだな」

 ぐさりと胸を刺すような言葉だった。

 リリスは俯いたまま、何も言えなかった。否定したくても、できるはずがない。あの場で起こったことは、誰の目にも明白だったから。

 「セリア=ノルド。あの女に負けたのか、貴様が?」

 「……っ」

 悔しさがこみ上げる。でも、それを口にしたところで、父は聞いてくれるはずもない。むしろ「女の武器を使っても勝てないとは、見苦しい」と罵られるのが関の山だ。

 そして次の瞬間。

 侯爵は、まるでお茶会のメニューでも選ぶような、冷静な調子で言った。

 「では、仕方ない。――次の縁談だ」

 「……え?」

 リリスは顔を上げた。まさか、とは思った。でも、父は当然のように書類の束を取り出し、そのうちの一枚――色付きの釣書を、無造作にテーブルへ置いた。

 「ラ・ロシェ伯爵家。王都の南西部に広大な領地を持つ。現伯爵は五十七歳。今回で三度目の結婚だ」

 リリスの心臓が、音を立てて跳ねた。

 「……五十七歳……? な、なんで、そんな人と……!」

 「持参金が出る。かなりの額だ。アウグスト家との共同事業で出た損失を、すべて埋めることができる」

 侯爵の瞳には、娘への感情など一欠片もなかった。ただ、冷徹な政治家としての判断がそこにあった。

 「……それって……わたしを、金のために……」

 「当たり前だ。お前はヴァレンタイン家の娘であり、駒に過ぎん。役に立たぬ駒は、せめて最期に一勝でも挙げてくれ」

 その言葉に、リリスは言葉を失った。

 信じられない。

 父が、いや家が――ここまで冷たかったなんて。

 「三日後に出発する。準備をしておけ。衣装や持ち物は執事に伝えておけ。……ああ、逃げ出されても困るから、屋敷の者に見張りをつけておくよう命じておいた」

 「……っ!」

 リリスは、ついに立ち上がった。

 「いやよ……そんな結婚、わたしは……っ!」

 叫ぶように言い放ったが、侯爵は微動だにしない。

 「わたしは……あんな年上の男の三人目の妻なんて、絶対に――!」

 「貴様が選択権を持っていたのは、今日までだ」

 冷たく言い放つその声は、まるで判決を下す裁判官のようだった。

 「――もうお前には、帰る場所すらない。お前が望んだ“地位”と“名誉”の果てがこれだ。受け入れろ、リリス」

 リリスは言葉を失ったまま、その場を飛び出した。

 だが、廊下にはすでに見張り役の使用人が立っていた。

 「お嬢様、どうかお部屋へ」

 逃げ道など、最初からなかった。

 静かに閉まる扉の音が、まるで牢獄の鍵がかかるように響いた。

 その夜、リリスは、誰もいない部屋でひとり、薄暗い窓を見つめていた。

 ――これが、わたしの選んだ未来なの……?

 涙は、もはや出なかった。

 あるのはただ、絶望だけだった。



◆君と歩む、偽りの誓い――“仕える者の誓い”◆
――メイド・ミナ=ロッシュの視点

 その夜、ヴァレンタイン邸の廊下は、やけに静かだった。

 わたしは、使用人用の階段を上がった先にある小さな物置部屋で、ひとり、紅茶を飲んでいた。冷めかけたそれを、口に運ぶたびに胸の内が落ち着いていく。けれど――今日は、どうにも気分が冴えなかった。

 令嬢が……リリス様が、帰ってこられたからだ。

 正直、帰ってこなければよかったのに、なんて思ってしまった自分に、少しだけ罪悪感を覚える。でも、それと同時に――ああ、やっぱり、とも思った。

 庭園での騒動は、屋敷にもすぐに伝わってきた。
 令嬢が、大勢の前で断罪され、跪いたこと。
 媚薬を使おうとしていたことも、全部、暴かれたこと。
 そして、侯爵様から新しい縁談を告げられたことまで。

 「……ラ・ロシェ伯爵か……」

 部屋の隅にいた先輩のメイドが、小さくそう呟いた。

 彼の名は、屋敷に仕える者なら誰でも知っている。王都の南西部を統治する、有力な貴族。けれど、もう五十七歳。奥方を二人とも病で亡くしたあと、しばらく独り身だったという。そんな人物が、今さら三人目の妻を迎えるだなんて――

 しかも、その相手が、リリス様……?

 「……信じられないよね」

 わたしは、ぽつりとつぶやいた。

 いや、正確には、「信じたくない」んだ。

 令嬢があんなに華やかだった時期を、わたしは見てきた。

 まるで光そのもののように、何もかも手に入れた存在だった。
 学院でも人気者で、誰よりも綺麗で、誰よりも気高くて。
 でも、それと同時に――誰よりも、我がままで、自分勝手で、人の心に鈍感な方だった。

 「ミナ、水がぬるいわ。氷は銀の器にしなさい」
 「靴に泥がついたの。あなた、舌で拭ってみる?」
 「貧民上がりの剣士となんて、釣り合うわけがないでしょ?」

 ……これが、あの方の本音だった。

 わたしが仕える理由は、彼女に忠誠を誓っていたからじゃない。ただ、働かなくてはならなかっただけ。使用人の一人として、ただ命じられたとおりに、毎日をこなしていただけ。

 でも――今夜ばかりは、胸の奥がざわついた。

 「まさか、あのラ・ロシェ伯爵のところに、お仕えすることになるなんて……」

 わたしは紅茶を置いて、顔をしかめた。

 さっき、執事のノルマン様が言っていた。

 「三日後、令嬢は出立なさる。同行する侍女を数名選び、書面を整えておくように」

 ……やっぱり。嫌な予感はしていた。

 もしわたしの名がその中にあったら――

 「……いや、行かない。絶対に」

 自分でも驚くくらい、強い声が出た。

 誰が、あんな人に、これ以上ついていくっていうの?

 わたしは思う。
 たしかに、今のリリス様は気の毒だ。
 落ちたのは急だったし、あの断罪も残酷すぎるほどだった。
 けど、それでも。

 それでも――あの方は、自業自得だ。

 カール様を捨てたのは、自分の意志だった。
 そして、今さら戻ろうとしたのも、カール様が“剣聖”と呼ばれるようになったからで。
 ノルド王家の血を引くとわかったから、すがりついたんでしょう?
 ……愛なんて、そこにはなかった。

 わたしは、そう思っている。

 「因果応報、ってやつだよね」

 そう言ったのは、別の同僚メイドだった。

 「結局、他人を道具みたいに扱ってきた報いが、巡ってきただけ」

 「……うん。そう、だよね……」

 わたしは小さく頷く。

 でも、それでもなお、ほんの少し――ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

 幼い頃からリリス様に仕え、その笑顔を間近で見てきたことも、嘘じゃないから。
 お母様のような存在だった先代の令夫人が亡くなった夜、部屋でひとり泣いていた少女を見たあの日も、忘れてはいない。

 だから……少しだけ、迷う。

 でも、心はもう決まっていた。

 もし、付き添いを命じられたら――

 「わたしは、この仕事を辞めます」

 その一言が、わたしの決意だった。

 それくらい、わたしにとって、あの方のそばに行くということは――もう、無理だった。

 翌朝。

 ノルマン様が、わたしたち侍女たちを集め、正式な名簿を読み上げた。

 名前は、三人。
 わたしの名は、そこにはなかった。

 代わりに、先輩のルティア様が呼ばれたとき、彼女ははっきりと答えた。

 「申し訳ありません。私も、同行は辞退させていただきます」

 そして、その場で退職届を差し出した。

 わたしも続けて名乗り出た。

 「同じく、私も。このままでは心が持ちません」

 ノルマン様は、一瞬だけ眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

 その日の午後、わたしは使用人用の裏門から、そっとヴァレンタイン邸を後にした。

 リリス様が、あの広間で、どんな顔をしているのか――わたしは、もう見たくなかった。

 ただ静かに、そっと、屋敷を後にしたのだった。


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