74 / 97
第72話 「氷の王、揺らぐ」――ユリウス5世=ノルド視点
しおりを挟む
◆王都の昼下がり、三人の休日◆
王都ルメリアの昼下がり。春の風が石畳の通りを軽やかに吹き抜け、通り沿いの花屋が色とりどりの花束でにぎわっている。そんな中、冒険の合間に束の間の休息を得た三人が、ゆったりとした足取りで街を歩いていた。
「ほんっとに、王都ってお店が多すぎるのよね。見て、あのパン屋さん、バターの香りがもう……!」
リアナ=クラウゼが、目を輝かせてカールの袖を引く。王国の魔術師でありながら、こうした日常では年相応の少女らしい表情を見せることが多い。
「さっきアイス食べたばかりじゃないか、リアナ」
カールは苦笑しながらも、そのパン屋のショーウィンドウを覗き込む。甘いクリームが詰まったクロワッサンが並んでいた。確かに、香ばしい匂いに空腹が刺激される。
「ふふっ、じゃあ、そのパンはお土産にして、そろそろお昼にしない? あのテラスのあるカフェ、前から行きたかったの」
隣でやんわりと笑うのは、セリア=ルゼリア。王家の血を引く彼女は、普段は冷静沈着な剣士だが、今日はどこか柔らかい雰囲気をまとっている。
「セリアが行きたいなら、そこにしよう。……あれ、どこだっけ?」
「こっちこっち。王宮通りの噴水広場を越えた先、角を曲がってすぐよ」
セリアに手を引かれる形で、カールとリアナもそのあとをついていく。少し行くと、噴水のほとりで芸人たちが芸を披露しており、子どもたちの歓声が響いていた。
「……こうして歩くの、なんだか、ちょっと不思議な気分」
リアナがぽつりと呟く。セリアと並んで歩くカールを横目で見ながら、少しだけ唇を尖らせた。
「なにが?」
「んーん、べつに。でも……カールって、ふだんは真面目でちょっと怖いくらいなのに、こういうときだけ、やさしい顔してるんだもん」
「……そうかな」
カールは少し照れたように視線を外す。そんな彼の様子に、リアナの口元がふっと綻んだ。
「うん、そういうとこ、ずるいの」
セリアは微笑ましそうに二人を見ていたが、どこか胸の奥に、小さなざわめきを覚えていた。
(三人で歩いているのに、どこか二人の空気が近い……)
ほんのわずかに手を伸ばし、カールの袖に触れる。
「……ねえ、カール。あとで本屋さんにも寄ってくれる?」
「いいよ。リアナも行きたい場所があったら、言ってくれよ」
「じゃあ、あとで魔術道具の店も見たいな。最新の魔導石、気になってるの」
そうして三人は、にぎわう広場を抜け、セリアが案内したテラスカフェへと辿り着いた。
白い壁に蔦が絡まる、南風のように明るいカフェ。テラス席に案内され、三人はそれぞれメニューを眺める。
「カールは何にするの? お肉系?」
「この『炙りハーブチキンプレート』ってやつ、美味そうだな。……セリアは?」
「私は、この季節限定のラタトゥイユプレートにする。彩りもきれいだし」
「私はこれー! きのことチーズのグラタンパイ! 絶対おいしいやつ!」
注文を終えると、しばし柔らかな風の中、三人はランチを待ちながら言葉を交わした。
「こうして普通にランチするなんて、久しぶりかもね」
セリアがふと呟く。カールが頷いた。
「最近はずっと任務続きだったからな。こういう時間も悪くない」
「ねえ、こういうの……また、やろうね。三人で」
リアナの言葉に、セリアもそっと目を細めて頷く。
「ええ、そうね……また、何度でも」
やがて料理が届き、テーブルは香ばしい香りと笑顔に包まれた。
カールはナイフを手に取りながら、二人の姿を静かに見つめる。
(……どちらか一人を選ぶ時が来たら、どうする?)
自分でもまだ答えは出ない。けれど、こうして笑い合う時間だけは、何よりも尊いと感じていた。
ふと、リアナがスプーンですくったチーズグラタンを、カールの前に差し出した。
「ちょっと食べてみる? すっごく美味しいんだから!」
「え、あ……いや、そういうのは……」
「ほらほら、口開けて!」
「ちょ、リアナ……っ」
「あら、じゃあ私のラタトゥイユも食べてみる? カール、こっちのほうが絶対好みでしょ?」
「ちょっと、セリアまで!?」
わいわいと騒ぎながら、三人の時間は穏やかに流れていく。
騎士と魔術師と、そして二人の間に立つ青年。
淡い恋心と日常のきらめきが交差する、王都の昼下がり。
この小さな幸せが、明日への力になることを、誰より三人が知っていた。
◆氷の王、揺らぐ◆――ユリウス5世=ノルド視点
白銀の塔――シルヴァ=カテドラ。
全ての音が雪に吸われるような静寂の中、ユリウス5世=ノルドは王座に身を沈めていた。蒼白な長衣に身を包み、指先には常に冷気の魔素が渦巻いている。かつて齢わずか二十にして王座を奪った魔導の王。その瞳は今、何よりも深い氷のように冷ややかだった。
「……“魔導災害”の収束……だと?」
側近の報告を聞いた瞬間、王の目が僅かに揺れた。
「はい。北部ヴァルティナ鉱山、東の水脈都市セレイン、そして黒森の周辺……ここ一月の間に、魔物の出現が激減。精神障害を起こした者の数も明確に減少しています」
報告を告げるのは、老いた魔導官エルベルト。その声にはわずかに安堵が混じっていたが、ユリウスの前ではそれすら無礼に響く。
「その理由は?」
「……は。複数の目撃証言、ならびに大国リューゲンへの密偵の報告によれば……」
エルベルトはわずかに言いよどみ、だが王の沈黙に押されるように言葉を続けた。
「“黒衣の剣士と、銀髪の氷の魔女”によるものと……」
その瞬間、玉座の空気がぴん、と張り詰めた。
ユリウス5世の細い指が、肘掛けを小さく叩いた。
「……黒衣の剣士。まさか、カール=キリトか?」
「彼らはある古代遺跡を攻略したという連絡が」
「そして、氷の魔女……セリア=ノルド」
その名を口にした瞬間、王の表情が僅かに変わった。
冷静さの中に、微かに滲む憤怒と苛立ち。そして、言いようのない不安。
「……あの娘が再び、ノルドの地に舞い戻るのか、復讐か」
セリア=ノルド。王族の血が流れる者。王弟の娘、ユリウス5世からは伯父と姪の関係。かつてアリシア=ノルドと同じく“魔導因子の逸脱”を理由に王家から疎まれ、追放された存在。だがその潜在能力は王族随一と評されていた。ユリウス5世自身も、彼女の資質には一目を置いていた。だから、息子の婚約候補にしていたのだ。
――あの娘が、アリシアの息子カールと共に?
「……皮肉なものだな。俺が管理しきれなかった混沌を、追放された者たちが鎮めて回っているとは」
王の声には、嘲笑とも自己嫌悪ともつかぬ色が混じっていた。
玉座の間に沈黙が落ちる。長い、凍てつくような沈黙。
その静寂を破ったのは、ユリウス5世の低く抑えた声だった。
「……カール=キリトに会ってみるか……」
エルベルトが目を見開いた。
「王よ、彼は“アリシア様の血を継ぐ者”――今、下手に呼び戻せば、貴族派閥が……」
「わかっている」
ユリウス五世は遮った。氷のような声だった。
「だが、今のノルドには“制御された力”が必要だ。記憶の書庫を開き、俺たちは禁を犯した。その代償は大きい。……だが、もし彼が“その力”を扱えるなら――」
その言葉の続きを口にすることはなかった。
だが、彼の内にある“焦り”は確かに存在していた。
自らの決断によって開かれた禁書庫は、確かに失われし力を呼び覚ました。
だが同時に、その力はノルドの秩序すらも侵しかけている。
今や〈白き咎人ペイル・シン〉が各地で不穏な動きを見せ始めているという報告もある。
王自らが望んだ“完全なる魔導国家”は、制御不能の領域へと足を踏み入れつつあるのだ。
「奴の力が必要だ。……そして、俺の目で確かめたい」
ユリウス5世の瞳に、一瞬だけ感情が灯った。
それは――嫉妬か、畏怖か、あるいは自分が置き去りにしてきた“何か”への憧れか。
「……失われた姫の血筋が、本当にこの国の希望となるのか」
玉座の背後、氷で出来た巨大な窓から差し込む光が、淡く彼の肩を照らした。
ノルドは、まだ冷たい。
だが、遠く。
氷原の向こう、雪を越えて吹き込む風は、かすかに変化の匂いを含んでいた。
セリアとカール、かつて追放された者たちとその息子。
彼らこそが、今のノルドに必要な“異物”であり、“救済”であるのかもしれない――
ユリウス五世=ノルドは、もう一度だけ小さく呟いた。
「……カール=キリト。ノルドにこい。すべてを終わらせるために。そして、始めるために」
北の空に、淡く光る極光が揺れていた。
その光は、かつてアリシアが愛した魔導都市の上空を、静かに照らしていた。
そして運命の歯車は、確かに再び動き出していた。
『追放された公爵令嬢アリシア~咎なき者の追憶~』
それは、雪解け間近の早春のことだった。
北の魔導王国ノルド。その中心にそびえる漆黒の魔導塔には、代々の王族が積み上げてきた叡智と魔術の粋が集められていた。その地に生まれ、王弟の娘として育てられたアリシア=ノルドは、優雅でありながら聡明、そして慈愛深くもあった。
十六歳のその日、彼女は宮廷魔導院の卒業パーティーに臨んでいた。紅玉のドレスを纏い、母から受け継いだ白金の髪を美しく編み込み、エメラルドの瞳には未来への希望が宿っていた。――その夜、第一王子ウィリアム=ノルドが彼女に婚約破棄を告げるまでは。
「アリシア=ノルド。お前との婚約を、ここに破棄する」
会場が静まり返った。
貴族たちのざわめきが、波のように広がっていく。
「理由は……」
アリシアが口を開こうとした瞬間、ウィリアムはひとりの少女を伴って壇上に立った。彼女は平民の出でありながら、ウィリアムと魔導学院で関係を深めていたという少女――マルゲリート。
「アリシアはマルゲリートをいじめていた。それも陰湿なやり方でな。これは、王家の婚約者としてあるまじき行為だ」
嘘だった。そんなことはしていない。だが、その場にいた者たちの表情は冷たかった。
それは、用意された舞台だったのだ。
アリシアの伯父である――ユリウス4世=ノルドが、世界会議で南の大国との交渉に外遊している隙を突き、王太子派と反王弟派の貴族たちが結託して仕組んだ陰謀。その裏では、ウィリアムの即位を早めたい者たちが蠢き、アリシアを排除することで、王太子の婚約者の座と王弟とその一族を断つ計画が進行していた。
誤解や噂はすぐに真実として広まり、翌日には、王弟の邸宅に対して「魔導不正使用の疑い」という名目の強制捜査が行われた。証拠もなければ、まともな裁判もない。王都の騎士団が邸宅を包囲し、家臣たちも次々と拘束された。
父・ユリウス四世は帰還途中でその報を受けたが、戻った時にはすべてが終わっていた。
そして、アリシアには「王命による追放」が下される。
その行き先は、魔物の巣食う南方の魔境・黒樹の森。生きて戻った者はいないと言われる、死の森だった。
「お前には、咎がある。王族であるにも関わらず、他者を虐げ、民の声を無視したその罪……この国に居場所はない」
そう言い渡したのは、王国審議会の長であり、王太子派の重鎮・アーデルバート公爵だった。
アリシアは反論しなかった。いや、できなかった。
愛していた人に裏切られ、国民に憎まれ、父母、幼い弟、妹が連座で処刑された。すべてが、あまりにも急すぎた。
そうして、彼女もひとり、処刑同然の追放に処された。
だが、希望は絶えていなかった。
彼女が追放される直前――その情報を密かに聞きつけた者がいた。王家の次男、第二王子ヘンリー。後のユリウス五世である。
「……このままでは義姉上は殺される」
彼はそう呟き、己の命令権すら危うい立場でありながら、忠義厚い従者に命じた。
「護衛を一人つけていい。ただし、それが見つかれば、私も終わる。それでもいいなら、フリューゲンの商隊に紛れ込ませて逃がす手はある。選ぶのは……アリシア殿下ご自身だ」
アリシアはそれを聞き、微笑んだ。泣きながら。
追われるように、彼女は南の森の縁を越えて、さらに南方の商国フリューゲンへと逃れた。
痩せこけ、傷だらけになりながら、それでも生きて。
そして誓ったのだ。
いつかこの冤罪を晴らし、真実を世界に知らしめると――
(私は……私は、まだ終わっていない)
凍てついた国を後にし、少女は新たな運命へと踏み出した。
その名を、アリシア=ノルドという。フリューゲン商隊の伝手でキリト伯爵家のメイドになるのは、のちの話である。
かつて王妃となるはずだった少女が、今はただ、追放された一人の咎なき者として歩む。
だが、運命は彼女を見捨てない。
いつか、王国に嵐が吹き荒れる時――その中心には、アリシアの姿があることだろう。
王都ルメリアの昼下がり。春の風が石畳の通りを軽やかに吹き抜け、通り沿いの花屋が色とりどりの花束でにぎわっている。そんな中、冒険の合間に束の間の休息を得た三人が、ゆったりとした足取りで街を歩いていた。
「ほんっとに、王都ってお店が多すぎるのよね。見て、あのパン屋さん、バターの香りがもう……!」
リアナ=クラウゼが、目を輝かせてカールの袖を引く。王国の魔術師でありながら、こうした日常では年相応の少女らしい表情を見せることが多い。
「さっきアイス食べたばかりじゃないか、リアナ」
カールは苦笑しながらも、そのパン屋のショーウィンドウを覗き込む。甘いクリームが詰まったクロワッサンが並んでいた。確かに、香ばしい匂いに空腹が刺激される。
「ふふっ、じゃあ、そのパンはお土産にして、そろそろお昼にしない? あのテラスのあるカフェ、前から行きたかったの」
隣でやんわりと笑うのは、セリア=ルゼリア。王家の血を引く彼女は、普段は冷静沈着な剣士だが、今日はどこか柔らかい雰囲気をまとっている。
「セリアが行きたいなら、そこにしよう。……あれ、どこだっけ?」
「こっちこっち。王宮通りの噴水広場を越えた先、角を曲がってすぐよ」
セリアに手を引かれる形で、カールとリアナもそのあとをついていく。少し行くと、噴水のほとりで芸人たちが芸を披露しており、子どもたちの歓声が響いていた。
「……こうして歩くの、なんだか、ちょっと不思議な気分」
リアナがぽつりと呟く。セリアと並んで歩くカールを横目で見ながら、少しだけ唇を尖らせた。
「なにが?」
「んーん、べつに。でも……カールって、ふだんは真面目でちょっと怖いくらいなのに、こういうときだけ、やさしい顔してるんだもん」
「……そうかな」
カールは少し照れたように視線を外す。そんな彼の様子に、リアナの口元がふっと綻んだ。
「うん、そういうとこ、ずるいの」
セリアは微笑ましそうに二人を見ていたが、どこか胸の奥に、小さなざわめきを覚えていた。
(三人で歩いているのに、どこか二人の空気が近い……)
ほんのわずかに手を伸ばし、カールの袖に触れる。
「……ねえ、カール。あとで本屋さんにも寄ってくれる?」
「いいよ。リアナも行きたい場所があったら、言ってくれよ」
「じゃあ、あとで魔術道具の店も見たいな。最新の魔導石、気になってるの」
そうして三人は、にぎわう広場を抜け、セリアが案内したテラスカフェへと辿り着いた。
白い壁に蔦が絡まる、南風のように明るいカフェ。テラス席に案内され、三人はそれぞれメニューを眺める。
「カールは何にするの? お肉系?」
「この『炙りハーブチキンプレート』ってやつ、美味そうだな。……セリアは?」
「私は、この季節限定のラタトゥイユプレートにする。彩りもきれいだし」
「私はこれー! きのことチーズのグラタンパイ! 絶対おいしいやつ!」
注文を終えると、しばし柔らかな風の中、三人はランチを待ちながら言葉を交わした。
「こうして普通にランチするなんて、久しぶりかもね」
セリアがふと呟く。カールが頷いた。
「最近はずっと任務続きだったからな。こういう時間も悪くない」
「ねえ、こういうの……また、やろうね。三人で」
リアナの言葉に、セリアもそっと目を細めて頷く。
「ええ、そうね……また、何度でも」
やがて料理が届き、テーブルは香ばしい香りと笑顔に包まれた。
カールはナイフを手に取りながら、二人の姿を静かに見つめる。
(……どちらか一人を選ぶ時が来たら、どうする?)
自分でもまだ答えは出ない。けれど、こうして笑い合う時間だけは、何よりも尊いと感じていた。
ふと、リアナがスプーンですくったチーズグラタンを、カールの前に差し出した。
「ちょっと食べてみる? すっごく美味しいんだから!」
「え、あ……いや、そういうのは……」
「ほらほら、口開けて!」
「ちょ、リアナ……っ」
「あら、じゃあ私のラタトゥイユも食べてみる? カール、こっちのほうが絶対好みでしょ?」
「ちょっと、セリアまで!?」
わいわいと騒ぎながら、三人の時間は穏やかに流れていく。
騎士と魔術師と、そして二人の間に立つ青年。
淡い恋心と日常のきらめきが交差する、王都の昼下がり。
この小さな幸せが、明日への力になることを、誰より三人が知っていた。
◆氷の王、揺らぐ◆――ユリウス5世=ノルド視点
白銀の塔――シルヴァ=カテドラ。
全ての音が雪に吸われるような静寂の中、ユリウス5世=ノルドは王座に身を沈めていた。蒼白な長衣に身を包み、指先には常に冷気の魔素が渦巻いている。かつて齢わずか二十にして王座を奪った魔導の王。その瞳は今、何よりも深い氷のように冷ややかだった。
「……“魔導災害”の収束……だと?」
側近の報告を聞いた瞬間、王の目が僅かに揺れた。
「はい。北部ヴァルティナ鉱山、東の水脈都市セレイン、そして黒森の周辺……ここ一月の間に、魔物の出現が激減。精神障害を起こした者の数も明確に減少しています」
報告を告げるのは、老いた魔導官エルベルト。その声にはわずかに安堵が混じっていたが、ユリウスの前ではそれすら無礼に響く。
「その理由は?」
「……は。複数の目撃証言、ならびに大国リューゲンへの密偵の報告によれば……」
エルベルトはわずかに言いよどみ、だが王の沈黙に押されるように言葉を続けた。
「“黒衣の剣士と、銀髪の氷の魔女”によるものと……」
その瞬間、玉座の空気がぴん、と張り詰めた。
ユリウス5世の細い指が、肘掛けを小さく叩いた。
「……黒衣の剣士。まさか、カール=キリトか?」
「彼らはある古代遺跡を攻略したという連絡が」
「そして、氷の魔女……セリア=ノルド」
その名を口にした瞬間、王の表情が僅かに変わった。
冷静さの中に、微かに滲む憤怒と苛立ち。そして、言いようのない不安。
「……あの娘が再び、ノルドの地に舞い戻るのか、復讐か」
セリア=ノルド。王族の血が流れる者。王弟の娘、ユリウス5世からは伯父と姪の関係。かつてアリシア=ノルドと同じく“魔導因子の逸脱”を理由に王家から疎まれ、追放された存在。だがその潜在能力は王族随一と評されていた。ユリウス5世自身も、彼女の資質には一目を置いていた。だから、息子の婚約候補にしていたのだ。
――あの娘が、アリシアの息子カールと共に?
「……皮肉なものだな。俺が管理しきれなかった混沌を、追放された者たちが鎮めて回っているとは」
王の声には、嘲笑とも自己嫌悪ともつかぬ色が混じっていた。
玉座の間に沈黙が落ちる。長い、凍てつくような沈黙。
その静寂を破ったのは、ユリウス5世の低く抑えた声だった。
「……カール=キリトに会ってみるか……」
エルベルトが目を見開いた。
「王よ、彼は“アリシア様の血を継ぐ者”――今、下手に呼び戻せば、貴族派閥が……」
「わかっている」
ユリウス五世は遮った。氷のような声だった。
「だが、今のノルドには“制御された力”が必要だ。記憶の書庫を開き、俺たちは禁を犯した。その代償は大きい。……だが、もし彼が“その力”を扱えるなら――」
その言葉の続きを口にすることはなかった。
だが、彼の内にある“焦り”は確かに存在していた。
自らの決断によって開かれた禁書庫は、確かに失われし力を呼び覚ました。
だが同時に、その力はノルドの秩序すらも侵しかけている。
今や〈白き咎人ペイル・シン〉が各地で不穏な動きを見せ始めているという報告もある。
王自らが望んだ“完全なる魔導国家”は、制御不能の領域へと足を踏み入れつつあるのだ。
「奴の力が必要だ。……そして、俺の目で確かめたい」
ユリウス5世の瞳に、一瞬だけ感情が灯った。
それは――嫉妬か、畏怖か、あるいは自分が置き去りにしてきた“何か”への憧れか。
「……失われた姫の血筋が、本当にこの国の希望となるのか」
玉座の背後、氷で出来た巨大な窓から差し込む光が、淡く彼の肩を照らした。
ノルドは、まだ冷たい。
だが、遠く。
氷原の向こう、雪を越えて吹き込む風は、かすかに変化の匂いを含んでいた。
セリアとカール、かつて追放された者たちとその息子。
彼らこそが、今のノルドに必要な“異物”であり、“救済”であるのかもしれない――
ユリウス五世=ノルドは、もう一度だけ小さく呟いた。
「……カール=キリト。ノルドにこい。すべてを終わらせるために。そして、始めるために」
北の空に、淡く光る極光が揺れていた。
その光は、かつてアリシアが愛した魔導都市の上空を、静かに照らしていた。
そして運命の歯車は、確かに再び動き出していた。
『追放された公爵令嬢アリシア~咎なき者の追憶~』
それは、雪解け間近の早春のことだった。
北の魔導王国ノルド。その中心にそびえる漆黒の魔導塔には、代々の王族が積み上げてきた叡智と魔術の粋が集められていた。その地に生まれ、王弟の娘として育てられたアリシア=ノルドは、優雅でありながら聡明、そして慈愛深くもあった。
十六歳のその日、彼女は宮廷魔導院の卒業パーティーに臨んでいた。紅玉のドレスを纏い、母から受け継いだ白金の髪を美しく編み込み、エメラルドの瞳には未来への希望が宿っていた。――その夜、第一王子ウィリアム=ノルドが彼女に婚約破棄を告げるまでは。
「アリシア=ノルド。お前との婚約を、ここに破棄する」
会場が静まり返った。
貴族たちのざわめきが、波のように広がっていく。
「理由は……」
アリシアが口を開こうとした瞬間、ウィリアムはひとりの少女を伴って壇上に立った。彼女は平民の出でありながら、ウィリアムと魔導学院で関係を深めていたという少女――マルゲリート。
「アリシアはマルゲリートをいじめていた。それも陰湿なやり方でな。これは、王家の婚約者としてあるまじき行為だ」
嘘だった。そんなことはしていない。だが、その場にいた者たちの表情は冷たかった。
それは、用意された舞台だったのだ。
アリシアの伯父である――ユリウス4世=ノルドが、世界会議で南の大国との交渉に外遊している隙を突き、王太子派と反王弟派の貴族たちが結託して仕組んだ陰謀。その裏では、ウィリアムの即位を早めたい者たちが蠢き、アリシアを排除することで、王太子の婚約者の座と王弟とその一族を断つ計画が進行していた。
誤解や噂はすぐに真実として広まり、翌日には、王弟の邸宅に対して「魔導不正使用の疑い」という名目の強制捜査が行われた。証拠もなければ、まともな裁判もない。王都の騎士団が邸宅を包囲し、家臣たちも次々と拘束された。
父・ユリウス四世は帰還途中でその報を受けたが、戻った時にはすべてが終わっていた。
そして、アリシアには「王命による追放」が下される。
その行き先は、魔物の巣食う南方の魔境・黒樹の森。生きて戻った者はいないと言われる、死の森だった。
「お前には、咎がある。王族であるにも関わらず、他者を虐げ、民の声を無視したその罪……この国に居場所はない」
そう言い渡したのは、王国審議会の長であり、王太子派の重鎮・アーデルバート公爵だった。
アリシアは反論しなかった。いや、できなかった。
愛していた人に裏切られ、国民に憎まれ、父母、幼い弟、妹が連座で処刑された。すべてが、あまりにも急すぎた。
そうして、彼女もひとり、処刑同然の追放に処された。
だが、希望は絶えていなかった。
彼女が追放される直前――その情報を密かに聞きつけた者がいた。王家の次男、第二王子ヘンリー。後のユリウス五世である。
「……このままでは義姉上は殺される」
彼はそう呟き、己の命令権すら危うい立場でありながら、忠義厚い従者に命じた。
「護衛を一人つけていい。ただし、それが見つかれば、私も終わる。それでもいいなら、フリューゲンの商隊に紛れ込ませて逃がす手はある。選ぶのは……アリシア殿下ご自身だ」
アリシアはそれを聞き、微笑んだ。泣きながら。
追われるように、彼女は南の森の縁を越えて、さらに南方の商国フリューゲンへと逃れた。
痩せこけ、傷だらけになりながら、それでも生きて。
そして誓ったのだ。
いつかこの冤罪を晴らし、真実を世界に知らしめると――
(私は……私は、まだ終わっていない)
凍てついた国を後にし、少女は新たな運命へと踏み出した。
その名を、アリシア=ノルドという。フリューゲン商隊の伝手でキリト伯爵家のメイドになるのは、のちの話である。
かつて王妃となるはずだった少女が、今はただ、追放された一人の咎なき者として歩む。
だが、運命は彼女を見捨てない。
いつか、王国に嵐が吹き荒れる時――その中心には、アリシアの姿があることだろう。
11
あなたにおすすめの小説
転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました
SOU 5月17日10作同時連載開始❗❗
ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。
不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。
14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。
没落した貴族家に拾われたので恩返しで復興させます
六山葵
ファンタジー
生まれて間も無く、山の中に捨てられていた赤子レオン・ハートフィリア。
彼を拾ったのは没落して平民になった貴族達だった。
優しい両親に育てられ、可愛い弟と共にすくすくと成長したレオンは不思議な夢を見るようになる。
それは過去の記憶なのか、あるいは前世の記憶か。
その夢のおかげで魔法を学んだレオンは愛する両親を再び貴族にするために魔法学院で魔法を学ぶことを決意した。
しかし、学院でレオンを待っていたのは酷い平民差別。そしてそこにレオンの夢の謎も交わって、彼の運命は大きく変わっていくことになるのだった。
※2025/12/31に書籍五巻以降の話を非公開に変更する予定です。
詳細は近況ボードをご覧ください。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる