1 / 66
第1話 トリノ、いじめられている
しおりを挟む
『灰かぶり令嬢と冷たい塔』
――この屋敷は、わたしの居場所じゃない。
薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。
かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。
「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」
部屋の扉が開いた瞬間、鋭い声が響く。姉のミレイアだ。血のつながらない継姉。金色の巻き髪に、真紅のドレス。どこをどう見ても「完璧なお嬢様」ってやつだ。
「ごめんなさい、すぐに……」
声がかすれる。喉が乾いて、口がうまく動かない。でもそんなこと、おかまいなしにクラリッサが続けて現れる。こちらは次姉。銀髪に紫の瞳、冷たい美貌と毒舌で有名な“塔の薔薇”だとか。
「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」
「……すみません」
トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
継母――アナスタシアは、笑いながら扇子をパチンと閉じた。宝石の指輪がじゃらじゃらと光る。表面上は優雅な淑女。でも、その言葉の一つ一つは冷たい氷針のよう。
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
魔法の使える貴族家系に生まれながら、彼女にはその才能がなかった。魔力量は平均以下、魔導器も扱えない。だから「無能令嬢」と嘲笑され、王立魔法学園の入学も許されなかった。
そして父――ラウル伯爵は現在、王都にて政務の任について不在。手紙すら届かない。父がいない今、屋敷では継母たちの天下だった。
昼下がり。トリノは地下の魔道庫で、ホコリにまみれた古い呪具の掃除をしていた。魔力がこもった遺物は、時に人を傷つける。使用人に触らせるわけにもいかず、代わりに「使い捨ての娘」に任されるのだ。
咳き込みながら、彼女は一つひとつ魔力の気配を確認し、ぼろ布で拭っていく。
(魔法が使えたら……もっと違う未来があったのかな)
ふと、そんな夢のようなことを考えた。
「――あら、こんなところにいたの?」
その声に背筋が凍る。ミレイアとクラリッサが、また現れた。彼女たちはトリノの前に立つと、わざとらしくため息をつく。
「ほんと、似合ってるわね、その灰色の顔と服。まるで屋敷のゴミ箱に住んでる妖精?」
「妖精に失礼じゃない? こっちはただの“灰の虫”よ」
トリノは反論しない。ただ、目を伏せたまま、黙々と作業を続けようとする。
すると、クラリッサが手にしていた古い魔導具――火球の杖をわざと床に落とした。
「キャッ……!」
杖から火花が散って、トリノの足元の木箱が焦げた。すぐに火は消えたが、煙と灰が舞い、視界が真っ白になる。
「何やってんのよ、トリノ! 道具を壊すなんて、賠償金よ!」
「で、でも……!」
「言い訳しない!」
バチンッ。
頬に冷たい音が走る。クラリッサの手が彼女の顔を叩いたのだ。
(痛い。でも……泣かない)
そう決めていた。泣いたって誰も助けてくれない。耐えるしかなかった。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
――いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。
――この屋敷は、わたしの居場所じゃない。
薄明かりの差し込む天窓の下、トリノは古びた石床に敷かれた毛布の中で、静かに目を覚ました。肌寒さに身をすくめながら、昨日と変わらぬ粗末な日常が始まる。
かつては伯爵家の令嬢として、それなりに贅沢に暮らしていたはずだった。だけど、実の母が亡くなり、父が再婚してから、すべてが変わった。
「おい、灰かぶり。いつまで寝てんのよ、あんたは召使いのつもり?」
部屋の扉が開いた瞬間、鋭い声が響く。姉のミレイアだ。血のつながらない継姉。金色の巻き髪に、真紅のドレス。どこをどう見ても「完璧なお嬢様」ってやつだ。
「ごめんなさい、すぐに……」
声がかすれる。喉が乾いて、口がうまく動かない。でもそんなこと、おかまいなしにクラリッサが続けて現れる。こちらは次姉。銀髪に紫の瞳、冷たい美貌と毒舌で有名な“塔の薔薇”だとか。
「ふーん、また寝癖ついてる。魔獣みたいな髪。鏡って知ってる?」
「……すみません」
トリノはペコリと頭を下げる。反論なんて、とうにあきらめた。
この世界は、魔法と剣が支配する王国《エルデラン》の北方領。名門リドグレイ伯爵家の屋敷には、魔道具や召使い、そして“偽りの家族”がそろっている。
彼女――トリノ・リドグレイは、この家の“戸籍上は三女”。けれど実態は、召使い以下の扱いだった。
「キッチン、昨日の灰がそのままだったわよ? ご主人様の食事を用意する手も、まるで泥人形ね」
継母――アナスタシアは、笑いながら扇子をパチンと閉じた。宝石の指輪がじゃらじゃらと光る。表面上は優雅な淑女。でも、その言葉の一つ一つは冷たい氷針のよう。
「今朝の朝食、あなたの分はなし。ねえ、ミレイア? “灰かぶり令嬢”には、灰でも食べさせればいいのよ」
「賛成♪ ちょうど暖炉の掃除があるし、役立ててあげる」
三人がくすくすと笑うなか、トリノはただ小さくうなずいた。
魔法の使える貴族家系に生まれながら、彼女にはその才能がなかった。魔力量は平均以下、魔導器も扱えない。だから「無能令嬢」と嘲笑され、王立魔法学園の入学も許されなかった。
そして父――ラウル伯爵は現在、王都にて政務の任について不在。手紙すら届かない。父がいない今、屋敷では継母たちの天下だった。
昼下がり。トリノは地下の魔道庫で、ホコリにまみれた古い呪具の掃除をしていた。魔力がこもった遺物は、時に人を傷つける。使用人に触らせるわけにもいかず、代わりに「使い捨ての娘」に任されるのだ。
咳き込みながら、彼女は一つひとつ魔力の気配を確認し、ぼろ布で拭っていく。
(魔法が使えたら……もっと違う未来があったのかな)
ふと、そんな夢のようなことを考えた。
「――あら、こんなところにいたの?」
その声に背筋が凍る。ミレイアとクラリッサが、また現れた。彼女たちはトリノの前に立つと、わざとらしくため息をつく。
「ほんと、似合ってるわね、その灰色の顔と服。まるで屋敷のゴミ箱に住んでる妖精?」
「妖精に失礼じゃない? こっちはただの“灰の虫”よ」
トリノは反論しない。ただ、目を伏せたまま、黙々と作業を続けようとする。
すると、クラリッサが手にしていた古い魔導具――火球の杖をわざと床に落とした。
「キャッ……!」
杖から火花が散って、トリノの足元の木箱が焦げた。すぐに火は消えたが、煙と灰が舞い、視界が真っ白になる。
「何やってんのよ、トリノ! 道具を壊すなんて、賠償金よ!」
「で、でも……!」
「言い訳しない!」
バチンッ。
頬に冷たい音が走る。クラリッサの手が彼女の顔を叩いたのだ。
(痛い。でも……泣かない)
そう決めていた。泣いたって誰も助けてくれない。耐えるしかなかった。
夜。屋敷が静まり、誰もいない納戸で、トリノはひとり、こっそり木箱を開いた。中には小さな布包み。亡き母の形見――古びた銀のペンダントが眠っていた。
それだけが、彼女の“世界でただ一つの宝物”。
「……お母さま。わたし、がんばってるよ。ちゃんと、ひとりでも……」
声が震える。けれど、涙は流さなかった。
屋敷の誰にも必要とされない“灰かぶり令嬢”。
だけど、彼女の心だけは、まだ折れていない。
――いつか、この冷たい塔を抜け出して、空の広い場所へ行くんだ。
そう、小さく、けれど確かに誓った。
197
あなたにおすすめの小説
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
やんちゃな公爵令嬢の駆け引き~不倫現場を目撃して~
岡暁舟
恋愛
名門公爵家の出身トスカーナと婚約することになった令嬢のエリザベート・キンダリーは、ある日トスカーナの不倫現場を目撃してしまう。怒り狂ったキンダリーはトスカーナに復讐をする?
もう我慢したくないので自由に生きます~一夫多妻の救済策~
岡暁舟
恋愛
第一王子ヘンデルの妻の一人である、かつての侯爵令嬢マリアは、自分がもはや好かれていないことを悟った。
「これからは自由に生きます」
そう言い張るマリアに対して、ヘンデルは、
「勝手にしろ」
と突き放した。
全てを捨てて消え去ろうとしたのですが…なぜか殿下に執着されています
Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のセーラは、1人崖から海を見つめていた。大好きだった父は、2ヶ月前に事故死。愛していた婚約者、ワイアームは、公爵令嬢のレイリスに夢中。
さらにレイリスに酷い事をしたという噂まで流されたセーラは、貴族世界で完全に孤立していた。独りぼっちになってしまった彼女は、絶望の中海を見つめる。
“私さえいなくなれば、皆幸せになれる”
そう強く思ったセーラは、子供の頃から大好きだった歌を口ずさみながら、海に身を投げたのだった。
一方、婚約者でもあるワイアームもまた、一人孤独な戦いをしていた。それもこれも、愛するセーラを守るため。
そんなワイアームの気持ちなど全く知らないセーラは…
龍の血を受け継いだワイアームと、海神の娘の血を受け継いだセーラの恋の物語です。
ご都合主義全開、ファンタジー要素が強め?な作品です。
よろしくお願いいたします。
※カクヨム、小説家になろうでも同時配信しています。
さようなら、私の愛したあなた。
希猫 ゆうみ
恋愛
オースルンド伯爵家の令嬢カタリーナは、幼馴染であるロヴネル伯爵家の令息ステファンを心から愛していた。いつか結婚するものと信じて生きてきた。
ところが、ステファンは爵位継承と同時にカールシュテイン侯爵家の令嬢ロヴィーサとの婚約を発表。
「君の恋心には気づいていた。だが、私は違うんだ。さようなら、カタリーナ」
ステファンとの未来を失い茫然自失のカタリーナに接近してきたのは、社交界で知り合ったドグラス。
ドグラスは王族に連なるノルディーン公爵の末子でありマルムフォーシュ伯爵でもある超上流貴族だったが、不埒な噂の絶えない人物だった。
「あなたと遊ぶほど落ちぶれてはいません」
凛とした態度を崩さないカタリーナに、ドグラスがある秘密を打ち明ける。
なんとドグラスは王家の密偵であり、偽装として遊び人のように振舞っているのだという。
「俺に協力してくれたら、ロヴィーサ嬢の真実を教えてあげよう」
こうして密偵助手となったカタリーナは、幾つかの真実に触れながら本当の愛に辿り着く。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
多分悪役令嬢ですが、うっかりヒーローを餌付けして執着されています
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【美味しそう……? こ、これは誰にもあげませんから!】
23歳、ブラック企業で働いている社畜OLの私。この日も帰宅は深夜過ぎ。泥のように眠りに着き、目覚めれば綺羅びやかな部屋にいた。しかも私は意地悪な貴族令嬢のようで使用人たちはビクビクしている。ひょっとして私って……悪役令嬢? テンプレ通りなら、将来破滅してしまうかも!
そこで、細くても長く生きるために、目立たず空気のように生きようと決めた。それなのに、ひょんな出来事からヒーロー? に執着される羽目に……。
お願いですから、私に構わないで下さい!
※ 他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる